16.宿屋、開業!
「リーディア、それは駄目だ。君は今、一人の体じゃないんだぞ!」
アルヴィンは我に返るとすぐさま反論してきた。
「リーディア様、おめでたですかい。そいつは良かった。おめでとうこざいます」
一方、アルヴィンの横に座る熊男は厳つい顔をほころばせ、祝福してくれた。
「おめでとうこざいます、リーディア様」
と厨房の片付けを終えたデニスも戻ってきてお祝いの言葉をくれた。
「ありがとう。まだ初期も初期だからまだ他の人には内緒にしてくれ」
妊娠初期は流産の危険がある。
公表するのは安定期に入ってからでいい。
私はそっと彼らに口止めした。
「はい、それはもう」
既婚子持ちのデニスと熊男は私よりずっとその辺の事情には詳しいのだろう、神妙に頷いた。
「ところでデニス、ここ、料理人や宿舎の管理人はいないんですか?」
私はデニスに尋ねた。ゴーラン騎士団では戦闘以外の采配はデニスに任されているのだ。
デニスは弱り顔で答えた。
「先日ここを確保出来たばかりなんで、管理の人間はおりません。騎士団の持ち回りでなんとかするつもりですし、いずれやってくる船造りの大工や職工達にも頼むつもりです」
「職工も騎士も他に仕事があってここに来てますよね。専任の者がいた方がいいと思いますが」
デニスは頭を掻いた。
「僕もそう思いますが、アルヴィン様がいるので管理人や料理人は本当に身元が確かな者じゃないと雇い入れられないんです」
闇属性は物事を真偽を見抜く、鑑定などの能力に長けている。
この闇属性の優秀な魔法使いであるアルヴィンは毒を食事に混入されても見破ることが出来る。しかしその能力も絶対ではないので、なるべくリスクは回避しないといけないのだ。
「クラーケン退治のことはまだ極秘なので、そうした人員を大っぴらに探すことも出来なくて……」
デニスはそう零した。
「リーディア、頼むから領都か楡の木荘に戻っていてくれ。ここは危険なんだ。医者もないし、胎教に良くない」
アルヴィンは切々と私に訴えたが、私は頷かなかった。
「アルヴィンと離れていた方が具合が悪くなりそうでしたよ。ここで私が宿舎の管理人兼料理人をします」
「だから駄目だと言っている!」
アルヴィンは声を荒げて、なおも反対しようとしたが、その時。
「うおおおっ」
と地響きみたいな声が食堂に鳴り響いた。
「リーディア様がここの管理人を!」
「コロッケがまた食える!」
「やったー!」
「よっしゃぁ!」
こっそり話を聞いていたらしい騎士達が雄叫びを上げた。
「待て待て、リーディアは帰るんだ!」
アルヴィンは彼らに怒鳴り返した。
しかし、いざことあれば団長アルヴィン・アストラテートのどんな命令にも忠実に従うゴーラン騎士達は、この時誰一人彼の話を聞いていなかった。
「アルヴィン様、お分かりでしょう。リーディア様がいた方が、兵の士気が上がる」
「サミュエル……」
「妊婦でもまだ普段通りに仕事をしていた方がかえって具合がいい頃ですよ。あんまり大事にしすぎるのも良くない」
サミュエルこと熊男がアルヴィンを諭す。
「僕もいいと思いますよ、アルヴィン様」
「デニスまで」
「妊娠中のことはかなり長く根に持たれます」
デニスはしみじみと言った。
実体験か?
