07.マシュマロと焼き林檎1
秋編、そろそろ終了です。最後は彼と彼女のお話。
秋が終わり、長く寒い冬が始まろうとしていた。
だがその日は空が綺麗に晴れ渡り、季節が秋に戻ったような暖かな一日だった。
朝食の後片付けを終えてすぐ、私は馬のオリビアに乗ってフースの町に行った。
フースの町まではオリビアに荷車を着けて行けば三十分。行き帰りで一時間掛かるが、馬を駆ればその半分で済む。
ノア達がいてくれるので短時間なら家を空けることが出来るようになった。
町での用事はそのノア達のことだ。
我が家で一冬を越すことになったので、学校に行き、今後の学習の相談をする。
我が家からでは毎日ノアとミレイを学校に通わせることは出来ないため、欠席分は自宅学習で補いたいと告げる。
学校の教師も一家のことは心配していたようだ。
冬の間彼らは我が家で暮らすことになったと伝えると喜んでくれた。
二人の学力やそれに合わせた学習の方法を教えてもらえたので、授業に遅れずにすみそうだ。
近々一家を連れて来る約束をして私は学校を後にした。
次に私は市場に行き、日用品の補充と服屋でノア一家分の防寒具一式を購入した。
彼らは薄手の外套しか持っていないが、そんな格好では山に近い我が家ではすぐに凍えてしまう。
ミレイは色や綺麗なものに関心がある子なので、自分で好きな服を選ばせてやりたいが、それでは母親のキャシーが遠慮してしまうかもしれない。
今回は私が独断で一家の分を揃えることにした。
もろもろの買い物を済ませて、私はオリビアに乗り、家路につく。
時刻は昼まで一時間というところ。
下ごしらえはしてあるとはいえ、昼食に間に合わなくなってしまう。
私は道を急いだ。
道を走って五分もすると後ろから誰かがぴったりついてくる気配を感じた。
チラリと振り返ると同じく馬に乗った男が見える。
やだなぁ。
自信過剰かもしれないが、こっちの様子をうかがっている気がしたので、
「オリビア」
オリビアに合図を送り、私は馬を飛ばした。
オリビアは訓練を積んだ軍馬なので、農耕馬なら簡単に引き離せる……と思ったら、そいつもスピードを上げてきた。
「!」
私はさらにスピードを上げようとし、
「――主人! 楡の木荘の主人」
後ろから呼びかける声に馬を止めた。
私を『楡の木荘の主人』と呼ぶのは宿屋の客だろう。
そしてよく通るその男性の声には聞き覚えがある気がした。
「ああ、お客さんでしたか」
振り返ってみると、幾度か宿屋に泊まったことがある騎士だ。
名前を名乗らなかったので私は勝手に『黒髪男』と呼んでいる。
この辺りは特に宿泊台帳は求められていない。私が書いた覚え書きがあるだけだ。
確か一週間前にも彼は宿に来た。
その日はノア達一家が我が家で暮らすことになった日で、彼と彼の連れの茶髪男がノア達が住み込みで働くことになっていた砦についての交渉を請け負ってくれた。
「町に何か用事か?」
黒髪男が並んできたので私達は話しながら、馬をゆっくりと進めた。
「はい、所用が色々と。住人も増えましたので」
「ああ、例の一家と暮らすのだな。その後はどうだ? 上手くやれそうか?」
「二人ともいい子ですよ。母親の方は少し体調を崩しましたが今は元気です」
「そうか……」
「そういえばつい二、三日前にお連れ様に会いましたよ。砦に行く途中でわざわざお立ち寄りくださいました」
「ああ、デニスか、彼は妻帯者だ」
と唐突に黒髪男は訳が分からないことを言い出した。
「そうですか」
……まったくどうでもいいことを知ってしまった。
そんな会話をしているうちに家まで付き、厩でオリビアの鞍を下ろして、彼女のねぐらに連れて行こうとしたら、
「ぶるる」
天気がいいので牧草地に行きたいようだ。
「ちょっとだけだぞ」
と牧草地に連れ出すと、
「ひひん」
と黒髪男の馬も鳴く。
黒髪男の馬は騎士団でも滅多にお目にかかれない極上の牡馬だ。
全身黒いが額だけが白く、それが星の形をしている。
その馬は先ほどからオリビアを気になって仕方ないようだ。
