16.冬の手慰み
冬編後半です。
冬至を過ぎると、寒さは一段と厳しさを増した。
霜が降りて地面は凍り、空気は肌を切り裂くような冷たさとなり、北風は木立の合間を悲鳴のような音を立て吹き荒れる。
こうなると人々は家にこもってじっと冬の終わりを待つしかない。
家の中にいることが多くなったので、何か室内で出来る新しいことがやってみたくなった。
冬の間、ゴーラン地方の女性達は趣味と実益を兼ねて、刺繍や編み物をするという。
以前刺繍を試み、布を血まみれにした私は、今度は編み物に挑戦することにした。
編み物なら少なくとも血まみれにはならない。安全である。
だが残念ながら、私には編み物の才能もなかった。
六歳のミレイと一緒にキャシーに習ったが、ミレイの方が明らかに上手い。
そこで私は別のことにチャレンジした。
林業が盛んなゴーラン地方の男性の趣味と実益を兼ねた冬の手慰みと言えば、木彫りである。
宿に立ち寄る木こりのお客に教えを乞うてやってみたが、やはり一緒に教わったノアの方が遙かに上達している。
私に物作りの才能はなさそうなので私なりの冬の楽しみを見つけることにした。
とはいえ何がいいだろう?
手先の器用さが必要ない、私が出来そうなものといえば。
「じゃあ、あれをしよう」
しばし考えて私は物置に保管していた蜜蝋を取り出した。
蜂蜜を取り出した後の蜂の巣から蜜蝋というものが採れる。
蜂の巣を水で煮ると水より比重の軽い蜜蝋が黄色い層になって浮き上がってくる。冷ますとこの層は固まるので簡単に水から取り出せる。
固まりにはまだ不純物が含まれているので、再度湯で煮て、こして不純物を取り除く。この工程を数回繰り返す。
この面倒くさい作業をしないと蜂の巣はカビたり腐敗したりしてしまうのだが、蜜蝋にしておけばかなり保つのだ。
蜜蝋を何に使うかというと、主な用途は蝋燭だろう。
蝋燭の材料は蜜蝋の他に、菜種や松ヤニなどの植物油、牛や豚や魚の脂肪を使った獣脂油や魚油があるが、それらに比べ蜜蝋で作る蝋燭はあまり煙が出ない上に持ちが良く、火を付けるとほんのりと蜂蜜の香りがする。
しかし前年の越冬で数を減らした我が家の蜂では蝋燭を作れるほどの蜜蝋は採れなかった。
養蜂箱の設置条件や蜂蜜の採取の仕方によりかなり違いが出来るが、蜜蝋の採れる割合は蜂蜜の五パーセント程度である。
一回の採取で、一つの養蜂箱から石けんサイズの固まりが一つか二つ作れれば上出来というくらいで、実に貴重なものなのだ。
今年採れた蜜蝋を私は蝋ワックスにして使うことにした。
蝋ワックスは蜜蝋と油を混ぜて作るワックスで、木の床に塗るとても良いつやが出る。耐水性にも優れているので保護材としても優秀だ。
作り方は、蜜蝋1に対して油2の割合で煮る。
蜜蝋は直火にかけると燃えやすいので、弱火で煮るのがポイントだ。
今回使ったのはこの辺りで採れるクルミ油、ウォールナッツオイルだ。
完全に蜜蝋が溶け、よく混ざったら出来上がり。
後は乾いた布にワックスを少量とり、綺麗に清掃した床に均一に塗るだけだ。
乾燥させた後、磨くと良いつやが出る。
このワックスは床だけでなく、家具に塗ってもいいと聞いたが、引っ越してからこっち、何かと忙しく残念ながら家具のメンテナンスまで手が回らずにいた。
ちょうどいい機会だから、手入れをしようと私は部屋を順番に巡って椅子や机といった家具にワックスを塗っていった。
