15.宿屋、開業 コロッケ
早速コロッケを作ろう。
再び大量のトルクの肉を挽かねばならないが、ラズロ達が根を上げた。
「リーディア様、肉を叩きすぎて、疲れました」
「じゃあジャガイモをたわしで綺麗に洗ってくれ」
私とシェインは手分けして玉葱を刻み、トルクの油を加えてフライパンで炒める。
ジャガイモ洗いを終えたラズロ達には、続けてパンをおろし金ですりおろしてパン粉を作ってもらう。
「おい、なんかいい匂いがするぞ」
と勝手口からまた人が入ってきた。
ゴーラン騎士団の軽戦闘服を着込み、麻袋を担いだ十名ほどの男達である。
町人ではなく、ゴーラン騎士団から派遣された補充の隊員達だろう。
こちらに来るついでに食材を持ってきてくれたようだ。
「あのー、ここで何してるんですか?」
彼らが質問してきたので、私は答えた。
「夕食の準備ですよ」
「あ、そうなんですか。何か手伝いましょうか?」
「ちょうどいい! 肉を叩いてくれ」
とラズロ達は彼らに包丁を差し出した。
ラズロ達が洗ったジャガイモは皮付きのまま水から茹でる。こうするとジャガイモが甘くなるのだ。柔らかくなったら、皮を剥いて潰す。
玉葱を炒め、しんなりしたところでトルクの挽肉を加えてまた炒める。塩と胡椒で味付けしたのち、茹でたジャガイモ、細かく刻んだセージ、タイム、ローズマリーといったハーブ類も入れて、混ぜ合わせる。これでコロッケだねは完成である。
粗熱が取れるまでしばし待つ。
コロッケにも味は付いているが、何かソースになるものがあるともっといい。
「持ち物を見ていいか?」
と補充の隊員達に声をかけると、
「その前にあなたの所属をお聞かせください」
と言われた。
ラズロが横から口を出す。
「この方はリーディア・アステラテート様だ。領主奥方様だぞ」
何故かその場はざわついた。
「えっ、奥方様? あの『白い悪魔』……」
「リーディア・ヴェネスカ!? 本物?」
「案外普通に綺麗……」
「もっと猪みたいな人かと……」
彼らは意外そうに、私を凝視する。
前もって騎士団を集め、結婚の挨拶はしたが、末端の騎士達が領主夫人の顔をしっかり覚えているかというと決してそんなことはない。
後でこのことをアルヴィンに話すと、「いや、領主夫人が厨房で玉葱炒めていると普通は思わない」と真顔で指摘された。
彼らのうちの一人がゴホンと咳払いして私に言った。
「失礼しました。どうぞ、ご覧下さい」
「ありがとう」
私は彼らが持ってきた食料を見せてもらった。
「あ、オリーブオイルとワインだ。それに人参と蜂蜜がある」
これでソースを作ろう。
まずたっぷりのオリーブオイルですりおろした人参をじっくりと炒める。そこにワインを入れて蜂蜜とバターを少し加えると人参とワインの即席ソースの出来上がりだ。
粗熱が取れたところで、コロッケのたねを成形する。
成形している最中に、アルヴィンがやって来た。デニスも一緒だ。
「アルヴィン」
「遅くなってすまない。行こう」
アルヴィンの用事は済んだようだが、今度は私の用事が残っている。
ちょっと待ってください。と私が声を上げる先に、騎士達が口々に言った。
「団長、リーディア様は今忙しいんで待ってください」
「コロッケ作ってるんですよ!」
「コロッケ? なんでそんなことをしているんだ?」
アルヴィンは非常に怪訝そうである。
「成り行きで。出立は少し待ってもらえませんか?」
「俺達からもお願いします!」
「お願いします!!」
「分かった……」
熱い援護射撃のおかげでアルヴィンは不承不承に了承し、私はコロッケ作りにいそしんだ。
コロッケのたねに小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣を付ける。
熱したトルク油で両面がきつね色になるまで揚げたら出来上がりだ。
厨房中央の大きな円形暖炉とは別に端にもかまどが設えられている。
こちらは繊細な火加減が出来るので、揚げ物を作るにはピッタリだ。
「手伝います」
数が多いので、一工程一工程に時間がかかる。
騎士達がそう申し出てくれるのはありがたかった。
「ありがとう、助かる」
私は次々、彼らが作ったコロッケを油で揚げた。
揚げ油はトルクの脂肪を熱したものだが、普通の油とあまり変わりないようだ。
私はきつね色に揚がったコロッケを一つ皿に取り、調理を見守っていたアルヴィンに差し出した。
「アルヴィン、食べてみます?」
アルヴィンは「では」と言って食べ始めた。
