29 : コンティニューの裏側 - 01 -
冬休みに入り、クリスマスソングが流れ、年の瀬を過ごし、年が明けた。その間、あれほど入り浸っていた稜は、一度たりとも東崎家を訪れなかった。もちろん、逆もまたしかりである。
「最近稜君来ないわねえ」
我慢しきれなかったのか、母がつばめにそう言った。
「うーん」
「喧嘩したの? さっさと仲直りしなさいよ。あんないい子、そうそういないわよ」
「うーーん」
つばめは腕を組んで、頭を捻り続けた。
***
「私、勘違いしてたかも」
席に座ったつばめは、乃愛にそう言った。
新学期が始まって一週間も経つと、そう結論づけるしかなかった。
あれからぴったりと、音沙汰がない。
つばめだけが勝手に心を揺さぶられて、夢見て、期待して――何も欲していなかった稜に与えようとした。
そして、稜からも奪い取ろうとした。
稜からのアクションを待っていたが、これはきっと、そういうことではないのだ。つばめはもう、切られたのだ。ゲーム仲間はもとより――師匠としてさえ、稜から必要とされなくなってしまった。
「はーん? あんのクソガキ。舐めくさりおって」
片膝を椅子の上に乗せた乃愛が、怒りも露わにそう言う。
「私が悪い。稜君はただ、ゲーム友達だと思ってただけなのに勘違いして……痛すぎる……」
最後の方は声に出すことも出来なかった。両手で顔を覆い、項垂れる。
つばめは勝手に、自分と稜は同じ気持ちを抱えていると思ってしまっていた。
それが何故かは、わからない。あえて理由を挙げるなら、触れる指先の痺れや、交わる熱い視線や、垣間見る独占欲のせいなのかもしれない。
でもそのどれもが、今思えば決定打に欠けていた。
抱き寄せられたこともない。
キスをされたこともない。
盲目になっていたつばめが、勝手に期待して、勝手に空回った。ただ、それだけなのだ。
「どうする? 気分転換する? うちのお姉ちゃんが、彼氏の友達に会わせてくれるって言ってるけど」
「何それ? 合コンってやつ?」
「ていうより、紹介?」
行く? と乃愛に聞かれ、つばめは口を噤んだ。行くつもりは毛頭無いが、つばめがそこに行っても、もう腹を立てたような顔でプリプリと怒り始める稜はいないのだという現実が、ただただ胸を苦しくした。
「エッ!」
だが、そんなつばめと乃愛の会話に一番反応したのは、彼女達ではなかった。
「どうしたの? 柏野君」
つばめは驚いて横を見た。不自然に通り過ぎようとしている柏野が、奇妙なポーズで止まっている。どうやら、つばめと乃愛の会話を盗み聞きしていたようだ。
「何、柏野君。立候補する?」
乃愛が携帯電話をぶらぶらと揺らしながら、垂れた目で柏野を見上げた。
「いや、そうじゃなくて――出来ればもう少しだけ待ってあげてほし――」
「え?」
「……あ」
柏野は、手を口でパッと覆った。
乃愛とつばめは顔を見合わせる。
「……え、まさか。何か知ってる?」
稜は柏野を敵視していた。そんな柏野が知っていて、つばめが知らないことなどあるはずがない。
そう思いはしたものの、つばめは平静を装って尋ねた。実際は、心臓がうるさいほどにバクバクとしていた。
「……その。坂ノ上君に頼まれて……ちょっと今スポラを……教えてて……」
つばめは息を止めた。
――つばめは正真正銘の、お払い箱になっていたのだ。
柏野がSランクになったことは、稜に伝えていた。どちらもSランクなら、自分に告白してきた興味のない女子よりも、同じ男子の――きっとつばめよりもずっと優しく教えてくれる柏野の方がよかったに違いない。
(そこだけは、違うと、思ってたのに)
そこだけは――他の女子よりも――いいや、他の誰よりも、稜に求められていると、思っていたのに。
