12.クラーケン討伐計画、第一段階
私があわてて入り口に向かうと、ちょうどアルヴィン達がエントランスに入ってくるところだった。
アルヴィン達はじめ、全員、くたびれ果てた様子だったが、負傷者はいないようだった。
「リーディア……」
アルヴィンが私を見て何かを言いかけたが、それより先に私は声を張り上げ皆に言った。
「お帰りなさい、お腹が空いた人は食堂にどうぞ。温かい軽食を用意しているよ」
「えっ、食い物?」
「何か食べられるのか?」
と兵士達が色めき立つ。
「それじゃあ、リーディア様、遠慮なく」
まず六番隊の隊長が食堂にのっしのっしと入っていった。
彼の部下達も睡眠より食欲が勝ったらしく、後に続いた。
総勢二百名の騎兵部隊を率いる六番隊の隊長は、偶然にもかつて楡の木荘に時々来ていた客で、私は密かに彼を『熊男』と呼んでいた。
その名の通り、肉厚の体つきをした大男で熊より強い。
「アルヴィンもどうぞ」
と声をかけると、彼は何か非常に言いたげな様子だったが、「ああ」と食堂に入る。
食堂はラズロ達が片付けてくれたおかけで、椅子もテーブルも綺麗になっていた。
メニューはトルクの肉団子の塩スープ煮、トルク肉とジャガイモの炒め物。
あり合わせの食材で作った食事だが、お腹が空いていたのだろう。皆、美味そうに食べてくれた。
たくさん用意した料理はすぐになくなってしまった。
特に肉団子は食べきれるのか心配なくらい作ったのにあっという間だ。
肉を叩いたラズロは仲間達から「もっとたくさん作ってくれ!」と文句を言われていた。
私は食後のお茶を淹れにラズロ達と厨房に行った。
百人からの大所帯だとお茶も茶道具ではなく、大鍋で煮出した紅茶だ。
お玉ですくってカップに淹れるっていうか、入れる。
「はい、どうぞ、デザートですよ」
キャラメルとヨーグルトのパンプディングを皿に切り分け、紅茶のカップと一緒に渡すと、それまで厳しい表情を崩さなかったアルヴィンがようやく笑みを見せた。
「ありがとう、助かる」
「いえいえ、大した物は作れませんでしたが」
と返すと、アルヴィンは首を横に振る。
「いや、戦闘後に温かい食べ物が食べられるだけでホッとする。それに旨かったよ。とてもトルクの肉とは思えなかった」
「あー……」
それを聞いて私は思わず声を上げた。
アルヴィンもトルクの焼き肉を食べたらしい。
食事が終わり、兵士達は上階に用意された寝室に向かった。アルヴィンと六番隊の熊男と数名の部下は席に座ったままだ。
ラズロとジェームズもまだ私の近くに控えている。
「さて――」
とアルヴィンは私とシェインに向き直る。
「二人とも聞きたいことがあるようだが、シェインはどうする? 明日にするか?」
時刻は夜更けどころかもうすぐ夜が明けるような時間だ。
だがシェインは言った。
「お話を聞かせてください。アルヴィン様」
「分かった」
とアルヴィンは頷いた。
「シェインは知っているだろうが、シデデュラとの関係改善のため、一年以内にクラーケンを倒さねばならなくなった。これは北部のためだけではない。ベラフ開放はゴーランにとって悲願である」
アルヴィンは熊男にチラリと視線を向けた。
「へい」と頷いた熊男は何かをテーブルの上に広げた。
のぞき込むと、それはこの辺りの地形を記した海図らしきものだった。
「ここだ」
アルヴィンは海図の一点を指でなぞった。指先が止まった場所には、×で印が付けられている。
「ベラフの沖合十五キロ、潮の流れが変わる辺りに、クラーケンの巣がある。四十数年前、その魔物にこの町は滅ぼされた」
その後、アルヴィンは恐ろしい未来予想を口にした。
