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退役魔法騎士は辺境で宿屋を営業中  作者: ユーコ
海辺の町ベラフ

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21.ベラフの秋2

 イカスミのパスタを作るのに必要なものは、一にも二にも新鮮なイカだ。

 まずイカの胴体を開き、内臓を引き出す。墨袋はこの内臓の中にある細長くて黒い袋状の器官だ。破れやすいので注意しながら、そっと墨袋を取り出す。

 イカの胴体や足の部分を輪切りにしておく。

 パスタに使うのはイカの半量だけでもう半量はアクアパッツァの具材にするため取っておく。


 下ごしらえが終わったら、調理に移ろう。

 フライパンにオリーブオイルを入れ、ニンニクを炒める。次に白ワイン、イカスミを加えて弱火で混ぜる。

 トマトを煮詰めて作るトマトペーストを少量加えると甘みとコクが増す。混ざったら塩で味を整える。

 イカは火が通りやすく、加熱しすぎると硬くなってしまうため、完成の直前に加える。

 イカを入れて、中火で炒めること、二分。身が白くなったら火を止め、茹でたパスタと絡めれば、イカスミのパスタの出来上がりである。


 次に作るアクアパッツァは気取らない漁師料理だ。

 その日釣れた魚介類と手元の材料で作る即興の煮込みでこれという決まりはない。


 クロダイはその名の通り、黒っぽい色をした鯛の仲間である。

 焼くと香ばしく、煮ても美味しい。秋から冬かけて脂がのり、旬を迎える魚だそうだ。

 大きな魚なので、食べる前に鱗を取る必要がある。包丁の背で擦り落とすことも出来るが、港町では鱗取り器と呼ばれる鱗取り専用の道具が使われていた。

 鉄で出来た櫛のような形状で、細かな凹凸が付いている。この凹凸を魚の皮に当てて鱗をこそぎ落とすのだ。


 鱗を落とした後、火の通りをよくするためクロダイの腹に切れ目を入れる。

 軽く塩、胡椒を振り、十分ほど置いて水分を拭き取る。

 フライパンにオリーブオイルを熱し、クロダイを両面焼き色がつくまでパリッと焼く。

 次にニンニク、黒オリーブを加え、白ワインを注ぐ。

 一度加熱して、ワインの香りを魚に移した後、すぐに水とタイムやローズマリー、ケッパーといったハーブを加えて蒸し煮にする。シャコとトビアラはイカ同様、火が通り過ぎると硬くなるため、投入のタイミングには注意が必要だ。

 弱火で煮ること五分、まずシャコを入れる。

 その八分後に、トビアラとイカを加えて、さらに五分、弱火で煮る。

 魚に火が通ったらクロダイのアクアパッツァの出来上がりだ。


 魚料理に添えるのは、ルッコラとラデッシュと梨のサラダ。

 ほろ苦い野菜に梨の甘みがよく合う。さらにチーズとウォールナッツを加えると、秋らしい食べ応えのある一品となる。



「リーディア様はそろそろ食堂に行ってください。さあ、アルヴィン様のお隣にどうぞ」

 料理が完成すると、私は料理長に追い立てられるようにして食堂のアルヴィンの元に行った。

 厨房ではまだまだやることが満載なのだが、妊婦なので気遣ってもらっている。

「ありがとう、そうさせてもらうよ」


「リーディア、こっちだ」

 私が食堂に入るとアルヴィンが手を挙げて私を呼ぶ。

「調子はどうだ?」

 アルヴィンは私の耳元に唇を寄せると、不安そうな声で問いかけてきた。

「大丈夫ですよ。今日は具合が良いのです」


 私の体調はまずまずだ。

 ちょっと前までは妊娠初期のつわりに悩まされていたが、今は一番ひどかった頃より復調し、大分楽になっている。

 妊娠二ヶ月目となり、外見は「少し太ったかな?」という程度でほとんど変わっていない。

 料理長など、厨房で働く人達の半分くらいは私が妊婦であることを知っているが、それ以外の人間には公表していない。

 まだ流産の危険が高く、体調の変化も大きい時期なので、公にするのは安定期に入ってからと決めている。


 私が席に着いた後、「お待たせしました」と料理が運ばれてきた。


 漁船いっぱいの魚も皆で分け合うと、ささやかな量にしかならない。ほんの一切れずつの魚と、パスタを味わって食べた。

 熱々のアクアパッツァは堪えられない美味しさだ。クロダイはふっくらと火が入り、皮目は香ばしく、身はほろりとほどける。噛むと旨味が口いっぱいに広がる。

 イカスミのパスタは最初は色合いに驚かされたものだが、今では皆、風味豊かなこの味の虜になっている。



 食事中の話題は先程彼らが乗っていた新造船『暁の人魚号』のことだ。

 これはゴーランの船大工達が作った魔物討伐船の一号船で、かつて五十人は乗れたという中型船の『紅の人魚号』に比べ、乗員十五人程度の小型船だが、その分小回りがきく。


「かなりいい出来だ。よくここまで仕上げてくれた」

 アルヴィンの賞賛の声に、船大工達も頬をほころばす。

「ありがとうございます」

 船大工の一人がふと、思い出したように呟いた。

「そういえば、仕事に精を出しすぎたせいか、あの船を作っている時、妙なものを見たんですよ」

「妙なもの?」

「へい、真夜中の造船工房に小さな子供がいたんです。その子は手にしたトンカチでトンカラトンカラと船を作ってるんです。不思議なことに、その時は特におかしいとも思わず、わしは自分の仕事に戻りました。朝になってその子供が立っていた場所に行ってみると、作業はすっかり終わっていたんです」

