23.ベラフの秋 収穫祭
今年のベラフの町の収穫祭は十一月に行われた。
本来この辺りで収穫祭と言えば、葡萄の収穫を祝う祭りで、大体九月から十月に行うのが普通だ。
収穫祭の時期としては遅すぎるのだが、理由は『忙しかったから』に尽きる。
騎士団はトルク退治で駆けずり回り、船造りも家づくりも肥料作りもなんとか期日に間に合わせようと皆昼夜を問わず働いていたので、とても収穫祭どころではなかったのだ。
十一月に入り、ようやく作業が一息ついたので、住民達から収穫祭をしたいという声が上がってきた。
そこで私と料理長と町長とアルヴィンとその他騎士団や職人達の代表者が集まって会合が開かれ、遅まきながら、秋の収穫祭を行うことになった。
通常、こういう祭りは町の税収で賄うのだが、町にはまだ税がほとんどない状態だ。
ゴーラン領主ことアルヴィンは「支払いは私が持つ」と景気よく金を出すことを約束した。
「ベラフの港が開港したら、巨万の富が築けるからこの程度の金は惜しくない。今まで皆、よく働いたからな。慰労を兼ねて派手にやろう」
――今だクラーケン打倒の道のりは険しい。
冬までに新造船を四隻作るという計画は船大工達の努力で達成されたが、残りの四隻を春までに作り終えねばならない。
冬は天候の悪い日が多く、寒さが厳しくなるため、船造りはこれまで通りの作業が出来なくなる。
クラーケンは水温が下がる冬には海中深くに潜り、ほとんど動かなくなるというが、春になると再び動きを活発化させる。
その時、餌であるトルクが減っていることを気付く可能性が高くなる。
それまでに船を作り上げ、騎士団の迎撃態勢を整えねばならない。
果たして決戦までに間に合うのか?
誰もが不安に思っている中、アルヴィンは当たり前のように『ベラフ開港』を口にした。
彼の言葉を聞いた者達の間に安堵が広がる。
このあたり、アルヴィンはよい領主でよい騎士団長なのだなと思う。
そうと決まれば収穫祭の準備を始めよう。
収穫祭といえば肉である。
羊飼い達とも相談し、まず彼らから肉を買い付ける。山羊と羊の肉を中心に豚や牛の肉も買った。
他に必要なのは、山の幸。
ベラフの町から少し離れたところにある山には、かつては魔獣の跳梁する危険地帯だったが、騎士団が魔獣を掃討し、人が立ち入れるようになった。
有志が集まり山に向かうと、今年は栗もきのこも豊作で、沢山採れた。
きのこや畑で採れた根菜を使って作るのは、シチューに、グラタンに、キッシュ。美味しいものをたんと作ろう。
港町ベラフといえば、海の幸。
イワシはアンチョビに、サーモンは燻製に、ニシンは酢漬けに、タラは牛乳とオリーブオイルとニンニクを加えて練るブランダードというペーストに加工した。
食べ物が確保出来たら、次は酒である。
少し離れた町にワイナリーがあるというので、そこのワインを買い付けることにした。
ワイナリーの主人に連絡を取ると、すぐにベラフまで足を運んでくれた。
実際にワインを試飲させてもらったところ、味も申し分なく、商談は滞りなく成立した。
「たくさんお買い上げいただき、ありがとうございます」
大口の取引がすんなりと決まり、ワイナリーの主人は大喜びだった。
「廃業しようかと思い悩んでいたところなんです。本当にありがとうございます」
いや、喜びを通り越し、むせび泣かれてしまった。
「えっ、こんなに美味しいのになんでまた?」
デニスが驚いてワイナリーの主人に尋ねる。
「そう言って頂けると嬉しいですが、うちのお得意様は先のご領主様でして」
先の領主といえば……。
「ギール家、ですか?」
「はい。ですが誓って、商い以上の付き合いはございません」
ワイナリーの主人はあわてて言い添えたのは、このギール侯爵家は王家に対する反逆罪で既に断絶した家だからだ。
汚職、不法な商取引、脅迫、さらには殺人まで、彼らは王妃の実家という権力を盾にありとあらゆる悪事を行っていた。
実を言うと、彼らを断罪したのはここにいる我々である。
「大口の顧客を失い、またそちらからの未払い分もございまして、経営は火の車でした」
ワイナリーの主人は大変なとばっちりを受けたようだ。
「それは気の毒だったな。余っている酒があれば買いたい」
とアルヴィンは救済を申し出た。
「蒸留酒でもよろしいでしょうか? 値は張りますが、酒精が強く、ワインとはまた違った味わいがございます」
「珍しいな、蒸留酒を作っているのか?」
「はい、うちはブランデーを製造しております」
アルコールは水より早く蒸発する性質を持っている。
ワイン等のアルコールを含む液体を加熱するとアルコールなどの成分が気体になる。それを冷やして再び液体に戻すとアルコールを濃縮することが出来る。これがブランデーの出来る仕組みだ。
ワイナリーではワインを蒸留したブランデーを作っているそうだ。
「廃業されては我々が困る」
とアルヴィンはワイナリーの余ったワインやブランデーをありったけ買った。
これで冬の間の酒には困らないだろう。
***
近隣の町にも誘いを掛けて、収穫祭が開催された。
