09.ナッツとキャラメルのクッキー
ラズロとジェームズに連れられ、私とシェインはベラフの宿舎に向かった。
「手間をかけさせてすまない。二人は戦闘に参加しなくていいのか?」
質問すると二人からは、「もう戦闘も終盤ですから、大丈夫です」という返事が返ってきた。
道は明かりもなく、暗かったが、以前の舗装路が残っているのだろう、平坦で案外歩きやすい。
やがて城塞の残骸みたいなのが見えてきて、「ここがベラフの町です」とラズロが言った。
「ここが……」
どこもかしこも崩れてまともに残っている建造物は一つもない。
私は辺りを見回し、思わず呟いた。
「……廃墟みたいだな」
「ええ、廃墟同然です」
しかし、ベラフというのは随分大きな町だったようだ。
荒れ果てているが、町の規模としては、ゴーランの領都ルツに匹敵するかも知れない。
魔獣に根こそぎ破壊され、家の土台くらいしか残ってないものの、かつて栄えていたんだろう。
痕跡から当時の繁栄がうかがえる。
アルヴィン達に会った戦闘地点から八百メートルくらい歩いただろうか。
「ここが宿舎です」
と騎士達は一軒の大きな建物の前で足を止めた。
私はその、それはそれは大きな家を見上げ、
「なんだこれ?」
と呟いた。
周囲がボロボロに崩れている中、その家は奇跡的に被害が少なかったようだ。割合状態良く残っているが、入り口が船の前側部分だった。
船の舳先によく取り付けてある木彫りの装飾、船首像が付いているので間違いない。
船首像には女神や動物、神話の登場人物などがモチーフにされることが多い。その船首像も例に漏れず青い衣を纏った女神像だった。
いや、よく見ると足が魚にひれになっている。人魚の像のようだ。
「ここ、内部は無事だったんですが、入り口の辺りは魔獣にやられてかなり破損していたんですよ。団長が『船でも何でもいいから使えそうなもので補強しろ』とおっしゃったので、海辺に落ちてた船をくっつけました」
ラズロはこの奇っ怪な家が出来た経緯を私に教えてくれた。
「アルヴィンなー」
相変わらず、大胆なことをする男だ。
「こちらです」
舳先の横に頑丈そうな階段が備え付けてられていた。私とシェインは彼らの案内に従い、その階段を昇って中に入った。
船首楼と呼ばれる船の前方上部の部屋を通り抜けると、そこは立派なエントランスに繋がっていた。
私は驚いてラズロに尋ねた。
「この家、二階が入り口なのか?」
「はい、この辺は高潮の被害を受けやすいんで、一階は倉庫や厩として使っているそうです」
二階より上が居住区なのだそうだ。
外から見ても四階建てのお屋敷みたいに広い建物だったが、中に入って私は確信した。
「……もしかしてここ、宿屋か?」
個人の邸宅というより、そこは宿屋に見えた。
「はい、旅籠だったみたいです」
「この地域の制圧は数日前に済んだばかりで、まだ色々手つかずなんです。汚れていてすみません。足下に気をつけてください」
確かにあちこちにがれきが散乱しているし、埃まみれだ。
だが室内は点々と明かりが灯されており、意外なほど明るかった。
明かりの正体は油ランプで、器の中には油が入っている。
そこから少し獣臭い匂いがするので、おそらく使っているのは動物の脂肪だろう。
アルヴィン達はこの旅籠の客室を急ごしらえの宿舎にしたそうだ。
宿には二百人の兵士達が宿泊出来るほどの部屋数があり、今は六十名ほどの兵が上階の客室で休んでいる、と騎士達は私に説明した。
「どうぞこちらに。飲み物をご用意します」
「水しかありませんけど。ここ、裏手の井戸が無事に残ってたんです」
エントランス横にある大きな食堂に入ると、デニスと十名ほどの騎士の姿があった。
先程、常にアルヴィンと行動を共にしているはずのデニスの姿が見えなかったのが気にかかっていたが、ここにいたらしい。
彼は私を見て大層驚いたようだ。
「えっ、リーディア様?」
私も驚いた。
「デニス、無事なんですか?」
彼はいつもよりかなりヨレヨレで疲れ果てていたからだ。もちろん彼と行動を共にしている兵士達もヘトヘトだ。
「あはは、少し汚れてますが、大丈夫ですよ。今、奥の厨房を片付けていたところなんです」
デニスは力なく笑った。
「デニス副団長代理。団長から休めって言われてたじゃないですか」
