23.やがて国中を巻き込んだブームを起こすスイーツ
「パンケーキも食べてみますか?」
私がそう問うと、ロブロさんは小さい少年のように瞳を輝かせてこくこくと頷く。
私が作ろうとしていたのは、ごく普通のホットケーキだったが、このお店の売りはクリームだ。
このお店のクリームは緩めのメレンゲで、卵白と砂糖を泡立てたものに生クリームが入っているそうだ。
せっかくなのでメレンゲを使ってスフレ状のふわふわパンケーキを作ってみようと思う。
今日は子どもたちに卵や野菜を入れたサンドイッチとコーンスープを持って行ってあげたいと思っていたが、砂糖も手に入るならパンケーキも一緒に持っていってあげたい。
普段彼らはパンを食べているとのことだったので、ほんのり甘いパンケーキなら、真新しさもありつつ、食べ慣れないこともないだろう。
私はこのお店のよく使い込まれたフライパンを見て、「ついでにここで子どもたちの分も焼かせてもらえないかなあ」、と少し図々しく考えて、多めに材料を混ぜ合わせたのだった。
パンケーキも作り方はシンプルだ。
卵黄と白身に分ける。
白身に砂糖を加えて、外側から氷水で冷やしながらしっかりめのメレンゲを作る。
この時点でロブロさんは一度味見を求めた。
「おお! まるでクリームが固まったようだ、しっかりしているようなのになめらかに溶ける」
「卵を使う焼き菓子は、先に卵白だけこうしておいてから混ぜると、出来上がりがふんわりするんですよ」
私はそう説明したが、「焼き菓子?」と聞かれてしまった。
砂糖も最近採れるようになったとのことだったし、まだ製菓は広まっていないのかもしれない。
私は「パンケーキみたいなもののことです」と笑って誤魔化し、卵黄を手に取る。
薄力粉、牛乳と卵黄を混ぜ合わせ、メレンゲとさっくり合わせたら生地の完成だ。
ややこんもりした生地を、熱しておいたフライパンにバターを溶かして一枚焼く。
焼きすぎないよう気をつけながら、ほどよいところでひっくり返し、蓋をして、また様子を見てひっくり返す。
火が通れば完成だ。
なかなか良くできた。
ちゃんと膨らむか不安だったが、ふんわりと厚み三センチほどのパンケーキが出来上がった。
なかなか満足な出来栄えに嬉しくなる。
パンケーキはフライパンがきちんと”出来上がって”いないと難しいのだ。
日本にいた頃はテフロン加工のフライパンや、ホットプレートなどくっつかないもので焼いていた。
「これは! 見事ですな! とても可愛い!」
ロブロさんがクマのような大きな体をワックワックと揺らして、興奮しながらパンケーキを見ている。
「冷めてくると潰れてきますので、どうぞ早速召し上がってください」
練乳をかけるのも違う気がしたので、私はバターをひとかけら乗せて、残っていたクリームを横に添えると、フォークと一緒に差し出した。
「なるほど、パンと名前に付くように、バターとも合うのですね」
ロブロさんはお皿ごと持って体に寄せると、香りを確かめる。
「焼きたてのパンとも違う。とても甘い良い香りです。バターの風味もいいですね」
フォークをそろりとパンケーキに入れて掬うと、その柔らかさに驚いたように、わずかに目を見開いてから、意を決したようにパンケーキを口にした。
黒クマのような見た目のロブロさんがパンケーキを持っている。
パンケーキの乗ったお皿はあんなに小さかっただろうかと思ってしまうほど、ロブロさんは大きい。
「うまい!!」
また耳鳴りがしそうなほどの大音量だ。
今度は調理場全体がビリビリ震えたようにすら思う。
ここにモルモちゃんがいれば驚き縮こまっていただろう、と思う。
表のお客さん達は驚いていないだろうか、心配になってしまう。
「なんですか、この、やわらか、甘い、とろける……」
