12 : 圧倒的なフルコンボ - 01 -
「坂ノ上君が好きです!」
教室の前の廊下で、女生徒が勢いよく頭を下げる。
「だから――あのっ、勝負してください!」
つばめは冷や汗を垂らして、目の前の下級生を見た。
――こんなことになるとは、一週間前のつばめは、想像さえもしていなかった。
***
「すごいね。何人目?」
つばめが教室に戻ると、席まで遊びに来ていた乃愛が垂れた目を楽しげに輝かせている。つばめは乃愛を追い出して、自分の席に座った。
「わかんない……」
数えるのも嫌になるほど、こう言った手合いが増えた。
事の発端は、言うまでも無く先日の一軍女子による連行事件である。
彼女達とは何故か良好な関係を築けているが、その様子を見ていた他の女生徒達が、つばめに勝負を挑むようになってきたのだ。目が合えばバトルなんて、ポケットの中のモンスターのような学校である。
その度に、「本人に言ってください」と断っているのだが、目の前で泣かれると忍びなくて堪らない。だからと言って、本当につばめと勝負して勝ったからと言って、彼女達が求める「稜の恋人」という立場が手に入るわけでもない。
「まだ引っ付かれてんの?」
乃愛には夏休みの間に、既に稜のことを伝えていた。
「スポラ教えてほしいんだって」とつばめが言うと、乃愛は「あー? あー。ああ~」と頷いた。
彼女はスポラトゥーンをしているつばめの傍にいると、五秒で寝てしまう筆頭である。
「そーなの。モテモテで。最近二人増えたんだよ。弟子」
「マジかよ晒すぞ」
「怖すぎるわ」
さすがにこれ以上、稜の女性絡みで面倒を被りたくない。
乃愛が、つばめの座った椅子の端に腰掛ける。乃愛は狭くても、全く気にならないらしい。
「そんだけ一緒にいて、好きになったりしないわけ?」
「しないねえ」
携帯でスポラトゥーンのアプリを開き、自分の成績表を表示しながらつばめは即答した。
『……びっくりした。付き合ってくれ、って。告白されたのかと思った……』
『はあ? あり得なさすぎて笑うんですけど』
――本当は。
あの時、多分ちょっとだけ、舞い上がっていた。
男の子とは縁の無い人生だった。兄の影響で始めたゲームのおかげで、ネット上では男友達が出来ていたとしても、現実では、業務連絡をする程度の仲しかいない。
そんなつばめに、学校で一番有名な男子が声をかけてきたのだ。
それも、付き合ってくれ、などと言って。
胸を高鳴らせるな、という方が無理である。
しかし、ミーハー気分だったつばめの胸は、彼の一言で綺麗さっぱりすっかりしっかりと、萎んでしまった。
後で誤解だとわかれど、あまりにも冷静に浮かれた頭を叩かれて、びっくりして、そしてすとんと胸に落ちてしまった。
それは、もしかしたら芽吹くかもしれなかった、恋の種みたいなものだったのかもしれない。残念ながら、その上に何かが覆い被さってしまったため、今ではもう姿形すら見ることは出来ない。
「現実を思い知らされて、頭冷えたって言うか」
「かーらーのー?」
澄ました顔で言い切ったつばめを、乃愛が覗き込む。
つばめは携帯を構えたまま固まり、はあとため息をついた。
「……からの」
「うん」
「――……とは言えさ」
「うんうん」
乃愛がにこにこと笑みを深める。なんだか悔しいが、全てを見透かしてるような乃愛に、つばめも思わず素直になってしまう。
「好きになるのなんて、なんて言うか、多分。フックの数じゃん」
観念したつばめが話し始めると、乃愛は楽しそうに頷く。
「私普通に、男子に消しゴム取ってもらうだけでドキッとしちゃうんだけど」
「ちょろ」
「イケメンってさ、その動作の間に顔と消しゴムで二度ドキッとさせるじゃん?」
「言わんとしてることはわかる」
「回数が多くて、割と早めにコンボ決まりそうな予感がする……」
つばめはすまし顔でため息をついた。構えた携帯は既に画面が暗くなっている。冷静を装うために開いたものの、全く画面など見ていなかった。
つばめは男子にも恋にも、免疫が無い。
女子とばかり遊んでいたし、真剣になるものはゲームしかなかった。
だから、稜が意図していないような何気ない仕草や言動で、心臓をがしっと掴まれ、ブンブンと振り回されているような気分になる。
