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魔槍の主人


 独立国式典を二日後に控え、トーラス辺境伯の屋敷は深夜になっても大勢の人々が出入りし、賑やかな声が聞こえる。

 シャーロットはアザレアからプレゼントされた翼ケープを寝巻の上から羽織り、外から聞こえる喧騒を子守唄に長椅子で横になって微睡んでいる。

 部屋にはピンクのベビーベッドにレースで縁取られた可愛らしい寝具が準備され、アザレアはベッドの上で子供服を編んでいた。

 その時突然の爆音が部屋を揺さぶり、眠りかけたシャーロットは素早く起き上がると、アザレアも大きなお腹を気にしながら身構えた。

 部屋中が軋むように震えると、壁掛けの肖像画が外れテーブルに置かれた花瓶が倒れて割れる。

 天井のシャンデリアが激しく揺れているのを注視しながら、シャーロットはアザレアの側に移動すると指にカイザーナックルをはめる。

 再び扉が音をたてて開かれると、血まみれの兵士が駆け込んできた。


「アザレア様、早くお逃げ……ぐうっ!!」


 そう告げると、背中に大きな傷を負った兵士は膝から崩れ落ち床に倒れる。

 アザレアが慌てて兵士に駆け寄り、手を伸ばす。


「きゃあ、なんて酷い怪我。今すぐ手当てをしなくては」

「俺のことは見捨ててください。館に侵入した魔人は、アザレア様の名を叫びながら探しています」


 開かれた扉の外から聞こえる悲鳴と喧騒、廊下に立ち上る煙をかき分けてエレナが現れる。


「アザレア様シャーロット様、ご無事ですか。おふたりは安全な場所に避難して下さい」

「エレナ、早く彼の手当てをしてあげて」

「今は時間がありません。アザレア様は独立国の御橋、魔人に奪われてはなりません。私がここで魔人を食い止めます」


 エレナはそれでも手当てをやめないアザレアを、兵士から引き離そうとした。

 その時、シャーロットの背後の壁が激しく音を立てて崩れ、粉塵の向こうから異形の人型が姿を現す。


「見ぃ、みつけたぞぉ、アザレアぁ」


 わずかに人語と聞き取れる声を聞いたエレナは、アザレアを背後に庇い細身の剣を構えて邪魔をする。

 両目の位置に黒々とした穴の空いた魔人は、目の前の少女の白い翼を乱暴に掴む。


「貴様、卑怯だぞ。シャーロット様を離せっ」


 今すぐシャーロットを助けたいが、エレナはアザレアの守りを最優先にしなくてはならない。

 魔人はニタリと笑い、左腕と同化した禍々しい魔槍の先端を彼女の細い喉元に突きつけながらアザレアににじり寄る。


「あなたは誰ですか? やめて、シャーロットちゃんを傷つけないで」

「ゲヘヘっ、やっと会えたアザレア様。あの時死にかけた俺を、アザレアは女神の力で救ってくれた。それからずっとずっと、ずっズットずっト、貴女だけを想っている」

「私は、あなたなんて知らないわ!」


 突然意味不明な事を話す魔人に、戸惑いを隠せないアザレア。


「俺がこんなに愛しているのに、アザレアは何故あんな役立たず王子ダニエルと、結婚した? アイツはいつも、アザレアは姉としか思っていないと言っていたのに!!」


 苛立った異形の魔人は捕まえた娘の喉を裂こうとするが、シャーロットが手のひらで魔槍の先端を掴むと、どんなに力を加えても槍はピクリとも動かせなくなる。

 

