17.失って初めて気づくこと
当り前のようにあったもの。
いつでも手の届く距離にいた人ほど、いなくなったときに気付かされる。
自分の一部に、空間の一部になっていたことを。
ポカリと空いてしまった穴を見て、むなしさと共に後悔する。
「……なんなのよ」
秘書スレニアは苛立っていた。
理由はハッキリしている。
彼女の足取りはせわしなく、彼女の元へ向かっていた。
「レイネシアさん! 依頼したものが納品されていません! すでに期日を三日も過ぎているんですよ!」
ノックもなしに部屋に入る。
レイネシアがビクッと反応して、恐る恐る視線を合わせる。
「す、すみません。まだかかりそうで……」
「昨日も同じことをおっしゃっていましたよね? 期日通りに納品して頂かないと困るんです。宮廷で働く者としての責任を果たしてください」
「っ……」
だったらもっと仕事量を考えてほしい。
文句の一つも言いたいレイネシアだったが、ぐっと堪える。
言ったところで反論されるだけだ。
なぜなら滞りなく終わらせていた前例があるから。
フィリス・リールカーン。
彼女は現在のレイネシアが請け負う仕事の何倍もの量を、たった一人で熟していた。
付与術師と魔導具師、似て非なる職種故の差?
否、純粋に、彼女たちの間には大きく深い実力差があっただけだ。
それを痛感させられる。
同じ天才でも、格が違ったという事実を。
「まったく、こんなこともできないのに宮廷で働いているなんて、恥ずかしくはないんですか?」
「……」
言い返せない。
そんな彼女を庇うように、扉を開ける音と共に声が届く。
「それは君もなんじゃないか?」
「――なっ」
「サレーリオ様!」
サレーリオ・ラトラトス。
ラトラトス家の次期当主であり、現在はレイネシアの婚約者である。
彼は貴族の中でも地位が高く、宮廷への出入りが自由にできる数少ない人物でもあった。
「どういう意味でしょうか?」
「言葉通りだよ。作業が上手く進んでいないのは、君にも問題があると言っているんだ」
「お言葉ですが、私はしっかりと管理しております。適切な仕事量を分担し、滞りなく――」
「それは何を基準にしているのかな? そもそも、別職の作業をすでに仕事を持っているものに分散した時点で負担が増えることは明白だ。君がやるべきことは急かすことではなく、実現可能なスケジュールの再提案じゃないのかい?」
サレーリオが詰め寄る。
尤もらしい言葉を武器にして。
秘書である彼女の役割は、宮廷で働く者たち全員のスケジュール管理が主である。
その他にも素材や商品の発注、依頼の受領なども含まれる。
彼女が現場の状況を判断し、受けることが可能な依頼かを判断した上で、現場の者たちに仕事として提示される。
言い換えれば、彼女の判断が間違っていれば、現場は上手く回らない。
何よりスレニアは知っていたはずだ。
かつてここで付与術師をしていた彼女が、どれだけの仕事量をこなしていたか。
本来一人では難しい量の仕事を、彼女に与えていたのはスレニアなのだから。
宮廷を支えていた人物が消失したにも関わらず、今までと同じように仕事を回そうなどできるはずもなかった。
サレーリオは秘書スレニアの怠慢を指摘する。
「こ、この現場の管理は私に一任されています。部外者であるあなたに言われる筋合いはありません」
「部外者ではないよ。ラトラトス家は代々、宮廷で働く者たちの資金を援助している。この意味がわかるかい?」
「そ、それは……」
「さっきの発言は聞かなかったことにしてあげよう。君は今一度、現場の声をしっかり聞くといい」
スレニアは何も言い返せず、黙ったまま部屋を出て行く。
静かになった部屋でサレーリオはため息をこぼす。
「ありがとうございます、サレーリオ様」
「レイネシア」
「サレーリオ様がおっしゃった通り、あの人にも問題――」
「君も君だよ、レイネシア」
「え……」
空気が再び重たくなる。
冷たい視線と、冷え切った声がサレーリオから発せられる。
「立場上庇いはしたけど、君の仕事が遅いのも事実だろう?」
「そ、それは……仕事量があまりにも」
「フィリスはこれを一人でやっていたそうじゃないか。一度も納期を過ぎたことはない。ギリギリというのも……今となっては優秀だったのだと再確認させられたよ」
「っ……サレーリオ様……」
レイネシアはフィリスが気に入らなかった。
自分よりも注目される彼女が目障りだった。
だからこそ邪魔をした。
サレーリオを奪ったのも、彼女を貶めるためでしかない。
彼女は別に、サレーリオを愛していない。
しかし彼女は誤解していた。
サレーリオは自分に惚れたから、フィリスを見限ったのだと。
違った。
「まったく、これじゃフィリスの時と変わらない。選択を間違えたかな」
打算で動いていたのは、レイネシアだけではなかった。
最初からサレーリオも彼女を愛してなどいない。
どちらがマシか。
二択でレイネシアを選んだだけにすぎなかった。
そこに、愛はない。
彼が真に求めているのは最愛の人にあらず。
自身のために動く手足。
有能な部下であり、自身を引き立てる力を持つ者。
もっと簡単に表すなら……。
都合のいい奴隷のような人だった。
「……早めに手を打とうか」
彼が見据える先は遥か彼方。
異国の地に嫁いだ元婚約者の顔。






