19.はじめてのチーズフォンデュ2~アルヴィン~
側近の騎士デニスからアルヴィンの元に緊急の伝書鳥が飛んできたのはアルヴィンが楡の木荘を訪ねる前日のことだった。
普段はアルヴィンの側から離れることがないデニスだが、今は冬の流行病防止のため、ゴーラン騎士団の国境近くの駐屯地、通称『砦』に駐留中だ。
手紙によると、砦近くで雪崩が観測されたらしい。
幸い砦は無事だが、雪のため道が閉ざされ、砦から被害の詳しい状況は確認出来ないそうだ。
ゴーラン騎士団が使う伝書鳥はかなりの悪天候でも飛べるように訓練した特別な鳥だ。
その鳥をデニスはまずフースの町の騎士団派出所に向けて飛ばし、もう一羽をゴーランの領都ルツにいるアルヴィン宛に送った。
山裾に住むリーディアがこの雪崩に巻き込まれた可能性がある。
詳しい情報が知りたくとも雪が降り続いているので、砦からは確認出来ない。
一応フースの町の騎士団宛てに一報は入れたが、この雪では彼らも救援は出せないだろう。
「ましてや遠い領都にいるアルヴィン様に何が出来るわけでもないが、まずは状況を伝えよう、念のため」
……とデニスは思ったが、彼の予想に反して、アルヴィンは取るものも取りあえず単身愛馬フォーセットを走らせ、リーディアの住む楡の木荘に向かった。
冬はアルヴィンの身が一番安全な時期だ。
交易が途絶えるため、外部の人間がくれば目立つし、雪で足跡が残りやすいので逃走にも不利になる。
そのため暗殺者もこの時期の仕事は避ける。
冬は領主の仕事も減るので、アルヴィンが比較的自由に過ごせる季節だった。
結果としてリーディアは無事だった。
アルヴィンは非常に安堵した。
リーディアはそんなアルヴィンを「随分部下思いだな」と思ったが、アルヴィンが案じていたのはリーディアのことである。
ここまで来たので物のついでにアルヴィンは雪かきを手伝ったが、昨日からぶっ通しで馬を走らせ、またリーディアの顔を見てホッとしたので、気が抜けた。
雪かきを終えた後、彼の疲労はピークに達していた。
楡の木荘の食堂の安楽椅子で暖炉の火に当たりながらリーディアお手製のブランデー入りのカモミールミルクティーを飲むと、アルヴィンは……。
「……ん」
そっと体に触れる人の指の感触にアルヴィンは目を覚ました。
目の前にリーディアがいて、毛布をかけ直そうとしていた。
「あ、起こしてしまいましたか?」
「いや……」
ゴーラン伯であるアルヴィンは敵が多く、用心深い。
安全を確認してからでないと絶対に眠らないはずだが、すっかり熟睡してしまった。
「寝ていた」
自分で自分が信じられず、かなりショックを受けたアルヴィンだが、そんなことはまったく知らないリーディアはくすりと笑って、
「お疲れだったのでしょう」
と言った。
「もう少しお休みになっては?」
「いや、十分に休ませてもらった」
「では少し早いですが、夕食にしましょうか?」
作業を優先したため、リーディア達は軽食をつまむ程度で昼食を取っていない。
そのためアルヴィンも腹が減っていた。
「そうだな」
一も二もなく同意した。
いったん客室に向かい、着替えて戻ると、食堂では夕食の支度が終わっていた。
食卓には蒸した野菜ときのこ、焼いた鶏肉、ベーコン、四角に切ったパンが載っている。
二つの鍋が暖炉に掛かり、大きい調理用のフォークが人数分。
鍋からはチーズだろうか、いい匂いがする。
今日のメニューはチーズフォンデュだそうだ。
「チーズフォンデュ?」
聞き覚えのないメニューに思わず聞き返すと、
「えっ」
リーディアもノアも思わず固まった。
「チーズフォンデュ、知らないんですか?」
「そんなに有名なメニューなのか?」
逆にアルヴィンは驚いて聞き返した。
リーディアは少し考え込んだ後、
「……そうですね、グラタンと同じくらい一般的なメニューだと思いますよ」
と答えた。
「そんなに一般的なのか?」
「あの、お客さんはチーズフォンデュを食べたことがないんですか?」
好奇心に負けたノアがおずおずとアルヴィンに尋ねた。
「食べたことがない」
アルヴィン以外はこの場にいる全員が知っている料理のようだ。
少し、ショックだった。
「あー、知らないかも知れませんね、庶民の料理ですから。蒸した野菜や肉やパンをチーズソースに絡めて食べる料理です」
とリーディアが言った。
「そうか……」
アルヴィンは町の料理屋で視察がてら庶民料理をよく口にしているのだが、チーズフォンデュなるものは食べたことがなかった。
何故だろうか。
「チーズフォンデュって、家にある余り物で作る家庭料理なんです。だから料理屋ではあまり見かけないかもしれませんね」
とリーディアが説明した。
「だからか」
アルヴィンは納得した。
「では食べましょう」
とリーディアがいい、二つの鍋を暖炉の火から下ろし、食卓の鍋敷きの上に置く。
一つはノアとミレイの前、もう一つの鍋はアルヴィンの目の前に置かれた。
何故鍋が二つあるのだろうか?
