10.魔女の麦踏み
冬編始まりました!
「リーディアさんー、行ってきまぁす」
「はい、いってらっしゃい。気をつけて」
ノアと妹のミレイ、二人の母親キャシーの三人が我が家で暮らし始めて半月が経った。
彼らがやってきたのは、秋も終わりのとても寒い朝で、彼らは山の上にあるゴーラン騎士団の駐屯地、通称砦に向かう途中だった。
我が家に住む青い妖精バンシーは、一家がそろってたちの悪い流行病に冒され、死亡すると予言した。
それを聞いた私はあわてて彼らを呼び戻し、ノア達は我が家で冬を越すことになった。
今日はあの日と同じように寒い朝だが、モコモコと防寒具を着込んだノアは元気いっぱい私に手を振って、フースの町に向かって歩いて行く。
私はそんな彼に手を振り返して見送った。
今はまだ冬の初め。
本格的な冬が到来すると寒さはさらに一段と厳しくなるという。
そうなると子供の足でここから学校に通うのは難しくなる。
その前にノアは少しでも学校の友達に会っておきたいらしい。
ここから学校があるフースの町まで五キロ。
六歳の妹のミレイが歩いて通える距離ではないので、今日はノア一人で登校する。
ミレイに限らず、町の近郊に住む女児は冬の間はほとんど学校を休むそうだ。
寒さも厳しい上、冬は日が短いので女児の登下校が危険になる季節だ。
我が家もミレイは私が送り迎えが出来る日にだけ登校することになった。
代わりに女児は冬の間、家の中で母親から裁縫や刺繍を習うそうだ。
「お母さん、こう?」
「そうよ、上手ね、ミレイ」
朝食客が食事を終え、無人となった我が家の食堂では、キャシーがミレイに編み物を教えている。
病弱だったキャシーは、ミレイに編み物を教えられるくらいに回復した。
この様子なら完全に回復するのも間近だろう。
私は二人の様子を確認した後、そっと裏の畑に行った。
***
我が家の畑の一角に一本のかかしが立っている。
カボチャ頭にトンガリ帽子を被り、野良着を着て、足は一本の丈夫な木の棒、腕と胴体は野菜と木の枝を組み合わせたもので、手に農作業用の手袋をしている。
一見ごく普通のかかしに見えるが、彼(?)は私が野菜と木材で作ったゴーレム、魔法かかしのジャック・オー・ランタンだ。
私はジャック・オー・ランタンの側に行き、話しかけた。
「ジャック・オー・ランタン、また『あれ』がしたいんだ。手伝ってくれ」
ジャック・オー・ランタンはピョンと間の抜けた音を立てて、私のすぐ横に跳ねてくる。そして返事をするようにカラカラと頭を振った。
魔法使いがめっきり減った今、魔法かかしはかなり珍しい存在になってしまった。ジャック・オー・ランタンは私以外の人間の前では普通のかかしの振りをしている。
ノアと友達の少年達は何度も畑に来て手伝いをしてくれたが、ジャック・オー・ランタンの正体は知らない。
ノアの家族にもジャック・オー・ランタンが魔法のかかしであることは秘密だ。
一家は母親のキャシーが元気になれば、再び町で暮らしてゆける。
我が家は静かなことだけが取り柄の一軒家なので、静養にはもってこいだが、若い母親と子供達にとってここでの暮らしは退屈で不便なものに違いない。
一冬ここでのんびり暮らし、キャシーが完全に復調したら、町に戻ることになるだろう。
魔法使いは強大な魔法を発動して人を傷つけたり、人の心に入り込み、意のままに操ることが出来る――。
我々魔法使いはそんな風に語り継がれていて、人々から恐れられる存在でもある。
余計なことを言って彼らを怖がらせる必要はあるまいと私は思った。
私がジャック・オー・ランタンに話した『あれ』とは、麦踏みのことだ。
秋にまいた小麦の種は十日ほどして発芽した。
麦踏みのタイミングはこの芽吹いた種が小さな葉を三枚ほど出した時だ。
ある程度育った麦は根が浮き上がってしまう場合があり、圧力を掛けることで、土壌が固まり、苗が安定して育つのだという。更に踏むことで分げつの促進が期待出来るそうだ。
分げつというのは、種から新しい茎を枝分かれさせることで、一株から麦の茎数が増えれば、茎の分穂数が増え、収穫量が上がるらしい。
フースの町で手に入れた私の愛読書『緑の魔女達』にはそう書かれていた。
だが、踏んでいいのか? 苗って生き物だろう。踏むってありなのか?
