17.シェインの事情
ベラフの町が栄えていた頃は、町に数カ所の転移魔法陣が設置されていたそうだが、今残っているのは私達がここに来る時に使った原っぱの転移魔法陣だけだ。
「あれは元々ゴーランが作った非常用の脱出施設でかなり頑丈に作られているから、無事だったのだろう」
とアルヴィンは言った。
別の場所にも転移魔法陣を設置する予定で、今は資材を揃えている最中だそうだ。
原状唯一の転移魔法陣から『紅の人魚亭』までは一キロ半ほど距離がある。
私はシェイン、そしてアルヴィン達総勢三十名ほどの騎士と共に転移魔法陣に向かった。
「シェイン」
その道中で、私は隣を歩くシェインに声をかけた。
「なんでしょう、リーディア様」
「君は攻撃魔法が使えないのか?」
回復魔法は魔法の系統のひとつに過ぎないので、ほとんどの魔法使いは攻撃魔法と平行してこれを覚えていく。
だが、回復魔法に強い適性を持つ魔法使いの中には、攻撃魔法が一切使えない者がいる。
シェインは少し躊躇った後、「……はい」と頷いた。
「回復魔法は中級まで使える?」
「はい」
シェインは浮かない顔で首肯した。
初級の回復魔法はほとんどの魔法使いが覚える魔法だが、中級まで使える魔法使いはかなり珍しい。
中級になると、骨折なども一瞬で治せるし、一部だが欠損した部位も作り出すことが出来る。またほとんどの病気も癒やせる。
上級になると、死者を蘇らせることすら出来るのだ。
シェインは十二歳。
まだ成長途中のシェインが、この先上級回復魔法を修得する可能性は高い。
それほど優れた才能を持ちながら、シェインは攻撃魔法が使えないことに引け目を感じているようだ。
騎士の世界では攻撃魔法の強さが重視される。
アルヴィンもそしてシェインの父の北の辺境伯ブルーノ・ロシェットも優れた攻撃魔法の使い手だ。
シェインはいずれ父の跡を継ぎ、辺境伯となるべく育てられた者だった。
「シェインはやはり、攻撃魔法が使えたら良かったと思うのかな?」
「はい……」
「私はシェインとは真逆でね。本来は回復魔法師になることを期待されていたんだよ」
シェインはハッとしたように私を見た。
「そうなんですか?」
「うん、そうなんだよ」
自分で言うのも何だが、私の魔法騎士としての活躍は華々しいものだった。
その陰で私が抱えていた葛藤を知る人は少ない。
「だが結局、私は初級回復魔法しか覚えることが出来なかった。代わりに攻撃魔法に強い適性があったんだ。それで私は魔法騎士になった」
「そうだったんですか……」
「努力しても欲しいものが手に入らない時の悔しい気持ちは私にも分かるよ。『なんで自分ばっかり』と私も思った。だが私の為すべきことは騎士の道の果てにあった。きっとシェインの為すべきことに、君の回復魔法の力が必要なんだろうと、私は思う」
「……為すべきこと」
話しているうちに転移魔法陣に着いてしまったので、シェインが私の言葉を聞いて何を考えたのかは分からない。
***
ルツでは当面の衣類や日用品、宿舎に必要な資材などを大急ぎで揃え、その翌日、私は楡の木荘に向かった。
ベラフの町の宿舎で管理人兼料理人を務めることになったことを、楡の木荘の皆に説明せねばならない。
当初、楡の木荘にはシェインと二人で行くつもりだったが、「俺も行く」とアルヴィンが同行してきた。
「アルヴィンは忙しいんじゃないですか?」
「忙しいが、ノアに内密の話があるんだ」
「ノアにですか?」
時間がない。
説明は後に聞くことにして、私とアルヴィン、シェインの三人は、転移魔法陣で楡の木荘に向かった。
アルヴィンが魔法を唱えた瞬間、我々は楡の木荘の古びた納屋に降り立った。
のんびりとした山の風が吹いている。
ベラフの町の張り詰めた空気に少し緊張していたのだろう。私はホッと息をついた。
早速ノア一家と料理人を代表してジョーイを呼び集め、状況を説明した。
「じゃあ、リーディアさんは当分その海辺の町にいるってこと?」
ノアは話を聞いて、少々落胆した様子で問いかけてきた。
「そういうことになるね」
「だったら、僕もその町に行くよ!」
ノアはそう言い、私も母親のキャシーが許してくれるならそれもいいと思った。
「いや、待ってくれ」
だが、思わぬ人物がノアを止めた。
「アルヴィン様?」
「ノアには別に頼みたいことがあるんだ」
ノアは戸惑った様子でアルヴィンを見上げた。
「僕に頼みたいことですか?」
「そうだ。ノアにはこれから南部に行って欲しい」
「えっ」
この発言に驚き、全員が声を上げた。
「もうすぐフィリップ王の南部視察がある。ノアにはそれに同行してもらいたい」
かつてノアは私達とともに南部に行った。
さらにノアはフィリップ陛下と身分や年齢を超えた友人関係を築いている。
フィリップ陛下の南部行きにノアが同行するのはおかしなことではないのだが。
「えっと、アルヴィン様、質問です。どうして僕なんでしょう?」
ノアが不思議がるように、ノアはまだ子供で何の権限もない。なのに何故、アルヴィンはノアを南部に行かせようとしているのだろうか?