オリビアは美人だが気が強く、嫌いな馬は、
「ブホホッ!《つ・い・て・く・る・な》」
みたいな鳴き方をして追い払うが、黒馬はそこまで嫌いではないらしい。
チラリと振り返って無言で牧草地を歩き出す。
「よろしければそちらの馬もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
黒髪男は「フォーセット、行っていいぞ」と牧草地に彼の馬を放した。
その後、私達は母屋に向かったが、客の黒髪男も一緒なので玄関から中に入る。
「リーディアさん、お帰……あっ」
我が家は入ってすぐの部屋が食堂になっている。
火の番をしていたノアがキッチンから出てきて出迎えてくれたんだが、彼は黒髪男を見て固まった。
「お客さんも一緒だよ」
促すとつっかえながらノアは頭を下げる。
「あ、い、いらっしゃいませ」
彼は幼い頃に父親を亡くしたらしい。
見知らぬ大人の男性を警戒するところがある。
黒髪男は大の大人でもたじろぐくらいの貫禄があり、目つきがきついのでなおさらだ。
ノアはそわそわと黒髪男をうかがい、
「あの、僕、キッチンにいてもいい?」
「いいよ、ありがとう」
そう言うとノアはさっといなくなってしまう。
「ここでいいか?」
黒髪男はまだ誰もいない食堂のテーブルの上にそっと荷物を置いた。
一応は遠慮したのだが、彼は「私が持つ」とほとんどの荷物を運んでくれたのだ。
ノアの態度に気を悪くした風ではなかったので私はホッとした。
「どうもありがとうございます」
「いや、これくらい。大したことではない」
まだ昼だが、一年で一番昼が短い冬至はもうすぐだ。
家の中が少し薄暗いので私はあわてて家のランプを付けた。
危なくない場所は油を使った普通のランプだが、高い所や食卓は大体光の魔石を利用している。
手をかざしてほんの少し力を込めると光がつく。
手が届くところは直接手をかざすが、高い所は指先から光を放ってちまちまと付けていく。
作業をしながら私は「やれやれ」と内心ため息をつく。
昔はこの何倍も広い場所のシャンデリアをいっぺんにババーッと付けたこともあったんだが、魔術回路をやられた今、そんな真似は出来ない。
ところで黒髪男は何しに来たのだろうか?
茶髪男を追って砦に向かう途中だろうかと考え、すぐに「否」と考え直す。
砦は流行病が既に蔓延している可能性がある。
黒髪男の側付の茶髪男がわざわざ離れたのは、黒髪男を感染させないためだ。
じゃあなんでここに来たのかますます分からなくなるが、何か別の用事だろうな。
「あの、ご用件は?」
本人に直接聞いてみると、黒髪男はどこか決まり悪そうに咳払いした。
「特に用事はないんだが、あれからどうしたか気になってきてつい来てしまったんだ」
「それはどうもありがとうございます」
行きがかり上、ノア達のことが気になったのだろう。
「この通り、皆元気にしてます。よろしければお食事を食べていってください」
「ああ、ありがとう。一泊したいんだが、部屋はあるか?」
「もちろんですよ、こちらです」
二階に上がり、黒髪男を客室に案内した後、私はついでにノア一家の部屋に寄った。
ノア達の部屋は私の部屋を越えた突き当たりの部屋だ。
廊下にドアがついており、それを開けないと中に入れない構造になっている。
二間ある少し広めの部屋でメインの部屋の真ん中に大きなベッドが一つ置かれていた。
さすがに一家三人でその一台では窮屈なので、ベッドを詰めて横に一人用のベッドを置き、今は二台で家族三人寝ている。
大きなベッドにはキャシーとミレイ、小さなベットはノア用だ。
元々はご老人の隠居部屋かなにかだったのだろう。
割に静かで音も漏れにくいので小さな子供と暮らすにはちょうどいい。
「はーい、あ、リーディアさん」
ノックするとミレイがドアを開けてくれて、キャシーは窓際に置かれた椅子に腰掛けていた。
「具合はどうですか?」
キャシーの具合は案外良さそうだ。顔色が明るい。
「ありがとうございます。もうすっかりいいんですよ」