農業初心者の私は植物を踏むという行為に躊躇したが、麦は踏まれることで茎や葉が硬くなり、根も伸び、寒さや乾燥に強くなるという。
麦踏みは秋の終わりから春の初めにかけて数回行われる。
苗がある程度生長した冬の直前に最初の麦踏みをした。今回はそれから二週間ほど経った二回目の麦踏みだ。
「さてと、やろうか」
私とジャック・オー・ランタンは並んで麦踏みを始めた。
我々が二週間前に踏みつけた苗は、あれから少し成長し、大きくなっていた。
その苗を一株一株しっかりと、だが地面にめり込むまでは踏まないように注意して踏んでいく。
横を向いて、ジャック・オー・ランタンはかかしの一本足で器用に踏むなぁと感心していたら、
「!?」
ジャック・オー・ランタンの横に彼に懐いている魔獣猫と魔獣犬がいる。初めて見る狐やテンやリスみたいなのもいる。小さい動物は何匹か集まって麦を踏んでいる。その隣にはブラウニー達が、その向こうにはノーム達までずらりと一列に並んで麦踏みをしている。
「……いつの間に」
呆然と呟くと、ジャック・オー・ランタンはカボチャの頭をカランとならした。
まるで「列を乱すな」と注意しているようだ。
私はあわてて前を向いて麦を踏んだ。
麦踏み作業は助っ人達のおかげで、早めに終わりそうだ。
後はジャック・オー・ランタンに任せて、私は昼食の用意をしよう。
畑の端にはほんの簡素なものだが、レンガを組んで作ったかまどがある。
用意するのは蓋付きの丈夫な鉄鍋、そして親指大の清潔な石。
まずはかまどに網を敷き火を付ける。
焚き付けには秋に拾った松ぼっくりを使う。
松の実を取った後の松ぼっくりは乾燥させると、いい火種になるのだ。
網の上に石を置き、熱する。
その間に用意するのは、じゃがいも、人参、かぶ、キャベツ、後は豚肉。本当はリーキと玉葱も入れるつもりだったが、犬猫に葱類は良くないそうだ。
うっかり魔獣猫と犬が口にしたら大変なので他の野菜を増量することにした。
野菜と肉はそれぞれ一口大に切っておく。
焦げ付き防止に鍋底に鶏のだしを水で割ったものを少し入れる。鍋に具材を均一に並べた後、火ばさみで熱した石を掴み、具材の隙間に並べていく。
石の熱で具を調理するため、なるべく均一に熱が伝わるようにする。
石を入れ終えたら、鍋は火を消したかまどに直接置く。
蓋をしっかり被せ、蓋の上に焼けた炭を乗せる。
こうすると下と上の両方からの熱で温まる。
一時間ほど経てば、野菜と豚肉の蒸し煮が出来上がる。
この方法だと鍋を火にかけないので火事になる確率がまあまあ低くなり、火加減も気にしなくて良いので放っておくだけで料理が出来る。
「きちんと考えられているのだなぁ」と私は農家の知恵を感心した。
思ったより手伝いが多かったので、私は急遽キッチンに行き、追加の鍋を用意した。
昼食は肉と野菜の蒸し煮と薄焼きの甘くないクッキー。クッキーの上に生ハムやオイル漬けのトマトやチーズ、ディップやジャムなど好みの具を載せて食べる。
そして作業の後で皆で飲むため、とっておきの温かい飲み物を別の鍋に用意した。
キッチンで作った鍋が出来上がったので、まずキャシーとミレイの分を取り分けた。
「二人とも。昼食を用意したからね。ここに置いておくから後で食べなさい」
食堂にいる二人に声をかけると、
「はーい」
とミレイが駆けてくる。
「あれ、リーディアさんの分は? 一緒に食べないの?」
キッチンのテーブルの上に二人分の食器しかないのを見て、彼女は不思議そうに首をかしげた。
「私は畑で食べるんだよ」
「ふうん……一人で?」
「あっ……うん、まあ、人間『は』一人だな。ちょっと畑でやりたいことがあるんだよ」
と私は誤魔化した。
後れてキャシーもキッチンにやってきた。
「じゃあ先に二人でいただきますね」
「そうしてください」