「今はリーディア様のお気持ちに沿い、ここに居て頂いた方がお互いの為ではないでしょうか。それに実際管理人や料理人が不在で、僕らが困っていたのは事実です。職人達が来たら人手不足は解消しますが、なおのこと、彼らに指示する人間が必要です。リーディア様がここの宿舎の主人をしてくれるなら、僕も肩の荷が下ります」
「ぐっ」
それを聞いてアルヴィンは唸った。
「リーディア様にご負担がかからないよう、僕らも注意しますし、秋までには人員も揃えられます。彼らと入れ替わりにリーディア様には領都や楡の木荘に戻られる、というスケジュールでどうでしょう?」
デニスはそう、アルヴィンに提案した後で、こう付け加えた。
「それにですね、アルヴィン様」
「なんだ?」
「相手はリーディア様ですよ。こんな時、大人しく後方でアルヴィン様の帰りを待っている人じゃないでしょう」
デニスはきっぱりと断言し、アルヴィンは「そうだったな」と大きくため息をつく。
そして彼は私を振り向いて言った。
「リーディア、本当に無理だけはしないでくれ」
その一言に私は思わず笑顔になった。
「じゃあ、ここに居ていいんですか?」
「ああ」
アルヴィンは頷いた後、騎士達には聞こえないようにこっそりと囁いた。
「新婚早々離れて暮らすのは俺も辛かった。昨日も今日も久しぶりにリーディアの手作り料理が食えて嬉しかったよ」
「アルヴィン……」
「わっ、私もここにおいてください!」
日頃物静かなシェインが叫ぶようにして願い出た。
「私は回復魔法しか使えませんが、ジャガイモの皮むきでも、トルクの肉叩きでも何でもします! だから、ここに居させてください!」
シェインは切羽詰まった様子でアルヴィンに訴えた。
「シェイン、君は優秀な回復魔法の使い手だ。剣の腕も少年兵の中では群を抜いている。お父上も君の力は高く評価している。自分を卑下する必要はない」
アルヴィンは言い聞かすようにシェインにそのことを告げる。
その後、彼は私とシェイン、二人から視線を離さず、続けた。
「二人とも良く聞いてくれ。ここは制圧済みの拠点だが、トルク達、海の魔獣共の生態はまだ分からないことが多い。魔獣がここを急襲する可能性は常にあると思ってくれ。さらにクラーケンが想定より早くこのベラフの町にやって来ることもあるだろう。ベラフはまだ決して安全な場所ではないんだ」
「……」
私とシェインは思わず息を呑んだ。
「シェイン、もしここが魔獣に襲われたなら、即座にリーディアを連れて、ベラフ近郊の転移魔法陣まで転移せよ。その後、転移魔法陣を使って領都に逃れるんだ。いいな」
「はい、命に代えてもリーディア様をお守りします」
シェインは神妙に頷いた。
「アルヴィン……」
「リーディア、シェイン、君達は自分の身を守ることを優先してくれ。それが、ここで君達が生活する条件だ」
「話は決まりやしたね。ところで……」
熊男はそこまで言って、アルヴィンと私を見た。
「この宿舎の名前は何にします?」
「名前か……」
アルヴィンは「リーディア、何かあるか?」と私に話を降ってきた。
「そうですね、『紅の人魚亭』というのはどうでしょうか。あの入り口の船は『紅の人魚号』と言ったそうですよ」
「そうか。『紅の人魚号』はかつてゴーランの魔物討伐船として活躍した名高い船だ。これも何かの縁かも知れない」
***
こうして、私はベラフの町の宿舎『紅の人魚亭』に管理人として留まることになった。
現在は騎士しかいないが、まもなく船を作る職人達がやって来る。
当面は彼らもここで暮らす予定だ。
私とシェインは発作的にここに来てしまったので、着替えもろくに持っていない。
そのため朝食が済んだら、荷物を取りに一度領都に戻る予定だ。
私は早朝、ベッドを抜け出し、身支度を調え、厨房に向かった。
「うん……」
ベッドが軋む音でアルヴィンは一瞬目を覚ましかけたが、「まだ眠っていてください」と声をかけると再び目を閉じた。
随分疲れているようだ。
昨日、調理場の隅で見つけたエプロンを身につけ、持っていたスカーフで髪をまとめる。
「ふー」
厨房にいると、なんだか気分が落ち着く。
私が厨房に入ってすぐに朝番の騎士が「手伝います」とやって来た。
さらに裏口から「あの、食料を持ってきました」とおずおず町長が顔を出す。
