12.バターチャーンとバームクーヘン1
林業が盛んなゴーランでは木こりと並んでもう一つ、重要な山仕事がある。
伐採した木を焼いて木炭を作る、炭焼きである。
木炭は煙が上がらず、長時間均一に強い熱で燃えるという特徴がある。
調理にも使うが製鉄には欠かせない燃料だ。
炭だけではなく、その副産物にも価値がある。
炭を作る時に出る煙を冷やすと、下に沈殿して出来るのが木タール、上澄みは木酢液になる。
木タールには抗菌作用や防腐効果を持ち、水をはじくという特性がある。
そのため古くから木材の保存や防腐剤として使用されてきた。
木酢液は虫除けや土壌改良の効果があり、ニスに使う溶剤のテレピン油の原料にもなるらしい。
さらに木炭を作る時に出来るもう一つの副産物、灰は石けんの材料の一つで、コットンなどを染める染料でもある。植物の疫病を防いだり、肥料に使える。
まさに捨てるところなしの万能品だ。
木こりと炭焼きは別の職種だが、同じ山仕事として兼任する者も多い。
また農家には農閑期になるこの時期、山の仕事をする者がいる。
私が宿屋を開業して一番喜んだのは、山の仕事に従事する彼らだったかもしれない。
私がこの家に住んでから、近隣に住む彼らは「ご近所さん」として時折訪ねてくることはあったが、行きの綺麗な姿の時だけで山帰りで汚れた姿では立ち寄ろうとしなかった。
これは木こりや炭焼きの間での暗黙の決まり、不文律だそうだ。
随分と風変わりな決まりだが、聞いて納得というか、見て納得の理由があった。
「あのう、井戸を使わせてもらえんかね」
そう、勝手口の向こうから声を掛けられたのは夏のとある日であった。
勝手口を開けるとそこにいたのは全身灰だらけの男性四名で、彼らはひどく遠慮がちに立っていた。
「井戸ですか?」
「ああ、暑くてかなわんから少し水を浴びさせてもらえんかね」
夏の盛りのとてつもなく暑い日で、日光がじりじりと容赦なく照りつけていた。
外をちょっと歩くだけでも立ちくらみを起こしそうな日だ。
まして仕事を終えての帰り道では大変だっただろう。
「そういうことでしたら、どうぞ風呂に入っていってください。すぐに用意します」
ちょうど貸本屋の助手ライアンに大風呂を直してもらった直後だった。
大風呂は井戸の水ではなく、雨樋などにたまった水を濾過して使っているので、貯水樽の栓を抜けば直接水を供給出来る仕組みになっている。
冷たい水で喉を潤してもらっているうちに湯を沸かそう。
「そりゃありがたいが、いいのかい?」
と彼らは恐縮して言った。
四人とも仕事に精を出した後で、灰と泥と汗にまみれ、異臭を放っていたからだ。
「もちろんですよ、入っていってください」
めちゃくちゃに汚れているが、私も畑に仕事をすれば泥だらけになる。
元農家の我が家の大風呂は外側からも直接出入り出来るよう、ドアがついていた。
外に椅子を出して、冷たい井戸水を配った。
そして落とせる泥は野外で落としてもらい、その間に湯を張る。
湯が沸いたら風呂に入ってもらう。
大風呂は四人程度なら一度に入れる広さだ。
「うー、生き返るぅ」
「はー、天国天国」
感嘆の声がキッチンまで聞こえてきた。
着替えには、我が家の野良着を提供しておいた。
古いが綺麗に洗ったものだからまあまあ清潔だ。
風呂から上がったら食堂に案内する。
さっきまでは人相分からないくらいの汚れぶりだったが、見覚えのあるご近所さんだ。
「ああ、リーディアさん、助かったよ」
「そりゃ良かった。どうぞ」
とタイムとローズマリー、そしてセージも入れた冷たいハーブティを出す。
湯上がりで喉が渇いていたのだろう。
彼らはごくごくと飲み干す。
それから彼らは自分達が着ている野良着を見て、「ああ懐かしいな」と目を細めた。
「懐かしい?」
「ああ、昔、『楡の木』のじいさんが生きていた頃、よく風呂に入れてくれてね。ここでこうして休ませてもらっていたんだ」
「この野良着もよく使わせてもらった」
「山から帰って風呂に入れるのは本当にありがたかったなぁ」
と口々に言った。
「そうでしたか」
「体悪くしてからは、俺らも無理はいえんからそんなこともなくなっちまった」
「いい人だったなぁ」
「ああ、いい人だった」
まったく「じいさん」を知らない私まで少ししんみりしたのだから、先代を知る彼らは思わず涙ぐみ、洟をすする。
「いい人だったんですねぇ」
彼らは「風呂のお礼に」と炭と灰をくれた。
そして我が家の荷馬車に木タールを塗りなおしてくれた。
これは船舶や建築物の木材部分の保護に用いられるもので、良質なゴーラン地方の木タールは外国にも輸出しているという。
我が家の荷馬車は、というか農民の使う馬車は車輪を含め、ほとんど木で作られている。防腐と保護にこの木タールが欠かせない。
彼らは馬車の下や車輪までしっかりと丁寧に塗り込んでくれた。
木タールは便利な反面扱いが難しい。
触るとネトネトし、乾いてもなめらかとは言い難い質感なので、直接手が触れる部分には上からニスを重ねて塗る。
車体はつやつやとした綺麗な飴色になった。
「まだ暑いですからね。いつでも立ち寄ってください」
と言うと、彼らはその後、時折訪ねてくるようになった。
手土産に炭や薪や灰をくれる。おかげで我が家の燃料の備蓄は潤沢だ。
さらに「世話になっとるから」と家にも木タールやニスを塗ってくれた。
風呂の湯の中に木炭を入れると良いというのを教えてくれたのも彼らだ。
炭は保温効果があり、湯が冷めにくく、血行を促進、体のこりや疲れを和らげるという。
さらに水の浄化作用まであるという。
秋になって宿屋を開業すると今度は彼らはお客として訪れるようになった。
今まで彼らは仕事帰りにフースの町の宿屋で風呂に入っていたが、汚れがひどいと嫌がられるので困っていたそうだ。
ノアとミレイは大人の男性を怖がるところがあるが、木こり達は別だった。
事故で亡くなったという父親が森で木を切り、その木で木工細工を作る職人だったそうで、町人より断然厳つく、取っつきにくそうなひげ面の彼らを怖がるかと思いきや、あっという間に懐いた。
彼らもノア達を可愛がって、積極的に構う。
木彫りの人形や、子供用のそり、そしてバームクーヘン専用の器具をくれて、木こり風バームクーヘンの作り方を伝授してくれた。