「南部は長い紛争があった場所だ。今回の国王の視察は、南部の復興を内外に示すことを目的としている。視察団にノアのような子供が同行すれば、安全が確保されているという強い印象を与えるだろう。ノアが適任なんだ」
ノアは頷いた。
「分かりました。リーディアさんについて行けないのは悲しいけど、そういうことなら、僕、お役目を果たします」
「ありがとう、今回の南部行きにはゴーラン騎士団の副団長も行くから安心してくれ」
副団長ヘルマン・アストラテートはデニスの父親である。彼が一緒なら心配いらないだろう。
「中央からはマルアム・セントラル騎士団団長エミール・サーマスが同行する」
「へー、サーマスさんが」
とノアが、
「あー、サーマスが」
と私が呟いた。
サーマスは私の元同僚で共に王妃キャサリンと戦った仲間の一人だ。
セントラル騎士団の団長がセントラル団員の王太子暗殺事件の責任を取り辞任した後、サーマスがセントラル騎士団の団長代理を務めていたのだが、正式に団長に就任した。
出世したなぁ、あいつ。
「ノア」
シェインがノアに改まった声で呼びかけた。
シェインが自分からノアに声をかけるのは初めてで、ノアは少し驚いている。
「シェインくん」
「私がリーディア様のお側にいる。だからノアは安心して役目を果たしてくれ」
「シェインくん」
「今までの私の態度は本当にすまなかった」
とシェインはノアに頭を下げた。
「私は攻撃魔法が使えるノアに嫉妬していたんだ」
ノアは少しだけだが攻撃魔法を覚え始めていた。それが、シェインは羨ましくて仕方がなかったのだろう。
「シェインくんが僕に?」
「そうだ。年下の君に子供じみたことをしてしまった。ごめん」
シェインの率直な謝罪にノアもまた隠していた本心を明かした。
「……僕もシェインくんに嫉妬しているよ。シェインくんは領都でリーディアさんと一緒に暮らしているし、今だってベラフの町に一緒にいけるんだもん」
ノアは悔しさをにじませる。
シェインは何かを吹っ切ったように晴れ晴れとした顔で頷いた。
「本当に幸運なことだと思う。でも南部の視察団に参加するのはノアしか出来ないことだ。私も北部とゴーランのために為すべきことをしたい」
「うん、僕も頑張るからリーディアさんのことはよろしくね、シェインくん」
「ああ、お互い、頑張ろう」
二人は硬く握手を交わした。
話が済むとノア達は慌ただしく談話室を出て行った。
楡の木荘は営業を再開し、今キッチンは夕食の仕込みの真っ最中で忙しいのだ。
「リーディア」
ノア達が出て行くと、待ちかねたように今度はブラウニー達が姿を現した。
青いブラウニー、死が予言出来るバンシーは、瞳を煌めかせ、たまらなく嬉しいというように笑っている。
「リーディア、お腹に赤ちゃんがいるのね」
「よく分かったね。子供が出来たんだよ」
「うわー」
「すごい」
「リーディアの赤ちゃんだ」
「ふん、やっぱりか」
妖精達は一人を除き、歓声を上げた。
まだ妊娠初期なのでこの話はノア達にもしていないのに、妖精達は感づいたらしい。
「話は聞いたわ。ベラフってところに行くのね」
「ここに居ればいいのに」
「うん」
次に妖精達はガッカリし、一番大きなブラウニーが宣言した。
「俺はリーディアに着いていくぞ!」
「じゃあ僕もー」
「僕も」
「私も行く」
と皆着いてこようとした。
「心配は無用ですぞ」
その時、どこからともなくクロックが姿を現した。
きっとこっそり転移魔法陣に乗って着いて来たのだろう。
「何こいつ?」
「見たことないヤツだ」
うさんくさそうにクロックを見つめるブラウニー達に、私はクロックを紹介した。
「彼は領都の領主館のブラウニーのクロックだよ。クロック、彼らはこの楡の木荘のブラウニー達だ」
「わしがリーディアさんの側にいるから心配いりませんぞ」
クロックがそんなことを言い出したので、私は思わず聞いた。
「でもクロックは領主館のブラウニーだろう? いいのかい?」
「領主館には他のブラウニーもおりますからご心配には及びません。それより『紅の人魚亭』にはあの海のヤツしかおりませんからな。いい家にはいいブラウニーがいないといけません」
クロックは威張って胸を張った。
「ふん、しっかりやれよ」
「じゃあ、リーディアのことはそいつに任せるよ。今はこの家も色々大変だからね」
「頼んだよ」
「頼んだわよ」
私は不思議に思って彼らに尋ねた。
「色々大変て、この家に何かあったのか?」
一番大きなブラウニーが鼻の頭に皺を寄せた。
「悪い奴が来るようになった」
「悪い奴?」
「リーディアに近づこうとここにくる連中がいると報告は受けている」
彼らに代わってアルヴィンが答えた。
「そんな連中がいるのか」
「悪い奴は皆でやっつけるから心配いらないよ」
と彼らは事もなげに言う。
「うん、本当に悪い人間はウルが中に入れない」
「騎士団も見守りを強化している」
アルヴィンもそう言い添えた。
「なら安心だろうが、くれぐれも気をつけてくれ」
「リーディアも早く帰ってきてね」
とバンシーが言う。
「ああ、遅くとも秋の終わりにはここに戻るつもりだ」
今は夏の終わりだからたった三ヶ月だ。
――その時の私はすぐに楡の木荘に帰るつもりだったのである。