「現在、ベラフ沖合にいるクラーケンは一匹だが、これ以上トルクが増えると二匹、三匹と数を増やす可能性がある。一刻も早くクラーケンを倒さねばならない。今はその計画の第一段階にある」
「第一段階?」
「クラーケン討伐は大きく三つの段階に分かれる。第一段階はベラフの町の開放だ。海岸には魔獣がうようよしているからそいつらを倒して少しずつ町を開放していく。計画は順調でこの辺は制圧済みだから安心してくれ」
「あのー、アルヴィン、質問です。セントラルの騎士団ではトルクは仲間を攻撃されると群れで襲ってくるから決して戦わないようにと習いました。その辺はどうしているんですか?」
私はアルヴィンに聞いた。
「良く知っているな、リーディア。確かにトルクは仲間を攻撃されると集団で反撃してくるが、彼らは高度な知能を持った魔物なんだ。勝てない相手に戦いを挑まない。だから骨の髄まで人間の恐ろしさを叩き込む。そうすると、仲間を倒されても攻撃しないようになってくる」
私はスキプニッセから聞いた魔物討伐船なるもののことを思い出した。
おそらく『紅の人魚号』は定期的に魔物を狩ることで、トルク達を船や岸に近寄らなくしていたのだろう。
「今、魔獣の中でも一番厄介なトルクをようやく安定的に狩れるようになってきたところだ。これなら六番隊以外の連中も討伐のローテーションに入れることが出来る」
六番隊はゴーラン騎士団の中でも特に戦闘力が高く、魔物退治にも長けている。
他の隊にも同じ役目を任せられるようにアルヴィン達は安全にトルクを狩れる方法を模索していたらしい。
「近づいてくる魔物は手当たり次第倒すが、特に重要な標的はトルクだ。トルクはクラーケンの餌なんだ。トルクが増えすぎるとそこにクラーケンを呼び寄せてしまう。だからトルクは見つけ次第絶対に狩らねばならないんだ」
私はアルヴィンの言葉に息を呑んだ。
「それは知りませんでした」
「だろうな。ギール家と王家は自らの失態を隠すためにこのことを隠蔽した。ベラフの海はトルクが好む環境にあるからゴーランはトルク狩りに力を注いできたんだ」
そしてアルヴィンは「ふう」とため息を吐いた。
「恐れていた通り、ギール家が領主になった途端にトルク狩りをしなくなって、あっという間にベラフはクラーケンの餌場になってしまった。まあ、トルク狩りは骨が折れる。相当魔物退治に慣れた兵士でないと対処出来ないから、ギール家では荷が重すぎたんだろう」
ベラフの繁栄はゴーラン騎士団の努力があってこそだったらしい。
「ベラフの町から魔物を掃討したら、町を再興する。ベラフに職人を呼び寄せて船を作らせるつもりだ」
「どこから人を呼ぶんです?」
私はアルヴィンに思わず聞いた。
現在我がマルアム国に、港はないのだ。
北部の海岸に小規模な漁村は点在しているが、かつての『紅の人魚号』を作ったような造船技術を持った者達をアルヴィンはどこから連れてくるつもりなのか?
「ゴーランだ。元々ゴーランは古くから造船を手がけてきた。ずっと鍛冶屋や大工をしていた彼らに五十年ぶりに海の仕事に戻ってもらう」
「あ、そうですか……」
ゴーランは特に鍛冶と木工品に優れた職人が大勢居る。
船を作るに欠かせない良質のタールも作っている。
それらの技術は「ゴーランの海」のためのものだったのだろう。
そういえばスキプニッセも『紅の人魚号』はゴーランで作られたと言っていた。
そのスキプニッセはパンプディングを美味しそうに平らげた後、「じゃあまたね、リーディア」と言って姿を消した。
「続く第二段階はトルク狩りだ」
とアルヴィンは言った。
「……?」
それ、第一段階と何が違うんだ?
