13.バターチャーンとバームクーヘン2
私が一人でこの家に暮らしていた頃、バターは冷やしたミルクを瓶に入れ、ひたすらに振るという力業で作っていたが、我が家に人がやって来るようになるとそれでは足りなくなり、今では貯蔵庫の奥にしまわれていたバターチャーンという器具を使って作っている。
これは小さな樽にハンドルが付いたような見た目で、中に攪拌用の板が入っている。ハンドルを回すことでその板が回転し、ミルクをかき混ぜ、バターが出来る仕組みだ。
朝搾ったミルクを沸騰しないように沸かし、殺菌する。その後冷ましたミルクをバターチャーンに入れる。しっかりと蓋を閉めてからハンドルを回し続けるとバターが出来る。
割合と重労働なんだが、子供の目にはこの作業はとても面白く見えるらしく、ミレイが「私がやるー」と率先してやりたがる。
そのため我が家ではバター作りは子供達の仕事だ。
実際はいくらやりたがっても、まだ幼いミレイにハンドルを回し続けることは難しいので、ほとんどノアの仕事だが、二人で仲良くハンドルを回している。
***
「ごめんください」
冬の良く晴れた日、昼になる少し前にやってきたのは、ゴーラン騎士の茶髪男の方、デニスだった。
彼は砦と騎士団のつなぎ役として砦と領都を行ったり来たりしているそうだ。
今日も砦に行く途中だという。
彼は少し早め昼食をとりにやってきた。
食事を終え、デニスは「はぁ」と大きくため息をついた。
かなり疲れているようだ。
「お疲れですね」
風邪に効くというセージとタイムのブレンドティを出しながら、声を掛けると、
「ああ、どうもありがとう。ちょっとね」
と答える声にも覇気が感じられない。
「あちらで何か問題が?」
砦に何かあったのかと心配になり聞いてみたが、デニスは顔を天井に向けてぼやいた。
「いや、何もないのが問題で……」
「?」
デニス曰く、今のところ風邪の流行はほとんど抑えられて、重病人は出てないそうだ。
しかし砦の冬はとにかく何もない。
見張りは欠かせないが、街道の整備も見回りも夏よりは大分少なくて済む。
この時期の騎士団員の主な仕事は春に向けての準備。
魔法使い達は自分達が使うポーションを作ったり、騎士は体作りに励むらしいが、どうにもだらけがちらしい。
「何か彼らにやる気を出させるような良いものがあるといいんだけど」
「良いものねぇ」
「お、あれはあの時の子?」
デニスがキッチンの方を向き、声を上げた。
キッチンと食堂の間は通り抜け出来るように一部が空いている。
振り返ると、その隙間からミレイがこちらを覗いている。
ミレイはデニスの声にあわてて逃げだそうとしたが、デニスは優しく、
「おいで。怖くないよ」
と声を掛けると立ち止まり、おずおず食堂に入ってきた。
「さすがだな……」
と私は感服した。
デニスは妻帯者で小さな子供がいるそうだ。
子供の扱いに手慣れている。
デニスより来訪数が多い黒髪男――アルヴィン――は未だに子供から恐れられて遠巻きにされているというのに、ミレイはデニスにそっと近づいていく。
「どうしたのかな?」
とデニスが声を掛けると、ミレイははにかみながら返事する。
「あのね、さっきね、バター作りが終わったらご褒美にリーディアさんがバームクーヘンを作っていいって……」
「そうだったね」
バームクーヘンが作りたくて声を掛けてきたらしい。
「バームクーヘン?」
とデニスは不思議そうに首をかしげる。
「お菓子です。あの木の年輪みたいなやつ」
「それは知っているけど……こんな小さな子が作れるのかい?」
「大人が見てないと難しいですが、子供でも作れるんですよ」
「面白そうだな。良かったら作り方を教えてくれないか? 子供でも作れるならうちの子とやってみたい」
デニスはそう言い出した。なかなか子煩悩なお父さんだ。
「じゃあ用意しますから少々お待ちを」
「えっ、キッチンで作るんじゃないのかい?」
「バームクーヘンは暖炉で作るんです」
材料は小麦粉、ライ麦粉、アーモンド粉にミルク、卵、砂糖と蜂蜜を半分半分、重曹をほんの少し、隠し味に塩をひとつまみ。それと作りたてのバターだ。
バターと砂糖と蜂蜜をボウルに入れ、よく混ぜる。そこに卵を入れて更に混ぜる。
ライ麦粉、小麦粉、アーモンド粉、重曹、塩を混ぜて振っておく。
ボウルに振るった粉類を数回に分けて加え、その都度よく混ぜる。ミルクも少しずつ加えながら混ぜ合わせる。
これで生地が出来上がりだ。
生地を食堂に持って行き、私はまず暖炉の火の具合を確かめた。
