20.ベラフの秋1
西から吹き付ける冷たい風が、ベラフに秋の訪れを告げる。
夏の日射しを受けて眩しくきらめいていた海面は輝きを失い、海も空も灰色のベールを纏ったように暗い。
朝と夕に海から霧が音もなく駆け昇り、港を包み込むようになった。
町長の話では、秋は曇天や霧の日が多くなる季節なのだという。
騎士達のトルク狩りは順調だ。
騎士団の他の部隊からも、北部からも増員され、街道の見回りなどに人が割けるようになった。
ベラフ地方では、海のみならず、野にも山にも魔物が潜んでいた。
魔物達は我が物顔で闊歩し、人々の生活を脅かしていた。
各地の町は寸断され、人の行き来もままならぬ有様であった。
船造りの職人達も合流し、一気に千人ほど増えた町は賑やかだ。
住む場所が足りないので、船大工は船造りの傍ら、急ピッチで家を建造している。
家や船を作るにはよく乾いた、いい材木が欠かせない。
新たにこしらえた転移魔法陣でゴーランから資材が次々運び込まれている。
転移魔法陣を稼働させるには転移魔法を使える魔法使いの魔力が必要だ。また重量が増せば増すほど魔力を消費する。
本来転移魔法陣は木材などの重量物の搬入に一番向いてないのだが、背に腹はかえられぬとフルスピードで稼働している。
この作業の担い手になったのは、引退した老魔法使い達だ。
私の師匠ルイン老師の生存を知り、かつての教え子や同僚達が続々と訪ねてきた。
老師はこの地を気に入り、今もなおゴーランに滞在している。
彼らの中には引退して暇を持て余している者もおり、私は彼らに協力を願い出た。
ベラフが栄えていた時代を知る老魔法使い達は、喜んで力を貸してくれた。
北部は辺境伯ロシェットがよく治めているため、問題が表面化していないが、シデデュラとの関係は、一時の南国スロランに匹敵するほど悪い。
関係改善にはベラフの海を開放するしかないことを、古老達はよく理解していた。
***
ベラフの町に人が増え、厨房はかなり忙しい。
宿舎『紅の人魚亭』に住んでいるのは定員ギリギリの三百人だが、他に仮設のテントなどで暮らしている人々が七百人も居る。
アルヴィンは早急に料理人を増員し、さらにベラフの町の女性達や羊飼いの妻達も手伝いを申し出てくれ、皆で協力してなんとか回している。
増員された料理人の一人はなんと領主館の料理長だ。
一時的な応援に来たはずだったが、「リーディア様と働けるなら」とそのまま居着いてしまった。
「向こうは大丈夫なんですか?」
心配になって私は聞いてみたが、
「私は領主館の料理長です。領主様と領主夫人をお食事をお出しするのが筋というものです」
彼は澄まして答えた。
デニスを始め騎士団も非常に協力的で、毎日のトルクの肉叩きは彼らが持ち回りでこなしてくれている。
厨房も食堂も『紅の人魚亭』の一軒だけでは賄えなくなってしまったが、食事処が先行して作られたおかげで食事時の大騒動は解消されている。
町には他に三カ所の食事処が出来て、住民はそれぞれの家や職場に近い便利な場所を選んで食事している。
『紅の人魚亭』は主に宿舎に住まう騎士団とゴーランから来た職人達の食事の担当だが、一番大きな食堂なので、その他の人も集う町の中心だ。
『紅の人魚亭』の今日の朝食メニューはベーコン、卵料理とミニサラダに野菜のスープ、そしてパンというごく一般的なものだ。
少し変わっている点といえば、朝の定番となったトルク肉とトマトとワインのくたくた煮、ストラコットが添えられていることだろう。
これはテーブルごとに一つずつ、でっかい鉢に入れて提供しているが、このストラコットを騎士団員はめちゃくちゃパンに盛って食べる。
そのためいくら作ってもすぐになくなる。
さて、彼らが食事をしている間に彼らが昼に食べるランチボックスを作り終えねばならない。
今日のランチボックスのメニューはトルクのステーキサンドイッチ、ガルム風ソースだ。
網の上で焼いて余分な脂を落としたトルクの肉をガルム風ソースに漬け、申し訳程度の野菜とともにパンで挟んだものだ。
羊飼い達がやって来て、家畜の肉も食べられるようになった。
しかし肉好きの騎士達は騎士団の予算内に収まる常識的な量の肉の購入より、とにかくたくさん食べられるトルク肉を選んだ。
職人達も同じチョイスをしたので、我々の主食は未だにトルク肉である。
「それではリーディア様、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。気をつけて」
騎士団と職人達に昼食を持たせて見送ると、次は北部から応援に来てくれた羊飼い達がやって来る。
羊飼いの朝は早い。
家畜の世話をした後で自宅で朝食を取り、トルク処理の作業場に行き、一仕事終えたその後で、一息入れにやって来るのだ。
彼らはお茶を一杯飲んで、ベラフの山で採れた栗とドライフルーツがたっぷり入ったライ麦パンを食べる。
蜂蜜も入って少し甘めのこのパンは、ささやかなおやつ代わりである。
「はい、お昼ですよ、あなた」
「ありがとう、行ってくるよ」
羊飼いの妻達もこの厨房で働いている。
短いが愛情のこもった言葉を掛けて、夫達を送り出す。
羊飼い達に渡すランチボックスも先程騎士や職人達が持っていったのと同じトルク肉のステーキサンドガルム風だ。