騎士団と羊飼い達が焼く牛や豚や羊の丸焼きはどこでも大人気だが、珍しい海の幸にも人々の注目が集まった。
獲れたての魚介類を白ワインやトマト、オリーブなどで煮込む漁師の気まぐれ料理、アクアパッツァ。
いわしの内臓を塩漬けにして発酵させて作ったアンチョビは、茹でてスライスしたジャガイモと生地にのせて焼き上げる、素朴なピザに。
スモークサーモン、ニシンの酢漬け、タラのペーストは、それぞれ薄切りのパンに乗せて、片手で食べられるように工夫した。
ゴーラン領では今年、小麦がやや不作となり食糧不足が懸念されたが、豊作だった南部から小麦を買い付け、パンもパスタも通年通り食べられている。
つまみはどれもこれも酒の肴にぴったりでいくら作ってもすぐになくなる。
若者は珍しいと、昔のベラフを知る老人達は懐かしいと、皆嬉しそうに食べていた。
アルヴィンが気前よく資金を出してくれたので、甘いものも用意出来た。
アップルパイに栗といちじくのタルト、山で採れた果物で作ったドライフルーツに、梨や林檎やプルーン、カリンのコンポート。
「久々にリーディアのマドレーヌが食べたい」とアルヴィンからの要望で、マドレーヌを作り、人々に配る。
菓子は、砂糖、小麦粉、バターなどをたっぷり使うので高価になる。
何十年も海を閉ざされ、貧困に喘いでいたベラフやその周辺に住む子供達はマドレーヌを見たこともなかったらしく、一口頬張って目を丸くした。
「甘い!」
「美味しい!」
「そうかい、まだあるからね。食べなさい」
子供達から満面の笑みを向けられ、料理長が相好を崩す。
「『あの』ベラフがなぁ」
「ああ、信じられない」
「随分景気がいいようだ」
近隣の町に住む大人達は、ベラフの町を興味深そうに眺めている。
食べ物もだが、住人達はそろそろ北風が吹くこの季節、北部の行商人が運んできた温かい羊の毛皮に身を包み、いかにも健康そうだ。
ベラフが放棄されてから四十年以上経つ。
その間、当時領主だったギール家によってベラフの町には立ち入り禁止の処置が取られていた。
そのため実際にこの地に足を踏み入れた者は多くないが、近隣の町では、「ベラフの町の廃墟には魔物が住み着いている」だとか、「住民は化け物のような姿になっている」とか、おどろおどろしい噂が流れていた。
行商人がベラフの町に行き来するようになって、ようやくこの悪い噂は払拭されつつある。
他の町の住人には感心されたが、率直に言うと町の復興は思い通りに進んではいない。
船大工達は船を作る傍ら、冬の寒さをしのげるよう大急ぎで住民達の家を建てているが、今だ半分の住民がトルクの骨と皮で出来た仮設のテントで生活している。
案外温かく快適なので「このままでいい」という人もいるが、住環境を含め、あらゆるものがまだ整っていないのが現状だ。
それでも人々は使命を持って働いている。
広場でダンスがはじまった。
ベラフは元々ゴーランだった土地だ。ダンスは今まで私が暮らした楡の木荘近くの辺境の町フースの踊りによく似ていた。
私は皆から離れたところに椅子を出して座り、祭りの様子を見ていた。一応、妊婦なので転倒しないように注意している。
腹は少しせり出してきて、この中に子供がいるのだと実感することが増えてきた。
ふと、隣にアルヴィンがやってきた。
「リーディア」
「アルヴィン」
「君のおかげでいい収穫祭になった」
「いいえ、町長や料理長、町の皆のおかげですよ。領主様の後援もありましたし」
私は今回の祭りの資金を出したアルヴィンを見上げる。
「どういたしまして」
アルヴィンは笑った後、少し真面目な顔で呟いた。
「これから長い冬が来る。ベラフ地方は雪こそ多くないが、海から冷たい風が吹き付けるため、寒さが厳しいらしい。その前にせめて皆に祭りくらいは味合わせてやりたかった。……この町にはとても厳しい戦いが待っているから」
アルヴィンは来るべきクラーケンとの戦いに思いを馳せるように、呟く。
「きっと皆、楽しんだと思いますよ」
「それは良かった。リーディアももうすぐ帰還だな」
「ええ」
私は一週間後に領都に戻る予定になっていた。
「寂しくなるな。だが安心しているよ。ここに居ると君は働きっぱなしだから」
「そうでもないと思いますけど」
「十分働き過ぎだ。領都や楡の木荘ではお腹の子のためにも無理はしないでくれ」
アルヴィンが本気で心配そうなので、私は大人しく「はい」と答えておいた。
アルヴィンはホッとしたように笑う。
「俺もなるべく会いに行くから」
「ありがとうございます。でも無理はしないで下さいよ」
私に言わせれば働き過ぎはアルヴィンの方だ。トルク狩りに加えて領主の仕事もこなしている。
もうそんな生活が半年も続いていた。
「ああ、分かってる。気をつけるよ」
アルヴィンは私を安心させるように、そう言った。
祭りに夢中で誰もこちらは見ていない。
「リーディア」
「アルヴィン」
私達はどさくさに紛れてそっと抱き締め合った。
「体に気をつけて」
「アルヴィンもですよ」
――この時、まだ私は楡の木荘に帰るつもりだったのだ。