「リーディアさん、頑張って」
「はい、ありがとう」
キャシーとミレイに見送られ、畑に戻った私は、
「おーい、お昼にするよ」
と皆に呼びかけた。
私の姿を見るとノームとおぼしき小人達はさっと木や草の陰に姿を隠してしまった。
以前に読んだ妖精の本にノームは人見知りと書かれていたからあまり気にしないことにする。
私は大きな木のボウルに肉と野菜を盛り付け、薄焼きのクッキーを皿に載せ、ブラウニー達に渡した。
「皆で食べなさい。おかわりが欲しかったらまたおいで」
ブラウニーは「分かった」と頷き、ボウルと皿を持って茂みの方に走っていった。
リスには木の実を、猫や犬や狐たちは蒸して少し冷ましたじゃがいもや人参や豚肉をあげた。
彼らは大喜びでそれらを食べた。
配膳が終わると、私も昼食だ。
手伝ってくれたバンシーと共にちょうど良さげな大きさの石に腰掛けて昼食にした。
平らで座り心地のいい石だ。
きっと先代の住人もここで食事を取ったに違いない。
せっかくだから野外で作った蒸し煮とキッチンで作った蒸し煮の両方を少しずつ食べ比べた。
焼いた石で蒸した蒸し煮と火に掛けて蒸した蒸し煮は、ほんの少しだが味が違う。
とはいえ両方ともただの蒸し煮なんだが、寒い野外で食べているせいか、温かい料理は何より美味しく感じる。
「美味しいね」
とバンシーが言い、
「そうだね」
と私も頷く。
眼前に広がるのは、皆で耕した我が家の畑。そしてその向こうには森だ。
畑にあるのはまだひょろひょろとしたか細く小さな小麦の苗。森も半分の木が葉を落とし、枝が冷たい風に揺れている。
冬の寒々しい景色だが、それでも人も動物も植物もたくましく生きている。
食事を終えると作業の続きだ。
全ての麦踏みを終える直前、私は畑のかまどに行き、持ってきた鍋に火を掛ける。
鍋の中身は林檎ジュース。
作るのはホットアップルサイダーだ。
動物が飲めるように鍋を分けて、一方は林檎ジュースに水を加えて薄めたもの。その分角切りにした林檎は少し多めに。
一度煮立たせた後、人肌くらいに冷ましておく。
もう一方はりんごジュースの他にウッドラフ、フェンネル、マートルの実を使う。
すべて我が家で収穫したハーブや野菜達だ。
そこにこの前やってきた黒髪男からもらったオレンジの皮を入れて煮る。
二十分程弱火で煮込んで香りしてきたら飲み頃だ。
飲む直前に輪切りにしたオレンジと角切り林檎を入れる。
「はい、皆、熱いから気をつけて」
キッチンの片隅にはこんな時に使うのだろう。
小さな木のコップが山ほどあって、大人数でも一緒に飲める。
私はホットアップルサイダーを注いだコップを次々と配った。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
と渡したコップを受け取ったのはいつものブラウニーとは違う別の小人だった。
「……?」
さっと走って行ってしまったので声は掛けられなかったが、ちょっと警戒を緩めてくれたのかもしれない。
やはり向こうから話しかけてくれるまで、知らんふりをしておく。
作業を終えて私は母屋に戻った。
「お帰りなさい、リーディアさん」
と私に言うのは学校から戻ってきたノアだ。
「ああ、君もお帰りなさい」
林檎ジュースはまだ残っているので、今度は人間用に温かいアップルサイダーを作る。
そして夕食の支度を始める。
さて、今日は一体何を食べようか。
「美味しいね」
「うん」
とノアとミレイは喜んで、
「温まりますね」
とキャシーも微笑んでいる。
「そりゃあ、良かった」
私はにっこり笑う。
ここが私の自慢の家である。
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改稿加筆+書き下ろし付きですので、是非よろしくお願いします!






