29.夏! 海! ペンギン!?
う・み・だー!
私は内心で目の前に広がる光景に大興奮していた。
この高ぶりを声に出さないようにと苦労する。
採集地への入り口である洞窟をくぐった先、そこには解放感バツグンの光景が広がっていた。
私はあからさまに喜色を浮かべた。
カイソウの採集地はまさに、私が想像していた通りの常夏の海辺だったからだ。
全面に広がる青空は気持ちよく晴れ渡り、濃い青と真っ白な雲のコントラストがまぶしい。
雲は白く分厚く積み上がるようで、陰影のついた白い固まりはモコモコと、まるで質量を持つかのような姿だ。
日差しは強く、全身に熱を浴びるような心地がするが、それでもカラっとしており、日本の真夏のような湿気を含む蒸し暑さはない。
潮の香りのする風は太陽に焼かれた熱を冷ますようで心地良く、寄せては引いていく波の音が気分を高揚させた。
「はわあ」
左から右、見える景色を一度見回して、私は思わず感嘆の声を漏らす。
洞窟を出たそこは一面に広がる海辺の一角で、左右どこまでも広がる砂浜には柔らかく温かい砂が敷き詰められている。
遠くには岩肌や、ごろりごろりと大きな石が転がっているのも見えるが、出入りに使われている洞窟周辺は、さらりとした真っ白で細かい粒の砂のみだ。
そして、砂浜を五十~百メートルほど進んだところ。
そこには、エメラルドグリーンにも見えるほど青く透明度の高い、美しい海が広がっていた。
「これが”海”ですね?」
興奮を抑えていたつもりだったが、つい弾んだ声が出た。
「せやで」
私が浮かれていることが分かるのだろう、ポポさんが子どもをあやすような声色と笑顔で答えてくれる。
「この手前の砂地が浜とか浜辺って呼ばれとる。集落の名前の由来やな」
ポポさんが説明してくれることに気を良くし、私は元いた世界の海を思い出す。
「実は、私の住んでいた場所には、採集地ではなくても、この海があったんです」
それを聞き、他の全員が驚いたように「へえ」と小さく声を上げた。
言葉にしたのはケビンさんだった。
「それは、ヨウが住んでいた生活区域の中に、海のような場所があるのか?」
「はい、私が住んでいた場所、その土地自体が、海の上に顔を出すようにして存在していましたから」
私は元気よく答える。
ケビンさんは私の言葉が飲み込めないという雰囲気で、しばし口ごもったあと「意味がわからん」と困ったように言った。
たしかにこの世界の人には想像しづらい環境だろう。
私は苦笑いする。
この世界で出会った人に話を聞いたりしているうちに、少しずつこの世界のことがわかってきた。
この世界は地球とよく似ているが、やはり異世界なのだと痛感させられる違いは多い。
町の外に林はあったし、飲み水を汲めるような小さな小川もあるそうだが、どうやら湧き水の延長のようなもので、海に流れ出るわけではなく、川下では土に吸い込まれるようにして途切れているのだそうだ。
あくまで私が出会ったこの町のみんなやザク君、行商もやるというお店の人から聞いた話がせいぜいなので、この町を出て遠くへ行けばまた話も変わってくる可能性もあるが。
「元いた場所でも海には数回しか行ったことがありません。こんなに透き通った綺麗な海に来られて、とっても嬉しいです」
聞かれてもいないのに、はしゃいでしまう。
だって海だ。
しかも貸切のプライベートビーチ状態で、完璧なロケーションだ。
元居た世界でこんなに透き通った海は、どこかの離島か海外の高級リゾート地にでもいかなければ見ることはできなかっただろう。
みんなが遊びに来たわけでないのは分かっているのに、嬉しくて、一緒に来た面々を笑顔でぐるりと見渡してしまう。
しかし、その途中で二次元銀髪イケメンことキースさんが、はしゃぐ私を見てニコニコしているのに気付いてしまった。
瞬間、私はスンっと表情管理をした。
先程までの興奮と高揚が嘘のように引いていく。
社会人まで生きた日本人としての私が、輝くような微笑みで見つめてくるイケメンを前に冷静さを取り戻していた。
私はすっかり真顔になり、落ち着いていた。
笑顔で景色をキョロキョロ見回し、はしゃぎ、みんなの顔を見回そうとして突然、真顔になる私。
あれ? って顔でイケメンキースさんが見てくるが、早く私から興味を失ってほしい。
イケメンコワイ。
「足元熱いから気ぃ付けて。カイソウでは、海から打ち上げられてくる海藻を採ったらおしまいやから、気負わんでええよ」