とはいえ、まだ病み上がりなので部屋でゆっくりしてもらっている。
キャシーは針仕事をしていたようだ。
繕い物と彼女の趣味という刺繍をお願いしたのだが、既に出来上がったものが山と積まれている。
「あまり根を詰めないでくださいね」
思わず私は言った。
「あら、このくらい大丈夫ですよ」
とキャシーは笑うが、
「そうかなぁ? お母さんは無理をしがちだから、ミレイがしっかり見守ってね」
側にいたミレイに声を掛ける。
「うん、見てる」
ミレイは元気よく答えた。
詳細を話すと長くなるから、今はかいつまんで学校の先生と話をしたことだけ伝えた。
「二、三日のうちにみんなで町に行こう」
と言うと二人は喜んでくれた。
時間がないので私はすぐに一階に降りた。
さてと昼食の支度だ。
とはいえ、今日は忙しいのが分かっていたので仕込みは既に済ませてある。
メニューはブロッコリーとほうれん草とカボチャ、人参、キャベツの温野菜サラダ、キノコとベーコンのクリームパスタ、それにオニオングラタンスープ。
オニオングラタンスープは玉葱を薄切りにしてフライパンで飴色になるまで炒め、そこに鶏のフォンを注ぎ、塩コショウを入れて少し煮る。下ごしらえはここまで。
後はバケットパンを薄切りにしてオーブンで軽く焼き、小型のココットにスープを注いで、パケットを浸し、チーズを乗せてオーブンで十分ほど焼けば出来上がりだ。これはお客が来てからすればいい。
温野菜サラダは事前に全て火を通してあるからこちらも直前に十分ほどオーブンで焼くだけだ。
とりあえず、パスタの具のベーコンときのこを切ろう。
チリリンとドアベルが鳴り、誰か来たようだ。
「僕が出るよ」
「頼む」
接客はノアに頼んで、私は料理の続きだ。
キッチンと食堂は二間続きになっていて、耳を澄ますと声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ。あ、騎士様」
「あ、君かぁ、元気? リーディアさん、いる?」
私は火を止めて食堂に出た。
「はいはい、どなた?」
「あ、リーディアさん、こんにちは」
すっかり顔なじみになったゴーラン騎士団の若手騎士だ。
彼はノアとも顔見知りなのだ。
若手騎士はまだ若く、大人という感じがしないせいか、ノアも怖がらない。
「はい、こんにちは」
彼はスススっと近寄ると、内緒話をするように小声で告げる。
「例のもの、作ってもらえます?それとこの前もらった新作は両方とも欲しいんですけど」
「……アレ、まだ食べるんですか?」
例のものとはアイスキャンディだ。
この寒いのにまだアイス食べるのか?
若手騎士は満面の笑みで頷く。
「はい。なんか急に上から薪の追加支給が来たんです。それにいざって時はこれで部屋を暖めろって暖房用の火の魔石まで配られました」
「そうなんですか」
茶髪男が早速仕事を始めたようだ。
だが、若手騎士は言った。
「これで、冬中アイス食べられますよ!」
「……いや、それ駄目だと思いますよ」
上層部の心、部下知らず。
部屋を暖めたのは決して諸君らにアイスを食べさせるためではない。
「はい、俺らは大丈夫って言ったんですが、アイスはこれが最後になりました」
と若手騎士は悲しそうだった。
「だから食べ納めにアイスと、新しいヤツもすごい人気なんで出来たらたくさん下さい」
「たくさんというと?」
「あるだけください! 皆から集めてお金はちゃんと持ってきました」
「はい。じゃあ用意しますね」
「あ、俺は先触れで本隊が後から来ます。今日は少なくて全部で五名です。昼食をお願いします」
「じゃあ馬小屋は使います?」
「いえ、昼食を食べたらすぐに出立するので入り口の方の馬置き場を使わせてください」
馬置き場は我が家の軒先でとりあえず馬を繋いでおけるようになっている。
「はい、では飼い葉とお水は用意しておきます」
会話を聞いてノアが支度をしに部屋から出て行く。気がききすぎるくらいいい子だ。
「お願いします」