「穢らわしい魔人、よくも女神アザレア様のお部屋を滅茶苦茶にしたわね」

「生意気な口を聞く小娘めぇ、俺様は森のゴブリンを一匹残らず血祭りにあげたんだ。今ここで串刺しにしてや、アガッあ!!」


 それまで様子見で大人しくしていたシャーロットは、後ろを振り返ると同時に床を蹴り、巨人族の剛脚で勢いよく魔人の股間を蹴り上げる。

 突然の反撃に、マックスは急所攻撃を防げずに悲鳴をあげて悶絶する。


「高位魔獣の血は魅惑的な香りだけど、お前の返り血は臭い。ゴブリンは格上の魔獣には決して手を出さないから、お前は少し強いだけの格下魔人」

「ひぎゃあっ、き、貴様よくも俺様に逆らったなぁ。アザレア以外の人間は全て聖槍の餌にしてやる」

「あら、自由に伸び縮みする槍なんて珍しいと思ったら、これが王族の聖槍なのね」


 シャーロットは異様な角度から伸びてきた槍先を踊るように避けると、逆に槍の柄を片手で握り主導権を奪い、剛腕で魔槍をマックスごと振り回し天井と床に叩きつける。

 同じ五つ星魔力でも、百戦錬磨のシャーロットとは実力に雲泥の差があった。

 聖教会が捕えた異教徒を魔槍で処理してレベル上げをしたマックスは、中級者程度の戦闘技術しかない。

 シャーロットが戦っている間、アザレアは血まみれ兵士の手当てをして、背中に薬草チンキを塗る。

 ここ一年で薬草チンキは更なる改良がなされ、大怪我や不治の病も速攻で治せるようになり、薬の鶏糞臭も三倍に増した。

 嗅覚の優れるエレナは匂いに耐えきれず涙を流していると、なぜか魔人が動きを止める。


「そうだ、この匂い、思い出したぞ!! 大怪我をした俺に、貴女は優しく薬を塗ってくれた」

「私があなたに薬草チンキを使った覚えはありません」

「アザレアは狼の魔物に殺されかけた俺を救ってくれた。俺の命の恩人なのに、どうして覚えていない」


 身に覚えが無いと首をかしげるアザレアと、絶望の声を上げるマックス。

 それを見たエレナは全てを理解する。


「なるほど、そういう事かマックス。お前がダークムーンウルフに襲われて死にかけた時、薬草チンキで傷を治したのはダニエル王子だ。その後アザレア様が現れた」

「う、嘘をつくなエレナ。あの時、俺はアザレア様に助けられたんだ!!」

「お前、私が学友だったエレナだと覚えているのか。嘘もなにも、そもそも薬草チンキが出来たのは、貴様が殺そうとしているシャーロット様のおかげだ。この恩知らずめ!!」


 知らされた真実にマックスが混乱する。

 まさか、自分を助けたのはアザレアを奪ったダニエルなのか!!

 その時、扉のあった場所から突風のような覇気が吹き込み、燃える赤毛を振り乱したガチマッチョが駆け込んでくる。


「アザレアぁ、無事かぁあーー!!」

「ダニエル、私は大丈夫よ。それよりシャーロットちゃんが」


 アザレアを抱きしめながらダニエルが見たのは、巨人族の剛拳に仕込んだカイザーナックルで、敵に強烈なパンチを連打するシャーロット。

 気持ちよく暴れる彼女の邪魔をしたら怒られると、ダニエルは戦いを傍観することに決めた。


「嘘だ、うそだぁ。俺を救ったのがコイツなんて、そんな話信じるもんかぁ!! ウソウソだ、うグう」


 シャーロットは混乱する魔人の攻撃を素早くかわし、高くジャンプして横っ面を膝蹴りする。


「シャーロット様、魔力の流れが見えます。その槍は魔人の心臓から魔力を供給しています」

「魔人に寄生する王族の聖槍は、それ自体が意思を持つ。シャーロット嬢、気をつけろ」


 声を聞いたシャーロットは拳と蹴りの攻撃をやめ、アンドリュース公爵から貰った五つ星火魔法ナイフを魔槍の柄に深々と突き立てる。

 ナイフと魔槍の魔力は拮抗、シャーロットは刃先を力任せに硬い柄に突き立てると、ハンマーのようにナックルを打ち付ける。


「さすが巨人族の剛腕、五つ星武器の聖槍すら真っ二つにへし折る」


 ナイフが根元まで魔槍に食い込むと、マックスの体が激しく痙攣する。

 ゴトンッ、鈍い音をたてて肩から魔槍が外れる。

 それは大蛇のようにヌメヌメと這い出して、次の寄生先をシャーロットに定め襲いかかってきた。

 シャーロットの心臓目がけ伸びる穂先をカイザーナックルで殴り留め、胴を掴んで床に叩きつける。

 魔槍を折り曲げて踏んで蹴っているうちに、シャーロットのケープが純白から灰色に染まり、漆黒の四翼を広げ中の人が現れる。


『可愛いシャロちゃんに寄生するのは僕だけだ!!たかが中ボス程度のヘボ魔槍が、僕の宇宙一尊い、超最高特級スペシャル美少女シャロちゃんを狙うなんて、一億一兆年早いんだよ!!』