ポポさんはそう言って「今日はそれぞれ持ってもろたカゴがいっぱいになるまで集めてもらうね」と続けた。
私たちが道具一式と共に持たされたカゴは木の皮のようなもので編まれている。
水であれば三リットル入るかどうかという大きさだ。
すると、ロキさんがごきげんな様子でぴょこりと寄ってきた。
「ヨウちゃんもザクも初めてだから俺が補助にt」
「私が付きます。ケビン達第一チームの三人は、普段どおりチームでまとまったほうがいいでしょう。ブッチとサンダンスにもどうせ改めて指導しますから」
ロキさんが何か言いかけたのを、笑顔の圧が強いキースさんが割り込み封殺した。
ロキさんが言いかけた笑顔のまま口元を引くつかせているが、ポポさんが慰めるように肩をぽんと叩いて回収していった。
「で、では、キースさんよろしくお願いいたします」
「はい、よろこんで」
まるで居酒屋で注文を受けた店員のようなセリフを、お上品なイケメンスマイルで言うキースさん。
私は直視できずやや遠い目になりつつ、しかしご厚意を有難く受け取り、ご指導いただくことにした。
+ + +
私たちは波打ち際で海藻の採集をしていた。
私は、もうこのメンバーには一度見られているし構わないだろうと、フードどころかローブごと取り去って収納にしまっている。
だって暑いのだ。
波打ち際で足元は海に浸かっての作業になるため、ズボンの裾は数度折り返している。
せっかく脱いで涼しくなったが、キースさんが「これを」と、どこからかつばの広い帽子と、白い薄手の羽織りを取り出し渡してきた。
彼が「どうしても」と念押すので、遠慮せず有り難くお借りしている。
夏のような暑さだが、帽子のおかげか、気候のおかげか、時おり吹く風もあって熱中症になるような感覚はない。
「ザク君、暑くない?」
「暑いけど大丈夫。採集地でなくても暑い季節はこんなもんだからな」
ザク君は時折こちらをチラリと見つめては、なんだか顔も赤いような気がして、少し心配して声をかける。
しかし、彼は元々暑い季節も屋外で過ごすことが多いとのことで、問題ないそうだ。
しばらく作業した私たちのカゴには、もう随分海藻が集まっている。
靴などは砂浜へ脱ぎ、裸足に草履のように編まれたサンダルを履いての作業だ。
ブッチ&サンダンス君は予想通りというか、夏の海にテンションが上がり通しで、初めにキースさんからの指導を聞き終わると「待ってました」と水を得た魚のように、波打ち際へまっしぐらで走っていった。
今は私たちとはやや離れた浅い場所で、時には飛んだり跳ねたり、全身を水しぶきに濡らすようにしながら、二人にぎやかに海藻を採っている。
彼らに続くように波打ち際へやってきた私たちは、海に少し入った場所、くるぶしまで浸かるような場所で作業をしていた。
一定の間隔で押し寄せる波が足元を濡らし、波に舞い上げられた砂が足の甲を撫でて少しくすぐったい。
作業自体は、波打ち際に打ち上げられるように集まっている海藻を回収していくだけなので、大した労力でもない。
「ヨウさん、それ以上海側へ行ってはいけませんよ」
夢中で作業していた私へ、少し焦ったようなキースさんの声がかけられた。
「あ、すいません。つい」
「ここは遠浅になっていますが、あのあたりから先は深くなっています。波も思いがけず強く寄せる場合もありますから、気を付けて」
「そうなんですね。一応、泳ぎは得意ですが、気を付けますね」
私はこう見えて水泳には自信がある。
今は服を着たままなので、プールで泳ぐようにはいかないだろうが、水泳教室に通っていたこともあるので、このままでも百メートルやそこらは余裕で泳げるだろう。
「泳ぎとは?」
「え?」
「え?」
しばし、沈黙してしまう。
キースさんが本当にキョトンとしているので、私は何を聞かれているのかわからなかった。
「なあヨウ、泳ぎが得意ってどういう意味?」
ザク君も不思議そうに話に入ってくる。
「えっと、こういう海の中で泳ぐんです。魚みたいに」
私は手をスイと動かして見せ、水を泳ぐ魚を伝えようとした。
「魚って、海にいるっていうやつ?」
「そう、そうです」
キースさんもザク君も疑問は晴れないようで、二人で顔を見合わせて何か思案気だ。
思えば、町のお店でも魚を扱う店が無かったが、もしかしてこの世界の魚は猛獣みたいに危ない生き物で、だから海に入れないのだろうか。
