19.北の辺境伯ロシェット
シェインが手紙を出してから四日後、北からの返事がきた。
なんと北の辺境伯ロシェットが直々にやって来たのだ。
話し合いが行われたのは、『紅の人魚亭』の食堂だ。
西の辺境伯アルヴィンと北の辺境伯ロシェットは、それぞれ十名程の供を伴っていた。
話し合いには私とシェインも同席した。
ちなみにゴーラン騎士団六番隊隊長の熊男はトルク狩りの真っ最中でここには居ない。
「そういうわけで人手が足りない。羊飼い達を寄越してくれ」
アルヴィンはざっくりと事情を話し、それを聞いたロシェットは即座に了承した。
「分かった。用意を調えよう」
「ありがたい。恩に着る」
「いや、それはこちらのセリフだ。北もシデデュラ程ではないが、冷害だった。羊の牧草も足りず困っていたところだ。ちょうどいい」
「そうか、なら肥料買わないか?」
「肥料?」
アルヴィンが唐突にそう言い、ロシェットは眉をひそめた。
北を統べる辺境伯であるロシェットはかなり威厳がある。
具体的に言うと怒ると怖い。
アルヴィン以外はその視線にびくついたが、当のアルヴィンはものともせずに続けた。
「トルクから作った肥料は三週間で完成する。肥料はなかなか質がいいぞ」
小麦は栽培期間が長く、冬の寒冷期をまたぐため、生育には多くの肥料を必要とする。北部では麦の作付け面積に対して収量が少ないが、それは肥料が不足していることが原因だ。
北部では三圃制が採用されており、土地を三区画に分けて、そのうち一つを休耕地として家畜を放牧し、糞尿を肥料として利用している。しかし、土地が痩せているこの地域では、それだけでは肥料が足りない。
「確かに肥料は欲しいな」
とロシェットは言った。
北部は亜麻やホップなどの栽培に適しているが、これらも肥料要求量が高い作物であるため、思うように生産を伸ばせないのだ。
「倒したトルクの処分に困っている。肉は食うからいいが、油を精製して石鹸も作りたいし、肥料を作る作業員が欲しい」
「トルクの肉を食うのか?」
ロシェットはまず『そこ』に反応した。
もうゴーランに住んで長いので私は慣れてしまったが、他領の者は魔獣肉を食する彼らの文化に馴染みがないのだ。
食糧事情が厳しいのは西のゴーランよりむしろ北国の方で、北部のさらに北に位置するシデデュラ国では魔獣肉を食べる習慣があると聞くが、北部は食べない。
一説によれば、北部では毒を持つ魔物が多く出没するため、魔獣肉が避けられてきたという。しかし毒のある魔物はゴーランにも現れる。それでもめげずに食べ続けるゴーラン人は、特別肉好きなのだろう。
「食うぞ。硬いし独特の臭みはあるが、リーディアが料理してくれると旨い」
「ヴェネスカ卿……いや、リーディア夫人がここにおられるのに驚かされたが、まさか夫人が魔獣肉の料理を作っているとは」
ロシェットはほとほと呆れたという様子で私とアルヴィンを流し見た。
「リーディアは料理が得意だ。少し食べてみるか?」
アルヴィンはまったく気にせず、自慢した。
「シェイン、リーディア夫人の料理はどうだ?」
ロシェットは息子シェインに尋ねた。
「はい、とても美味しいです。父上も是非食べてみてください」
「そうか」
ロシェットは一瞬だけ優しい表情で息子に微笑んだ。すぐに厳格な辺境伯の顔に戻り、話を続けた。
「では食べさせてもらおう。羊飼い達の長達も連れてきた。彼らにも食わせてくれないか」
ロシェットの供には、騎士には見えない数名の人物が混じっていた。北部の町人かと思われたが、彼らは羊飼いのリーダー達なのだそうだ。
「仕事早すぎるだろう、ロシェット伯」と誰かが呟いたが、私も同感だ。
メニューは、トルク肉のコロッケとステーキ、さらにトルク肉のスープだ。
羊飼い達は魔獣肉に馴染みがない。
内心嫌々だろうが、ロシェット辺境伯の息子シェインが「美味しい」といい、ロシェットも食べるというのだから言うのだから食べないわけにはいかない。
彼らは困惑した様子で、出された料理を見つめた。
料理は熱いうちが美味しいのだ。
「どうぞ食べてみてください」
私は彼らを促した。
「では、食べさせてもらおう」
