05.結婚式と不思議な海の歌
結婚式の当日はすこぶる晴天だった。
今日食べるアイスは美味しかろう。
私は純白のドレスを身に纏い、教会の前に立った。
場所は、領主館にほど近いルツの聖堂。
ゴーランで最も格式あるこの聖堂で、式は執り行われる。
教会の周囲には大勢の領民が詰めかけている。
「リーディア様、ご結婚おめでとうございます!」
彼らは口々にお祝いの言葉を述べてくれた。
視線を感じて近くにあった大きな木の上を見上げると、
「あっ」
そこに居たのはブラウニーとノーム達だ。
教会の中ではノア一家も列席している。彼らと一緒に妖精達もお祝いに来てくれたのだろう。
「リーディア」
高齢の父に代わり、遠路はるばる東北から駆けつけてくれた兄が私とバージンロードを歩く。
「よろしくお願いします」
少々緊張しながら、私は兄の腕に手を添えた。
「うん」
短く答える兄の声も少し震えている。彼も緊張しているようだ。
合図があれば扉が開く。その瞬間を待つ間、兄が私の名を呼んだ。
「リーディア」
見上げると兄は真剣な表情で私を見つめている。
彼はどこか私に似た瞳を潤ませ、言った。
「何かあったら、すぐに家に戻ってくるんだぞ。今度は兄さんが絶対に絶対に守るから」
六歳で家族と離れ、王都の魔法使い養成所に入ることになった私は、端的に言って実家と疎遠である。
だが兄と私の関係は良好だ。
離れていた時間が長かった私達はこの年齢まで喧嘩の一つもしたことがない。
兄にとって私は、家を出た当時の六歳児のままで、今でも守ってあげたい『可愛い妹』なんだろう。
それは本当の私ではないし、おそらく私の中の兄像だって本物の彼ではない。
私達はお互いにわかり合ったりなんてしてない。
だが、いびつだけど、それは兄と私の大事な兄妹の形だ。
だから、感謝を込めて、兄に言った。
「ありがとう、そうさせてもらいます」
私はこの日、兄とバージンロードを歩き、祭壇の前でアルヴィンと並び立ち、神に永遠の愛を誓った。
***
王族や高位貴族の結婚の祝いは数日かけて続く。
今回も西の辺境ゴーラン領主の結婚とあって、領主館の門扉を開き、三日三晩、ぶっ続けの宴会が予定されている。
列席者の中には自国と周辺諸国、合わせて四国の王と王子がいる。
多忙なご身分なのだから結婚式が終わるとすぐに帰る……と思いきや、皆様、数日ここに滞在する予定だ。
彼らはこの機会に交友を温める気らしい。
国主や次期国主の彼らの仲が良いのは実に喜ばしい。
花嫁の私は結婚式、それに続く結婚披露の宴と、一日中忙しかったが、結婚式の夜は夫婦にとって特別な日だ。
――初夜である。
宴の夜の部が始まって少し後、まず花嫁が退席し、しばらく後で花婿が退席する。
私は先に宴席から下がり、侍女達に念入りに磨かれた後、領主夫妻の寝室に通された。
花が飾られた部屋には大きなベッドがあり、私はベッドの側の椅子に腰掛け、しはらくぼーっとしていた。
緊張もしているが、美しいが窮屈なドレスから解放されたのがまず嬉しい。
仕立屋のマダムは腰のコルセットを渾身の力で締め上げたので、結構きつかった。
「リーディア」
アルヴィンが部屋に入ってくる。
彼も風呂に入ったばかりなのか、少し髪が濡れていた。
「アルヴィン」
さっきまで並んで宴席にいた私達だったが、改めて二人きり、向かい合わせに座るとなんだか少し恥ずかしい。
「今日のリーディアはすごく綺麗だった」
しばしの沈黙の後、普段とは違い、蚊の鳴くような声でアルヴィンはそう言った。
「ありがとうございます」
答える私の声も、耳を澄まさないと聞こえないくらいの小声である。
アルヴィンと目が合わせられない。
アルヴィンも私と揃いの白の花婿衣装でとてもかっこよかったが、それは言えそうもない。
「酒でも飲むか」
「はい」
アルヴィンは用意されていた酒瓶を傾け、酒を注いでくれた。
白ワインかなと思ったが、中身はワインではなく、蜂蜜を発酵させた酒、蜂蜜酒だった。
「この辺りでは新婚から一ヶ月くらいは蜂蜜酒を飲むんだ」
蜂蜜酒を飲むと精が付き、子供が生まれやすいという言い伝えがあり、験担ぎみたいなものだ。
ちまちまと蜂蜜酒を舐めていたが、
「リーディア」
そっとグラスが取り上げられる。
なんだ?
