天使の翼
季節は初夏。
サジタリアス王都から魔獣グリフォンに乗って四日目、シャーロットは久しぶりの深い森を眼下に眺める。
辺境トーラス領の北の山脈には薄っすらと雪が残り、魔獣のすみかである森が途切れたわずかな平地に辺境伯の屋敷が見えた。
屋敷の周りは大勢の人々が、祭りの準備をするかのように動き回っている。
重い荷物を下ろし腰をそらしながら空を仰ぎ見た男が、はるか上空を飛ぶグリフォンに気づく。
「おおっ、あのグリフォンは、若旦那様がお帰りになられたぞ。早くアザレア様にお知らせしろ」
グリフォンは重量オーバーの三人乗りで、途中薬草チンキをドーピングして、六日の道のりを四日間休み無く飛び続けた。
疲労と寝不足で不機嫌なグリフォンは、ゴウッと荒々しく翼を羽ばたかせると、屋敷の中庭に頭から突っ込むように降りて、背中の荷物であるダニエルとシャーロットたちは乱暴に振い落とす。
「うわっ、グリフォン、無理やり飛ばせてすまなかった。喉が渇いているだろう、誰かグリフォンの水を持って来てくれ」
背中から地面に落ちたダニエルは素早く立ち上がるとグリフォンをなだめ、エレナはシャーロットを抱えながらヒラリと軽やかに着地する。
慌ただしく到着した三人の周りに、人々は歓声を上げた。
「お帰りなさいダニエル、わたしの旦那様」
グリフォンの到着時間を事前に知らされていたアザレアが姿を現すと、さらに民衆の歓声は大きくなる。
ミントグリーンのドレスの胸元がふくよかになり、かなりお腹も目立ってきたアザレアを、ダニエルは軽く抱きしめながら後ろを振り返る。
そこには冬に会った時より髪が伸びて、アザレアと少ししか背丈が変わらないシャーロットが立っていた。
「まぁ、シャーロットちゃん。少し見ない間にずいぶんと背が伸びたのね。私とてもシャーロットちゃんに会いたかったの」
アザレアにとってシャーロットは、血は繋がらなくても本当の妹のように愛しい存在。
遠く離れた王都でシャーロットが母親に殺されかけたと知らされた時、驚きよりも手元の花瓶を床に叩きつけたくらい怒りに震えた。
すでに母親より強者のシャーロットが、親子の縁を捨てきれなくて母親の暴力に無抵抗で殺されかけたのだ。
首を絞められた時に付いたアザは、母親から四つ星魔力強奪の刻印であり、高級薬草でも消すことはできない。
でも今、目の前のシャーロットの瞳は力強い光を放ち、すでに彼女は苦難を乗り越えているとアザレアは理解した。
アザレアは無理に笑顔を作って招き入れるように両手を広げると、シャーロットは大喜びで抱きつこうとした手前で立ち止まる。
「私が女神様の大きなお腹を、触ってもいいですか?」
「もちろんいいわよ。シャーロットちゃん、どうして遠慮しているの」
「でも私の老化呪いで、女神様のお腹の赤ちゃんに影響が出たらどうしよう」
アザレアは立ちすくむシャーロットの背中に手を回し、包みこむように抱きしめた。
「シャーロットちゃんの老化呪いは時間を少し早めるから、お腹の子と早く会えるわ」
「この中に赤ちゃんがいるなんて不思議。わぁ、女神様のお腹が、少し動きました!!」
「ふふっ、赤ちゃんもシャーロットちゃんに会えて喜んでいるのね」
最初遠慮がちにお腹に触れていたシャーロットは、動いたお腹に驚くと耳をあてて子供の声を聞こうとする。
「そういえば私、シャーロットちゃんに蜘蛛レース糸を羽根模様に編み込んだ、ケープを作ったの」
シャーロットの肩にふわりとかけられたケープは、羽模様のレースが風を纏って天使の翼のように羽ばたき、前ボタンを留めるとハイネックで首のアザを綺麗に隠した。
「うれしいです女神様。このケープ、ウエディングドレスのヴェールとお揃いで、中から風が吹いてパタパタ揺れている」
「それはケープに私の白く脱色した髪を、風魔法の触媒として編み込んだの。まるでシャーロットちゃんは四枚翼の天使みたい」
ケープをはためかせながら喜んでアザレアの大きなお腹にキスをしたシャーロットの姿は、豊穣の女神の懐妊を祝福する黄金の天使そのもの。
