第六十一話:ヒコネとイツカ
石扉の向こうは、うってかわって灼熱の空間だった。入った瞬間に全身の汗孔が開き、汗が吹き出る。
そしてさらに熱いであろう炉の近くで、金床に鎚を打ち付けている鬼がいた。筋骨隆々としており、膝立ちをしているのに、イツカよりも大きな体格をしているのがすぐに分かった。
イツカがずんずんと歩く度にずり落ちそうになる。何かに捕まりたかったけれど、目の前にあるのは黒い二本の角と、艶やかな黒髪、赤い耳━━掴む訳にもいかず、腹に力を入れてこらえるしかなかった。
「祖父ちゃん、お客さんー!」
呼ばれた老鬼は、おもむろに顔を上げる。イツカの肌を暗くしたような赤肌だ。目付きは鋭く、眉間には深い皺が刻まれていた。少しだけへの字に曲がった口からは大きく発達した犬歯が覗き、顔をぐるりと取り囲んだ白髪は獅子のたてがみのようだった。
彼は僕たちをじっと見据える。しかし、一言も発することはなかった。
先ほど吹き出た汗とは、また異なる汗が脇を濡らす。単純に怖い。思わず角を握りしめそうになるのを必死で抑える。
「そう言わずにさー、ほら」
彼女が放った鉱石を受け取ると、大きな目がさらに見開かれる。
「どこでって、異形を倒して手に入れたらしいよ」
イツカが僕の首根っこを掴んで猫のように持ち上げると、老鬼の眼前に突き出す。
「ほら、この子たちが勇者なんだって」
「あはは……ど、どうも」
鼻息がかかりそうな距離に近づき、緊張感が増す。顎髭の三つ編みも見た目の重圧感を緩和するには至らなかった。
「……」
「えっ?」
ここまで近くに来てやっと分かった。
「そうらしいよ。伝承通りで、魔力が桁違いなんだって。ねぇツキヨミ様」
ずっと黙っているのかと思ったら、この人は喋っているんだ。だけど声が小さすぎて聞こえないんだ。僕は拡声器のアクセラを老鬼の首にかける。
「な゛んじゃ、こ゛れは」
ひどく掠れているけど、ようやく聞き取れる大きさになった。
「良かった。怒っている訳じゃなかったんですね」
「ん? あぁ、ヒコ坊は昔からこうなんじゃ」
「やっぱり彼がヒコ坊なんだね、まさかとは思っていたけど」
まるで頑固爺さんを体現したかのような鬼人が、アマツ・ヒコネ。鍛冶屋“アマツ”の現当主で、凄腕の鍛冶職人だ。ただ無口な訳ではなく、昔の事故で声がうまく出せなくなったらしい。齢五百を超えるツキヨミ様にとっては、“ヒコ坊”なのかもしれないけれど、僕たちには“ヒコ爺”の方がしっくりくる。
そして大柄で人懐こい女性が、アマツ・イツカ。ヒコネの孫であり、弟子でもある。
今回の山籠りはイツカの修行、ひいては免許皆伝が目的だそうだ。
「さっきの声、よく聞き取れたね」
「ん? あぁ、聞き取っちゃいないよ。何となく分かるの」
イツカは何でもないという顔で答える。それはそれで特殊な能力じゃないだろうか。普段一緒に過ごすと分かるようになるらしい。
「ア゛ダマンタ゛イトがどういう鉱石か、知゛っとるのか゛」
「方向によって持っていることしか、尋常ならざる強靭性と魔法耐性を」
「一゛般的にはそれで正゛解じゃな」
ヒコネは受け取った鉱石を炉でくべる。とても大きな炉で、外から見えていた石のドームはほとんど炉で占められていたようだ。
「こ゛の火はフジから沸き上がる火゛の魔素を利用しておる」
「溶岩か、なるほど!」
「普段は加工が困難な鉱石を加工できるようになるのよ。でもアダマンタイトはそれだけじゃ足りない」
しばらくして鉱石を取り出す。火の魔素を取り込んだそれは、明るさを増し━━赤珊瑚のように見えた。ヒコネは間を置かずに金槌で強く打ち付ける。並の鎧であれば砕け散るほどの衝撃に思えたけど、やはりアダマンタイトはびくともしなかった。
しかし、ヒコネがもう一度強かに打ち付けると━━
「なっ!?」
あれほど破壊に苦労したアダマンタイトが、綺麗に割れてしまった。気づけばいつもの深紅に戻っている。
「驚゛いたか。こ゛れがアダマンタ゛イトの特徴よ゛」
アダマンタイトは無比の防御力を誇る鉱石だ。しかし衝撃を与え、それが収まると、一瞬だけ流動的になるタイミングがある。その機能により受けた衝撃を逃がしているようだ。
その瞬間を利用することで、先のように砕いたり、伸ばしたり加工することができるようになる。
「まるで生きているみたいだ……」
「こ゛れを知っておるのは、ごく少゛数じゃ。ま゛してや武具を製゛造できるとなれば━━」
完璧なタイミングで思い通りの加工をするのに、人智を超えた腕が必要であることは容易に想像できた。
しかもそれを熱を持っているうちにこなさなくてはならない。一体どれだけの時間を要するんだろう。
「必゛要なものは?」
「槍と短剣を、私と友人の使う」
「た゛ったそれだけか゛?」
ヒコネはルーイをじろりと観察する。
「お゛主、鎧は? 素材は白゛銀か?」
この家に着いてから鎧を脱いでしまっていたルーイは驚いた顔をする。
「肩゛と腕に痕が残゛っとる。後゛は臭いじゃ」
ルーイの身体を見ても、そんな痕が残っているようには見えなかった。イツカの顔を見ると、呆れた顔をされた。誰でも当たり前に気づく訳ではないらしい。
「イ゛ツカや、儂は鎧の作゛製に取りかかる」
そういうと、鉱石の一部をイツカに投げて寄越した。
「お゛前は武器を作れ。そ゛れで免許皆伝じゃ」
イツカはにぃっと笑う。ヒコネほどではないが━━大きく発達した犬歯が露出する。だけど目は笑っていない。期待や高揚がごちゃ混ぜになった真剣な炎の色が宿っていた。