「寄生って、やっぱりゲームオ様も寄生虫、いいえ悪魔なのですね」

『僕は悪魔なんて大げさなモノじゃない、憑依しているだけの人間だ。ちょうどいい、エレナが魔槍を拾え。お前は奪われる魔力が無い』


 シャーロットの中の人は魔槍を掴むと、エレナに穂先を向ける。

 狙いをエレナに変えた魔槍が襲いかかり、左の指先に浅く刺さると、少し爪が黒く染まるがそれだけ。

 寄生主が魔力ゼロのエレナになった魔槍は、蛇のような動きを止め、ただの棒切れになってしまった。

 肩から魔槍が剥がれ落ち、心臓がむき出しになったマックスは苦しげにうめき声をあげている。

 その暗い穴のような瞳に宿る、微かな光を見たアザレアが驚く。


「貴方の緑色の瞳はもしかして、あの時、ダニエルと一緒にいた近衞騎士の人?」

「あ、アザレ、俺を覚えて……うれし……」


 マックスの瞳から涙が一粒流れると、魔人化した体はグズグズと泥のように溶けて瞬く間に骨も残さず消えてゆく。

 兄の仇である男の最後を見届けたダニエルは、後ろを振り返るとエレナの握る聖槍を見て深くため息ついた。


「王族の聖槍も、ここまで穢れてしまっては、普通の人間には扱えないだろう」

『コイツはレア武器だけど、俺のシャロちゃんに寄生しようとした!! 今すぐへし折って燃やしてやる』


 エレナに寄生した魔槍はとても握りやすい太さで、長年使い慣れた得物のような持ちやすさだ。


「お待ちくださいゲームオ様、魔槍は学友マックスの形見として私が譲り受けます。お願いしますダニエル陛下。私が所有している間、決して魔槍に悪さをさせません」


 エレナは目の前で魔槍を左右に大きく旋回させ、指を離すと掌に柄が張り付いて離れない様子を見せる。

 

「確かに、武術に優れエルフの血が流れているエレナなら、聖槍を使いこなせるだろう」

 

 ダニエルは複雑な表情で頷き、魔槍はエレナのものになった。

 これだけ戦闘能力のあるエレナが、何故ゲームに登場しないのかとシャーロットの中の人は首をかしげる。

 ゲームで魔槍を持つ魔人に襲われたのは、くっコロ女騎士リーザだった。


『アザレア様の代わりに、リーザが第三王子に犯された。そしてリーザの代わりに、アザレア様が魔人に執着される。つまりこの世界は登場人物は変わっても、必ずゲームと同じ現象が起こる』


 ゲーム魔王はダニエルだが、現在の彼はかなり優柔不断、妻に尻を敷かれる脳筋ハリボテ新国王。


『誰が、ダニエルの代わりに魔王になる?』


 中の人は、これまで数々の苦難を乗り越えてきた仲間たちを見回すと、彼女の呟きに聞き耳をたてていたエレナが不思議そうな顔をする。


「ここでダニエル陛下と対等の力を持つのは、シャーロット様だけです」

『確かに今の魔人バトルで、シャロちゃんのレベルは更に上がった。次ダニエルと戦ったら、もしかして勝てるかもしれないけど……』


 ふと壁のひび割れた姿見に目を移すと、そこには波打つ金髪を乱し、漆黒の四枚羽根を大きく広げたシャーロットの姿が映る。

 魔人すら軽々と屠り、神の次席と伝承にある巨人族の覇気を全身に激らせた美しい少女。

 

 その姿は……まるで。



※※



 魔人襲撃騒動後も、トーラス辺境領独立・聖アザレア神国・建国式典は延期される事なく準備が進む。


「国境となる検問所では女神アザレア教徒、及び改宗者のみ入国を許可します」

「海上が荒れているため、シュシュ女侯爵の到着は遅れています」

「ラドクロス伯爵が、大量の穀物を携えて辺境に到着しました」


 建国式典当日、空は雲ひとつなく晴れ渡る。

 辺境伯の屋敷正面にそびえ立つ、わずか数日で造られた超巨大・豊穣の女神像周囲には、アザレア女神教旗を振る信者や戦闘服の冒険者、町民農民たちが集う。

 厳粛さは皆無、まるで収穫祭のように騒々しくにぎやかな会場。

 正午を告げる鐘の音とともに、女神アザレア教ホプキンス大神官の言葉が響き渡る。

 人々はその言葉に耳を傾けていると、母親に抱かれた赤子が笑いながら空に手を伸ばし、つられて天を仰ぎ見た母親が驚きの声をあげ、隣の父親が豊穣の女神像を指差す。

 遥か上空を大きな黒い影が横切り、小さな白い鳥が飛び立つと、青空をくるくると旋回しながら降りてくる。


「アレは鳥じゃない。人の形をしている」

「わぁ、天使様の羽が四枚あるよ」


 人々が固唾を飲んで見つめる中、超巨大・豊穣の女神像の指先に、黄金天使が純白の四翼を広げて舞い降り、空から轟音をたてて落ちてくる黒い影、聖獣グリフォンの姿に歓声が湧き起こる。

