法王とシルビア
シルビアは蘇生魔法を使用後、三日間眠り一日起きる生活が続く。
そのうち目が覚めると、今が何月何日なのか分からなくなり、時間感覚を取り戻す前に蘇生魔法によって再び眠りについた。
法王不在とシルビアが目覚めないことを理由に豊穣の聖女就任式は三回延期になり、さらに人々の不満は募る。
その日シルビアは、久しぶりに懐かしい甘い香りを感じて、重たい目蓋をこすりながら深い眠りから目覚める。
「わたしがしばらく出掛けている間に、中は随分と騒がしくなったものだ。これでは聖女シルビアがゆっくり休めないではないか」
「そのお声は、法王様がお戻りになられたのですね!! 法王様、お会いしたかったです」
驚いて顔を上げるシルビアの枕元で、純白の法衣をまとった法王が優しげに微笑んでいた。
「かわいそうなシルビア。わたしのいない間、ずいぶんと辛い思いをしたね。でももう大丈夫、悪い魔人は王都の外に追い出したよ」
穏やかに語りかける法王は中肉中背で、伏せ気味の細い目に薄い唇、眉を剃落とした顔は完全に個性がない。
「ああ法王様、私はお母様の罪を償うために人々を蘇らせました。でも私は蘇生魔法を使うとすぐ眠ってしまって、今が朝なのか夕方なのか、何日かも分からないのです」
ベッドから体を起こしたシルビアを優しく抱きしめると、ふんわりと甘い香りが漂い、頭の奥が痺れて悲しみが消えて心が穏やかになる。
「わたしが魔神を捕えるため王都聖教会を空けている間に騒動が起こった。まさかメアリーお母様が罪を犯すなんて、わたしも信じられないよ」
「お願いです、法王様。お母様に会わせてください」
「もちろん、シルビアが豊穣の聖女としての勤めを果たせば、メアリーお母様を迎えに行ける」
「それは法王様が、女神様から授かった予言。豊穣の聖女の試練ですね」
現法王はサジタリアス国王の盟友であり、数々の災害を預言して国に大きな影響力を及ぼす。
王都聖教会の古い教義を否定し、新たな女神の預言を人々に信じ込ませる。
「聖女候補シルビアには、何度も話したね。もうすぐ聖教会とサジタリアス王国を滅ぼさんとする魔王が現れる。その時君は、女神に選ばれた勇者と共に世界を救う旅に出るのだ」
「でも私、一人で聖教会の外に出たことないし、だれが勇者様なのか分かりません」
祈りの時以外は、真綿に包まれるように世話されるシルビアにとって、顔も知らない勇者と旅に出るという話に戸惑う。
「女騎士リーザが付き添う予定だったが予定が狂った。しかし不安がる必要はない。豊穣の女神に選ばれし勇者が、しっかりとシルビアを導いてくれる」
法王は膝を折ってシルビアの顔を覗き込むと、甘い香りが強さを増して不安が消し飛び、なぜか心踊るような幸福な気持ちになる。
「豊穣の女神様に選ばれた勇者様は、きっと素晴らしいお方ですね」
「そうだよシルビア、全ての災いは魔王の策略だ。シルビアは勇者を心から信頼して、誠心誠意尽くして、魔王に苦しめられた人々を救うのだ」
話を聞いたシルビアは、穏やかな顔で法王に深々と頭を下げると、これからの予定をこなすため部屋を出てゆく。
部屋の扉が閉まるのを見届けた法王は、突如手にした大杖を振り上げると、何度も激しく机に叩きつけた。
「どうしたのですか法王様、ぎゃあっ、ヒィ、お止めください!!」
机に置かれた教本が払われ水晶玉が砕けて破片が飛び散り、後ろで控えていた准神官長が驚いて声をかけると、その頭上に大杖が振り下ろされる。
「准神官長、貴様は大馬鹿者だ。聖女シルビアの貴重な蘇生魔法を、下級貴族や商人、あげくの果て馬まで使うとは考えられん。とんでもない愚図だ」
「し、しかし法王様、蘇生魔法による寄付は莫大な額で、ヒィ、もちろん全額王都聖教会に浄財として納めますぅ」
頭から血を流しながら平伏する准神官長を法王は荒々しく蹴り上げ、魔力を込めた大杖を突きつける。
「浄財、金だと? では貴様に金を与えるから、いちど死んで蘇ってみせろ」
「ヒィ、そんなの無理です、私は蘇生魔法を使えません。お許しください法王様」
「あたりまえだ。古の大魔法使いが死んだ娘を甦らせようと、千の生贄を捧げても蘇生魔法を習得できなかった。それほど神秘性のある蘇生魔法を、貴様は家畜に餌を与えるようにばら撒いた!!」
「しかし法王様、今日も聖女シルビアから蘇生魔法を授かりたいと、大勢の人々が列をなしています」