私は、凶暴な牛や豚がいると話に聞いたニクの採集地のことを思い出した。
「あの、もしかして、魚ってすごく凶暴なんですか? それなら、泳ぐ以前に海に入るのは危険ですよね」
「いえ、魚が凶暴という話は聞きませんが……」
キースさんは何か煮詰まらないような言い方だ。
なんだか話が噛み合っていないのを感じた私たちは、カゴもいっぱいになったからと、一度浜辺でケビンさんたちと合流することにした。
「ブッチ! サンダンス! 浜辺へ戻るぞ」
「うわ! やべ」
少し離れたところで何やら水の掛け合いっこをしていた二人に、キースさんが叫ぶような大きな声を掛ける。
あからさまにギクリとし「まずい」とばかりのリアクションをした二人は、どうやら戯れるうちに海藻の採集がおろそかになっていたようだ。
まだ余裕のあるカゴが、二人の足元でぷかぷかと浮かんでいるのが見える。
「お前ら……」
キースさんが呆れたような顔になったのを、ブッチ&サンダンス君が申し訳なさそうに肩を落としている。
悪気があったわけではないようで、反省しているのが様子からよくわかる。
彼らも自分たちの悪癖だとは思っているようだ。
「キース兄、ごめんなさい! 急いで集めてそっち行く!」
サンダンス君が下がった眉のまま答えるようにそう言って、「作業するぞ」とブッチ君を急かした。
キースさんはそれに「まったく」と小さなため息を吐くと、私たちは先に浜辺へ上がることにした。
「ヨウちゃんたちも問題なかったみたいだね」
ほとんど同じタイミングでケビンさんたち三人も浜辺へ上がってきたのが見えた。
ロキさんがこちらへ声をかけ、大きく手を振ってくれる。
彼らはズボンのすそをこれでもかと捲り上げ、来ているシャツも、よほど暑かったのか肩を丸出しにしている。
私がいなければ、もしかしたら普段は上半身は脱いで作業しているのかもしれない。
心遣いに感謝だ。
彼らと合流し、私とザク君が集めた海藻のカゴを見せると、ケビンさんが「上出来だ」と褒めてくれた。
いつも厳しい顔で無口なケビンさんに褒められるとやたら嬉しい。
各々、濡れたズボンのすそや、草履に入った砂を持ってきていた大きな袋の水で流し、絞った。
海に入っての作業だったので、立ち返った途端に体にだるさが出る。
私も水魔法で手足を洗い、汚れを落とすのを手伝っていたら、「やはり魔法は便利だな」とケビンさんに悩ましげに見られた。
彼もこれまでの思い込みさえ吹っ切れれば、使えるようになると思うので頑張ってもらいたい。
「みなさん、お疲れ様です」
ロキさんたちが「あちー」と服へパタパタと空気を送っているのを見て、私は今だとばかりに切り出した。
「カイソウがすごく暑いところだと聞いたので、冷たいおやつをお持ちしてみたんです。みなさんいかがですか?」
私は早速みんなへかき氷を振舞うことにした。
というか、私が食べたい。
常夏のリゾートのごとき海辺の浜、ほどよく水に浸かって気だるい体、ここで小休止に食べるかき氷。
これは完璧ではなかろうか。
「冷たいおやつ? なになに」
「またヨウさんの料理をご馳走になれるのですか」
ロキさんの目が輝き、キースさんが頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
う、素直なイケメンの並びが目に負担をかけてくる。
「ヨウはほんまに気が利く子やなあ。ええんかなぁ、いつもしてもろてばかりで」
ポポさんも短めの腕をまん丸のお腹にむぎゅっと寄せて手を組んで申し訳なさそうながらも、嬉しそうな様子は隠しきれていない。
ケビンさんは眉間にシワを寄せたいつもの顔のままだが、黙ってこちらを見ているからには興味を持ってくれているのだろう。
くいくいと羽織りを引かれる感覚にそちらを向くと、興味津々の顔のザク君だ。
「ヨウが作ったのか?」
「そうですよ、暑い季節に食べるのにぴったりのおやつを知っていたので作ってきました」
そこまで言ってから、「あ、でも」と思い直す。
「せっかくなので、作るところからお見せしましょうか」
せっかくだから作り方を見てもらうことにする。
そのほうが、いつか彼らが似たようなものを作ってみたいと思ったときにも役立つだろう。
「では、参ります! ペンギンさん、召・喚!」
私はかき氷削り器のペンギンさんを呼び出すべく声を上げた。
ピカーン!
