26.ベラフの冬 港町の食卓
冬の定番といえば肉と野菜がたっぷり入った熱々のクリームシチューだが、臭みが強いトルク肉をそのまま使うと、美味しいクリームシチューにならない。料理長と一緒に何度も試行錯誤を繰り返して美味しいクリームシチューが完成した。
作り方はちょっと手間が掛かる。
筋を除いて角切りにした肉を肉叩きで叩いて、塩胡椒を振り、白ワインに三十分ほど漬けて臭みを抜く。水気を取った後、小麦粉をまぶす。
「カシム、ちょっと来なさい」
と料理長がカシムを呼んだ。早速仕事を教えてくれるようだ。
「はい、料理長」
カシムは緊張しながら料理長の元に向かう。
料理長は先ほど下味を付けたクリームシチュー用のトルク肉を指さした。
「トルクの肉を焼いてみろ。鍋に油を熱し、肉の表面をしっかり焼きつける。トルクの肉から油が出るから、最初に引く油は少しでいい。副料理長がどのくらい仕込んだか見せてくれ」
「は、はい」
早速カシムはトルク肉を焼き始める。
トルクの肉は癖が強い。焼くことで生臭さを消し、香ばしさを出すことが出来る。
焼けた肉は取り出しておく。
同じ鍋で玉葱、セロリ、人参、ニンニクを炒める。甘みが出たらローリエ、タイム、クローブ、フェンネルといったハーブを多めに加える。
炒め終わったら、肉を戻し、先程作ったフィッシュストックと白ワイン、水を注いで弱火で煮込むこと二時間。途中でアクを取りながら、肉が柔らかくなるまで煮込む。
最後に軽く茹でたジャガイモと牛乳、生クリーム、ガルムをほんのちょっぴり、チーズを加え、さらに十五分ほど沸騰しないように注意しながら煮込む。最後にバターで艶を出す。
「リーディア様、今日の分はこれでよろしいですか?」
魚介の加工工房は水を使う仕事なので、気温が下がり始める夕刻前には作業を終える。
加工工房の作業員が、帰りがけに立ち寄って、頼んでおいた魚を届けてくれた。
「後、こちらも」
とノア達には内緒で頼んでおいたタラの『とある部位』も持ってきてくれた。
「ありがとう、助かるよ。あ、お茶でも飲んで行ってくれ」
作業員がバケツ二杯分くれたのは、本日の作業で出たタラの身。
三枚に下ろす時に失敗したとか、少し身が小さかったなど、塩漬けにするには適さない部分をわけてもらった。
「リーディアさん、これで何を作るの?」
ノアがわくわくしながら聞く。
「タラはどんな料理でも美味しいけど、今日はタラのコロッケを作ろうと思うんだ。ほくほくして美味しいよ」
『紅の人魚亭』の人気メニュー、トルク肉のコロッケをタラ風にアレンジしたものだ。
タラのコロッケは、ソテーしたタラのほぐし身を使う。どうせほぐしてしまうので、大きさや形が揃ってなくても構わない。
タラは臭みが出やすい魚なので、皮と骨を外した後、軽く塩を振り、十分少々置く。こうすることで余計な水分が出て臭みが取れるし、他の具材とまとまりやすくなる。
まずフライパンにオリーブオイルとにんにくを入れて熱し、香りが立ったらみじん切りにした玉ねぎを加えて炒める。
そこにタラの身を入れて、木べらでほぐしながら炒め、塩胡椒で味を調える。
皮付きのまま茹でたジャガイモは皮を剥き、牛乳、バターを加えて粗くつぶす。
ジャガイモに炒めたタラを混ぜ合わせ、成形した後、衣を付けて揚げる。
アンチョビと芽キャベツのローストは、半分に切った芽キャベツにアンチョビ、にんにくを加えて、オリーブオイルを掛け回し、オーブンで焼くだけ。
シンプルだが、芽キャベツのほろ苦さと甘みが、アンチョビの塩味とよく合う。
あらかた夕食の支度が終わり、後はもう一品。
「さて、カシム、ノア、燻製小屋に行くよ。ついてきてくれ」
私は二人の少年に呼びかけた。
「はい!」
「リーディアさん、燻製小屋に何を取りに行くの? ベーコン?」
ノアの問いかけに私は答えた。
「いいや、ウナギだよ」
「「えっ、ウナギ?」」
ノアもカシムも目を丸くする。