 続いて辺境伯屋敷の大扉が開き、登場した純白の白虎の背に跨ったアザレアは、勇ましく女神像を駆け上がる。

 超巨大・豊穣の女神像の掌に整列したグリフォンと白虎、そして黄金の天使。

 アザレアは大きなお腹を気にしながら白虎から降りると、ダニエルではなくシャーロットの手を引いて人々の前に立つ


「私アザレア・トーラスは、黄金の天使シャーロットの導きにより、豊穣の女神アザレアへと覚醒しました。女神アザレアはこの地に新しい国を、聖アザレア神国を築きましょう」


 豊穣の女神への祈りは日々の暮らしの中に根付き、心の支えになっている。

 この日、人々の祈りの声は天に届き、女神が彼らを救うために現れた。

 

「うぉおおっ!! 豊穣の女神バンザイ」

「女神アザレア様、俺たちはどこまでも女神様に着いて行きます」

「アザレア、アザレア、アザレーーーアァァ」


 熱狂的な歓声は台地を揺るがし、アザレアの次に聖アザレア神国・建国宣言予定のダニエルは、しばらく後ろで控えるしかなかった。

 それはまるで神話のような出来事、歴史に残る式典は非常に短時間で終了する。

 聖アザレア神国・建国式典後、人々に振る舞われた女神の酒(高級薬草蜂蜜酒)はとろけるように甘く、一口飲むと歯の痛みが消え二口飲むと折れた腕が元通りになり、全部飲み干すと大病が癒えた。

 豊穣の女神アザレアは、国民全てを癒すという奇跡を成し遂げる。




 同日同刻、辺境より遥か南西。

 サジタリアス王都では、豊穣の聖女シルビア就任式が行われる。

 王都聖教会・大聖堂は荘厳な音楽が流れ百人ほどの上級信者たちが見守る中、法王と共に現れた豊穣の聖女シルビア。

 純白の法衣ドレスには色とりどりの高価な宝石が散りばめられ、結い上げた白銀の髪に真っ赤な薔薇を飾る。

 新たに誕生した豊穣の聖女の華やかな姿に、信者たちは歓喜の声をあげた。


「敬虔なる信者よ、私の話をよく聞くがいい。地の果て辺境にて女神の名を汚す毒女が、安物の薬草を用いて奇跡を偽り民を惑わせている。今ここで豊穣の聖女シルビアが、本物の奇跡を披露する」


 法王は杖を高々と掲げ、それを合図に祭壇の置かれた舞台の上に薄汚れた姿の怪我人たちが連れてこられる。

 魔物との戦いで手足を欠損した彼らの目には、憎しみと警戒心が宿っている。

 法王に背中を押されたシルビアは穏やかに微笑ながら、祭壇の前で床に手をついて這う男の欠損した脚膝に優しく触れる。

 聖女の細い指先から眩い光が溢れ出ると男の体を包み、さらに膨れ上がった白銀の治癒魔法の輝きは大聖堂の中を満ちて、開け放たれた窓から白光は建物とその周囲に集まった人々を丸ごと包み込む。

 やがて光が収まると、祭壇の前にいた男は両足を踏ん張って立ち上がる。


「ま、まさか信じられない。魔獣に喰われた俺の足がある」

「ありがとうございます、豊穣の聖女シルビア様!! モンスターの毒で溶けた腕が、新しく生えてきた」

「神の奇跡だ、えぐられた目や千切れた耳が元通り、マトモな顔になった」


 シルビアの五つ星治癒魔法は、高級薬草でも治せない身体欠損を再生でき、首を落とされなければ潰れた心臓すら元の状態に治癒できる。

 彼らはサジタリアス王国騎士団の中でも実力ある者だったが、怪我で用済みと国や家族から見捨てられた。

 

「この御恩に報いるため、どうか我々を聖教会騎士団に加えてください。豊穣の聖女シルビア様に忠誠を誓います」


 王族から聖教会側に寝返った彼らは、これから幾度も戦い殺されても蘇り、法王に使役されることになる。

 続いて聖女シルビアは、盗賊に襲われ殺された少女を信者たちの前で蘇らせた。

 息を吹き返した少女の隣で、魔力を使い切って意識を失ったシルビアの献身に、信者たちは感動の涙を流す。


「価値のある人間こそ、豊穣と蘇生の聖女の恩恵を授かれるのです。もはや我々は死を恐れることは無い」


 その場にいる者が一人一人、眠る豊穣の聖女シルビアへの忠誠を誓う。

 今ここにいる選ばれた信者たちは、地位や名誉や力や金をいくら積んでも不可能だった、永遠の命の鍵を手に入れた。

 