准神官長の言葉通り、王都聖教会の前には沢山の棺が列を成し、花の都と呼ばれた王都には死臭が漂っている。
「皆の者、よく聞け。シルビアの蘇生魔法は二十日に一回、寄付額はこれまでの十倍にせよ。ああ、寄付を五十倍納める敬虔な信徒は、優先して蘇生魔法を施す」
法王の発言を聞いた神官の半分が悲痛な声をあげ、半分が喜びの声をあげる。
「面倒な母親が居なくなったのは好都合、豊穣の聖女就任式は我々主導で行える。式典では法王説法のあと、礼拝堂に入ることが出来る敬虔な信者のために、聖女シルビアが集団治癒魔法を行う」
これまでは王都聖教会の敷地内に居れば、数千人がシルビアの治癒魔法を授かれたが、礼拝堂に入ることが出来るのは地位や名誉のある人間。
法王は聖女シルビアの蘇生治癒魔法を餌に、王都聖教会への信仰の強化と信者の選別を行う。
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アンドリュース公爵家タウンハウス、地下二階の武器庫には所狭しと秘宝級の聖剣魔剣が保管されている。
さらに部屋の隅に積まれた武器もダンジョン最奥の宝物庫や五つ星魔獣の腹の中から出てくるSSSレア品で、それを見たシャーロットは歓声をあげながら部屋に駆け込む。
シャーロットにねだられて武器庫を案内するアンドリュース公爵は、どこか不満げな顔で告げる。
「ここは大した事のない、つまらない武器しか置いていない。王宮に近い屋敷に強力な武器を置くと、謀反を疑われて面倒なことになるのだ」
六つ星魔法使いアンドリュース公爵にとっては格下でも、武器庫には彼が扱っても壊れない五つ星以上の最強武器が揃っていた。
「アンドリュース殿下、秘宝級魔剣が鉄屑のように放置されています。タウンハウスの使用人たちは、まともに武器の手入れも出来ないのですか?」
「それならジェームズには、ここの管理の仕事を任せる。シャーロット、どれでも好きなモノを持ってゆけ。エレナやお前たちも扱えそうな武器があれば選ぶがいい」
「アンドリュース叔父様、ありがとうございます。えーっと、どれにしよう。たくさんあって迷っちゃう」
シャーロットはまるでドレスを選ぶように一つ一つ武器を手に取り、試し切りをしたり叩いたりする。
「この鳳凰が刻印された剣は、ちょっと長すぎるわ。天海ミスリル製のレイピアは、私よりエレナに似合うと思うの。ここの武器ってデザインがゴツくて、あまり可愛くない」
「アハハっ、私が使う武器しか持ち帰らないからな。次はシャーロットの使えそうな武器やアクセサリーも拾って来よう。そういえばエレナは五つ星武器を扱えるのか?」
「はい、私は魔力が無いおかげで、魔力属性の影響も受けません。一つ星武器も五つ星武器も、同等に扱えます」
細身のレイピアを受け取ったエレナは、ふわりとエプロンドレスを翻して中にレイピアを隠す。
シャーロットは蛇頭女の描かれたピンクゴールドの籠手と、禍々しい気配を漂わせる黒い短剣を選んでいた。
「アンドリュース叔父様、私は力任せに振り回せる大鎌や、メイスが欲しいです」
「ふむぅ、大鎌ならゴースト系、メイスはゴーレム系か。シャーロットの頼みなら、すぐにでも探しに行きたいが、私は王都民たちを連れて一度砂漠へ戻らなくてはならない。そしてシャーロットも、首のアザを治すために辺境に戻りなさい」
「私は別にアザを気にしてないわ。でもどうしてアンドリュース叔父様が、わざわざ王都民を相手にするのですか?」
王都民にこれ以上世話を焼く必要があるのか? とシャーロットは尋ねると、後ろで大量の書類を抱えたジェームズが答える。
「実は、シャーロット様が天界の雲を与えて癒した怪我人病人、その家族や親類縁者や友人知人までが、アンドリュース領への移住希望しています。今も万近い人々がアンドリュース領に向かっています」
「元々人口の少ないアンドリュース領だが、最近はオアシス発見と大亀甲羅ドーム内で農業ができるようになったから、私も移住者は大歓迎なのだ」
これからアンドリュース公爵は自領へ向かい、ジェームズは王都の屋敷で移住者受付を担当する。
「シャーロット、本当は私も辺境まで付き添いたいが、流石に領地を放置できない。私の代わりにダニエルと辺境トーラス領へ戻ってくれ」
アンドリュース公爵が後ろを振り返ると、扉の影から元第五王子ダニエルがムキッと姿を現す。