「つまり、その子供というのは船を作るのを協力してくれているのか?」

「はい、噂に聞く船の妖精かもしれません。事故もなく船を組み立てられたのは妖精のおかげでしょう」

「あー」

 間違いない。船の妖精スキプニッセだ。

 船造りを手伝いに行ったようだ。

「リーディア、知り合いか?」

 とアルヴィンに聞かれた。

「おそらく知ってる子です。邪魔でなければそのままで作業をやらせてあげてください。もしお礼がしたいなら時折クッキーをあげるといい。妖精は甘味が好きなようです」

 私は船大工にそう伝えておいた。



 魚介類だけでは若者や肉体労働者達は食べ足りない。そこで頼りになるのはトルク肉だ。

 炭火が入った網焼きの道具を表通りに出して、トルク肉が食べたい者達に自分で焼いてもらう。

 騎士団の若手を中心に、我先に肉へと群がった。

 肉に付けるのは、いつものガルム風ソースである。




 珍しい魚料理の昼食を食べた後は、夕食の仕込みと、夜間作業の仕事がある者達に持たせる軽食作りだ。

 今日の軽食は、パスティという半月型のミートパイである。

 具は本来、牛肉、ジャガイモ、カブ、玉ねぎなのだが、例によってトルク肉の挽肉をたっぷり入れて作る。

 パスティは冷めても美味しく、また片手で食べられるので、夜番の騎士や職人達の軽食の定番だった。

 夜番が出かけるのは夕方頃。

 それまでにこのパスティを作り終えねばならない。

 大急ぎで食事の支度している最中、「リーディアさん、リーディアさん」と小さい声で私を呼ぶ者がいた。


 戸棚の端っこから顔を覗かせているのは、ブラウニーのクロックだ。

 私はそっと彼に近づいて声を掛けた。

「なんだね? クロック」

「リーディアさん、そろそろ霧が濃くなりそうですぞ。洗濯物を取り込みませんと濡れてしまいます」


「そりゃ大変だ」

「あのう、お手伝いは御入り用でしょうか?」

 クロックは期待に満ちた目で私を見た。


「もちろん頼むよ。他の連中に見つからないように注意してくれ。報酬はクッキー一枚」

「はい、承知しました、リーディアさん」

 クロックはさっと姿を消す。

 私もその後を追いかけて洗濯物を取り込みに行く。


 宿舎の裏側では洗濯担当の女性達が片付け作業に入っている。

 洗濯物は日のあるうちが勝負だ。彼女達は早朝から洗濯を開始し、昼過ぎには仕事を終える。

 私は彼女達に声を掛けた。

「皆さん、霧が濃くなりそうです。洗濯物を取り込んで。乾いてないものは、乾燥室に」

「あらやだ大変。急がないと」

 皆であわてて洗濯物を取り込む。

 乾いた洗濯物は畳み、乾いていない洗濯物は、乾燥室で干す。

 火の魔石と風の魔石を組み合わせた乾燥室は一時間もすれば洗濯物が乾く優れものだ。



 皆とクロックのおかけでせっかくの洗濯物を濡らさずにすんだ。

 チラリと目の端でクロックを追うと、別のブラウニーも一緒に片付けをしている。

 私が知らない間に住み着いたブラウニーがいるらしい。後でクッキーを用意してあげよう。


「これでよし、と。皆さん、何か困ったことはありませんか?」

 この際なので私は彼女達に問題がないか尋ねた。

「なんもありませんよぉ」

「そうですよ。石鹸もいいもの使わせてもらってますし、乾燥だって楽に出来ますから」

 口々にそう言うので私はホッとした。


 ベラフの町の近くに住人が逃げ出し、既に廃墟と化した町がある。

 アルヴィンはその跡地に石鹸工房を作った。元々ここには石鹸工房があった場所で、釜や道具が残されていたため、すぐに作業を始められたのだ。

 トルクの油に海藻や木を燃やして作った灰汁を加え、大釜でじっくりと焚き上げる。こうして石鹸の素地はすでに釜の中で仕上がっているが、固まりきるまでには長い時間がかかる。

 具体的に言うと固形の石鹸になるまでに数週間から数ヶ月を要する。

 そこまで待てない我々は、乾燥前でまだ柔らかい石鹸素地を分けてもらい、石鹸もどきとして使っている。

 これでも汚れ落ちは十分で、手にも優しく、皿洗いや洗濯が格段に楽になったと評判だ。


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