十五杯目
現在、廊下の随所に設置されている水道の前、よりも少し離れた場所。
オレは困っていた。
……なんでか知らないけど、一向に水道があかない件。割り込みにつぐ割り込み。あいた、と思うとどこからともなく先輩の女子が現れて、華麗な連携プレーで実質水道があく時間がゼロ秒に。
正直面白くて笑いが止まりません。だって、必死にオレが使えないように頑張ってると思うとさ……顔真っ赤ワロタ。ぷくく。
「……なんであいつ笑ってるのよ」
「知らないよ。気でも触れたんじゃない?」
「言えてる!」
「ぎゃははは!」
ま、にしてもそろそろ鬱陶しい。
オレに奥の手を切らせるとは、中々やるじゃないか。
オレはおもむろに近づいた。
「あ、今あたしら使ってるんで」
「あんたは別のとこいってねー」
「そこでも使えるか知らないけどね」
「ぎゃははは!」
「秘技、名状しがたい匂いのようなもの。はーーーーーーーっ……」
「「「「カレーくさっ!!」」」」
良い匂いと言ってくれたまへ。
「き、気持ち悪いのよ!」
「どこか行ってくんない!?」
「っつか、その口臭女やめてるでしょ」
「ぎゃははは!」
おい、四番目。ぎゃははは以外も喋れし。
カレーの口臭とか、素敵やん。
まあいいや。まかり通る。
「はーーーーーーーーーっ……」
「べつに鼻摘めばいいだけだし」
「バカじゃないの?」
「ナメてるでしょ」
「ぎゃはっは!」
「正直イケると思ってた」
「「「「ばーか!!」」」」
「うぬぅ……」
大分羞恥をかなぐり捨てて行ったというのに、まさか鼻を摘まれるとは。
……バカとか言うなし。
「歯磨かせて」
無視された。ちくせう。
「いいじゃん」
無視ん。
「ねえ」
無視。あ、別の女子が来た。それは退くとか。
「水」
無視、か。
男子は遠くで見てるだけ。
……見てるだけ。
ふむ。
「せいっ」
リーダー格っぽいののスカートを全力でめくってみた。
あ、クマさんパンツ。ギャルっぽいのに随分可愛らしい趣向の持ち主で。
ん? みんなが固まってるー。お日様も固まってるー。るーるるるっるー。
「じゃ、そういうことで」
「待てやおい」
ですよねー。ですが待てと言われて待つほど大人じゃいんですわすわ。
「お前ナメてんのか? って、待て!」
「あーばよ、とっつぁーん!」
ふははは! 廊下を走らせたら俊足と言わしめた我が実力とくと見るがいい!! ふぁーーはっはっはっはーーー!!
「な、ナメてるでしょ、ねえ?」
捕まったなう。
さっきの四人に校舎裏で囲まれてるぜぃ。途中で学校の外に逃げたのが失策だった気がす。校舎が背後にあるから、どう逃げよう。
余裕ぶっかましてるけど、実はピンチでっていう。
「ナメてないっす。ナメたら汚いっす」
手を顔の前でぱたぱた振って言った。
「ガキか!!」
「の、野尻さん! 今はそんなこと言ってる場合じゃないです!」
「とりあえずシメましょうよ」
「ぎゃははは!」
リーダーさんは怒りっぽい性格のようだ。
……仕方がないね。この手は使いたくなかったんだけど。
後ろ手で……うし、準備かんりょー。
「とりあえず殴る。んで男どもを呼んできて輪姦『まわ』す」
「さすが野尻さん! やることがパない!」
「うちらに変に逆らうからだ!」
「ぎゃははははははははは!」
「そんな! こんな香冷高校特別棟裏で私を輪姦『まわ』すなんて!」
「いまさら泣いて謝っても無駄。助けを求めたところでこの学校でお前を助ける奴なんていねえよ」
「身の程をしれって!」
「見てくれだけのくせに!」
「ぎゃーは!」
「学校中にハブられている私じゃ誰にも助けを求められないわ! どうしよう! やめてよ三年生の野尻さん! 山崎さん! 村田さん! 音霧さん!」
ふぅ……この程度で良いかな。不良っぽいのに名札をご丁寧につけてくれていて、楽だったよ。
「ふん、いまさらわかったところで「これなーんだ?」はぁ?」
オレは後ろ手に持っていたものを見せつけるように取り出した。
楽しいね。思わず笑ってしまうよ。
「ケータイ? それがどうしたの? バカでしょ」
さて、一度くらいちゃんと話すか。訝しがる四人を余所に、オレはそれを耳に当てた。
「えっと、聞こえてました?」
『ああ、聞こえていた。こちらの声がそちらに聞こえるようにしてくれないか』
ようやく事態が飲み込めたのかケータイを奪い取りにくる四人『ばか』。
残念、もう遅い。
『こちら○○警察署だ。今の話、詳しくお聞かせ願おうか。野尻さん、山崎さんに村田さんと音霧さん、だったかな』
ひぇっ、声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