とアルヴィンが思っていると、リーディアがキャシーに尋ねる。
「キャシーさん、こっちが子供達用のミルク味で、こっちが大人用のワイン味です。どっちにします?」
「私は子供達と一緒の味にします。そちらはお二人でどうぞ」
「ワインが入っているのか?」
確かに鍋からは濃厚なチーズの匂いに混じってワインの匂いがかすかにする。
「はい、大人用は白ワインが入ってるんです。子供用はミルクです」
「ふうん」
「じゃあ食べましょう。この料理用のフォークに具材を刺して、チーズソースを絡めて、食べます」
「ああ」
「こうやって具にチーズソースを絡めます」
リーディアに指導されながら、アルヴィンはチーズフォンデュを食べてみる。
まずはブロッコリーから。
「ああ、旨いな」
熱々のチーズソースが野菜に絡む。
チーズに白ワイン、にんにくを一かけ、とろみづけにコーン粉をほんの少しだけ。
レシピは素朴だが、芯から温まる料理だ。
「良かったです」
リーディアはにっこり笑った。
アルヴィンの正面にリーディアが座っていた。
彼女も人参を刺し、鍋のチーズソースを絡める。
同じ鍋で食事をするのは初めてだ。
何故か、少し恥ずかしくなるアルヴィンだった。
***
一晩ぐっすり休んだ翌日の早朝、アルヴィンは楡の木荘を出立することにした。
書き置き一つ残してあわてて飛び出てきたので、戻ったら大騒ぎになっているはずだ。
すぐも戻らねばならない。
朝食を食べ終えたアルヴィンは馬小屋で乗馬の用意を調えていた。
そこにリーディアがやってきて、声を掛けてきた。
「もうご出立なんですね」
「ああ、仕事が残っているんだ」
リーディアが「お客さん、これを」と包みを渡してきた。
「これは?」
「昼食です。昨日はどうもありがとうございました。助かりました」
とリーディアから改めて礼を言われた。
「いや、君には世話になっている。気にしないで欲しい」
重曹やバンシーの予言もだが、リーディアから教えられたバームクーヘン作りは『砦』で大流行りだそうだ。ついでに子供にも受けたそうでデニスが喜んでいた。
「はあ、あまり大したことはしておりませんが」
リーディアはピンとこない様子だ。
自己評価が低いわけではなく、物事に頓着しないタイプなのだろう。
魔法使いには多い気質だ。
「それにしてもお客さんは雪下ろしの手際が良く、驚きました」
「ゴーランは積雪がそう多くない地方だが、山は別だ。『砦』ではよくやる作業なんだ」
アルヴィンは兵の仕事は一通りすべて自らもやるので、雪かきもした。
なんでも実際にやってみなければ分からない、というのが彼の信念である。
その主義が思わぬところが役に立ち、
「へぇ、すごいですねぇ」
リーディアは今までで一番感心した様子で、雪かきがデキる男、アルヴィンを見ている。
「いや、大したことはない」
おそらくリーディアに褒められたのはこれが出会って初めてである。
アルヴィンの機嫌はすこぶる良い。
「では、また来る」
「はい、お待ちしております」
馬小屋を出てアルヴィンはふと、空を見上げた。
辺りは吹雪の名残で雪が残っている。寒い。
だが、晴れ渡った冬の空は、しみじみと美しい。
「もうすぐ春だな」
「春ですね」
今リーディアが好きだと言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
「ではまた」
「はいお待ちしてます」
短い会話を交わして、アルヴィンは楡の木荘を後にする。
想いを伝えたい気持ちもあるが、気楽に接する今の関係をまだ壊したくない。
どちらにしてもアルヴィンの住む領都ルツから楡の木荘は遠すぎる。
今回は無事だったが、リーディアに何かあったってもすぐには駆けつけられない距離だ。
「……転移魔法陣でも設置しようか」
丁度いい大きさの納屋があったな。
と人の家に勝手に改装する計画を練りながら、帰路につくアルヴィンだった。
遅くなりましたが、冬編終了しました。春夏秋冬揃いました。最後までありがとうございます。






