15.日本では勧誘のために可愛いモードだったモルモちゃん
モルモちゃんがミレーヌさんを切って捨て、ケビンさんを切って捨て、モルモちゃんの可愛さに崩れ落ちた二人を前に、場は騒然としていた。
天に右のお手てを突き出して勝利の余韻に浸っているのか、「正義は我にあり」とばかりに泰然としているモルモちゃん。
イエスユーアーチャンピオン。
ロキさんとポポさんは「おおぉ」と感嘆の声を漏らしている。
なんだこの状況。
『ヨウ?』
セツさんの声が頭に響いてきた。
『モルモにそろそろいいでしょって。帰るように言って』
おっと、これは、ちょっと”おこ”かもしれない。
自分以外に愛嬌を振りまくモルモちゃんに、ヤキモチなのかもしれない。
セツさんを怒らせてはいけないことは本能的に解るので、私はすかさずモルモちゃんに告げる。
「モルモちゃん、セツさんが帰ってきなさいって」
ん?セツさんの名前がまるで放送禁止用語のように不自然な音でかき消された。
セツさんの名前出せないの?
禁則事項に触れるの?
なにそれ怖い……。
モルモちゃんは私の腕の中で、ビクトリーのVの字をチョキのお手てで示して、ロキさんポポさんに見せびらかしている最中だったが、私の声に「キュ?」とこちらを振り返ってくれる。
ウイニングランか? ロキさんとポポさんも、Vサイン見て「ほおぉ」じゃないんだよ。
『モルモ、僕からの連絡断ってるんだよ。悪い子なんだ』
セツさんが急かしてくる。
「モルモちゃん家出なの?連絡つかないと心配かけちゃうよ、帰らないと。ちゃんと外出許可もらってからもう一度おいで」
「プイプイプイプイ!」
説得を試みるものの、モルモちゃんは不満そうだ。
「キュ? ププイ! キュッキュプイプイ」
うーん、なんだか訴えてくれていて大変可愛らしいのだが、セツさんとモルモちゃんに板挟みにされると大変苦しい。
その時、恐る恐る、という風にザク君が声をかけてきた。
「ヨウ、詳しい話は分かんねえけどさ、あんまりモルモティフ様の自由を奪うのはどうかと思うぞ。モルモティフ様もモルモティフ様なりに一生懸命なんだしさ。……部外者が分かったような口聞いて、ごめん」
「ザ、ザク君?」
ザク君は、「生意気なこと言ってすみません」とモルモちゃんに頭を下げている。
んんん? どういうことだ? ザク君がなんだか詳しいぞ?
私より状況を理解していそうな勢いだ。
主張は譲らんとそっぽを向いていたモルモちゃんが、ピタリとザク君へその目線を移し、じーっと見る。
モルモちゃんにじっくり見つめられてしまったザク君は「わ! 可愛い!」とか言って慌てている。
「ザク君、自由を奪うとかっていうのは一体……?」
「そりゃあ一方の話で断言するのはどうかと思うけどさ、モルモティフ様も毎日少しずつでもいいって言ってるんだし」
「それ! その話は一体どこから……。もしかして、ザク君、モルモちゃんの言っていることが、解るの……?」
まさかと思って聞く。
「え?」
数瞬の間。
「プイ、キュッキュー」
途端、ドン引きしたような顔になるザク君。
「モルモティフ様、それはさすがにその方に失礼じゃ……あれ?」
確定である。
ザク君、モルモちゃんの言ってること解ってる。
ていうかモルモちゃん、最後なんて言ったの。
「ザクは、モルモティフ様とお話ができるんか?」
ポポさんが信じられないといった様子でザク君へ問う。
「えっと、いや、プイプイってお可愛らしい声が聞こえているだけなんだけど、なんとなくおっしゃってる事が解る、みたい……?」
ザク君も混乱しているようだ。
『これは、予想していない展開だね……』
セツさんの声が再び聞こえてきた。
驚いたような声音だ。
『……たしかに神自身の世界の知的生命体がかの神との親和性が高く啓示を受けることはままあることだけど、言語ではない神の言葉を理解する者がいるとは……。僕だってモルモとお話、したいのに……』
考えをまとめるかのようによく分からないことを言っていたセツさんだが、最後に私怨が混じったのだけは分かった。
ひとまずザク君のこの能力は、セツさんでも予想できなかったような特異なものらしい。