そんな私の頭の中を読んだようにアルヴィンは続けた。
「第一段階と同じように見えるが、今のように岸からトルクを遠ざけるのが目的ではなく、トルクの数を減らすことが目的だ。海上に船を出し、とにかく狩って狩って狩りまくったら、いよいよ第三段階だ」
「トルクが居なくなれば、クラーケンもベラフから離れますね」
私の言葉に、アルヴィンは皮肉っぽく笑った。
「リーディア、相手は海の主みたいな化け物だ。ギール家はトルク狩りを止めた途端、増え出したトルクにあわてふためき、トルク狩りを再開した。苦労したようだが、中央の騎士団を総動員して行ったトルク狩りは一応成功した」
「ふうん」
中央の騎士だった私はそんなことがあったのをついぞ聞いたことがなかった。アルヴィンの言う通り、情報は故意に隠されたのだろう。
「しかし、それがベラフの悲劇の始まりだった」
「悲劇の始まり……?」
「作戦が終了し、兵達が去った直後、自分の餌を奪われたクラーケンは怒り狂ってベラフの町を襲ってきた。ベラフの町はクラーケンと彼の眷属である海の魔物に襲われ、一晩で滅んだと言い伝えられている」
「そんな……」
アルヴィンの言葉に私もシェインも青ざめた。
トルクを狩ればクラーケンをここに呼び寄せてしまう。
だが、アルヴィンは落ち着いた声で私に言った。
「俺達の目的は『それ』なんだ」
「え? それが目的?」
「沖では到底勝負にならないが、浅瀬に誘い込めれば俺達にも勝機が見えてくる」
アルヴィンは本気だ。
本気で、クラーケンを倒そうとしている。
でもどうやって?
「勝機って、本当にクラーケンを倒せるんですか?」
「クラーケン戦では、まずクラーケンの足を削いでいく。クラーケンの足一本に対して一隻、計八隻の船を用意して足場にし、戦う。これはエルリッヒ・アステラテートも使った戦法だ」
「えっ、エルリッヒ・アステラテートは本当にクラーケンを倒したんですか? 歌の歌詞ではなく?」
アルヴィンは頷いた。
「少なくとも我が家ではそう語り継がれている」
エルリッヒ卿、すごいなー。
それは人魚も惚れ込むだろう。
だが、船の数は八隻?
クラーケンの足はもっとあると聞いているぞ。
「あのー、クラーケンの足って十本じゃないですか?」
「残りの二本は捕食する時に使うだけで普段は体内に格納されているらしい。本当はその分も合わせ十隻欲しいが、時間的に八隻用意するのが限界だろう」
「なるほど」
率直に私の印象を口にしてよければ、アルヴィンの話を聞いて『これで勝てる』とはまったく思えなかった。
危険すぎるし、無謀だとも思うが、それでもクラーケンをもし本当に倒せるとしたら、この方法しかないだろう。
「ここまでで何か質問はあるか?」
アルヴィンにそう問いかけられて、私は手を挙げた。
「一点いいでしょうか?」
「なんだ? リーディア」
「一年以内という期限があるため、早く計画を遂行したいのは分かりますが、それにしても夜間戦闘はやり過ぎではないですか? 兵の疲弊が心配です」
「……それは」
と言った後、アルヴィンは黙り込む。
妙な沈黙の後、アルヴィンは再び口を開いた。
「トルク戦に於いて夜間戦闘は必須だ。彼らは高度な知能を持っていると言っただろう? 我々が夜間戦闘をしないと、彼らは夜を狙って急襲してくる」
「それ故、二日に一度はこちらから攻撃を仕掛けないとかえって危険なのです」
と横から熊男が言い添えた。
「なるほど、何も知らないで口出しして申し訳ありません」
私は謝った。
「いや、リーディア達、中央の騎士は、おそらく故意に海の魔物達の情報を遮断されていた。トルクの姿を見たことがあるというだけでリーディアはよく勉強している方だ」
アルヴィンは逆にそう言って私を慰めた。
「それ、一体何故なんですかね?」
「王家とギール家はベラフを封鎖することで何もかも隠蔽しようと試みた。せっかく因縁付けて取り上げた土地を魔物に奪われたんだ。大変な失態だ」
アルヴィンの口調は非難丸出しである。
「それに明日……いや、もう今日か。この日に帰りたくて色々焦っていたのは事実だ」
私はアルヴィンの言葉を聞いて首をひねった。
「今日って、なんかありましたか?」
アルヴィンは私をじっと見て、言った。
「忘れたのか? 今日は、リーディアの誕生日だろう」
「あ、そうでしたね」
確かに言われてみれば今日で私は二十九歳になる。
この年になると誕生日はあまり嬉しくないのですっかり忘れていた。
「だから絶対帰りたくて少し無理をしてしまった」
「そ、そうでしたか」
その時、周囲の生暖かい視線が一斉に我々に注がれた。
……恥ずかしい。






