八杯目
シリアル
「チキチキ第一回どうして祠がなかったのか大議論たいかーい! いぇーい!」
「おいこら待て。さっきの涙はどこいった」
「ナンノハナシ」
「はぁ、まあ元気になったならいいけどな」
「……ヒクッ……ェグッ……うえぇ……オロロロロロロ」
「せめて嘘泣きは最後まで完遂して欲しかった」
孝に連れられてマンションに帰ってきた千里は、すでに泣き止んでいた。
不覚だ。まさか涙が出てくるとは思わなかったぜぃ。こうなったら、さっきのことを冗談にするしかない。つまり、そんなことはなかった作戦。いまオレの頭の良さに全人類が嫉妬する。ふへ」
「全部声に出ているぞ」
「なんという罠」
「今日のお前はいつにもましてアホの子だよな」
「アホの子言うなし」
「はいはいそうだよな」
「頭を撫でるない!」
帽子の上からぐりんぐりんと撫で回される。首が痛いのは気のせいじゃない。
千里たちは、相も変わらず背の低いクリアな机を挟んで座椅子に座っていた。机の上には牛乳が二つ。台所にはカレーの入った鍋が一つ。
うむ、この香しい匂ひを嗅ぐと心が落ち着く。座椅子も良い。このお尻のフィット感に勝るものなし。
「で、だ。どうして祠とやらがなくなっていたか、心当たりはあるのか?」
「現実に引き戻されたとか。いやさ、祠の話じゃない。たぶん祠は次元の狭間に落ちたんだよ」
「……まぁ、お前が女になったんだからなにがあってもおかしくないわな」
「もしくは別の世界線に移動した」
「これからどうするよ」
「華麗にスルーか。カレーを食べよう」
「つまらん」
「ちぇー」
別にオレも面白いと思って言ったわけじゃないけどね。なんにせよ、女に変わってしまってもオレは生きていかなくちゃならんわけで。
時刻はまだ五時を回る前。お腹が減るにはまだ早い。
千里は片づけでもするかと、いそいそと立ち上がって、クローゼットを開けた。中身を確認して固まった。そして何事もなかったかのように閉めた。
ふう、と息を吐いて座椅子の定位置におさまる。
「ところで夕飯はカレーライスにしようと思うんだけど」
「なかったことにするな」
「ゆるして」
孝は立ち上がって、クローゼットの前に向かった。
千里も立ち上がって孝の前に躍り出た。
孝が右にでる。千里が右に。左に。左に。右右左左前後左右上下回転。
孝は千里が女になったことで強く出られないでいる。これが男のままだったら無理矢理どかすだろうが、触れれば折れてしまいそうな身体にはそれが出来ないのだ。
千里も当然それを理解した上でとおせんぼをしているから末恐ろしい。
「……俺にも見せて欲しいな」
「いあいあ、人間知らない方がマシなことも」
「それは俺が決める」
「かっくいい台詞だが断る」
「隙だらけだっ!」
言葉を弄せばすぐに隙が出来る千里だった。
千里の横を孝が抜ける。
「な、なにぃ!? ふはっ、フェロモン全力全壊!」
ふはははは! これであなたも私の虜! 気持ち悪いね、わかります! なぜか知らんがフェロモンの動きが見える! 見えるぞ! 私にも見える……!
「おまっ! それは卑怯だろ……あ、くそ……思考が鈍るってどんだけ……だ、が……」
「ふぅー、どやん」
千里はやりきったとドヤ顔だ。
孝が腑抜けてしまったのを確認すると、「キュッと」止めた。
「甘いっ!」
「バカなぁ!?」
だが腑抜けたのはフリだった。孝は千里が襲われるのを厭うてすぐに止めることは承知だったのだ。
千里が止めようと手を伸ばすが、それより早く孝がバッとクローゼットを開けた。
千里は手を伸ばしたまま固まってしまった。
「あ、ああ……」
「……特になにも変わってないと思うが」
ハンガーに掛けられた、ジャンパーやコートの数々。
どうして千里はそうまでこの中身を見られたくなかったのか。訝しげに首を傾げるが、よくわからない。
孝の視線が一つ一つ確認するように動いていく。相変わらず、女になってしまった千里には似合いそうもない上着の数々。制服。スカート。いや、その理屈はおかしい。
ふぅ、と孝は首を振ってクローゼットを閉めた。
「お前にそんな趣味があったなんて知らなかったよ」
「ち、違わい! 違わい! オレだってあんなものを入れた覚えはない!」
孝はやれやれと首を振る。
「現実はいつも非情だよ」
「そんな現実<リアル>なら捨ててやる!」
いや、本当にわけわからん。どうして他の私物は男物なのに、狙ったように制服だけ女子のとか、意味不すぎて笑えてくるね。嘘だけど。ちくしょーが。
さて、状況確認をしよう、といつになく真面目に言うと孝も向かい側の座椅子に座った。
「オレたちはなにか重要な勘違いをしていたのかもしれない」
「ああ、千里が変態だったなんて知らなかったよ」
「そうじゃないやい!」
「大丈夫、千里がたとえ昔から女性化願望があったとしても、俺は態度を変えないから」
「男なら誰しも一度は思うはず」
「え?」
「え」
こほん。
「そーじゃなくて、オレが言いたいとはだな」
立ち上がって勉強机の引き出しを引いた。案の定、いやさそこに閉まったからあるのは当たり前なんだけど。この状況に置いては過去になにをやったなんて意味はないかもしれないから。
オレはそれを机の上に放り投げた。
そして、所定の位置に戻る。
「生徒手帳?」
「そ。たぶんそこにオレたちが求める答えがのっていると思う。主にオレの名誉挽回のためにも見れ」
オレの予想通りなら、かなーり面倒なことになりそうだけどね。
「見るぞ」
「実はオレは見たくない」
孝がページをめくる。1ページ目。そこには生徒の写真が載っている。
「は?」
「あちゃー」
載っている写真は銀髪で緑の瞳の万人が認める美少女。つまり、今のオレ。知りたくなかったこの現実。
孝は静かにそれを閉じた。
そう、オレたちは忘れていた。
「TS物で特定の人物、主に親友だけが覚えてるパターンも王道だということを」
「なにそれ怖い」
「あ、孝もネットスラング」




