19.再会
「申し訳ありません。呼び止めてしまって」
「いえ、私もお話できて楽しかったです」
「いやはや、そう言っていただけると有り難い! そうでした。先ほどの話は殿下には内緒でお願いいたします。知られると怒られてしまいますからね? 俺の妻に余計なことをするな、と」
「ふふっ、わかりました」
モーゲン大臣は丁寧にお辞儀を一回して、私の元から去っていく。
その後ろ姿を見つめる。
「……そんなこと言わないと思うけど」
大臣には聞こえない距離と声で、私は呟いた。
私たちの間に、一般的な恋愛感情はない。
愛はない。
私たちをつなげているのは……思いじゃない。
「戻りたい……かぁ」
聞かれるまで考えもしなかったことだ。
考えるまでもなく、戻りたいなんて微塵も思うはずがなかったから。
辛い思い出が脳裏に過る。
そんな場所から逃げ出すために、私は殿下の手を取った。
だけどもし、悪辣な環境が改善したら?
私はどう思うのだろう。
「……まっ、そんなことありえないけどね」
それこそ考える必要もないことだった。
今さら宮廷が変わるわけない。
それは確信している。
◇◇◇
その日は突然訪れた。
いつも通り、穏やかな時間を過ごす中で。
「姉上! 姉上にお客さんが来てるって!」
「私に?」
「そう言っていましたよ! お隣の国の貴族さんです。お名前は――」
レナちゃんから客人の名前を聞く。
「え……」
少しだけ予感はあった。
隣の国、私の故郷からの客人という時点で、嬉しくない相手だろうと。
それでも予想の上をいってた。
まさか、どうして?
疑問と共に動揺が走る。
「お姉様?」
「――あ、ありがとう。その方はどちらにいらっしゃるの?」
「応接室ってところだよ! 姉上を待ってるって!」
「もうすぐ執事さんが呼びにくると」
トントントン。
タイミングを合わせる様に、部屋の扉がノックされる。
レナちゃんが言った通り、私に客人が来たという知らせを使用人から受けた。
どうやら正規のルートで国を訪れたらしい。
王城まで来たということは、殿下の耳にも入っているはずだ。
殿下なら……。
会いたくなければ会わなくていい。
そう言ってくれそうな気がする。
けど私は、少しだけ興味があった。
二度と会うことはないと思っていた人物が、私にトラウマを残しかけた人が、いったい何をしに来たのか。
確かめたくなった。
だから私は、彼に会うことに決めた。
◇◇◇
応接室にたどり着く。
深呼吸を一回。
私は扉をノックして、部屋に入る。
「やぁ。久しぶりだね」
「……はい」
目と目が合う。
相変わらず、清々しいほど明るい雰囲気を感じる。
以前は好きだった。
大切に思っていた。
けど、裏切られた……。
「お久しぶりです。サレーリオ様」
「はっはっ、今の君に様付けで呼ばれるのはどうなのかと思うけど」
「それをおっしゃるなら、サレーリオ様もでしょう」
「そうだね。今や一国の妃になった方に向ける態度ではなかった。謹んでお詫びしよう」
空っぽの謝罪を受け取る。
本気で悪いとは思っていない目だ。
この人は昔から、何を考えているのかわからない時がある。
優しそうに見えて、瞳の奥では何を考えていたのか。
そのせいで私は気づけなかった。
彼が私を見放して、レイネシアさんの手を取っていたことにも。
「座ったらどうかな?」
「そうですね」
私たちは向かい合う。
元婚約者同士、国境を越えて。
こんな機会が訪れるとは夢にも思わなかった。
「どうしてこちらに? 私に会いに……というわけではありませんよね」
「ああ、こっちへ来たのは別件だよ。陛下の代理で訪れているから、待遇もそれなりにいい。おかげでこうして君とも話せる」
「……どういうおつもりですか?」
「どうというのは?」
「私とサレーリオ様の関係は、もう終わっています」
あの日、彼が裏切った瞬間。
私たちは他人になった。
それなのに……どうして、今さらそんな視線を向けるの?
婚約者だった頃のように。
信じていた頃の温かく優しい目をするの?
「フィリス、君に大切な話があるんだ」
彼は語り出す。
あの日、別れを告げた時と同じセリフで。
「戻ってくる気はないかい? 宮廷に」
「――!」
心が、身体がざわつく。
「なんの冗談ですか?」
「冗談のつもりはないよ。こっちも本気で言っている」
だとしたら理解不能だ。
彼だって見てきたはずだろう。
私が……。
「私が……戻りたいと思っていると思うのですか?」
「そうだね。かつての環境には戻りたくない、というのはわかっている。だから働く環境はこちらで改善しよう」
「改善?」
「僕の家は宮廷へ多額の寄付をしている。それ故に、僕には影響力がある。僕が動けば君への待遇は改善される」
彼は得意げに語る。
ラトラトス家が宮廷に寄付している件は知っていた。
だから彼も宮廷を自由に出入りしていたことも。
彼の提案には可能性がある。
決して不可能なことを言っているわけじゃない。
でも、だからこそ思う。
「どうして……今さらそんなことを言うんですか?」
それができたなら、なぜ今まで何もしなかったの?
私が大変な思いをしていることを、誰より身近で見てきたはずなのに。
「それについては申し訳ない。もっと早くこうするべきだったね」
「何を……」
本当に今さらだ。
「遅くなったけど、君の存在に僕たちは支えられていた。願わくば戻ってきてほしい。君だって、本当は望んでここへ来たわけじゃないだろう?」
「え、何を……」
「惚けなくていい。何か理由が……弱みでも握られたかな? そうでもなければ辻褄が合わない。君がこの国の王子と結婚するなんて」
彼は冷たい視線を向ける。
脅すように。
まさか私たちのやり取りを聞いていた?
それは考えられない。
あの場には私と殿下しかいなかった。
でも、疑われている。
私たちの関係を。
「こんな言い方したくはないけどね。今の君は、僕たちの国から逃げた裏切り者にされているんだよ」
「裏切り……者?」
そして語られる。
私がいなくなったあとの宮廷を。