瞬間、夏の照り返しとはまた違う光が私たちの目の前で溢れる。
シュバッ スタッ
光から飛び出すようにした小さな影が、砂浜へと降り立った。
ペンギンさんだ。
シャキーンと鋭角にデフォルメされた両翼を十字に重ねて着地ポーズを取り、キリリとした顔をしたアニメーションぽいデザインのペンギンさんが再び現れた。
以前現れたペンギンさんは、かき氷削り器が動いているような不思議な存在だった。
しかし、私の想像力が上がったからか、今回はより職人ぽく洗練された姿になっている気がする。
連載漫画なんかで、回を重ねるごとに登場人物の作画がはっきりしてくるようなものかなと私は自分を納得させた。
「ペンギンの親方、よろしくお願いします」
私が彼にぺこりと頭を下げると、「あいよ」とばかりに腰にペシンと手を当て抑揚にうなずいてくれた。
私は早速大きめの氷を作り出し親方へ差し出す。
彼は自分の体よりも大きそうなその氷を、軽々と片手で受け取ってくれた。
私は彼に氷を任せ、続いてテーブル代わりの作業台と、人数分の取り皿を取り出して並べた。
ペンギンの親方は腰に巻いていた手ぬぐいをひょいと片手で外すと、それを振り回すようにしてねじる。
ねじねじねじねじ。
勢いよくねじると、その勢いのまま頭へぶつけるようにしてねじられた手ぬぐいを頭へ一周させた。
それと同時、氷を天高く放り上げる。
自由になった両手で手ぬぐいを落ちる前に頭の位置で捕まえると、ぎゅっとハチマキのように巻き、鼻の下のつもりだろうか、くちばしの先をひゅっと一度擦るように撫でてから気合い一閃、落ちてくる氷へと躍り出た。
シャシャシャシャッ
まるで氷が空中で止まったように見えた。
ペンギンの親方と氷が交差し、鋭い音が響き渡ったかと思うと、シュタッと離れた位置へ親方が着地した。
それと同時、空中にとどまったままだった大きな氷の輪郭がぼやけたように見えた。
私に理解できたのはここまでだ。
まるで膨張するように大きさを増したように見えた空中の氷は、蒸気にでもなったかのようにぶわりと瓦解しその形を曖昧にすると、ボボボボっと猛烈な勢いで数手に分かれ、こちらに向かってきた。
まるで氷の攻撃魔法が私へ向けられたように見え、私はその勢い驚き、身を固くしてしまう。
ぐいっと後ろへ勢いよく引かれた。
びっくりしたまま抵抗もできず後ろへ倒れこむと、キースさんに受け止められていた。
彼も驚いた顔をしている。
引かれた方向から、どうやら隣にいたケビンさんが私を引いてくれ、後ろにいたキースさんのところに倒れこむ形になったようだ。
「すみません、キースさん。ケビンさん、ありがとうございます」
「いや、いらぬ世話だったようだ」
ケビンさんは険しい顔のままだが、なんだか驚いたように作業台のほうを凝視している。
私もキースさんに支えられたまま、釣られてそちらを見ると、私が並べた取り皿それぞれへ、ふわふわに削られたかき氷がこんもりと山になっていた。
「ペンギンさん、パない……」
どうやらあの一閃で大きな氷を削り、取皿へ盛ってくれたようだ。
やや離れた着地位置で、着地の姿で両翼を十字に重ねたポーズのペンギンの親方がキメ顔してこちらを見ているのが見えた。