『紅の人魚亭』の裏手には燻製用の小屋があった。
大きな料理屋や宿屋が、保存や調理のために燻製小屋を自前で備えているのは、珍しいことではない。
しかし私やノア達が住んでいたゴーランの田舎町フースでは、燻製品のほとんどが肉であるのに対し、ここは港町だけあって、燻すのは魚なのだ。
ゴーランでも湖の近くの町ではマスなど魚の燻製を食べると聞いたことがあるが、フースの町では縁のない食材だった。
燻製小屋に向かいながら、私はカシムに語りかけた。
「さて、カシム。燻製方法は温度によって三種類に分かれている。食材に火を当てず煙だけで燻す冷燻、食材に直接火を通す熱燻、そしてその中間の温度で火と煙で燻製する温燻だ。一番しっかりと燻されて、長期保存が可能なのが、冷燻。魚の種類や燻製の仕方によるけど一ヶ月以上持つ。熱燻は保存方法というよりは香りを付ける調理方法に近い。美味しく食べられるのは当日から翌日程度が限度で、燻し終えたらすぐに食べるのが一般的。温燻は二つの中間で一週間程度の保存が可能だ」
「ふむふむ」
カシムは一生懸命に聞いている。
「冷燻は作るのに時間が掛かるから、『紅の人魚亭』の燻製小屋では温燻と熱燻がメインだ。今日食べるのはウナギを温燻にしたものだ。さあ、ごらん」
燻製小屋の近くでは乾燥専用の網カゴに入れられたウナギが、大量に陰干ししてあった。
「うわぁ、これ何?」
「気持ち悪い魚!」
ノアとカシムは悲鳴を上げた。
「ウナギを開いて内臓を取ったものだよ。さっき見ただろう? 塩、砂糖、スパイス、ワインを合わせた調味液に大体一日半、漬け込んで、その後、夏場は丸一日、今は冬だから半日かけて干す。表面がさらりとして、ちょっとだけ粘りがあるのがいい感じに乾燥出来た合図だ。燻製小屋に運んで燻製にしよう」
私が近くの網カゴを持ち上げようとしたら、
「リーディアさん……じゃなかったリーディア様! 僕がやります! リーディア様は重いものを持たないで!」
とカシムにあわてて止められた。
「もしかして、カシムはお母さんから私のお腹に赤ん坊がいることを聞いたのかい?」
「えっ、そうなの? リーディアさん」
まだノアには教えていなかったので、ノアは驚いている。
ノアには先に教えてあげたかったんだが、言う機会がなかったのだ。
「そうなんだよ、ノア。来年の四月の終わり頃に生まれる予定だよ」
「えっ、すごい!」
ノアは歓声を上げた。カシムはそんなノアに言った。
「母ちゃんが皆にはまだ内緒だって言ったけど、ノアはもう知ってるからいいよね。ノア、リーディア様は今大事な体だから色々手伝ってやれって母ちゃんが言ってた。特に重いものは持たない方がいいんだって」
「うん、分かった。リーディアさん、赤ちゃんがいるなら、大事にして! 僕らがやるよ!」
ノアが目を輝かせて言った。
「じゃあ頼むよ、二人とも」
「はい!」
「任せて!」
二人は張り切って燻製小屋にウナギの網カゴを運び始めた。
燻製小屋の扉を開けると、まず目に入るのは壁際に据えられた石組みの火床だ。火は直接当たらず、床下の煙道を通して煙だけが室内に回り込む仕組みになっている。
室内の梁からは太い鉤や横木が渡され、そこに縄や鉤で食材を吊るせるようになっている。
「この梁にウナギを吊るしてくれ」
燻製にするウナギはあらかじめ頭か首元に吊るし用の穴を開けてある。
手袋をしてせっせとウナギを掛け並べ、上からローリエやタイムを添える。こうすることで、煙とともにハーブの香りが染み込んでいく。
吊るし終えたら、炭と、端に置かれた木材を火床に並べ、魔法を使って火を入れる。
使用する木材は船大工達から分けてもらった端材だ。
ただし木なら何でもいいわけではなく、杉やヒノキは燻製に適さないそうだ。そして必ずニスなどを使っていない素の木材を使う。
さらに。
「カシム、燻製は使用する木材で味が変わる。今日使うのはナラとハンノキ。ウナギは脂が多いからこの二つを組み合わせるのが最適だそうだ」