「久しぶりだなシャーロット嬢、アザレアがとても会いたがっている。さぁ、俺と一緒にサジタリウスへ行こう」
王都に来たダニエルは、妻アザレアのいない寂しさを紛らわせようと筋トレに精を出した。
鍛えすぎた肩の三角筋がコブのように大きく盛り上がり、服のサイズが合わなくなり袖を取ったノースリーブ状態。
「ヒィッ、ダニエル様の腕の筋肉がピクピク動いて、ハイグレードオークが憑依したみたいで、気持ち悪っ」
ダニエルのムチムチ筋肉を受け付けないシャーロットは、冷や汗を流しながらエレナの後ろに隠れる。
「ダニエル様、その男性フェロモン垂れ流しの筋肉をさっさとしまってください。ジェームズ、ダニエル様にテーブルクロスを被せて」
「ちょっと待てエレナ、ジェームズも俺をぞんざいに扱いすぎる。俺は次期辺境伯として、体を鍛えているだけだ」
警戒して距離を取るシャーロットの隣で、アンドリュース公爵はダニエルに筋肉を関心を示す。
「ほう、この僅かな時間に無駄な贅肉が消えて、上腕二頭筋が一回り太くなった。よくここまで鍛えたな」
「わかりますか叔父上。王都に来てから負荷を増して広背筋と僧帽筋を積極的に鍛えました。これを見てください、上着脱ぎっ」
「キャアーーっ!! ダニエル様の背中に、取り憑いたハイグレードオーク顔が浮かび上がっている」
驚いたシャーロットに、アンドリュース公爵は楽しそうに呼びかける。
「シャーロット、魔物ハイグレードオーク・ダニエルを討伐しなさい」
五つ星魔力を得たシャーロットの腕試しと、五つ星上位のダニエルとの対戦を命じる。
禍々しく黒光る短剣を振りかざしたシャーロットに、ダニエルが慌てて机に置かれていた剣を握ると攻撃を防いだ。
「えっ、俺を討伐って冗談だろシャーロット。うぐっ、なんて鋭い短剣の動き、シャーロット嬢は俺と同等に戦えるようになったのか。五つ星初心者とは思えない手強さだ!!」
三年前、ダニエルとシャーロットが出会った時は、五つ星と二つ星で魔力には雲泥の差があった。
シャーロットの中の人発案で上位者に寄生してレベルを上げ、ダニエルやアザレアを手伝いながら巨人族の剛腕で魔力に頼らない戦闘技術を習得した。
身軽で素早いシャーロットの攻撃を、ダニエルは鍛え上げた筋力で防ぎながら足裏に魔力を流す。
「まさかシャーロット嬢相手に、この術を使うことになるとは思わなかった。王族結界、発動」
ダニエル足元から全身を覆うように繭型の硝子結界が立ち上がり、シャーロットが腹を狙って突いた短剣が硝子の壁に弾かれる。
それでもシャーロットの剣撃は止まらない。
ガッガッガッ、黒い刃が連続で硝子結界に振り下ろされると、やがてその表面に細い傷をつけた。
「ふたりとも力試しはそこまでだ。さすが巨人族の剛腕シャーロット、既に五つ星魔力を使いこなしている。それに引き換えダニエル、先ほど褒めた言葉を撤回する。見かけ倒しの肉鎧に喜んでいてはアザレアを守れないぞ。さっさと六つ星に魔力を上げないか!!」
以前からアンドリュース公爵は甥のダニエルに手厳しい。
そして自分を過小評価するダニエルには、叔父の真意が読み取れない。
「叔父上、それはどういう意味ですか? 六つ星は天変地異級の魔力。王族から抜けた俺が辺境を守るだけなら、五つ星魔力で充分でしょう」
戸惑うダニエルに、以前彼の執事を務めていたジェームズが一番理解していた。
「ダニエル様、いつまでも小物のふりをするのはお辞め下さい。貴方は初代サジタリアス王の生き写しで、滅びた辺境姫を娶った。その意味を理解できないのですか」
「国の民を守らない王に、国の民を癒さない聖教会。この病んで荒みきった地は王都と呼ぶには相応しくない。そして辺境は、新たな王都と呼ぶに相応しい繁栄を遂げている」
「ちょっと待ってください!! 辺境の繁栄はシャーロット嬢が高級薬草の量産を可能にしたからで、俺の力ではありません」
「ダニエル様がシャーロットお嬢様を子供部屋から連れ出したおかげで、アザレア様は毒殺を逃れました。そして我々のお節介で、優柔不断ダニエル様はアザレア様と御結婚できた。もはやこれは運命です」
「ダニエル、私が生きている間なら力を貸せる。辺境周辺になだれ込む王都難民を防ぎ、アザレアを守りたいのなら、サジタリアス王国から独立せよ」
そんなまさか、出来損ない王子と蔑まれた自分が王になる?