「落ち着いてくださいロブロさん。見ていらしたとおり、クリームをしっかり泡立てるとこんな使い方があるんですよ」
「素晴らしい…… 素晴らしいです……」
私はぎょっとした。
ロブロさんの目に涙が溜まっている。
私は大人が泣くところなんて、友達と感動の映画を観たときか、テレビの中くらいでしか見たことがなかった。
どうしよう、オロオロしてしまう。
しかし、ロブロさんは豪快に「ウオオーン」と遠吠えのような鳴き声を上げると、「こんな、こんなに素晴らしい物を食べさせていただけるなんて……!」と大声で感謝し始めた。
「落ち着いてくださいっ! あの、クリームあっての物ですから、お気に召してくださったならぜひこのお店でも扱ってくださって大丈夫ですので」
いくらでも作って食べて、と伝えたかったが、ロブロさんは「なんと……! この感謝はしてもしたりない!!」などとまた大音量で泣くものだから、ついに店番をしていた子ウサギのようなお姉さんが飛んできた。
+ + +
「聞いてくれラビ、天啓だ。私はこのパンケーキのために料理人になったんだ」
「分かりましたよロブロさん。いいから落ち着いてください。お客さんもお姉さんもびっくりしてますから」
未だに豪快に泣いている黒クマのロブロさんを、ラビと呼ばれた白い子ウサギな店員さんがよしよしと頭を撫でて慰めている。
ロブロさんは椅子に座っているが、ラビさんの身長では頭に届かず、彼女は椅子の上に上がってロブロさんの頭を撫でている。
「店長、感動しいなんです、びっくりさせてしまってすみません。それにしてもこんなに大きな声を出すなんて」
「いいからラビも食べてくれ」
ロブロさんは涙目のまま、食べかけだったパンケーキをラビさんに渡した。
「えっ勤務中にいいんですか? 嬉しいです! とってもいい匂い!」
パクっと可愛らしいひと口を食べたラビさんは、その表情が消えた。
スンッとした真顔がこちらを向いた。
えっ何、怖い。
無言のままぴょんと、本当にウサギのように跳んで椅子から降りたラビさんが、ぴょんこ、ぴょんことやはり跳んでにじり寄ってくる。
「な、なんでしょうか」
目前と言っていい距離にまで寄られて、しかし後退するのも失礼かと直立のまま顔を横にそらすようにしてラビさんに聞く。
ピスピス、ピスピスと小動物が鼻を鳴らすような音が胸元に寄ったラビさんから聞こえる。
そらした目線の端に揺れる白い何かが見えている。
「耳?」
ラビさんの白い髪の隙間から伸びた、同じ白くて長いウサギの耳が私の眼前でゆらゆらと揺れている。
「ラビだって人のこと言えないじゃないか。兎化してるぞ」
やっと涙が止まったらしいロブロさんが揶揄っている。
「は! お客様の前で、失礼いたしました!」
ラビさんは慌てるようにしてそのウサギの耳を両手で畳むようにして押さえると、またもや跳ぶように後ろへぴょーんと下がったのだった。
+ + +
「あまりの美味しさに兎化してしまいました」
ラビさんによると、獣憑きのうち兎憑きや鼠憑きなどの力の弱いものの何割かは、獣の部分を隠す力があるとのことだ。
ラビさんも普段は耳としっぽを隠しているそうだが、パンケーキの味に驚いて兎憑きの能力が全て解放され、パンケーキの秘密を知るために全力を出してしまったのだという。
ファンタジーの獣人が力を解放するなんていうと、すごい戦闘シーンを思い浮かべてしまうが、まさか美味しいものに驚いて美味しさの理由を探るために覚醒してしまうなんて、と私はメタなツボにハマって笑ってしまいそうだった。
「彼女はラビ。兎憑きです。私はよく間違われますが熊は憑いていません」
ハハハとロブロさんが笑っている。
テッパンなのだろう。間違いない。
