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31.セクハラ事案と水泳教室

 さあ泳ぎましょうと、みなさんを連れて波打ち際へ歩む私だったが、魔法でどうやって泳ぎをサポートするかは決めていなかった。

 せっかくの透き通る一面の海なのだ、まずはその中へ身を投じて、その身で水の冷たさや泳ぐ心地よさを感じたかった。

 であれば、服を水着仕様にチェンジして、泥臭く泳ぎのレッスンをするしかあるまい。

「この辺りで、腰から肩くらいまでの深さの場所ってありませんか? できれば、尖った石のあまりない場所で」

「それやったらあの入り江はどうやろか。案内するわ」


 ポポさんに案内してもらい、私たちは少し離れた場所へ移動する。

 大きめの岩の並ぶあたり、そこは泳ぎの練習をするのにはちょうど良い、十メートル四方ほどの水たまり場があった。

 なんらかの理由で窪んでしまった場所へ、海側から水が流れ込み、冠水している。

 窪みの周囲は岩がゴロゴロとしており、これで海水でなく温水であったなら、海辺の天然露天風呂のような景観だ。

「ポポさん! バッチリです! ここで練習しましょう」

 私は、借り物の羽織と帽子を岩の陰に置くと、ルンルンでその中へ入っていった。

「ヨウ!」

 ザク君の焦った声が聞こえるが、一旦無視だ。

 外から見るよりは深いだろうが、透き通る水面からは、底がしっかり見えている。

 水面から出ている岩の形からも、私が足をつけてちょうど顔が水面から出る程度の深さだろう。

 一度、 ドプンとしゃがみ込むように頭まで浸かり、足元に危険がないか確かめる。

 特に問題なさそうなので、プハッと水面から顔を出す。

「問題なさそうです。ここで泳ぎの練習をしましょう」

 やや青褪めるような顔で、心配げにこちらを見ている面々へ、笑顔を向け、「こーんな感じです」と言って、その天然プールを縁取るように泳いでみせた。

 十メートル四方なのでたいした距離でもない。

 スイ、スイーと一周して戻れば、みんなポカンとしていた。

 息継ぎの間に口に入ってしまった海水は、やはりしょっぱくて、プールよりも強く感じる浮力は泳ぎやすくて心地よい。

 魔法で水着仕様にした服もいい感じだ。

 水の抵抗を減らしつつも、水の感覚は残したかったので、まんま服を水着の素材に変える想像で魔法を使ってみた。

 みなさんの服も同じようにしようと思い、やはり呆然としている彼らのもとへ一度戻ろうと水から上がろうとしたときだった。


「ッヨウ! 出てくるな!」

 ケビンさんの、彼にしてはかなり珍しい大声だった。

 焦ったようなその声にびっくりし、「ふぁい!」とおかしな返事をして、中途半端な体勢のまま止まる。

「ヨウちゃん引っ込んで! お願いだから引っ込んで!」

「ブッチ! サンダンス! あっち向きい! キースもなに(わろ)てんねん」

 ロキさんは、両手でガバリと自分の顔を抑えてその場にしゃがみ下を向いてしまった。

 ポポさんは、ザク君へ手で目隠しをして、ブッチ&サンダンス君を反対の手で体ごと後ろ向かせようとしている。

 その勢いはまたもや何か怒っているようだ。

 ブッチ&サンダンス君は、ポポさんたちの後方で、こちらを凝視するように目と口を見開き見てきていたが、ポポさんに強引に振り返らされている。

 それでも顔だけでもこちらに向けようとしているのはなぜなのか。

 なぜか怒られたキースさんのほうを見れば、ニコニコニコニコと、笑顔がいつもの五割増だ。

