25.ベラフの冬 新しい住人
冬になり、ベラフの町に新たな住人がやってきた。
秋までの仕事を終えたダンジョンの冒険者達が合流してきたのだ。
ダンジョンの内部は想像を絶するような不思議な場所で、ほとんどのダンジョンで季節がないそうだ。
ならばそこで活躍する冒険者達も年中仕事が出来る……と思いきや、そうでもない。
冬はダンジョンに向かう道そのものが閉ざされてしまったり、事故が増えたりするので、冬の時期は活動を自粛する冒険者が多い。
そんな中、働きたいという者達を冒険者ギルトで斡旋してもらった。
必要なのは住居を作る大工、建具を作る家具職人、金属製の部品や道具を作る鍛冶師など。
さらにトルク皮を革に仕立てる革職人や、冬の海産物や肉を保存出来るように加工する職人も足りない。
この時期は冒険者達だけでなく、彼らを支援する人々も仕事が手薄になるのだ。
「リーディアさん! じゃなかった、リーディア様!」
新規住民の名簿作りに大わらわの最中、懐かしい人の姿が見つけた。
フースの町に住むノアの友達、カシム一家だ。
「カシム! カシムのご両親も」
そして。
「リーディアさん! 来たよ!」
「ノアもかい?」
フィリップ陛下の南部視察の随行を終えたノアがやって来たのだ。
しばらく合わないうちにノアは少し背が伸びてたくましくなったようだ。南部で良い経験が積めたのだろう。
カシムの母親が笑ってお辞儀した。
「こんにちは、奥様。フースの町から移住して来ました。よろしくお願いします」
「カシムのご両親は確か、冒険者ギルドの革職人でしたね。招集に応じてくださり、ありがとうございます」
私がそう言うと、カシムの父親が言った。
「トルクの皮はじいさん達がなめしておりました。とてもいい皮だったと聞いてます。是非一度トルク皮を扱ってみたくてやって来ました。こいつは……」
と彼はカシムの頭を小さく小突いた。
カシムは意気揚々と私に手紙を手渡してきた。
「リーディア様、これ、楡の木荘の副料理長からの紹介状です」
「えっ、副料理長からの紹介状? カシムも働くのかい?」
「はい、父ちゃんが学校に行った後なら、厨房で修行してもいいって。副料理長が料理人の見習いが出来るよう、仕込んでくれました。やらせてください!」
カシムは楡の木荘にやって来る子供達の中では、一番料理に興味がある子で、私が料理しているとよく手伝ってくれたものだ。
カシムはノアの一つ上で今年十一歳。
庶民はもう自分の将来の職業を考え、親方に付いて修行する年頃だ。
つまり料理人の見習いになるということは、将来料理人になるということだ。
「カシムはご両親の跡は継がなくていいのか?」
腕の良い革職人はゴーランでは尊敬される仕事の一つだ。
だが、カシムの父親は言った。
「こいつの他に兄弟はいますし、職人なんてもんは好きなことをするのが一番ですよ。親の職業なんて関係ない」
と彼は笑った。
「じゃあ、学校の勉強はしっかりするんだよ。その後でなら、カシム、厨房を手伝ってくれ。人手不足で大変なんだ」
「はい! リーディア様」
「僕も手伝うよ。僕はリーディアさんの弟子だから」
「頼むよ、ノア」
「…………」
カシムの母親は私の腹の辺りをじっと見て、「リーディア様、ちょっとお耳を拝借」と顔を近づけると囁いた。
「もしかしておめでたですか?」
モコモコと厚手の服を着込んでいたせいで、外見からは分からないはずなのに、カシムの母親は一発で見破った。『お母さん』というのは、妖精なみに鋭いらしい。
「そうなんだ」
彼女は「まあ!」と嬉しそうに声を上げ、あわてて口を噤む。
「申し訳ありません」
「いえいえ、そろそろ安定期になりましたから、お気になさらず。近々領にも触れを出す予定です」
領主の子や孫が生まれる時は、皆に知らせるのが通例らしい。
今は妊娠五ヶ月目。出産予定は今年の春の終わり頃である。