宗教画の一片を切り取ったような神々しい様子に、周囲の人々は感動の涙を流しながら平伏し祈りを捧げる。
「黄金の天使様は辺境に富をもたらし、病弱だったアザレア様にお子を授けてくださった」
「ワシら辺境の民は、黄金の天使様にも永遠の忠誠を誓いますぞ」
寄り添う女神と天使の周りに信者達が集まってお祭り騒ぎになり、ダニエルが人混みをかき分けながら近づく。
「アザレア、実は急な知らせがある。驚かないで聞いて欲しいんだが、ええっと辺境伯領が……もし、もしも」
ダニエルが口ごもってゴニョゴニョと聞き取れない声で呟くと、それまで聖母の笑みを浮かべていたアザレアは、キリリと眉を上げ口元を引き締める。
「辺境伯領独立の話なら、私は半年前にアンドリュース叔父様から提案されました。もしダニエルに勇気が無いのなら、代わりに私が立つと決めていたわ」
「まさかアザレア、そんな前から辺境伯領独立を考えていたのか」
「ラドクロス領に押し寄せた王都難民を見て、サジタリアス王家と王都聖教会はもうダメだと理解したの」
「アザレア、王都難民の数は今の数十倍が辺境に押し寄せる。辺境伯領がサジタリアス王国に属する限り、難民を拒むことはできない」
ダニエルは改めて自分の周囲を見回した。
まるで何か祝い事の準備をしているような辺境伯の屋敷、庭の中央に石魔法で豊穣の女神像が建造中だった。
「私は豊穣の女神アザレアになると決めています。辺境伯領はサジタリアス王国から独立し、難民も女神アザレア教信者だけ受け入れます」
それは王都聖教会との決別。
異端と呼ばれる恐怖に小刻みに体を震わせるアザレアの腰に、ダニエルはたくましい腕を回し軽々と抱き上げた。
「外で立ち話しをしては、お腹の子供にさわってしまう。俺は王国の礎を築いた最強初代国王の生まれ変わりだから、アザレアは俺の隣で安心して微笑んでいればいい」
ダニエルの言葉に感極まったアザレアが、顔を寄せて口付けした。
それはまるで大人向け宗教画のワンシーンで、周囲の人々はヒューやらウワワァと声を上げ、特にダニエルの周りには兵士たちが群がり万歳が起こる。
「ダニエル様、僕たちの王様になってください」
「辺境に魔物討伐を押し付けて、ろくに支援もしないサジタリアス王にうんざりしていたんだ」
「王族の証である燃えるような赤毛のダニエル様こそ、俺たちの王に相応しい」
辺境北山脈の要塞で修行させられたダニエルは、仲良くなったマッチョ兵士たちに背中をバンバン叩かれながら、ラブラブ新婚夫婦は去ってゆく。
その姿を、シャーロットは少し眉に皺を寄せて見ていた。
『なぁエレナ、あんな情けないダニエルで、ちゃんとアザレア様を守れるのか?』
エレナの目の前でシャーロットの純白のケープが濁るとシルバーグレイに変色し、羽根模様の先端が尖り蝙蝠の翼のように広がる。
「大変お久しぶりです、ゲームオ様。確かにアザレア様の方が統治者向きだと思いますが、アザレア様はあまりお体が丈夫ではありません。ハリボテでもダニエル様に新国王を演じてもらいましょう」
シャーロットの中の人のダニエル評価は低いが、エレナもダニエルは優柔不断で詰めが甘いと酷評する。
もうすぐ辺境はダニエルを新国王として独立する。
ゲームの世界では、魔王ダール(ダニエル)が辺境を支配していた。
魔王と新国王、立場は違うがダニエルが辺境の支配者になるのは、ゲームシナリオの強制力か?
『ダニエルは魔人じゃない、人間だ。聖女就任式典で忙しい王都聖教会が、辺境領独立を阻止するのとは不可能。きっと大丈夫、大丈夫』
「ゲームオ様、何も心配することはありません。アンドリュース殿下以外の人間で、今のダニエル様に勝てる者はいません」
『そういえばあの筋肉ゴリラ、ダニエルは随分とシャロちゃんに嫌われていたな』
「どうやらシャーロット様は、思春期の娘が男家族を毛嫌いする、反抗期のようです」
『それってJKが「父さんのパンツと一緒に洗濯しないで」って言うやつか。シャロちゃんの好きなタイプは、童話のエルフ王子みたいな細マッチョだからな』
アレ?