『未だ第三層にも達していない世界の住人なんて神託を受けることすら稀だというのに、会話が可能だというのは……』
セツさんはまだブツブツ言っていたが、ようやく方針が定まったようだ。
『ヨウ、事情が変わった。彼のことも気になる。モルモの一時滞在はその世界にとって必要な措置になった』
かしこまった言い方をするセツさんに、私も緊張する。
『でも! 毎日絶対夜には帰ってくるようにモルモに言って! あと、連絡経路復帰させてって言って!』
セツさんが必死だ。
離れるのは断腸の思いなのだろう。
そのままをモルモちゃんに伝えると、「キュウ~?」と思春期の子どものような生意気さのある声を出した。
その後、「プイプイプイ~」と、モルモちゃん語の分からない私でも”仕方なしだぞ”と言ったのが分かる様子で答えてくれたのだった。
なんだかこの世界に来て、モルモちゃんがどんどん表情豊かになっている気がする。
+ + +
「また出会った人がバッタバッタと倒れてはいけませんから」
私はそう言って、着ているローブの右側のポケットを、魔法でモルモちゃん仕様にカスタマイズした。
「ポケットの中がモルモちゃんにとって過ごしやすい空間になりますように」と念じただけだったが、ポケットを覗くとそこは劇的ビフォーアフターだった。
中には広い空間が広がっており、薄ピンク色のふわふわのお部屋になっている。
床も壁もモコモコふわふわだ。
見ている間にも、ラグジュアリーなソファーベッドや、テーブルが現れ、テーブルには宝石のような瑞々しい輝きを湛える果物や野菜が置かれる。
可愛らしい飾りリボンやクッションなどが添え付けられ、部屋は完成した。
魔法さんも、神様相手に最上級のおもてなしだ。
モルモちゃんも気に入ってくれたようで、中を見せると「プイプイ」とご機嫌に鳴いて、スルリと入ってくれた。
気まぐれに出てきてしまうかもしれないが、その時はその時だ。
「なあ、ヨウ…」
ザク君が少し不安げな声をかけてきた。
怒涛の展開で、自分だけがモルモちゃんの言葉が分かるなんて不思議体験をして、不安にもなるだろう。
「大丈夫ですよ、不思議ですけど、ザク君がモルモちゃんの気持ちが分かるのは、とてもすごいことです。私も助かります。時には通訳をお願いするかもしれませんが、いいでしょうか」
「それは、大丈夫だけど。全部がちゃんと分かってるのかは分かんないぞ」
それに「十分です」と答える。
ロキさんとポポさんは「不思議なこともあるんだな…」「よう分らんけどザクすごいなぁ」とこぼしているだけだった。
お二人はなんとなく状況を理解しているものの、圧倒されっぱなしだったようだ。
+ + +
「面目ない」
少しして、ケビンさんがようやく落ち着きと、眉間のシワを取り戻した。
「私も、お恥ずかしいところを見せましたわぁ」
少し前に正気に戻っていたミレーヌさんは、まだ頬が赤らんでいるものの、頬に手を当てていつものウフフポーズだ。
手を当てる頬が反対側に変わったのは、モルモちゃんが触れた側の頬は一生洗わない的なそれだったりするのだろうか。
サインボールじゃないんだから、帰ったらきちんと洗ってくれることを祈る。
二人とも、モルモちゃんにノックアウトされた後のやり取りは覚えていないらしい。
つまり、今、私のローブのポケットにモルモちゃんがいることは知らない。
言っておいたほうがいいのか、言わないほうがいいのか。
日和見の私は、他の誰もが言わないことで、口をつぐむことを決めた。
もしもの時は一蓮托生である。
「モルモちゃんのこと、あまり大っぴらにすると町を混乱させてしまうと思うのですが……」
私はなるべく穏便にして欲しいことを全員に伝える。
「モルモティフ様がご降臨されたことは、事務局と教会には報告しなければいけないわねぇ。私も職務中のことだからぁ」
申し訳なさそうに、ミレーヌさんが言うと、「ボクらも、冒険者組合には報告義務があるんや」とポポさんも「ごめんな」と眉を下げる。
「あ、全然問題ないです。そういう報告は必要だと思いますし。ただ、大騒ぎすることじゃないといいますか……」