暖炉の火は熾火という、火は出ておらず薪の芯が赤くなっている状態だ。
こうなると温かい上煙が出にくくなる。
バームクーヘン作りには理想のコンディションだ。
「はいどうぞ」
私はミレイとデニスに一本ずつ、バームクーヘン棒を手渡した。
子供にも握りやすいようなめらかにされているが、何の変哲もない木の棒である。
麺棒と同じくらいの径で長さもそのくらい。
そして先端はちょっと焦げている。
「これ、何ですか?」
とデニスは怪訝そうだ。
「バームクーヘンを作るために使うバームクーヘン棒です」
使い方は簡単。
「まず先端に葡萄の種子のオイルを塗ります」
葡萄の種子のオイルがなければオリーブオイルでも良い。だが、ワインも作るこの辺では葡萄の種から作るこのオイルの方が安い。
そしてお玉でオイルをかけた部分にバームクーヘン生地をかける。
バームクーヘン生地が薪に落ちるともったいない上に温度が下がってしまう。
そのためなるべく生地がたれないようにボウルの上で生地をきる。
バームクーヘン棒に掛けた生地がたれなくなったら、次は暖炉に近づけて、焦げないように回しながら焼く。
「温度が高いと生地が硬くなりすぎるので、火に近づけすぎないように注意しながら回転させます」
「こうするの」
ミレイはバームクーヘン棒を回し、デニスに見本を見せた。
ミレイは回すのが好きなのか、バームクーヘンを作るのも大好きだ。
「こうかい?」
「うん」
時間もないので五回ほど作業を繰り返したところで、火から下ろし、棒から外した。
「ああ、美味しいですね」
試食したデニスの感想は上々のようだ。
味も形も菓子職人が作る本物のバームクーヘンとは比較にならない出来だろうが、自分で作った菓子故、少々の失敗はご愛敬というもの。
ノアもミレイも大好きなお菓子だ。
「うちに来る木こりのお客が教えてくれました。彼らは炭焼きの時にこうしてバームクーヘンを作って食べるそうです」
炭焼きは炭窯で長時間じっくりと木を焼いて木炭にする。
木材が炭になるまで二、三日。出来上がった炭はゆっくりと温度を下げて冷やす。冷ます工程にも数日かかる。
合わせて一週間の作業だ。
その間ずっと炭窯を離れられない彼らにとって美味しく楽しい手慰みだ。
彼らは重曹の代わりに酵母を使うそうだが、子供達が簡単に作れるようアレンジしたレシピである。
「……確かにこれなら子供や素人でも作れるな……」
デニスは真剣そのものといった表情でバームクーヘンを見つめた。
そして。
「リーディアさん、さっきの生地のレシピ、材料は小麦粉等の粉、砂糖、蜂蜜、ミルク、バターに卵ですね」
と聞いてきた。
「はい、そうですね。後は重曹と塩を少々です」
「それでバームクーヘンは作れるんですね」
と念押しされる。
「はあ、作れますよ」
「材料がそれだけなら砦でも作れそうだ。重曹を少し分けていただけませんか? もちろんお代はお支払いいたします」
デニスは身を乗り出して言う。
「ああ、構いませんよ。お連れの方がこの前沢山くれたばかりだから」
「えっ、アルヴィン様、またここに来たんですか」
「はあ、どうも子供達のことを気にしてくださったご様子で」
「うわぁ、本気だなぁ、あの人……」
とデニスは仕事熱心な黒髪男に驚き、感心したように呟いた。
茶髪のデニスは黒髪男の直属の部下のようで常に行動を共にしているが、今は別行動だった。
黒髪男を流行病に罹患させないためだろう。
そのため、デニスに黒髪男の詳しい動向は伝わっていないらしい。
黒髪男に少しばかり分けた重曹は百倍くらいになって戻ってきたので、彼の部下のデニスになら無料で渡しても構わない。
私はそう言ったのだが、デニスは首を横に振る。
「それはいけません。お代はきちんとお受け取りを」
彼はそう言って代金を支払った。
よく分からないが、彼は砦でバームクーヘンを作る気らしい。
それならと数回分の材料とバームクーヘン棒一本とレシピを渡した。
「ありがとうございます。助かります!」
デニスは重曹とバームクーヘン棒を抱え、砦に向かい去って行く。
デニスはその後、砦に行き、バームクーヘン作りを啓蒙した。
砦ではその冬、良い働きをした者には褒美としてバームクーヘン棒と生地を与えられた。
結果、魔法使いはポーションと生活魔法の行使に励み、騎士は模擬戦で競い合い力を振い技を磨く。街道の巡回も皆進んで行った。
ついでにデニスの子供も喜んだ。
バームクーヘンのおかげで世の中まあるく収まった訳である。