もう秘密にする段階ではないが、今は名簿作りの最中だし、騒ぎになると困る。
私はひそひそとそう返事した。
カシムの母親も私の意を汲んでそっと囁いた。
「ご領主様もさぞお喜びのことでしょう。ゴーランに住む者は皆、お子様の誕生を心より待ち望んでおりました。おめでとうございます」
カシムの母親は深々とお辞儀をして、私も礼を返す。
「ありがとうございます」
「リーディア様、お里は?」
「私の実家は遠方なので、子供は領都で産む予定です」
「あら、ここでお産みじゃないの?」
そう言われて私は驚いた。
皆、当たり前のように私が医療態勢が整った領都で産むのを前提とするのに、彼女は違ったからだ。
カシムの母親は優しく私に笑いかけた。
「夫の側で産むのも安心出来ていいですよ。なんのかんの言って夫婦ですし、お腹の子の父親ですからね。どこで産むにせよ、どうぞ、リーディア様、お心安らかにお産なさってください」
住民台帳を書き終えると、冒険者ギルドの面々は、それぞれの仕事場に案内される。
カシムの両親は早速仕事場になるなめし革の工房に向かった。
私も自分の仕事に戻ろう。
「さて、カシム、ノア、厨房に行く前にどこか見たいところはあるかな? 案内するよ」
そう言うとカシムは目を輝かした。
「いいんですか? じゃあ魚の加工工房が見たいです!」
「えっ、そんなものが見たいのかい?」
「はい、副料理長が教えてくれました。海には僕らが見たことがない魚がたくさんいるって」
「そうだね、このベラフでは色々な魚が捕れる。ウナギなんてすごく変な形をしてるよ。蛇みたいなんだ。ノアも魚の加工工房でいいかい?」
「うん、海の魚って僕、見たことないよ」
とノアも興味津々だ。
冬になると食べ物が少なくなり、内陸部では保存していた野菜や肉を食べて春を待つ。
そんな中、冬でも捕れるベラフの魚介類は、非常に貴重な資源だった。
船の建造が進むとともに漁船の数も増え、アルヴィン達による討伐のおかげでトルクら海の魔獣の数も減少し、安全に漁が行えるようになっていた。
ベラフの住人に行き渡る分だけでなく、余剰分を他の町に売ることも出来るようになったのだ。
冬に多く獲れるのはタラやカレイで、少量ながらウナギも水揚げされる。これらの魚介を塩漬けにして内陸へと運ぶ計画だ。
工房に着くと魚の処理の真っ最中だった。
今日水揚げされた魚はタラのようだ。
「お邪魔するよ。見学させてくれ」
「やあ、リーディア様、いらっしゃい。どうぞ」
許可をもらって私達は中に入った。
入ってすぐの大きなテーブルで行われているのは、包丁を使ってタラの腹を開いている。
これは塩漬けの第一段階だ。
私は子供達に処理の手順を説明した。
「タラはああやって内臓を出す。今の時期はタラの卵が手に入るからそれは内臓とは別に処理する」
「ふんふん」
とカシムは興味深そうにメモを取り始めた。後で副料理長に聞いたことを教える約束をしたそうだ。
ひたすら腹を開く作業の隣では次の工程が行われている。
「内臓を取り除いた後は、皮付きのまま三枚に下ろすんだ。こうして骨を取り除く」
「うわぁ、あれは何? リーディアさん」
ノアが身震いして指さすのは別のテーブルで処理されているウナギだ。
まだ生きているので元気よくうねっている。ウナギは鱗のない黒い魚で、初めて見るとかなり驚く。
「あれがウナギだよ。ウナギもタラと同じように内臓を取り除いて塩漬けや油で煮込んでオイル漬けにするんだ」
次の工程では、下ろした身の部分を樽に詰めている。
「これは樽詰めの作業。塩をたっぷりまぶして層状に樽に詰めるんだ。その後重しを置いて水分を抜く。タラは大きいから熟成に二週間掛かる。カレイのような小さな魚は四日くらいだね。こうすると冬の間保存出来るようになる。完成したら出荷だ」
塩も容器の樽も高価なうえ、加工の手間も掛かる。当面は貴族や富裕層向けの商品だ。