つばめはまた、勝手に勘違いしていたのだ。
あまりのショックに、つばめは机に両肘をついて俯いた。だらだらと、顔が溶けそうなほどに冷や汗を流す。
「あ、いや……そういうことじゃなくって――!」
「つばめセンパーイ!」
慌てる柏野の声に被さるように、教室の入り口から明るい声がした。顔を上げてそちらを見ると、一冴と史弥だった。他の二年に不愉快そうに見られていても気にならないくらいひたむきに、つばめを見ている。
「つばめ先輩! ヤバいって! マジちょっと、りょーちん止めて!」
「……止め、て?」
「りょーちんがっ、倒れちゃったっ!」
一冴と史弥の言葉に、つばめは目を見開いた。
***
「……何してるの……」
保健室のカーテンを開けて、つばめは呆れた顔で稜を見た。稜は足音で気付いていたのか、つばめから背を向け、顔を隠している。
「もうちょっと待って……」
「何を……?」
「あと一日でSになるから……」
「…………………………………………はあ?」
腹の底から、声が出た。
一冴達が来てすぐに授業が始まってしまったため、つばめは死ぬほどそわそわしながら授業を受けていた。ようやく授業を終えるチャイムが鳴った瞬間「先生、漏れるので失礼します!」といつになくハキハキと声を出し、恥を忍んで教室を飛び出して来たのだ。
――というのに、保健室について養護教諭に告げられた彼の病状は、寝不足。
更には今の言い分では、Sランクになるために、無理にゲームを続けていたようである。
「……君は、何を考えてるの?」
「……つばめが言ったのと、同じことだろ」
「……同じって?」
「……それは、だから……未来……」
「うん?」
ごにょごにょと聞き取れないほど小さな声を、稜は布団の中にこぼす。
「だから――! 同じランクにすらなってないのに、言えるかよ!」
つばめは彼の思考回路が心底理解出来ず、首を捻った。
「え? 馬鹿なの?」
「は?!」
「ごめん。驚きすぎて、本音が出た」
「はあ?!」
稜が勢いよくこちらを見た。カーテンの向こうから、「保健室では静かに!」と養護教諭の叱責が聞こえる。
つばめはベッド脇に置かれていた椅子を引き出して、稜の隣に座った。そして小声で話し始める。
「スポラと私達は、関係なくない?」
「関係なくない」
稜がむすっとして返事をする。その目の下には、濃いくまが広がっていた。人相まで変わってしまっている。きっと、一日二日で出来たものでは無いのだろう。
「俺は……つばめより年下だし、性格悪いし、態度も悪いし、口も悪い」
「わかってんじゃん」
つばめが感心すると、稜は額に青筋を浮かべる。
続けて、とつばめが手のひらを見せると、稜はぐしゃぐしゃと頭を掻いて、うなじに手を当てた。
「――せめて一個ぐらい同じ土俵に立ってなきゃ、あんたの王子様になんてなれないだろ」
つばめは目を見開いた。
つばめにとっては、稜こそが、つばめよりも上の土俵に立っている存在だった。
けれど稜も同じように――つばめを見上げていたのだ。
「……………………はあ」
つばめは大きなため息をついた。
びくりと大きく、稜の肩が揺れる。
「稜君が、私が思ってるよりもちゃんと馬鹿だってことがわかった」
「……はあ!?」
「静かに! 騒ぐなら放り出すよ!」
養護教諭の声を聞き、つばめは口元に指先を当てた。稜も慌てて口を噤む。
「……美沙ママに連絡取れる?」
「……なんで」
訝しみながらも、稜はズボンのポケットに手を突っ込んだ。そこに携帯電話があるのだろう。
つばめは稜の目を真っ直ぐに見つめて、小声であっても一語一句聞き逃させないよう、しっかりと言った。
「今日、泊まりに行く」