110番ってとても素敵だと思うんだ。
うなだれる四人『ばか』を尻目に一人くすくす笑っていた。
……あ、結局まだ歯を磨いてない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お咎めなし。彼女らに罰は与えられなかった。
そもそもあの話は表沙汰にすらなっていない。
それはもみ消されたとかではなくて、偏にオレが口添えしたからに他ならない。冗談だったんですよって。
これで下手に罪になって、連中が自暴自棄になったらそれこそオレにはどうしようもできない。死亡フラグとわかっていて踏む阿呆じゃないので。
電話に出てくれた警察のおっちゃんはすぐに全ての事情を察してくれて、今度もしもなにかあったらすぐに連絡しろとまで言ってくれた。
ついでにうちの高校にもちょっとした注意を呼びかけるそうだ。
そして最後に四人『ばか』に向かっておっちゃんが言った。
もしもなにかをしたら、全力で重い罪にしてやるからなって。良い人だと思う。警察としてはどうか知らないけど。
ま、これで少しはいじめっ子共への牽制になったと思う。
ここからは出たとこ勝負だ。
「……という感じで終わったのら」
「エゲツねえ」
「エゲツナいわね」
「エゲツナい……かな?」
「バカな」
ことの顛末を話し終えると、三人、孝と安西さんと絵里ちゃんはうわぁ……という顔でオレを見た。
聞くところによるとオレが四人『ばか』に連れ去られたという噂がすぐに広まったそうなのだ。孝はオレを助けるために奔走して、安西さんと絵里ちゃんも人脈を使いオレを探していた。
まぁ、他の学年やら組の女子に邪魔されて捜査が難航していた頃、オレがなに食わぬ顔で帰ってきた、というわけだ。
ものすごい形相で詰め寄られ、心配された。安西さんは決してそれを認めようとしないけど。ツンデレの鏡。
で、なにがあったのか説明してくれと言われ、懇切丁寧に説明するとエゲツナいと一蹴された。泣きたい。
「で、本当に大丈夫なのかよ」
「よゆう」
「嘘つけ」
「そんなことより孝はもっと褒めるべき」
「震えが止まってたらな」
……うへぇ。いやいやいや。安心したらどうとかないですよ。実は怖かったとかあるわけないじゃないですか。ねぇ。だって。
……褒めてくれたっていいじゃないか。オレだって頑張ったのに。こんなんでも頑張ったのに。震えが止まってたらってどういうことさ。怖がらずに対処できたら褒めてくれたのかよ。ちくしょー。
「……ああもう、ほら」
ぽふっ。
不意打ち気味に抱きしめられた。いまは身長の差があるせいで、ちょうど孝の腕にすっぽり入ってしまう。
「……セクハラ」
「うっせぇ。身体震わしながら強がんな」
「……うぅー……たかしのくせに生意気だぁ……」
「はいはい」
「これでも怖かったんだからなぁ……」
「わかってるよ」
「がんばったんだぞ……」
「知ってる」
「……撫でろし」
「はいはい」
なでり……なでり……孝の大きな手が髪の毛を梳くように千里の頭を何度も往復する。撫でられる度に、千里は気持ちよさそうに吐息を漏らし目を細めた。
その光景に教室にいた人間全員が息を飲んだ。今朝突然強気になった銀色の少女はその実、弱いままだったのだ。抱きしめられたまま、縋るように身体をあずけ震わせる。頬を染めて上を見上げる様は、何人もの生徒の心を打ち抜いた。
「あれで付き合ってないとか……バカじゃないの?」
「千里ちゃんすごく可愛い……」
む、う……くそぉ……女性ホルモンめぇ……オレは……男なのにぃ。
……あ、でもまあいいやぁ。気持ちいいし……抱きしめられてると、安心できる……今はしばらく、このままでいたい……。も、ちょっと……ぎゅっと。
「ぎゅっとして……」
「お、おう」
孝は強く抱きしめた。教室の中に突如作られた二人だけの空間は、独り身の人間にひどく有害だったそうな。
女性ホルモンによってか、千里の心は千里が思っている以上に女性よりになっていっている。抱きしめられて安心を感じるというのがなによりの証拠だ、
孝はそれを感じ取っているが、なにをどうしようとかは考えていない。抱きしめたのだって、考えるより先に身体が動いたのだ。平静を装っているが頭の中は、柔らかい細い暖かいちっこい可愛い良い匂いの無限リピートだ。素数を数える余裕すらない。油断すれば取り返しのつかないことをしそうで、ぎゅっとしてと言われたときにはぎょっとした。
くやしい……でも落ち着いちゃう……くすんくすん……
思考が女性寄りになろうと、千里は平常運転だった。
110番って偉大ですよね。