 彼も、ブッチ&サンダンス君を後ろに向かし終えたポポさんによって、マネキンのように後ろにひっくり返された。

 笑顔のままで。

 なんなんだ。

 水に肩まで浸かったまま、そのやり取りを見ていた私へ、ケビンさんから声がかけられた。

「ヨウ。女性として、もう少し慎みを持ってくれ」

 今度は、普通の声量だ。

 ケビンさんを見ると、彼は私とは九十度角度を変えた海の方向へ体ごと向いている。

 まっすぐ海を見つめる彼は、腕組みをしていて、まるで海の監視員のライフガードのような瞳を私ではなく海に向けている。

「ヨウ、分かるな」

「?」

「分かるな」

 なおも彼は、あらぬ方向へ私の名前を呼びかけ、話している。

「何がでしょうか」

「ヨウちゃん〜」

 弱ったという声を出したのはロキさんだ。

 ロキさんは、しゃがんで両手で顔面を押さえたままだ。

「俺ら、男。ヨウちゃん、女の子」

 ロキさんは、ラップ初心者のように単語を区切りながら並べている。

「水、濡れる。服、透ける。……勘弁して」

 そして私は、自分の姿を確認し、納得した。

 ラッキースケベ起こしてしもてるわこれ。


 + + +


 いやもう、急いで全身を乾かした私は、帽子を被り、羽織も必要以上に体に巻きつけてみなさんに平謝りした。

 誠に申し訳ありませんでした。

 だいたい、ラッキースケベは受け取り手が思うことであって、こんな押し付けがましいラッキースケベはただのセクハラである。


「すみませんでした!」

 私が頭を下げれば、

「「ありがとうございました!」」

 目の前に二人並んだブッチ&サンダンス君がガバリと腰を折る。

「いや、そうじゃなくて、見苦しいものをお見せしまして申し訳ありません」

 また私がペコリと頭を下げれば、

「「ありがとうございました!」」

 再びブッチ&サンダンス君が頭を下げる。


 先程から、私が頭を下げる度に、ブッチ&サンダンス君が呼応するように大声で礼を述べ頭を下げるものだから、話が進まない。

 こだまでしょうか? いいえ。

 礼儀正しい野球部員よろしく、並んで頭を下げ返してくる彼らは、何度ケビンさんたちに後列へ下げられても前に出てくる。

 私はとにかく謝罪したいが、いつになったら、この高校野球の試合開始前の挨拶がエンドレスで続いているみたいな状況を脱せるんだろうか。

「ヨウ、もういい。謝らないでいい」

 ため息を吐いたケビンさんが、ついに割り込んできた。

「そうです! 謝らなくていいです! 助かります! ってえ!? ロキなにするんだ」

「もうお前ら黙れって!」

 ケビンさんの声に同意し、またもやハキハキと礼を言ったブッチ君は、ついにロキさんにげんこつを落とされた。

 話が進まないため、実力行使だ。

「ヨウさん、初めにきちんとお話しておけば良かったんですが──」

 兄ズを代表して話をしてくれたキースさんによると、私の現代日本の感覚は、どうやらこの異世界ではかなりずれているらしいことがわかった。

 特に、女性の貞操観念的な意味合いで。

 この国で、働き始める十二歳になると、女性は肌の露出を控えるらしい。

 特に腕と足は、手首足首まではあまり人目につかないように布などで覆うことが一般的だとか。

 確かに、あらあらウフフのお姉さんことミレーヌさんは長袖にロングスカートを履いていたし、冒険者組合長のニルヴァさんも燕尾服のような長袖長ズボンだったことを思い出す。