「本当にパンケーキは素晴らしい料理ですよ。かき氷とレンニューもです。これなら王都でも大人気になるでしょう。ヨウさんがお店を出してはいかがですか?」
ロブロさんがやや真剣な表情で問いかけてくるが、私はお店を持つ気はないし、この世界の人に料理を教えるのも私の仕事の一貫だ。
「いえ、私は料理人ではありませんから。それに、このお店は人気があるようですし、パンケーキやかき氷もぜひ広めてください」
「ヨウさん……! はい! 必ずこのパンケーキとかき氷の名を国中に轟かせてみせます!」
なんだか壮大な決意をされてしまったが、夢は大きいほうがいいだろう。
私は砂糖と、紅茶の茶葉やコーヒーの粉にした豆を買わせてもらった。
ロブロさんが「練習も兼ねて焼きたい」と言ってくださったので、お言葉に甘えて子どもたちの分のパンケーキを焼いた後、ロブロさんとラビさんにお礼を言って、脱いでいたローブを着なおすと店を出た。
「ぜひまた来てください、砂糖もいつでもお売りします」と言われ、有り難いのでよろしくお願いしますと応えた。
+ + +
昼前のなかなかちょうど良い時間になったので、その足でザク君たち子ども達のところへ行く。
私は通りから中を覗き、ちびっこ忍者たちの気配を詳しく探る。
ここの子ども達は本当に気配を読むのが難しいのだ。
みんなそれぞれの家の中にいるようだったので、勝手に一番の家の前に焚き火台などをセットして調理を始める。
買ってきたパンをスライスして、バターを薄く塗り、塩味をつけた卵焼きや焼いてスライスした鶏肉、野菜を挟んで行く。
食べやすいサイズに切ったらサンドイッチの完成だ。
モルモちゃんの世界は、本当に野菜が美味しいのでこれだけでも絶品だろう。
コーンスープは魔法さん頼みだ。
底の深い鍋の中で皮を剥いたとうもろこしを入れて魔法で出したお湯と火で茹で、茹で上がったら水を捨てて、魔法さんにお願いして粒を外してもらう。
とうもろこしの粒はそのまま鍋の中で魔法さんにお願いしてペーストに近くなるまで潰してもらう。
ミキサーがない今、魔法さんが頼りになりすぎる。
牛乳やバターと小麦粉でとろみのあるスープにしたら、最後に塩で味を調えて完成だ。
今日はなんとなく家から出てくる子ども達の気配が分かったぞ、とくるりと振り返れば、彼らはずらりとそこに居た。
こんなに堂々と出てきていたら気配も分かるか、と少し笑ってしまった。
一番先頭には、とてもいい笑顔のザク君が出迎えてくれた。
まずはモルモちゃんにお供えだ。
一人分ずつを食器によそい、パンケーキとかき氷も出して念じる。
「モルモちゃん、今日のご飯です。そのうちニーナさんにちゃんと作り方習うからね!」
料理はシュパッと消えた。
少し待ってみると、セツさんが話しかけてくれた。
『ヨウ! 完成したんだ! これはすごいよ! すごいことだ!』
なんだか興奮しているようで、何の話だかよく分からない。
やはり周囲の音声を拾っているのか、後ろからモルモちゃんの「プイプイプイプイ」と大喜びのプイプイ祭りが開催されているのが聞こえてきている。
『ああ! モルモ! そうだね、嬉しいねえ、良かったねえ』
セツさんはなんだかモルモちゃんに駆け寄っていったらしく、ドタドタと足音が遠ざかる。
『ヨウ、また彼にもお礼をしに行くよ。いつもおいしいご飯ありがとう。ああ! モルモ! そんな風に一度に食べては────』
なんだか騒がしいままで、要領を得ない内容のまま、セツさんからの声は途絶えた。
お供えのタイミングが悪かったのかもしれない。
忙しい時だったのかな、と首を傾げた。
さて、おまちかねの子ども達にも料理を配らねばならない。
せっかくかき氷はあるが、冷えてしまうので今回は無しだ。