「私は予言しよう。世界を滅ぼす悪しき魔王と、女神を超える力を授かった勇者が出現する。勇者は豊穣の聖女シルビアと共に世界を救い、我々を永遠の千年王国へ導くだろう」


 豊穣と蘇生の聖女・シルビア就任式典、クライマックス。

 人々の視線がシルビアに集中している隙に、法王は祭壇の影に身を隠し、懐から小さな石を取り出すと床に落とし靴底で踏み砕く。



 爽やかに凪いでいた風がぴたりと止み、どこからか生臭い獣の匂いが漂ってくる。

 晴れ渡る空に不気味な紫色の雲が湧き出て、ゴロゴロと雷に似た音は、耳をつんざく吠声に変わる。

 突然、紫雲に覆われた空に、白銀の巨大な翼を持つ幻影が映し出される。

 伝説の厄災と呼ばれる六つ星魔獣エンシェントホワイトドラゴンが、荒れ狂う海の向こうから現れ、浜辺の村を次々と襲っている。

 ピコピコと子供の笛のような高音で不思議な音楽と妖精のおしゃべりみたいな歌声、見たことのない奇妙な文様が雲のように浮かんでは消えて流れてゆく。

 人々は驚愕で声を上げることもできずにいると、音が消え奇妙な紋様の最後に、赤く点滅する九つの巨大文字が現れる。



 Ψ GAME START Ψ



 巨大文字は、王都から遠く離れた辺境の空にも映し出された。


「この空は一体、何が起こったの?」


 アザレアから不安げなつぶやきが漏れ、隣で唖然と空を見上げていたシャーロットは、突然苦り切った声をあげる。


『嘘だろ、あれはゲーム冒頭に出てくるエピグラフ。しかも日本語だからこっちの人間には読めないぞ!!』


 ゲームの始まりは聖女シルビア十四歳生誕祭だが、現在シルビアはまだ十二歳。

 

『そうか。シルビアの年齢ではなく、【豊穣の聖女就任式】がゲーム開始の合図。ゲーム補正で探しても見つからなかったエロ勇者が、ついに姿を現す』


 ゲームで魔王に滅ぼされた辺境は聖アザレア神国となり、魔王ダニエルも亡者の姫アザレアもゲーム仕様から外れた。

 モブキャラだったシャーロットは五つ星魔力持ち、そしてアンドリュース公爵は生存中。

 中の人はアンドリュース公爵に頼んで、ゲーム世界の主人公・勇者と同じ黒髪赤眼男子を調べさせたが、一人も該当者はいなかった


『魔王がいないから、シャロちゃんもアザレア様もエロ勇者に関わる必要はない。でも何か、とても大切な事を忘れているような』


 先程まで祝賀ムードだった人々は、世界の終わりに現れると予言されたエンシェントホワイトドラゴンの幻影に怯え、絶望の表情で空を見上げている。

 ゲームのエンシェントホワイトドラゴンは、大陸の三割を破壊し人々を殺戮した。


『アレが陸に上がる前に、海で仕留める必要がある。そういえばゲーム冒頭で豪華客船が海の中に沈む映像があったけど、一回見て次からスキップしたから全然覚えていない』


 シャーロットの後ろに控えていたエレナは、覚悟を決めて魔槍を強く握りしめる。


「やっとサジタリアス王国から独立してたのに、エンシェントホワイトドラゴンに滅ぼされるなんて。せめてシャーロット様はドラゴンからお逃げください」

『えっ、なに言ってんだエレナ。お前がエンシェントホワイトドラゴンを討伐するんだよ』


 まるでスライムを倒すように簡単に言う中の人に、エレナは考えが理解できず硬直して動かなくなる。

 人々が混乱の中、巨大豊穣の女神像の真上を早駆けのワイバーンが飛んでくる。

 新国王夫妻の前に舞い降りたワイバーンの騎手は、息も絶え絶えで言葉を絞り出した。

 

「ダニエル国王陛下、緊急伝令です!! シュシュ女公爵家の船がエンシェントホワイトドラゴンに襲われたと、情報が入りました」


※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いですね。ゲームinモノで『中の人』の設定が面白いと思います。冒険ファンタジーとしては誤字等無く(修正お疲れ様です)設定構成がしっかりしていて、読みやすいです。物語はヒロイン陣営が纏ま…
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