まず最初に食事を始めたのはロシェットで、その後に皆が続く。ロシェットは、一口頬張って驚いたようだ。
「意外と旨いな」
ロシェットが唸った。
「確かに臭みはあるし硬いが、滋味深い。言われなければただの獣の肉のようだ。魔獣は食えるのだな」
と感心している。
「これも旨いが、こっちの焼いた肉も旨いな」
ロシェットが『これ』というのはコロッケで、『こっちの焼いた肉』とはトルクのステーキ、ガルム風だ。
トルクの肉を食べやすいサイズに切って焼き、ガルム風の調味料を付けただけのシンプルなものだ。
ガルムは「良かったら召し上がってみてください」とベラフの町の町長がくれた。
ガルムというのは、イワシなどの小魚の内臓を塩漬けにして数ヶ月発酵させたものだそうだ。
町長曰く、「何に付けても旨い」という万能調味料らしい。
この辺りでは昔から食べているというが、我が国では魚を使った調味料はかなり珍しく、少なくとも私は初めて見た。
町長はガルムを壺ごとくれて、壺からはすごく嗅ぎ慣れない匂いがした。腐った魚系である。
町長達ベラフの町の住人は「このまま食べる」らしいが、ガルム初心者の我々には刺激が強すぎる。
ガルム、楡の木荘から持ってきたデミグラスソース、ワインを同量ずつ入れて、そこにすりおろしたニンニク、同じくすりおろした梨を加えてガルム風のソースを作った。
これがむちゃくちゃ焼いた肉に合うのだ。
「これが食えるなら移住してもいいなぁ」
羊飼いはもぐもぐとトルク肉を食べなから、呟いた。
「思ったよりずっといいところのようだ」
「仲間にそう知らせよう」
羊飼い達は早急にベラフの町に来ることを約束してくれた。
「リーディア夫人、ガルムというのはこの土地独自の調味料なのか?」
ロシェットが興味深そうに尋ねてきた。
「いいえ、元々外国から海を渡って伝わったものだそうです。昔は北部の漁村でも作られていたそうですよ」
「北部の漁村か……」
ロシェットはため息をつく。
かつてベラフの町が栄えていた頃は、北部の漁村もまた栄えていたそうだ。
ベラフの町ほどではないが、トルクが出没する海では、船を出すこともままならず、どの漁村も寂れる一方だ。
トルクがいないわずかな間を狙って漁をしたり、塩田で塩作りをして暮らしていると聞く。
「ロシェット、兵が足りない。騎士を派遣してくれ」
アルヴィンの言葉にロシェットは苦々しい顔で首を横に振る。
「無理だ。北への防衛がある。人員は割けない」
「無理は承知の上だ。ベラフの町から逃げたトルクは北部の漁村に流れ着く。北部の騎士達はトルク狩りを学ぶ必要がある」
「……っ!」
ロシェットに同行した騎士達が息を呑んだ。
ロシェットはしばしの沈黙の後、アルヴィンに問いただした。
「アルヴィン、本当にクラーケンは倒せるのだな」
皆がアルヴィンを見つめる中、彼は力強く頷いた。
「倒す。俺達の海を取り戻そう」
「分かった。お前がその覚悟なら、こちらも力を尽く。シェイン、お前は北部に戻すつもりだったが……」
シェインはロシェットが皆まで言う前に椅子から立ち上がった。
「私は帰りません!」
「ほう」
ロシェットは片方の口角をわずかに持ち上げた。
この表情に居合わせた者の半分くらいは恐れを成したが、シェインは怯まなかった。
「シェイン、ここにお前がいて何になる? 犬死にする気か?」
「兵にお伝えください。『ベラフの地にはシェインがいる。この地に北部の命運がかかっている、志願の兵はブルーノ・ロシェットの子シェインの元に集え』と。例え私がここで死んでも犬死になどではありません。北部のためにこの命を散らすのです」
シェインは勇ましく言った。
「いや、そこまで危ない目に遭わせる気はないぞ」
アルヴィンが珍しくあわてた様子で二人の言い争いにくちばしを突っ込んだ。
シェインの勇敢な言葉に感化されたのか、北部の兵達は揃ってシェインにひざまずき、目を潤ませて言った。
「皆に必ず伝えます。シェイン様の御許に歴戦の勇士が集うことでしょう」
「はははっ」
ロシェットはカラカラと面白そうに声を上げて笑い、
「少しは良い面構えになった。リーディア夫人、この子を頼みます」
と帰って行った。






