【House with Chimeras①(怪物屋敷)】
事件のせいで時間を費やしてしまい、この日に予定していた聖ウラジーミル大聖堂とチェルノブイリ原発博物館へ行くことは断念せざる終えなかった。
黄金の門もまだ警察車両が止まっていて中に入りにくい雰囲気だったので、怪物屋敷を観に行った。
怪物屋敷と言っても、お化け屋敷ではない。
だいいち建物の中になんて、俺たちの様な一般人は入れない。
この1902年に建てられたアール・ヌーヴォー様式の煉瓦造りの邸宅は、今はウクライナ大統領の公邸のひとつとして使われている。
国の体制を決める大統領が住む家=怪物屋敷と言うのは、ナカナカ気の利いたブラックジョークだけど、そう言う意味でこの奇怪な名前が付けられたわけではない。
名前の由来は、その外観。
と言っても建物自体は普通に立派なもので、問題はそこに付けられた数々の装飾。
屋根の上には沢山の蛙や奇怪な顔をした魚や人魚、それにグリフィンが居て柱の上側からはサイやシカが顔を出す。
壁からは像が顔を出し、屋根からの雨水を下に流すための樋かと思えば、そこにはニシキヘビ。
門前には獅子と鷲が戦っている。
「どうしてこんな建物にしたんだろう?」
「当時は富裕層向けの高級マンションとして建てられたらしいわ。だから見られたかったんじゃない?」
「見られたかった?」
ユリアの言葉が理解できずに、振り向いた。
「そう。今の私たちみたいに、チョットだけでも変わった格好をすれば皆振り向くでしょ」
確かにそうだ。
人に見られることが何となく楽しく思えていたのは、街中を普通に歩いている人たちに比べ、自分が振り向かれるという特別な存在だということを無意識に優越感として受け止めていたからではないだろうか。
怪物屋敷を後にして、2人でショッピングを楽しんでいた。
明日の午後の便でパリに帰るので、エマや部隊の仲間たちへのお土産を選んでいた。
「ねえ、こんなのどう?」
「ナトちゃんは何でも似合うけれど、ちょっとそれアダルトだよね」
「いや、俺じゃなくて、エマに」
「ああ、あの晩餐会で活躍したDGSE局員ね。会ってみたかったなぁ~」
「こんどパリに、おいでよ」
「うーん……行ってみたいけれど、物価高いからなぁ~」
そう。ユリアの言う通り、物価の格差は大きい。
物価の安いウクライナでは、パリなら1人100ユーロくらいするディナーでも15ユーロくらいで食べる事が出来るし、キエフ市内の地下鉄やバスは約25セントで乗れる。
これは俺の立場での考え方で、ユリアがパリに来る事を考えると、ウクライナでなら15ユーロで食べる事が出来たものに100ユーロも払わなければならないということになる。
そして、その国の給料基準と言うのは、国の物価に比例する。
だから豪華なディナーがたった15ユーロで食べられる国に暮らしている人に、パリでディナーに100ユーロも掛かる俺たちに支払われているような給料は先ず払われない。
それぞれの国に分かれていても人は皆平等だけど、経済の格差による生活スタイルはまるで異なる。
それを考えずに、迂闊な事を言ってしまった。
「すまない……」
「気にしない、気にしない。自分の国が他所の国に比べて、どうかなんて気にしないわ。だって私はこの国が好きで、ここに暮らしているんだもの。他所の国に行く時間なんて、ここで暮らしている事に比べれば、ほんの一瞬でしょ。それに今日みたいなテロも、たまにはあるけれど、コンゴや旧ユーゴスラビアの分離独立時の様な悲惨な状況に比べれば、平和な日常よ。テロだって銃犯罪で年間1万人前後の死者が出ているアメリカのに比べれば、随分安全なはずよ。」
確かにそうだ。
余程食べるものも無い状態でない限り、普通に働いて普通に暮らしていければ他所の国に比べてどうかとか、他所の国に対して自分の国を憂いてみたり逆に他所の国を羨んでみたりする必要はない。
“誇りに思える祖国”があれば、それでいい。
ショッピングの途中で、ユリアの携帯に電話が入った。
受け応えの様子を見ると、どうやら友達からではないみたい。
上官からなのだろうか、軍用語で返事をしている。
“何か急な任務が入ったのだろうか……”
しかし、俺の心配を他所に、電話を終えたユリアはとても愉快そうだった。
そして「もう一度、怪物屋敷に行きましょう」と顔を少し高揚させて笑う。
“なんで、また?”と、不審に思っている俺の顔を見てまた笑うと、サッと俺の手を取り通りに出て駆けだした。
「なに?いったい何があったの?」