それじゃあなんで、シャロちゃんは全然好きなタイプじゃない、ゴリマッチョなゲーム勇者を好きになったんだ。
**
だがしかし、ダニエルが辺境に戻る一日前、不気味な姿をした魔人が闇に紛れて辺境伯領に入り込んでいた。
遠くから最愛アザレアの姿を見つめていた魔人マックスは、空からグリフォンと共に男が現れ、ふたりが寄り添う姿を見ると牙をむき出しにして怒り狂う。
「クソォ、ダニエル!! 女神アザレアの隣に、なぜ出来損ない第五王子がいる。アザレアを汚したお前が、幸せになるなんて許さない」
以前は第三王子フレッドのもとで、一緒に働いていたダニエルとマックス。
ダニエルはフレッドから離れ、マックスは第三王子側近として汚れ仕事をこなすうちに、魔槍に魅入られ魔人化した。
人々から伝説の初代サジタリアス王の生まれ変わりと称えられるダニエルと、穢れた魔人に成り果てたマックス。
深い森に潜伏するマックスは慟哭の声をあげながら、肩から生えた大槍を振り回し周囲の木々を破壊して暴れていると、魔人の狂気に引き寄せられたゴブリン数十匹が一斉に襲いかかる。
「うがぁ、なんだこいつら。低級ゴブリンのくせに、俺の邪魔をするなぁ!!」
怒り狂ったマックスが振り回す大槍をゴブリンは素早くかわし、顔面に泥や腐った木の実をぶつけて目潰し、腕や足に群がると汚い歯で噛みついた。
王都では拘束され抵抗できない弱者を屠っていた魔人マックスは、格下のゴブリンに苦戦する。
「痛てぇ、なんで俺様がゴブリンごときにやられるんだ。クソクソSoオオ、貴様らゼンブ切り、刻nでやルゥ!!」
呂律が回らなくなったマックスの瞳が、ぽっかり暗い穴があいたように変化すると、腕に同化した魔槍が異様に長く伸びる。
荒れ狂う魔力の暴風は、目の前にいたゴブリンの首や足が弾き飛ばし、次々と串刺しにした。
逃げ出したリーダーのゴブリンキングを股から串刺しにて、頭上に高く掲げ魔物の生臭い血を浴びながらマックスは笑う。
「ソウだ、こんな森に隠れる必要はない。俺に逆らうダニエルや他の連中を全員殺し、女神アザレアを奪い返してやる」
それから数日後、運悪く深い森で野宿していた冒険者パーティが、何者かに襲われ全滅した。
辺境伯トーラス城は明後日の独立式典に向けて、深夜まで赤々と松明の焚かれ大勢の人々が忙しく働いている。
「ダニエル新国王陛下。これはジェームズが推敲した、神聖アザレア国・建国の宣言書です。本番までに一音一句間違いなく暗記してください」
辺境伯執務室で書類に埋もれているダニエルに、エレナはさらに書類の束を突き出した。
「ちょっと待てエレナ。俺はこの分厚い宣言書を全部暗記しないといけないのか? 代わりにエレナが他の書類に目を通す、訳ないよな」
「私はこれからシャーロット様の朝食のパンを焼くので、ダニエル陛下を手伝う暇はありません」
「わかっていたけど、エレナは独立よりシャーロット嬢のパン優先か。こんなに独立準備が忙しいなら、無理してでもジェームズを連れてくればよかった」
「きっとダニエル陛下より、ジェームズの方が忙しいと思います。アンドリュース領へ移住する王都民の数は、十万を越えました」
辺境トーラス領と大穀倉地帯ラドクロス領は、聖アザレア神国として独立。
それに合わせて王都民の二割がアンドリュース領へ移住、近日中に海沿いの貿易都市ポーラスもアザレア神国に加わる。
これでサジタリアス王国は全人口の四分の一が削られ、総資産の五分の二を失う。
「そう言えばシャーロット嬢は、アザレアに付き添って……」
突然、堅牢な建物を揺るがす爆音が響き渡り、屋敷中の窓ガラスが砕け散った。
外から人々の悲鳴と怒声が聞こえ、トーラス家の執事が慌てた様子で部屋に駆け込む。
「大変ですダニエル様。屋敷の裏門にいた怪しい人物を尋問したら、突然身体が倍に膨れ上がって、ま、魔人に変化しました!! あれは手配書に描かれていた王都の魔人です」
「なんだと、魔人は王都聖教会が捕えたはず。フレッド兄上を殺した魔人が、なぜ辺境に現れた」
窓の外では、逃げ惑う人々と武器を手に駆けだす兵士や冒険者の姿が見える。
魔人と聞き執務室から飛び出そうとしたダニエルに、エレナは机の上の書類をぶちまけて止める。
「落ち着いてください、ダニエル陛下。魔人の狙いは新国王と王妃、貴方とアザレア様です!!」
「身重のアザレアは階段を避けて、一階の部屋に移動したんだ。急いでアザレアの元へ行くぞ」
「大丈夫です、アザレア様のお部屋にはシャーロット様もいます。魔人の正体は、私の学友であるリーザの元婚約者マックスです」
「まさか魔人がマックスって、奴は兄フレッドの側近だった」
「私はリーザから、マックスがアザレア様を女神と思い込み、ひどく執着していると相談されました」
それだけを告げるとエレナは部屋を飛び出し、ダニエルもアザレアとシャーロットの元へ急ぐ。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。
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