羊飼い達もやはり肉多めを選んだのである。
「ではリーディア様、行ってきます」
「はい、この後も気をつけて作業してください。ご無理なさらずに」
声を掛けると老人達は「はははっ」と快活に笑う。
「リーディア様がそうおっしゃるなら、気をつけると致しましょう」
ゴーランの引退騎士も応援に駆けつけてくれた者達だ。
彼らは年老いているが、消失しかけていたトルク狩りやトルクの処理方法を熟知している。その知識を解体に慣れた羊飼い達に伝授し、羊飼い達はトルクを余すところなく加工していく。
トルクは倒さねばならない敵だが、我らに豊かな幸を分け与えてくれるもの達でもある。
トルク処理の最初の工程は解体だ。
トルクの遺骸から皮と脂肪層を除去し、筋肉、内臓、骨を分ける。
魔獣が体内に持つ魔力の塊、魔石は既に騎士団が取り出している。トルクの魔石は大きく質が良いので高値で取引されるという。
肉は食用に、脂肪はそのまま油に使う。
内臓の中でも肝油がとれる肝の部分は別に処理される。肝油は古くから薬として使われていたそうだ。
トルクの骨は硬く、斧や槍の柄や棍棒の材料として使われていたと文献に記されている。
今は丁寧に洗い、乾かしてから、テントの骨組みとして使っている。
皮は保温に優れ丈夫なため、テントや住居の外皮にも、コートや手袋、靴底などの防寒具としても利用される。
防水性が高いので冬の海での作業には欠かせない一品だ。
さらに皮を細く裂いて乾燥させれば、強靭なロープや袋材に生まれ変わる。脂抜きした皮は軽くて丈夫と昔から重宝されてきた。
用途別に分類した後、余った部分を集め、五時間ほどよく煮る。
その後水車を動力にした圧搾機で油と水分を分離し、搾りかすを取り出す。
トルクは脂肪分が多いので、余りの部分からもたっぷり油が取れる。
この油は獣臭が強く、食用には向かないが、工業用や灯火用に需要がある。
搾りかすの方は乾燥させた後、分割し、粉砕。一週間ほど乾燥させると肥料になる。
丁寧に処理しても匂いはきついが、良い肥料になるので北部から来た商人達は喜んで運んでいった。
羊飼い達が急ピッチで作業してくれたおかげで、北部の土がまだ凍っていない時期に間に合った。種を蒔いたばかりの小麦畑に肥料を入れれば、来年の収穫量がぐんと増す。
麦が生長する翌年の春には、さらに多くの肥料が必要になる。
そのためにも、今のうちに肥料をたくさん作っておかねばならない。
トルク処理は匂いがきついし、作業場はとにかく熱い。
だが、重労働な分、稼ぎは良い。
街道が安全になり、ベラフの町の活気は周辺の町々に知られていった。
あれほどベラフを怖がっていた近隣の町からも行商に行きたいとか、働きに来たいという人々が出てきた。
行商人のお目当ては安価なトルク油である。
彼らは野菜や肉などの食料品、あるいは衣類や日用品を我々に売り、代わりにトルク油を山ほど買い込んで帰ってゆく。
冬を前にどの町も備蓄を蓄える季節である。
特に油はあればあるだけ欲しいのだ。
ドーンドーンドーンと見張り台から太鼓の音が聞こえてきた。
「船が戻ったぞー」
その声を聞くと、厨房の女性達はさっと外に飛び出していった。
私は、どうしよう。一応、管理人だしな、ここにいるか。
その場に残ることにしたが、どうにもそわそわしてしまう。
そんな私に料理長が声を掛けてきた。
「リーディア様、ここは私がおりますから、どうぞアルヴィン様をお迎えに行ってください」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
私は早速外に駆け出した。
船は漁船とそれを護衛する新造された魔物討伐船『暁の人魚号』だ。
まだほんの近海だが、船を漕ぎ出し、海上のトルクを追いかけることが出来るようになった。
クラーケン討伐計画は第二段階に入ろうとしている。
まだ薄暗い早朝に出かけたこの船にはアルヴィンも乗り込んでいた。
「アルヴィン!」
「リーディア」
駆け寄ると彼は私を抱き締めた。
「リーディア様、いいクロダイが採れましたよ。シャコもトビアラもです。それからイカも」
漁船の船長は、船に山と積まれたでっかい魚と、海老みたいのと小降りの海老とイカを見せてくれた。
ベラフの町の生き残りの船乗り達も噂を聞きつけベラフの町に戻ってきた者達の一人だ。
四十年以上陸で暮らしても、海の生活が恋しい。どうせ死ぬなら海で死にたいと悲壮な覚悟でやって来た。
彼らに対してアルヴィンは言った。
「死なせるつもりはないが、危険なことは間違いない。今のベラフの海では何が起こるか分からないぞ」
厳しいが、これが私達の原状だ。
漁師と船乗り達はそれでも良いと船に乗った。
「これ、どう料理すれぱいいかな?」
私は魚介類の調理に詳しくない。分からないことは素直に聞いた方がよい。
船長は丁寧に教えてくれた。
「クロダイとシャコとトビアラは皆まとめてアクアパッツァにしてはどうでしょう。旨いですよ。イカは……」
「イカはパスタで食べたいな。この前食べた黒いのは旨かった」
「あれはイカスミのパスタです。では昼はそれにしましょう」
アルヴィンのリクエストで昼食のメニューが決まった。