そう言った私は、全員から何言ってんだコイツという目で見られた。
あ、そうですね、神降臨ですもんね。大事ですよね。
ポポさんが、少し真面目な顔をして口を開いた。
「ヨウにも都合があるんやろ? モルモティフ様を愛称で呼べるような”お知り合い”なわけで。そんなヨウの意志はなるべく尊重したいなと思うんよ。話したくないことは何も言わんでええからね。まあ、気にならんと言えば嘘になるけど」
最後は優し気な言い方で茶化して、そんな風に言ってくれる。
そうか、みんなにとって私は、神様の御使いに見られてもおかしくない状況なわけだ。
ん?本当にそう言えなくもないような……。
ま、まあ、それは今はいいでしょう。
あまり大仰な肩書きは背負いたくない私は、一旦思考を彼方へと追いやった。
ポポさんの言葉に頷き、「詳しいことは言えないんです」と深刻な顔をしておいた。
実際は面倒くさいだけのような。
いや、ホント、なんて言っていいのかも分からないしね。
「私は本当に大した者じゃないので、これまで通りに接してくださると嬉しいです」
そう続けると、真っ先にロキさんが「ヨウちゃんはヨウちゃんだよね」と軽い調子で言ってくれ、みんなそれぞれに了解してくれた。
緊張気味だったその場は、朗らかな空気を取り戻したのだった。
ザク君だけは私を心配するような、何か言いたそうな、そんな視線を向けてきていたのが少し気になった。
私たちは事務局へと行き、ミレーヌさんが真剣な表情で「局長を」とカウンター前にいた女性に伝えると、ややあって奥の部屋へ通された。
そこには初老の厳格そうな女性がおり、何事かと固い表情をしていた。
扉が閉じられ、室内に私達とその女性だけになる。
「聖樹にモルモティフ様がご降臨なさいました」
上司の前だからか、シャキリとした口調でミレーヌさんが告げる。
その言葉に、局長さんは息を呑んだ。
局長さんの言葉を待たず、ミレーヌさんは続ける。
「公にはなさらないほうが良ろしいかと。詳しいことは口に出来ませんが、それが彼の神のご意思かと」
意味深な視線を、私を中心に居合わせた面々に滑らせるミレーヌさんに、ケビンさん達がこくりと頷く。
ああ、私の言った「そんな大げさにしなくても~」がより一層大げさな感じで伝わっている。
私は状況をハラハラしながら見守った。
「キュ!」じゃないよ。
ポケットから、くぐもったモルモちゃんの声が聞こえた気がしたが、これ以上事態がややこしくなっては困る。
お部屋の中で優雅でラグジュアリーな時間を過ごしていてくれ。
そんな気持ちを込めてポケットを撫でた。
厳粛な空気の中、局長さんの「分かったわ」という落ち着いた声で方針は決まった。
この後、居合わせた我々が冒険者組合と教会へ伝えに行くことを伝えると、「でしたら、今日は守衛に警備隊の隊長さんが来てくれているはずだから、彼にも伝えてくれるかしら」と局長さんに頼まれた。
畑からの道で、ロキさんを疑わし気に見ていた生真面目そうなお兄さんの姿が思い浮かぶ。
「あら、ソウちゃんが?」
驚いたように素の声を上げたのはミレーヌさんだった。
私達の視線に気づいたミレーヌさんは、思わずといった様子で「あらあら、私ったら」と慌てる。
「突然申し訳ありません。知った者でしたので、つい」
彼はミレーヌさんのお知り合いらしい。
「それなら丁度良かったわ」と局長さんは柔らかく笑んだ。
厳格そうな見た目に反して、柔軟そうな人だ。
それにしても、ケビンさん達と変わらなさそうな年齢で、二十代前半にしか見えない人だったけど、警備隊の隊長さんなのか。
局長さんの言い方や、隊長という肩書から結構偉いと思うのだが。
「そんなに偉い人が守衛をするんだ……」
そう独り言ちると、聞こえたのだろう、ロキさんがヒソヒソ声で面白そうに耳打ちしてきた。
「あいつ、ヤサイで働く子の中に大本命の女の子がいるらしくてさ。ちょっと付き纏いっぽいの。俺のこと言えないよね」
な、なんと。
職権乱用じゃないか。
生真面目そうな人だったけど、人は見かけによらない……。
私が密かに衝撃を受けていると、話が済んだ面々が部屋を出る挨拶をしているところだった。