「……旨いな」
一口かじったアルヴィンは思わずという風に呟いた。
「これはトルクの肉だよな?」
「はい、そうですよ」
「魚と言われれば赤身の魚のようでもあり、肉と言われれば獣の赤身にも思える。少し硬いが、甘みがあって旨い」
「お口にあったようで何よりです。海獣の肉はこんな味のようですね。実際食べたのは私も初めてですが」
トルクは海獣ではなく魔獣だが、同じ海に住む動物なので、味が似ているのだろう。
アルヴィンはコロッケに鼻を近づけて、くんと匂いを嗅ぐ。
「トルクの油はもっと臭いと思ったが、臭みが気にならない」
「揚げたてだからだと思います。トルクに限らず魚や動物の脂肪由来の油は劣化が早いんです。肉にも油にもトルク独特の臭みが付いてますから時間が立てば立つほど匂いは際立ってくると思います」
「なるほどな」
トルク肉はアルヴィンが言ったように硬くて少し臭みがあるが、甘みが強く、噛むほどに旨味が出る。
牛や豚などの食用に育てられている家畜の方が食べやすくて美味しいが、これはこれで悪くない。
アルヴィンはもぐもぐと完食し、それを見て他の騎士達も「俺達にも下さい」と味見をねだってきた。
「はいどうぞ」と彼らにも配ると、「うめー」と一気に食べてしまう。
我々が普段使う油は牛や豚、羊やガチョウなどの動物の脂肪と、オリーブや亜麻仁や菜種などを絞って作る植物の油の二種類だが、動物の脂肪は体のほんの一部分だし、植物油は栽培の手間がかかる。
そのため油は高価な食品だ。
そんな油をふんだんに使う揚げ物は庶民にとってはご馳走である。
そうこうしているうちにエントランスが騒がしくなった。
昼のトルク狩りに出ていた騎士達が戻ってきたようだ。
「さあ、やるか」
周りの連中に声をかけると、「おう!」と気持ちのいい返事が返ってくる。
***
二百名の騎士の食欲はすさまじいものであった。
私はものすごい数のコロッケをひたすら揚げ続けた。
数名の騎士も見よう見まねで手伝ってくれたが、それでも間に合わないくらいだ。
コロッケを全て揚げ終えた時にはもうとっぷり日が暮れていた。
片付けはデニス達がやってくれるというので、私はアルヴィンと食堂に行き一息つかせてもらう。
食堂にはまだ五十名ほどの騎士が残っており、のんびり食後のお茶を飲んでいた。
私が席に着くと、向かいに座ったアルヴィンは暗くなった窓の外を見上げ、言った。
「リーディア、日が暮れてしまったので、本日の帰還は止めておこう」
「すみません」
「いや、あの時、無理にリーディアを連れ帰ったら暴動が起こっただろう」
アルヴィンは真面目な顔で言った。
「はあ……」
暴動? コロッケでか?
「それにリーディア達を送り届けたら、俺はすぐにここに戻るつもりだ。今日だろうか、明日だろうが、構わない」
アルヴィンは何でもない風にそう付け加えた。
その言葉に私は当惑する。
「……また戻る? アルヴィンはここに常駐するつもりですか?」
確かにアルヴィンは騎士団の中でも群を抜いて強い騎士だ。
そしてゴーラン騎士団団長でもある。
だが、それ以上にアルヴィンはゴーランの辺境伯で、彼にしか出来ない仕事もあるというのに。
アルヴィンは少し困った顔をして、「俺が今回のクラーケン退治の中心メンバーなんだ」と言った。
「アルヴィンが?」
「ああ、色々、事情があってそうなった。クラーケンとの戦いは、海。今は浜辺で戦っているが、いずれ船を出して海でトルクを狩る。そうやって少しずつ、船上での戦いに慣れていくつもりだ」
確かに海の戦いと陸の戦いはまったく勝手が違うだろう。
対応出来るように経験を積んでいかねばならない。
その理屈は私にだって分かるが。
横で聞いていた熊男が口を出した。
「六番隊も最後まで残ります。心配はいりません」
部隊の一部帰還は一時的な休暇に過ぎず、六番隊がクラーケン戦の主力になるらしい。
「それではアルヴィンは引き続き、このベラフにいるんですね」
私はアルヴィンを問いただした。
「今はこんな有様だが、ゴタゴタが済んだら、定期的に領都に戻るつもりだ。他の仕事もあるし、リーディアのことも心配だからな」
私はアルヴィンを見上げて聞いた。
「私のことが心配ですか?」
アルヴィンは愛情のこもった視線で私を見つめて返してきた。
「もちろん心配だ。出来るなら、ずっと側にいたいと思っている」
私は宣言した。
「じゃあ、私もここに残ります!」
「は?」
アルヴィンの動きが止まった。