と思っていたら、アルヴィンの顔が近づいてきて、キスされた。
蜂蜜の香りが少しした。
口づけは少しずつ深くなり、私達は互いの身体を掻き抱いた。
欠けていたものが満ちてくるような不思議な感覚。
大丈夫。
病める時も健やかなる時も、アルヴィンとならきっと一緒に乗り越えられる。
***
宴は三日三晩続いた。
三日目は最後の夜とあって酒蔵も全て開け放たれ、宴は一層盛り上がった。
宴では格式張った曲から庶民向けのものまで様々な曲が演奏された。
結婚式で良く歌われる定番の曲から、あまり聞いたことがないおそらくゴーラン固有の歌まで途切れなく演奏が続く。
三日三晩の宴の間で、特に繰り返し演奏される陽気な歌があった。
勇ましく、だがどこかおどけた雰囲気のその曲は男性に人気があるらしく、その曲がかかると男性陣が一斉に歌い出す。
歌詞がゴーラン訛りの古語のせいで、土地の者ではない私は途切れ途切れの単語くらいしか分からなかったが、何度も聞いて耳が慣れたのだろう、歌詞の最後の部分を聞き取ることに成功した。
「俺の名はエルリッヒ・アストラテート。海のことなら俺に聞け!」
歌詞の最後、「俺に」で、自分の胸に親指をあて、「聞け!」のところで皆一斉にダンと持っていた杯をテーブルに打ち付ける。
これがこの歌の作法らしい。
このゴーランには海がない。
なのに「海のことなら俺に聞け」とはなかなか変わっている。
「へぇ」
私は思わず感嘆した。
エルリッヒ・アストラテートってことはアルヴィンの祖先だろうか?
「あれは『エルリッヒの歌』というんだ。昔からゴーランでは愛されてきた歌だよ」
とアルヴィンが教えてくれた。
ちなみに歌詞の内容はエルリッヒがいかにモテたか、らしい。
腕っ節が強く、男前のエルリッヒは数々の女性を虜にし、最終的には人魚の女王に惚れ込まれ、彼女の夫になるそうだ。
「アルヴィンのご先祖の歌ですか?」
そう聞くと彼は頭を横に振って否定した。
「彼は一族の一人ではあるが、直接の先祖じゃないんだ。エルリッヒ卿の兄が私の祖父の祖父に当たる。かれこれ九十年近く前の人だ」
歌はこのゴーランの昔の偉人、エルリッヒ卿の功績をたたえる武勇伝らしい。
歴史書に載るような英雄の叙事詩ほど整っていない、土地の英雄を讃える素朴な歌だ。
「そうなんですか? それにしても変わった歌ですね、このゴーランで『海』とは」
思わずそう言うとアルヴィンは「ふっ」と微笑んだ。
悲喜こもごも、色々な感情が入り交じった複雑な微笑だ。
「『海』はゴーランにあったんだよ」
「そうなんですか?」
私は驚いた。
元騎士職の私は王国の地図はだいたい頭に入っているんだが、間違いだったか。
いや、アルヴィンは『あった』と言った。
いつの時代か分からないが、『海』があったのは今ではなく昔のゴーランだ。
「今から五十年ほど前、謀反を疑われたことがあり、時のゴーラン伯爵は話し合いの末に自領の一部を王家に返上したんだ。その返上した土地が、今のゴーランの北西、ベラフ地方だった」
「へー」
感心する私だが、「あっ」と気付いた。
ベラフ地方って確か。
「この前アルヴィンが褒美に陛下から賜った土地ですね」
アルヴィンは「ああ」と頷く。
「元々はこのゴーランの土地だった。返上した土地を王家はギール家に授けたが、五十年ぶりに我々の手に戻ったわけだ」
アルヴィンは心なしか満足そうだ。
「そんないきさつが……」
因縁の土地だなぁ。
「リーディア」
アルヴィンは少し真面目な顔になって私に囁いた。
「宴が終わると俺は少しここを留守にする。そのベラフに行ってくる」
「そうなんですか、いってらっしゃい」
新しく領地になったところに挨拶に行くのだろう。
私はアルヴィンに聞いた。
「私は同行しなくて良いのですか」
こうした視察は夫婦で行くのが普通である。
だが、アルヴィンは首を横に振った。
「君はとても同行させられない」
「?」
一応私も元騎士である。
少しくらいの不自由が平気なことくらい百も承知だろうに、アルヴィンはそう言った。
「ベラフは色々と大きな問題を抱えている。だが上手くいけば全てが丸く収まる。……シェインのことを頼む」
翌日、アルヴィンはその言葉通りに側近達と共にベラフに旅立っていった。






