【Underground tunnel and terrorists①(地下トンネルとテロリスト)】
「おはようナトちゃん! モーニングのルームサービス頼んでおいたから、もう直ぐ来るよ」
「あっ……うん、ありがとう」
「まだ眠いの?」
ユリアが俺の顔を覗き込んできた。その距離は7㎝。
思わず毛布をかぶって顔を隠す。
不覚だった。
この距離を許してしまった事も、そしてユリアに起こされるまで寝ていたことも。
だいたいユリアがいけない。
同じベッドで、しかもタンクトップにパンツだけで隣に寝られたから、ドキドキが止まらなかった。
俺も同じ格好だったけれど、エマと寝る時は必ずキスをしてくれて、体も合わせてくれる。
死んだサオリだって、必ずキスをしてくれてから寝た。
それなのに“おやすみ”の、一言だけでスヤスヤ寝てしまうなんて。
しかもユリアったら寝相が悪い。
同じベッドで俺がいつまでもドキドキと闘っているというのに、脚を絡めて来たり抱きついて来たりして、すべすべの肌が直に触れるたびに何度もピクンとなってしまう。
おまけに頬が触れるほど……いや、実際には何度かユリアのぷにぷにの頬が俺の頬にスリスリして来た。
その度に“誘ってくれているの?!”って期待したけれど、まるっきり寝ているし。
おかげで空が白み始めるまで寝られなかった。
それなのにユリアったら平気な顔をして、寝起きの俺の顔を覗き込んでくるなんて、もう錯乱しても知らないぞ……。
ドアがノックされ、ボーイが朝食を運んできた。
着替えておけばいいのに、まだそのまんまだったユリアが慌ててベッドに座り、毛布で体を隠す。
当然の事ながら、隠されたのは相手から見えてしまう前だけで、目の前にはベッドの上に降ろされた剥き出しの“おしり”がある。
もう恥ずかしくて、見ちゃいられない。
朝食を済ませ、この日はラフな服装で先ずは独立記念碑のある公園を通って十月宮殿から黄金ドーム修道院、聖ソフィア大聖堂を見た。
次に目指すのは黄金の門、そして昼食を済ませた午後からはチェルノブイリ博物館。
ところが聖ソフィア大聖堂の塀の裏側で、大人の男性の怒鳴り声と子供の泣く声が聞こえた。
お父さんに怒られているのかと思ったが、怒り方はやけに邪険で愛情かけらもなく苛立っている様子。
子供たちの飼い猫がマンホールの中に落ちたような事らしいが、男はただ「うせろ!」と繰り返すだけ。
言葉遣いが悪い。
「行ってみましょう!」
ユリアが、そう言って走り出す。
俺も後を追う。
大通りから一本入った大聖堂の塀の向こう側にある通りは、閑散としていてそこにバンが止めてあり、1人の男が子供たちを追っ払っていた。
「ちょっと、子供たちの猫がマンホールの穴から落ちたそうじゃない。探してあげなさいよ!」
「うるさい。俺はずっとここに立っているが、猫なんて落ちたのを見ていない」
「だったとしても、確認するくらいは、してあげなさいよ」
中を覗き込もうと身を乗り出したユリアの体を、男が遮る。
「こら、勝手に近づくな、今工事中だ!」
「アンタが、ここを見張っていなきゃイケないんだったら、中の人に確認してもらえば良いでしょう」
ユリアと男が言い合いをしているのを横目に、俺は止めてあるバンの中をさりげなく覗いていた。
何となく怪しい匂いがする。
工事現場の見張りと言えば、最近はお年寄りが多い。
それなのに、この男は若いだけでなく、痩せてはいるが鍛えられた筋肉が付いている。
それにバンの中も怪しい。
普通、工事の車には状況に応じた工事用工具や予備パーツなどでラゲッジスペースは乱雑にモノがあふれているはずなのに、それらがまるでない。
あるのは空のゴルフバッグが二つと、ロープにビニールシートがあるだけ。
通常マンホール内の工事にはガス中毒や酸欠の事故が懸念されるので、地下に空気を送り込むダクトが設けられるはずなのに、使い古されたバリケードはあるが肝心のダクトが無い。
悪い予感がして、いけないことは分かっているが、バンの後ろタイヤの空気バルブを緩めておいた。
「まあまあユリア、そう興奮するなよ。警備員さんはズットここに立っていて見ていないと言うのだから、猫は別の所に居るのかも知れないだろ。子供の見間違いかも知れないし、私たち旅行者が関わる問題じゃないわ。早く黄金の門を観に行きましょうよ」
「ちょっと、ナトちゃん何言い出すの?!」
「ああ旅行者なら、そうするべきだろうよ」
「ああ、それから来るときに気が付いたんだけど、バンの後ろタイヤがパンクしているよ」
「そんなわけないだろう……」
男は不審そうな顔をしていたが、俺が指差した方に歩いて来た。
「ほらコレ」
俺が先導してタイヤの所に行くと、男は腰を降ろして潰れたタイヤを眺め、いかにも困ったような苦い顔をした。
「私パリのガソリンスタンドでバイトしたことがあるから、手伝おうか?」
困った顔をしたまま、男は「頼む」と言ってバンの後部ハッチを空けるのを後ろで見ていた。
さっきタイヤの空気を抜いた時、スペアタイヤがシャーシの下の部分に無い事は確認していたので、この車のスペアタイヤはラゲッジスペースのシートを捲った下に収められている事は分かっていた。
前かがみになった男の背中を飛び越えるように勢いよくジャンプして、腕を男の首に巻き付ける。
前のめりになっていた男は、何の抵抗も出来ずに直ぐに失神した。
工事現場の警備用に着ていた光を反射するベストの裏側を探ると、思った通り拳銃を隠し持っていた。
出てきたのはトカレフ TT-33、旧ソビエト時代の代物。
現在のウクライナ軍では、同じロシア製でもマカロフ PMを使っている。
空のゴルフバッグの中にはAK-47用の空弾倉が一つ、リュックの中には予備のシールドワイヤー。
車の定員からすると、マンホールから地下に入っているのは2人から4人だろう。
そして何のために入ったかは明白。
爆弾テロ。
「ユリア!」
急いで失神した男を縛って警察に連絡しなくてはと思い、手伝ってもらおうと思ったが、ユリアは既にいない。
男が離れた隙に、マンホールから地下に入ったに違いない。
“もう!”
危険な場所なので少し苛立って、急いで男を身動きできないように縛り上げ、慌てて俺も中に飛び込んだ。
何とか、ユリアが奴らと遭遇する前に見つけ出さないと、大変なことになる。
おそらく奴らは新ロシア派のテロリスト。
ユリアがもし捕まって、ウクライナ軍の兵士であることがバレたとすれば、それは死を意味することになるかも知れない。
マンホールの下に着くと、トンネルは左右に分かれていた。
“どっちだ……?”
ここで逆に行ってしまうと、会える確率がいきなりドン底になってしまう。
「ユリアー!」と大声で叫んでみるが、声を出した途端、左右から反射した自分の声が何度もこだまする。
入り組んだ地下迷路では音が反射するために、通路の色々な場所から音が聞こえて来て、まるで当てにならない。
寮の部屋の鍵に付けたLEDライト付きのキーホルダーで僅かに流れている水の濁り具合を見た。
ユリアがもしもこの流れる水に足を掛けたなら、靴の裏や水路の苔が少し混じっているはず……。
少しだけ水は濁っていたので、流れの上流に向かうことにした。