「タラの卵はどうするの? ……じゃない、どうするんですか?」
カシムは副料理長に言葉遣いまで仕込まれたようだ。あわてて言い直す。
「一部は塩漬けや燻製にして出荷する。新鮮なものは、軽く湯がいてそのまま食べたりするんだよ。これは港町だけの贅沢だね」
「ふーん」
「食べてみたいな」
と二人は興味をそそられたようだ。
「リーディア様、今日分です」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
私は帰りがけに加工工房から魚の頭や骨の部分を分けてもらった。
魚が一杯に詰まったバケツをカシムとノアが一つずつ受け取って、
「リーディアさん、これ、どうするの?」
「うん、どうするんですか?」
不思議そうに聞いてくる。
見慣れないと魚の頭は気持ち悪い。
「煮込んでフィッシュストックを作るんだよ。そのままスープとして飲んでもいいし、ブイヤベースや魚介のクリームスープのダシにも使える。煮詰めてソースにしたりも出来るんだ。早速今晩の料理に使おう」
「「はい!」」
二人は勢いよく頷いた。
厨房に戻り、皆にカシムとノアを紹介する。
「フースの町から来ました。料理人見習いのカシムです! よろしくお願いします!」
「僕もフースの町から来ました。リーディアさんの弟子です! 少しの間だけど、よろしくお願いします!」
カシムは両親と一緒に春頃までベラフの町に住む予定だが、ノアは私と一緒に遠からず領都に戻る予定だ。
私がベラフの町にいるのは、あと一週間ほどとなった。
「まあ、カシム君はうちの子と同じ歳だわ。よろしくね」
「ノア君はリーディア様の弟子? すごいわねぇ」
「よろしく」
「よろしくお願いしまーす」
厨房はいつでも忙しい。
挨拶を交わすと、あわただしく、皆、自分の作業に戻った。
さて、私も今晩の食事の支度をするとしよう。
「早速だけど、二人とも、手伝ってくれるかい?」
「うん」
「何を作るんですか?」
「まず最初にフィッシュストックを作ろう」
ちょうど加工工房からもらった魚のアラが届いている。
フィッシュストックは魚介類のアラで作る魚のだし汁のことだが、魚なら何でもいいわけではない。白身の魚か貝類が望ましい。
その点タラはうってつけの食材だ。
骨や頭は流水でよく洗い、血やぬめりを取り除く。臭みの原因になるエラや内臓は完全に除去する。玉葱、人参、セロリ、ニンニクといった香味野菜は薄切りにしておく。
鍋に魚の骨と頭、香味野菜を入れ、白ワインと水を加える。
後は塩胡椒、それにタイムにローリエにフェンネル、そしてセイボリーを入れる。
タイムはウッディで爽やか、控えめな苦味。ローリエは清涼感があり、ややスパイシーな香り。フェンネルは甘みが強く爽やか。セイボリーはタイムに似ているが香りが強くスパイシー。それぞれ魚介類に合うハーブだ。
強火で加熱し、沸騰直前に弱火にする。
「カシム、君はアクを取る係だ。沸騰しないように気をつけてこまめにアクを掬ってくれ」
「はい、分かりました!」
カシムはビシッと返事をした。
「リーディアさん、僕は?」
「ノアはトルクの肉叩きだ。これから私が筋を除いて角切りにするから叩いてくれ」
「うん、分かった。うわー、これがトルク肉? トルクって魔獣なんだよね」
ノアはでっかいトルク肉の塊に驚いている。
「そうだよ。トルク肉は普通の肉より硬いから扱いに気をつけて」
「うん、分かったよ! リーディアさん」
カシムが頑張って沸騰させずにアクを取りながら、弱火で煮込むこと四十分。
出来上がっただし汁を布で濾すと出来上がりだ。
澄んだ綺麗な色に仕上がった。
ちょうどノアの肉叩きも終わった。
フィッシュストックを使って夕食を作ろう。
今夜のメニューはトルク肉のクリームシチュー。
アンチョビと芽キャベツのロースト。
タラのコロッケ。それとウナギの温燻だ。