「そうなんですか、面白そうです」
カシムは興味を引かれた様子だ。
「料理長が詳しいよ。今度教えてもらいなさい」
今まで住んでいた楡の木荘には燻製小屋はなかったので、燻製小屋の使い方は料理長から学んだ。
火床から白く細い煙が立ち上り、部屋中が広がっていく。
しばらくその場で、火床の熱が高すぎず低すぎず、丁度いい温度になるまで見守った。
やがて煙は青白い色に変わり、安定してきた。もういいだろう。
「よし、外に出るぞ」
私達は素早く小屋を出た。
小屋は密閉されており、出入り口の他には、煙の具合を確かめるための小さな窓が一つあるだけだ。
「あとは1時間から1時間半、燻す。甘い匂いがしてきたら出来上がりの合図だ」
「リーディア様」
と誰かが私を呼んだ。
振り返ると、『紅の人魚亭』の料理人の一人が駆け寄ってきた。
「リーディア様、代わります。あなたは中へ」
ベラフの町は夕方になるとぐっと冷え込んでくる。料理人が心配して見に来てくれたようだ。
「ありがとう、頼む。カシムとノアは寒くないならここに居て、燻製のやり方を教えてもらいなさい」
私達が今まで住んでいたのは山に近い内陸の町、フースだ。ベラフの町とは同じゴーラン地方だが、驚くほど天候が違う。
フースの冬も十分寒かったが、海からの冷たい風が吹き付ける港町ベラフの冬は一段と厳しい。
その上ここは雨が多く、日が落ちるのがとても早い。
「風邪を引かないように気をつけるんだよ」
幸い今日は雨が降ってないが、私は二人が着ている羊毛のコートの前ボタンをしっかり締めた。
『紅の人魚亭』に戻り、私はタラの卵サラダを作ることにした。
ノア達に内緒で頼んでおいたのは、タラの卵の部分だ。
タラの卵サラダは軽く湯がいたタラの卵を使うので、生に近い味わいが楽しめる。きっとノアもカシムも食べたら驚くだろう。
妊娠しているせいか、少し腹が重く感じて、疲れやすくなっていた。
この作業は座って出来るのもありがたい。
材料は、タラの卵、パン、牛乳、玉葱、ニンニク、オリーブオイル、後はヨーグルトを少々。
この辺りではパンの代わりにジャガイモを使って作るのが一般的だが、今回はパンを使う。このレシピだと、少し硬くなったパンも美味しく食べられる。
タラの卵は沸騰した湯で一、二分さっと湯通ししておく。
ボウルにライ麦パンをちぎって入れ、牛乳でふやかす。タラの卵は皮を取り除き、中身をしごき出しておく。
少量の玉葱をみじん切りにしてオリーブオイルで五分ほど炒めておく。こうすると香りが立って味がまとまりやすくなる。
ふやかしたライ麦パンの水気を絞り、すり鉢にタラの卵、パン、みじん切りにした玉葱、ニンニク、レモン汁、それとヨーグルトを入れて擦る。
擦りながら、オリーブオイルを少しずつ加えていく。ふわっとクリーム状になったら出来上がりの合図。最後に胡椒で味を調えたら完成だ。
パンに付けても美味しいし、タラのコロッケに付け合わせても良い。
今日は前菜風に冬が旬の舟形の葉の野菜、チコリに乗せた。
ウナギの温燻が出来上がって、ノア達が戻ってきた。
まずは料理人特権で厨房の皆で、出来上がりを試食した。
「美味しい」
「うん、美味しい」
「旨い」
ウナギは脂が多いため、燻製にすると甘みとコクが増す。
皮もパリッとして身はふっくら。木の香りが穏やかに鼻をくすぐる。上出来だ。
半分は今日このまま食べてしまうが、残りの半分は取っておく。
ウナギの温燻は少し日が経つと香りが落ち着き、味わい深くなるのだ。
やがて皆が仕事から戻ってきて、食事の時間が始まる。
領都の文官達もベラフの町にやって来た。これで事務作業を彼らに任せることが出来る。
引き継ぎも順調に進み、私はあと一週間で領都に戻る予定だ。
色んな人に出会えて、珍しいものが見られた。珍しい料理を作れて食べられて、充実していたなー。
と私は思っていた、のだが。