家具の埃や汚れを取り除いた後、清潔な布に少量の蝋ワックスを取り、 家具の表面に丁寧に塗り広げる。
数分間放置し、ワックスが乾燥するのを待つ。その後、柔らかい布で磨くと完了だ。
磨いた家具からはほのかに蜂蜜の香りがした。
単なる掃除なのだが、磨くと見違えるほど光沢が出るので気分がいい。
毎日ちまちまと時間を作り家具磨きに励んだ。
ついでというとなんだが、ワックス作りの他に武器の手入れ用の蜜蝋オイルも作った。
やはり材料は蜜蝋とウォールナッツオイル。
ただし今度は蜜蝋1に油1の割合で煮る。
武具の手入れ用のワックスは、しっかり冷やして固形化させた状態で使用する。
玄関の物入れの奥に隠している両手剣を取り出し、私は久しぶりに両手剣の手入れを始めた。
私の騎士時代の愛剣である。
制服や他の武具はすべて騎士団に返却したが、これは置いて行けなかった。
汚れやさびを取り除き、綺麗に拭く。
次に柔らかい布に蜜蝋オイルを少量取り、まず剣の刃を磨く。蜜蝋オイルは柄の部分にも使えるので、そちらも念入りに磨く。
「……こうしてみると重いな」
私は両手剣を握りしめ、思わず呟いた。
人の命を奪える『武器』独特の重みだ。
かつて身を置いた世界から随分と遠ざかってしまったことを、感じる。
だが退役の時に感じた胸を突き刺すような悲嘆はそこにない。
もう、私がこの剣を使うことはないだろう。
そう思いながら私は剣を磨く。
幾ばくかの未練は今も私の心を疼かせるが、窓の向こうに広がる冬の曇天を眺め、ゆっくりと武具の手入れをするのは悪い気分ではなかった。
***
蜜蝋から耐水布も作れる。
用意するのは蜜蝋、綿や麻の布、それとアイロンだ。
この家にあったアイロンは鋳鉄アイロンというタイプで、鋳鉄の名の通り、鉄で出来ていて重い。アイロンはある程度重さがある方が綺麗に掛かるから構造上仕方ないのだが扱いに注意が必要だ。
この鉄の塊を直火や鉄の台などの上に置き、温めてから使う。
熱した鉄の塊なのでかなり熱く、危ないので使用は子供達がいない時に限っている。
まず蜜蝋を細かく削っておく。次に適当な大きさに切った布になるべく均一に削った蜜蝋を散らす。後は当て布をし、中温のアイロンで蜜蝋を溶かしながら布に均等に染みこませる。
アイロンをあまり高温にしてしまうと蜜蝋が発火するので、蜜蝋が溶ける程度の温度が望ましい。
この蜜蝋の耐水布は油や水が沁みないので、食品を包んだり、皿に被せると蓋代わりに使える。
使用後は水洗いすれば再利用出来る優れものだ。
皿に被せられるのもいいが、食べ物を保存したり、持ち帰ってもらう時に便利そうだ。
ただ、材料に布を使う。
布は結構高価なので、もう少し安価に作れないものかと考えて、紙を使ってみることにした。
紙もまた高価だが、布よりは安く手に入る。
布を紙に変えるだけで耐水布と作り方は同じである。
耐水性や強度は布に劣るが、廉価版としてはなかなか使い勝手が良さそうだ。
蜜蝋は蜂の誘引にも使う。
巣箱を新しくする時に巣箱の内側に薄く蜜蝋を塗ると蜂が巣箱に引き寄せられやすくなるのだ。
その作業のためにも全て使ってしまう訳にはいかないが、少しだけ試してみたいことがあった。
「その前にまずは……」
材料は砂糖と水、林檎のシロップである。
作るのは飴だ。
鍋に砂糖、水、林檎のシロップを入れ、混ぜながら加熱する。砂糖が完全に溶けたらさらに黄金色、いわゆる飴色になるまで加熱する。重要なのはこの時はかき混ぜないこと。