「なんて素敵なの。辺境が独立すれば、サジタリアス王国の威張った王子とか悪口を言う王都聖教会の命令を聞かなくてもいいのね。国の名前は、そうだ、聖アザレア神国がいいわ」
シャーロットがポロリとこぼした言葉に、皆が一瞬静かになると、アンドリュース公爵が相槌を打った。
「聖アザレア神国。なるほど、それは良い考えだ。アザレアを女王、ダニエルは王配として彼女を支えればいい」
「確かにアザレア様は女王に相応しい器をお持ちです。そしてダニエル様はサポートがお得意です」
「ちょっと待ってくれ。それはアザレアと相談して、意見を聞いてから」
「アザレアは豊穣の女神を名乗った時に、すでに覚悟はできていた」
しかしそれではと、ダニエルは頭を抱えて悩み出し、隣でシャーロットはアザレアへのお土産武器を選び、喉が渇いたと紅茶を飲んでクッキーを三枚食べる。
さらに四時間経過、ダニエルは覚悟を決めた瞳で顔を上げた。
「分かりました叔父上、アザレアひとりに重荷を背負わせたりしない。俺は初代王の生まれ変わりを宣言し、聖アザレア神国国王として名乗りをあげる」
「それではダニエル陛下、シャーロット様を連れてグリフォンで辺境へお向かいください。独立宣言日は、そうですね、十日後に行われる豊穣の聖女シルビア就任式とぶつけてはいかがでしょう」
ダニエルがあれこれ四時間悩んでいる間に、ジェームズは荷造りをして屋敷の屋上にグリフォンを呼び寄せ、出発の準備を済ませていた。
「ちょっと待てジェームズ、たった十日で国から独立するなんて性急過ぎるじゃないか」
「ダニエル、こういうのは敵の邪魔が入る前に、速やかに行え。私も次にお前と会う時は、ダニエル国王陛下と呼ぼう」
実の父親に放置され兄弟にこき使われてきたダニエルにとって、厳しくとも親身に世話をしてくれた叔父だった。
ダニエルは叔父に深々と頭を下げていると、後ろから騒がしい声がする。
「えーっ、ムキムキとグリフォンに相乗りするなんて、ぜったい無理っ」
シャーロットはついにダニエルをムキムキと呼び捨てて相乗りを嫌がるので、間にエレナが挟まる形でグリフォンに騎乗する。
「なぁエレナ、どうしてシャーロット嬢はこんなに俺を毛嫌いする?」
「もしかしてシャーロット様は、思春期の女子が父親を避けるような、反抗期かもしれません」
「でもそれなら、俺より叔父上の方が父親の年齢に近いはずだ」
「シャーロット様はダニエル様の情けない性格を知っていますし、大好きなアザレア様をとられた嫉妬もあります」
「つまり俺は、シャーロット嬢にとって頼りない身内か」
ガックリと肩を落としたダニエルを、エレナは同情の目で見る。
こうしてダニエルに反抗期を発動したシャーロットは、王都訪問の目的だった妹シルビアと一度も会わずに王都を離れた。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。
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