 季節柄もあるだろうが、この世界では通年で、女性は着丈の短いものだけで出歩くことはしないらしい。

「じゃあ、私が袖や裾を捲くっていたのは……」

 私は、こわごわながら聞く。

 やっちまった感、満載である。

「はい。なかなか刺激的で、良いものを見させていただきました」

 キースさん、ニコニコ言うことかなそれ。

 ほら、適当なこと言うから、ポポさんに後ろ頭はたかれてる。

「羽織をお貸しするときに、きちんと説明すべきでしたね」

 そしてキースさんは、夏場の女性は、短い袖の服の上に長い着丈の薄手の羽織を着たりするのが一般的だと教えてくれた。

「だいたい」

 そこでやっと口を開いたのはケビンさんだ。

 怒っているというよりも、説教モードな気がする。

 眉間のシワが余計、雷親父感を漂わせている。

 バッカモーンされてしまう。

 もう私は小動物のようにぷるぷる震え、お叱りを受け止めるしかない。

「水に濡れ、服が肌に張り付いた状態で出てくるなど……」

 そこまで言って、腕組み仁王立ちだったケビンさんは黙った。

「?」

 見ていると、彼は体育祭の”右向け右”を思わせるキビキビとした足運びで、またもや私から九十度体の向きを変えた。

「あの格好で我々の前に出てくるなど、淑女としての恥じらいが足りん。もっと自分の体を大切にしてだな──」

 完全にまたライフガードの視線を海に向けお説教は続いた。

 ケビンさん、照れている……のか? わからん。

  ケビンさんの話は長かったが、私は反省し、甘んじて最後まで聞いた。

 ケビンさんのその姿や話しぶりは、雷親父というよりは、年頃に情操教育を語って聞かせてきた母を思い起こさせた。

 ごめんよ、ケビン母さん、慎みの足りない娘で。

 しかし、言い訳もさせてほしい。

 現代日本の水着姿に競べれば、ずっとマシな格好だったんだ。

 長袖長ズボンを折り返して捲った服は、魔法をかけてあったこともあってしっかりした生地になっていた。

 体のおおよそのラインには沿っていたかもしれないが、しっとりみっちりしても体が透けたり、はっきり線が出てはいなかったんだ。

 いや、言い訳ですね、ごめんなさい。


 そして、やっと説教からも開放され、泳ぎの話になった。

 ザク君は、私が泳ぎ始めたあたりで目隠しされたらしく、ダメージは少なそうだ。

 だいたい、まだ小さいので女性の大胆な格好も平気なのかもしれないが。

「俺たちはそれでやってみてもいいが、ヨウは別の方法を取れ」

「ふぁい」

「ヨウ、魔法で濡れんようにするくらいできるやろ?」

「ふぁい」

「ヨウちゃん、いじわるで言ってるんじゃないからね」

「ふぁい」

 ケビンさん、ポポさん、ロキさんに言われ、私は壊れたように肯定を返す。

 ひとまず、彼らへの泳ぎ指導は、彼らの服は水着仕様に、私の体は濡れないようにした状態で行うことに決まった。

 水泳教室のように、手取り足取りの指導を申し出ようとしたら、ザク君を筆頭に猛反対されてしまったため、私は天然プールの外から身振りと言葉での指導だ。

 泳ぎに忌避感を持っていたブッチ君に、今回は見学にするかと聞いたら、「泳ぎが素晴らしいものだと分かったので参加します!」と鼻息荒く返事してくれた。

 青少年の教育に、いらぬ方向性を持たせてしまったかもしれない……。


 体感で一時間ほど。

 言葉と身振りのみでの指導だったが、みなさん驚くほど順調に泳げるようになっていった。

 初め、イメージだけでもと海の水と人体の浮力の説明をざっくりしている最中、思いついたのだ。

 泳ぎにも魔法が十分応用できることを。

 この世界では、イメージさえできれば魔法で後のことは補強できる。

 で、あるなら、と私は指導の方向性を決めた。

 泳ぎながら空気を取り込まないといけないことと、浮力の関係で、肺に空気を満たしてじっとしていれば浮くこと。

 手足で櫂の役割をすれば推進力を得られることを説明したあとは、私は、必要以上に”泳ぐことが簡単”であると印象付けるように話した。

 結果は、見事に当たりだった。

 彼らは皆、”簡単に泳げるはずだ”と思い込んで、まさに泳げるようになってしまった。

 日本の学校の授業で見たクラスメイト達の泳ぎより、ずっとずっと拙いのに、しっかり泳げている。

 先程、私が泳いでみせたクロールや平泳ぎを見様見真似で似せたような泳ぎ方だ。

 この泳ぎ方で泳げるはずだ、という魔法で補助しているんだろう。

 この世界の人達は、見本さえあれば、まさに魔法のように、不可能を可能にしてしまえる潜在能力があるようだ。

「これ、楽しいね!」

 ロキさんが、立ち泳ぎのように半分体を起こした姿勢で、私に手を振ってくれている。

「はい! 泳ぐのって良いですよね!」

 私も笑顔で応える。

 ロキさんの体勢では泳ぎ続けられるはずないのに、やっぱり魔法って不思議だなあと、私は内心で苦笑いしていた。


 天然プールの縁に沿うように、競うようにぐるぐると泳いでいる面々の中、プールの真ん中に何かがプカリと浮かんできた。

「?」

 茶色いおまんじゅうのようにも見える。

 初め、誰かの服か持ち物が浮いてきたのかと思ったが、なんだか分からない。

 プカプカと浮いている物を見つめる私に、一人、また一人と気づいて泳ぐのをやめ、茶色いなにかを見る。

「何、あれ」

 誰かが全員の心の声を代弁した。

 不用心にもひょこひょこ近づいていったのは、声の主だったであろうサンダンス君だ。

 おもむろに、茶色いおまんじゅうのような何かを掴んだサンダンス君は、「うわ、やわけえ」とびっくりしたものの、取り落とすことなく拾い上げた。

 持ち上げられ、ザパッと小さく水音が立つ。

 水を含む素材だったのか、ダパダパと茶色いなにかから水が滴り、やがて収まる。

 掴んだまま、くるっとサンダンス君が手のひらを返したのを見て、上から見るようにしていた私の喉が「ヒュッ」と嫌な音を立てた。


「回復! 脱水! 人工呼吸〜ッ!」

 私は、なりふり構わず水に飛び込むと叫び、両手のひらを茶色いなにかに向けて、サンダンス君のいるほうへ猛進していた。


 茶色い何かは、どう見てもモルモットのような小動物に見えたからだ。

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