出来上がったらすぐに半球型の型に流し入れる。今回はいつも食べるものより倍くらい大きいサイズに作る。
レシピとしては単純だが、温度管理を間違えると台無しなのでそこは注意が必要である。
ナッツ入りのトフィーも作る。
鍋にバター、砂糖、蜂蜜、生クリームを入れて、木べらで混ぜながら中火で加熱する。
バターが溶けてから、混ぜながらさらに五、六分加熱すると、鍋からは甘くて美味しそうな匂いがしてくる。
とろみがついて、綺麗な茶色になったら仕上げの合図だ。
あらかじめ刻んでおいたアーモンド、ウォールナッツ、ヘーゼルナッツを手早く入れて混ぜ、さらにそれを型に流し入れる。
形を整え、少し置いた後、包丁で適当なサイズにカットする。こちらもかなり大きめだ。
飴とトフィーの用意が出来たら、小鍋に蜜蝋を温めて溶かす。
今回は食用として使うつもりなので、不純物を取り除くため、あらかじめもう一度こしておいたものだ。
フォークの上に飴を置き、溶かした蜜蝋に浸す。
浸した飴は、パットの上に置いて冷ます。
トフィーも同じように浸していく。
蜜蝋のコーティングが完全に固まると出来上がりだ。
「おい、お菓子か、くれ」
「くれ」
「ちょうだい」
「わ、私にも……」
匂いに釣られたのか、ブラウニーが四人ともやってきた。
「じゃあ、コーティングしてないこっちのやつを……」
私は蜜蝋でコーティングしてない方をやろうとしたが、四人の妖精は首を横に振る。
「そっちがいい」
と彼らが指さしたのは、コーティングした方。
「こっちの方に何かしてた」
「何かしてた」
「見てたよ」
「わっ、私も」
「でもこっちの方が美味しいよ」
一応私は言ってみたが、ブラウニー達は断固として、
「「「「こっちがいい」」」」
……だそうだ。
「ほら、どうぞ」
ブラウニー達は出来上がった飴とトフィーをわくわくしながら食べたが、そろっとて微妙な顔をする。
「おい、このツルツルが旨くない」と一番大きなブラウニーが不満顔で言う。
彼が言うツルツルはコーティングした蜜蝋の部分。
「だから言ったじゃないか、蜜蝋のコーティングは食べる前に剥がすものなんだよ」
まあ蜜蝋なので食べても害はないが、ブラウニーが言う通り、食べても『美味しくない』。
「食べられないものをどうして付けるの?」
と灰色のブラウニーが不思議そうに聞く。
「こうするといつもの飴やトフィーが劣化しにくくなるそうなんだ。溶けにくくて日持ちがするなら、長期の保存用や携帯用にいいだろう?」
キャンディもトフィーも瓶などに入れて冷暗所に保管する分には問題ないが、温度が高い場所では簡単に溶けてしまう。
だが蜜蝋でコーティングすることで少し長持ちするそうだ。
……と彼らに説明した時、チリンとドアベルが鳴って、
「ちわー、騎士団です。見回りでーす」
と御用聞きみたいな軽い口調で見覚えがある砦のゴーラン騎士二名がやってきた。
中に入ると彼らはくんくんと鼻をひくつかせ、
「いい匂いがしますね、また何か作ってたんですか?」
「飴とトフィーですよ」
と話すと彼らは目を輝かし「「ください!」」と声を揃えて言い出した。
なんでも近くのダンジョンも彼らの見回り範囲らしい。
コーティングされた飴やタフィーは携帯食にうってつけだ。
というわけで、普通の飴やタフィーの1.5倍くらいの値段なのだが、彼らは飴とタフィーを買い占めて、
「また来まーす」
と去って行った。
どうやら、冬も退屈せずにすみそうだ。