熱のあるような子には多少はいいかもしれないが、と思いザク君に聞いてみる。
「一番の家のやつらは、ヨウのおかげでずっと調子良くなったよ。今熱のあるやつはいないな」
それは何よりだとほっと息を吐く。
彼らには今日は食べられそうならコーンスープを飲んでもらおうと思っている。
子ども達はすっかり私に心を許してくれたようで、出来上がりを外で待っていてくれた子たちは小声でお礼を言いながら嬉しそうに料理を受け取ってくれた。
最初に炊き出しをした際に一番に手伝ってくれた女の子は、私のそばで食べるのだと、作業している私の近くへ来て座って食べてくれる。
同じくやってきたザク君によると、彼女の名前はアリサちゃん。
ザク君と同じ家に住む兄妹の妹さんだそうだ。
「お前普段そんな大人しくないだろうが」
ザク君はアリサちゃんをからかって、ほっぺたをつねられていた。
「ここの子たちはみんな本当の兄弟のようで、仲良しですね」
私が言うと、アリサちゃんはザク君をつねるのをパッとやめて、ほほを染めたよそ行きのお顔でコクコク頷いてくれた。
子ども達はみんな、炊き出しの時よりも食べる量が少し増えたような気がする。
特にパンケーキは大好評だった。
パンケーキは最後だよと言っていたので、アリサちゃんは他のご飯を美味しそうにゆっくり完食した後、パンケーキを不思議そうに見てちぎって口に入れた。
「えっ」
その途端に驚きの声を上げ、ザク君を見て、私を見た。
「美味しい?」
私がそう聞くと、アリサちゃんはすごい勢いで頭をブンブン縦に振っている。
柔らかそうな彼女のほっぺは真ん丸で、真っ赤になっている。
気に入ってくれたようで良かった。
砂糖がもっと安定して手に入るようになったら、子ども達と一緒にパンケーキ作りをしてみてもいいかもしれない。
砂糖は、王都のシオの採集地で”採れるようになった”と聞いたが、この町のシオで採れるという話は無い。
やはり、未だこの町の冒険者がたどり着いていないエリアで採れるということなんだろうな、と思いを巡らした。
アリサちゃん以外の子ども達にも、パンケーキは大層気に入られたようで、みんな本当に喜んで食べてくれた。
普段物音のしないこの一帯も、子ども達の喜び様で、ずっとサワサワと静かにでもざわめいていたように思う。
体の大きな何人かが初めてのおかわりをしにきてくれた。
みんながニコニコ笑顔で、嬉しそうなのを見て、私までたまらなく笑顔になってしまう。
一番の家に行くと、自分で起き上がっている子も何人か居た。
私が初めて来たときには八人いたはずだが、六人しかいない。
「ちゃんと治ったんだよ、さっき外で食べてた」
一瞬息をつまらせた私を見たザク君がすかさず教えてくれた。
良かった。
六人の子たちには少しコーンスープを飲んでみてもらって様子を見る。
全員問題なさそうだったので、コーンスープを飲んでもらう子と、もう少し食べれる子にはコーンスープにパンを溶かすように入れてパン粥のようにして食べてもらった。
「はやく元気になったら甘いのがたべれるんだよ」
「ぱんけーきっていうんだ」
手伝ってくれた何人かの子が、小声で教えてあげている。
みんな食欲ももどってきているようなので、ほんの指先ほどの小さなひとかけらずつ食べてもらった。
みんな言葉を失くしたという風に驚いた後、そのうちの一人の子が、「ぜったいげんきになるからまたつくってぇえ」と涙目になって訴えてきた。
絶対作るよ、だからちゃんと食べて寝て、元気になろうねと約束の指切りをした。
指切りを知らなかったらしく、小指を絡めさせる私へキョトンと不思議創にしていた。
泣き止んでくれたのは良かったのだが、他の子も指切りがしたいと言い出して、結局私は六人全員とパンケーキリターンズの約束をしたのだった。