ラズロがたしなめる。
「そうはいっても、厨房を片付けないと帰ってきても皆、水も飲めないよ。あっちは片付けたから、後はこの食堂をなんとかしないと……」
とデニスはテーブルを動かそうとする。
「デニス、皆、後は私に任せて休んでください」
「えっ、そんなわけには行きませんよ」
私は、すっと息を吸い込んだ。
しっかり全員に聞こえるように、腹から声を出す。
「これは領主夫人命令だ。休め」
***
領主夫人は系統は別だが、彼らの上司に当たる。
この命令には背けない。
「はっ、はい」
さすがのデニスも頷いた。
「よし。では寝る前に全員、手を洗ってきなさい。いいものあげるから」
「いいもの?」
デニスだけでなく、兵士達は全員、首をかしげた。
なんせ領主夫人命令である。
従わざるを得ないので、彼らは復旧させた厨房の水場で手を洗うと、律儀にまた戻ってくる。
「一列に並んでくれ。はい、どうぞ、お疲れ様です」
私は彼らの手に一枚ずつ大きなクッキーを載せた。
「えっ、クッキー?」
「昨日作ったクッキーを非常食用に持ってきたんだ。皆の分はないから、内緒だよ。見つからないうちに食べちゃってくれ」
「あ、はい。……いいのか? アルヴィン様を差し置いて、食べちゃって」
デニスは小声で呟きながらあたふたしていたが、じっと見ていると、
「……頂きます」
と食べ始める。それを見て、他の兵士達もクッキーを口にする。
「あ、おいしい」
一口かじった兵士の一人が呟いた。
それを聞いて私は内心鼻を高くする。
一生懸命平静を装ったが、にやけそうになる。
疲れている時のクッキーは格別だ。
しかもこれは特別製のクッキーである。
「このクッキーに入っている茶色のベトベトは何ですか? なんだかとても甘くて美味しいです」
とデニスが質問した。
「それはキャラメルです」
キャラメルの作り方は料理長に教わった。
砂糖とバター、蜂蜜、生クリームなどを加えて作る似たような菓子『タフィー』は作ったことはあるが、キャラメルは初体験だ。
材料は砂糖とバターと牛乳と生クリーム。
鍋に砂糖とバターを入れて火にかけ、砂糖が溶けて泡立ち始めたら、温めた牛乳と生クリームを少しずつ加える。
焦げないようにヘラで混ぜ続け、泡が細かくなり、もったりしてきたら出来上がり。
以上、言うは簡単だが、この火加減がなかなか難しい。
材料の投入のタイミングや温度管理がタフィーより繊細で、気をつけないとすぐに失敗してしまうのだ。
現に私が作ったキャラメルは料理長が作ったものより、なんとなく焦げ臭い。
何かに混ぜ込むと、焦げ臭さが分かりにくくなるというので、私は作ったキャラメルと、ついでに刻んだアーモンドをクッキー生地に混ぜ込んで、クッキーを作ってみた。
食べ応えのある大きなクッキーを平らげたあと、デニス達は急に眠気に襲われたようだった。
疲れている時や眠気を感じている時に甘いものを口にすると、眠くなりやすい。
「……リーディア様、お言葉に甘えて、少し、休んでいいでしょうか?」
とデニス達は目を擦りながら寝室に向かった。
「さてと」
デニス達の後ろ姿を見送って、私は腕まくりする。
「リーディア様」
「私は厨房にいるから、ラズロ達も休んでいいぞ。あ、シェインを仮眠出来るところに連れて行ってあげてくれ」
私はラズロ達に言った。
「そうはいきませんよ」
と二人に反論された。
「心配しなくても厨房と食堂からは出ないよ。君達も疲れているだろう、休みなさい」
ラズロは首を横に振る。
「リーディア様のご命令でも聞けません。俺達は団長の命令を受けてます」
「コイツの言う通りです」
とジェームズも頷いた。
シェインも、言った。
「わっ、私も休んでなんかいられません」
「そうかい、じゃあ付き合ってもらおうか」
「リーディア様は一体何をするおつもりなんです?」
とラズロに聞かれた。
「厨房と食堂を少し片付けようと思う。何か材料があれば軽食を作れるんだが……」
デニスではないが、せめてアルヴィン達が戻ってきたら、茶くらいは飲めるようにしておきたい。
二人の騎士は顔を見合わせると「うん」と頷きあい、揃って私に手を出してきた。
「?」
「手伝いますから、俺達にもクッキー一枚、ください」
「ください」