年上として、師匠として、平静を保つのでやっとだ。
『――先輩は? どんな彼氏がいいの?』
そう聞かれた時、咄嗟に思いつく限り、彼と正反対の特徴を羅列してしまうほどに、つばめには余裕が無かった。
「その理屈で言えば、顔見なきゃいんじゃない?」
そう言う乃愛に、つばめは顔をしかめた。
「あの子、パーソナルスペース極狭なんだよね……」
「顔面兵器の自覚無いんか」
「ありそうなんだけどなあ……?」
「つばめが移動するとか?」
「swotch置く位置と、稜君の画面見る位置を考えると……今がベストなんだよね」
「今どうやって座ってるの?」
「こことここに座ってる」
机の上に置いてあった消しゴムと筆箱で稜の部屋を再現する。
稜はベッドに模した筆箱の上、つばめはそのすぐ隣に並行に置いた、テーブルに見立てた消しゴムとの隙間である。
「うわ、彼氏かよ」
「ねえ?」
「つばめがベッドに行けば?」
「ベッドには他の男の子もいるから」
「あー」
八方ふさがりである。
その時丁度チャイムが鳴って、乃愛が自分の席に戻る。手を振って別れると、すぐにつばめの携帯が震えた。
【乃愛:てかさ、好きになったら駄目なん?】
送られてきた文章を読んだつばめは、すぐに携帯を引き出しの中に仕舞い、前を向く。教師が教室に入ってきたのだ。
――好きになったら駄目なん?
きっと、駄目ではない。つばめがその結果、傷つく未来を覚悟し、真に隠し通せるなら。
けれど出来れば、傷つきたくない。そして、彼相手に隠し通せるとも、思えない。
だから、好きにはなりたくないのだ。
彼が望んでいるのは、「スポラトゥーンの上手な師匠」なのだから。
***
「今日から歩いて行く」
その日の放課後、集合場所であるコンビニでつばめがそう言うと、稜はぽかんとした後、面倒臭そうにため息をついた。
「今度はなんすか」
なんだかいつも、つばめが駄々をこねているかのような言い方をする。
理由はいくらでも言えた。やっぱり先生に見つかるとやばいから。交通ルールは守らないといけないから。誰かに見られたら噂になるから。女子に敵視されたく無いから――けれど、そのどれもが、決定打に欠けた。これまでも、同じ条件下で散々二人乗りをしていたからだ。
本当の理由は――出来る限り、接触を防ぎたいからであった。
二人乗りなんていう、いわば「特別」な行為を許されているという、一種の優越感に浸るのは、危ない気がした。
その「特別」は一歩間違えれば、種の上に覆い被さった何かを、吹き飛ばしてしまいそうになる。
つばめは目を閉じて眉根を寄せた。難しい問題を解く受験生のように真剣な顔をして、言い訳を考える。
「……スカートが」
「は?」
「二人乗りしてた時、スカート捲れてたって、教えてもらっちゃって」
「は……は!?」
こういう話題なら男子は突っ込めないだろうという予測通り、彼は顔を赤くした。
しかしすぐに、眉をつり上げる。
「……てことは、誰かに見られたってこと?」
「まあ、そう言うことに」
適当な嘘だったため、つばめは気まずくなって視線を逸らした。
「は? 誰? 男?」
稜が冷ややかな顔をする。
勿論、スカートが捲れていたなんて架空の情報だ。つばめが苦し紛れについた嘘のために、誰かをリークするわけにもいかない。つばめは曖昧に答える。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」
「はあ?!」
稜は半ギレ状態だ。何をそんなに怒っているのだろうか。
もしかしたら、二人乗りを目撃した生徒経由で先生にバレるのを怖がっているのかもしれない。
「大丈夫。話はつけてきた」
稜を安心させるために神妙な顔で頷くも、稜は全く納得していない様子だった。
「とにかく。歩くから」
つばめが断固として言うと、稜は渋々ながらも、自転車から降りる。
「え? 稜君は乗ってっていいよ?」
「はあ!?」
「もう道、わかるし」
つばめが言うと、稜はぱくぱくと口を開閉した後、無言で自転車を押して進んだ。歩く姿から、怒りが立ち込めている。つばめは慌てて、彼の後を追いかけた。