「おはようございます。今日は何を持ってきてくれたんでしょうか」
町長は「よいしょ」と背負っていたでっかい籠をおろし、中を見せてくれた。
「コーンとズッキーニ、ナスと卵です。ルッコラやエシャロットも持ってきましたが、御入り用でしょうか」
「どれも欲しい! ありがとうございます。お代はどうしましょう?」
「それなんですが、ここではお金は使い道がありません。出来れば昨日のトルク肉と油を分けて頂けないでしょうか? それと町では鶏肉以外の豚や牛の肉が手に入りにくいのです。薬や日用品も足りておりません」
「分かりました。肉や薬、日用品はすぐに入手出来るよう調整します、少し待ってください。今日はトルク肉と油のお渡しでよろしいですか?」
「ありがとうございます。助かります」
「では町長はこちらに。ゴーラン騎士団六番隊隊長がご挨拶したいそうです」
騎士の一人が町長を食堂に連れて行く。
六番隊隊長こと熊男の元に。
あまり驚かないといいんだが。
今日の朝食メニューは昨日補充されたベーコンと刻み野菜を入れたオムレツと生野菜のサラダのプレート、それにパンとスープだ。
まずベーコンの塊をミートスライサーにセットして薄切りにする。
ミートスライサーは肉や野菜を均一に切る調理機具だ。厨房の中にあったのを見つけ出した。
これ、前から欲しかったんだが、高価なので、買うのを躊躇っていたのだ。一度使ってみたかった。
早速やってみよう。
「おおっ……」
私は思わず声を上げた。
デニスが刃の部分を研ぎ直してくれたので、本当に良く切れる。
見る間にベーコンがスライス出来た。
便利だなぁ。
感動しながら肉を切っていると、
「リーディア様、手伝います」
さらに数名の騎士が厨房にやってきた。
「ありがとう、助かる。台の上に皿を並べてくれ。そっちの君は野菜を洗う係だ」
私は彼らに指示を出しながら、作業を続けた。
薄切りにしたベーコンをフライパンで焼く。
卵料理は刻んだタマネギ、トマト、ナスとズッキーニとチーズが入っている具だくさんのオムレツだ。
その横にレタスやルッコラなどの葉物野菜を添える。野菜は酢とオリーブオイルと塩胡椒で和えておく。
放っておくと騎士団の連中は、肉しか食べないので、どうにかして野菜を食べさせようと私も必死である。
スープはトルクの肉と皮のスープ。
トルク肉を皮付きのまま薄切りにして少し炒め、余った野菜と共に煮たシンプルなものだ。
味付けはオリーブオイルと塩と裏庭で積んだハーブだけだが、トルク肉のコクが出て案外美味しい。
もう一皿はトルク肉のストラコット。
ストラコットは『過剰に煮た』という意味の煮込み料理だ。
通常は牛肉で作るが、今回はトルクの肉で作った。
トルクの肉を厨房に持っていくと肉料理になることは騎士団に一晩で知れ渡り、肉には困らない。
本当のストラコットはかたまり肉を使うが、トルク肉は硬いのであらかじめ角切りに切っておく。
角切り肉を焼き色が付くまで炒め、玉葱、セロリ、人参、ローズマリー、セージなどを加え、さらにじっくりと炒める。
赤ワインとトマトと水を加えて、長時間煮込んだら出来上がり。
前の晩と翌朝と合わせて六時間たっぷり煮込んだので、肉は柔らかく味もしみている。
「ふむ、まあまあか」
味見をしたところ、少し脂っこいのは気になるが、まずまずの出来だ。
味が濃いのでパンを添えて食べると美味しいだろう。
今日食べるのは領都から持ってきたパンだが、そのうち厨房でパンが焼きたい。
『紅の人魚亭』の管理人兼料理人としての初仕事を終え、いよいよ帰投という時、厨房の補充要員がやって来た。
常駐ではなく、私とシェインが留守にしている間、騎士達に食事を作る係だという。
私は彼らを見て、驚愕した。
「料理長じゃないですか!? どうしてここに?」
さらに若手のホープが三人もいる。
「デニス様から『信頼の置ける腕のいい料理人を用意して欲しい』と言われましたので、一番、領主館で信用置ける料理人を揃えました」
料理長はニコニコ微笑んでいる。
「確かにあなた方に勝る人物はおりませんが、ここに来て大丈夫ですか?」
「リーディア様が戻られる二、三日だけですのでなんともなりますよ」
と料理長は言った。頼もしいの一言である。
「ありがとう、後は頼みます」






