魔人マックス
サジタリアス王宮の大広間には有力貴族や大富豪、さらに諸外国から第三王子フレッドの婚礼を祝う豪華な品々が並べられる。
しかしその場所に不似合いな、太い鎖で全身をがんじがらめにされた拘束着の男が、壁の前に立たされていた。
拘束着の罪人の目は黒い穴が空き、左肩から黒い棒状のモノが飛び出し腕は地面に付くほど長い。
灰色のフードで顔半分を覆った中肉中背の神官が罪人の鎖を握り、黒装束の武装神官たちは、これから神聖な儀式を行うと言って王家の近衞騎士を部屋から追い出した。
「やっと捕まえたぞマックス。なぜ俺の命令に背いて、大切な聖槍を持ち逃げした?」
輝くようなブロンドの髪に凛々しい眉、鼻筋の通った美しい顔立ちのフレッド王子は、白銀に輝く婚礼衣装を試着しながらマックスに声をかける。
マックスはフレッド王子が命令すれば、暗殺まで行う忠実な部下だった。
しかし元婚約者リーザがフレッド王子と結婚すると知り、聖槍と共に行方をくらます。
以前はガッチリした男らしい体格だったが、今は病的に痩せ細り、爽やかに刈り上ていた茶髪は長く伸びて垢と汚れにまみれている。
「ご覧くださいフレッド殿下。さぞかし多くの謀反者の血を吸ったのでしょう。肩に寄生した聖槍が大変立派に育っています」
灰色フードの神官が左腕の鎖を解くと拘束着が破れ、人間の腕だった場所に黒々と鈍く輝く金属の柄が肩をつき抜けて長く伸びている。
掌は消滅し、鋭く尖った槍先の横に戦斧の刃がついたハルバードに変化していた。
「よく聞けよマックス。明後日の式典、そして俺が王位継承するには聖槍が必要だ」
フレッド王子が声をかけると、マックスは牙を剥き出して獣のように吠える。
「これは魔力も知性も聖槍に乗っ取られたバケモノ……失礼、間違えました。マックス様は尊き聖槍に自らの魂を捧げたのです」
「それは残念、せっかく褒美を与えても意味が分からないのか。殉死を遂げたマックスは名誉侯爵の地位を与えよう」
その時、扉が大きな音を立てて開かれ、灰色の髪の女性が大広間に駆け込む。
「部屋から近衛兵を追い出して、神官たちと何をしているのですか。フレッド殿下」
部屋を追い出された近衛兵は、フレッド王子の結婚相手で副将軍の娘であるリーザを連れてきたのだ。
王子と神官は鎖に繋がれた怪しげな魔人を取り囲み、それを見たリーザは驚きの声をあげる。
「まさか、マックス? その姿は一体」
どれだけ人相が変わっても、リーザはひと目で元婚約者で幼馴染のマックスだとわかった。
「リーザ、お前との結婚式で王族は聖槍を身につけるのが習わしだ。俺はマックスが盗んだ聖槍を取り出す」
「槍を取り出すってどうやって。槍がマックスの左腕に寄生しているではありませんか。まさか!!」
「公式の場面で、俺が聖槍の持ち主と認めさせる絶好の機会。これで死に損ないアンドリュース公爵を倒して、俺が次期国王になる」
フレッド王子はマックスの正面に立つと、なんの躊躇いもなく剣を頭上に振りかざす。
灰色フードの神官は、リーザの目の前でマックスを拘束する太い鎖を締め上げ、身動きできないように固定した。
「フレッド殿下、左腕と寄生している心臓を傷つけないように切り取ってください。せっかくの聖槍の性能が落ちてしまいます」
「マックスの心臓って、嘘でしょ!! やめて下さいフレッド殿下」
聖女候補シルビアの護衛騎士だったリーザは、考えるより早く体が動く。
婚約解消はしたが、幼馴染で親友だったマックスの危機を見逃せない。
「ちくしょう、俺の邪魔するな。リーザ!!」
異形の姿となったマックスを庇ってリーザは前に出たが、勢いよく振り降ろされた剣は止まらない。
刃先が鈍い音を立ててリーザの後頭部を割り、首と背中に剣が食い込む。
リーザはマックスの体に巻きついた太い鎖に指を絡め、悲鳴をあげる事もできず、目を見開いたままこと切れる。
ドロリと生暖かい血飛沫が顔にかかるとマックスの瞳に光が宿り、わずかに残っていた意識が浮上する。
「俺は、いったいどうして、なぜリーザがこんなに、血を流している」
マックスは背中からおびただしい血を流しながら自分を庇うように立つリーザと、血に濡れた剣を握るフレッド王子を見る。
見下ろしたリーザの瞳には光がなく、鎖から指が外れると、後ろにのけぞって血の海に倒れた。
うわぁと黒衣の神官の悲鳴が聞こえ、フレッド王子は忌々しげに口元を歪める。
「まさかフレッド殿下、あなたがリーザを殺したのか」
血に飢えた魔人は、最も親しかった者の血で正気を取り戻す。
「チッ、この女はいつも俺の邪魔をする。マックス、聖槍を返してもらうぞ」
「お、お待ちくださいフレッド殿下。先にリーザを、まだ治癒魔法で助かるかもしれません。それに彼女のお腹には子供が」
「おい神官、床に転がった女をさっさと退かせろ。俺は聖槍で王太弟アンドリュースと愚図ダニエルを片付けて、王位につきアザレアとシルビアを手に入れるんだ」
再び剣を振りかざしたフレッド王子に、マックスは底しれぬ黒い穴のような瞳で見返す。
「ア、アザレア、オレのアザレアさま、オマエにはワタ、サナイ」
「心配するな、貴様はリーザと一緒にあの世に送ってやる」
ジャラジャラッ、
その時、灰色フードの神官が握っていた鎖を手放し、マックスの拘束が解ける。
マックスの首を落とそうと剣を振り下ろすフレッド王子の腹に、下から掬い上げるように魔槍ハルバードが深々と突き刺ささり、斧の部分が柔らかい内臓を裂く。
「ひっ、ぎゃあぁ。俺の腹に穴が、血が出て止まらないっ。法王、なぜ鎖を離した!!」
異様な悲鳴を聞いた近衞騎士が大広間に飛び込むと、拘束服の男は姿を消し、腹が裂かれ臓腑が飛び出した王子と、血溜まりの中で倒れるリーザの姿があった。
神官たちは王子を取り囲み必死で治癒魔法を施しているが傷は塞がらず、王宮医師や治癒魔法使いが十名あまり駆けつけ、大量の治癒エリクサーを使用してフレッド王子を助けようとする。
その間リーザが放置されているのに気づいたメイドの一人が、無造作にシーツを被せて亡骸を隠した。
聖教会で真綿で包まれるように大切にされていたシルビアは、近衛騎士に荷物のように運ばれ、大広間に到着すると乱暴に放り出された。
硬い大理石の床に背中を打ちつけ、しばらく痛みで動けなくなる。
「おい、さっさと起きてフレッド殿下の怪我を治せ!!」
頭上で怒鳴られて顔を上げたシルビアは、部屋中を漂う異様な匂いを嗅ぎ取る。
磨き上げられた大理石の床にたくさんの足跡と赤黒い汚れがこびりつき、目の前では大勢の宮廷医師や神官が、怪我をしたフレッド王子に治癒魔法を施している。
「ヒィ、ヒィ、シルビアが来たのか。痛い痛い、早く俺を助けろ」
近衞騎士に腕を掴まれて、立ちあがろうとしたシルビアの足裏にぬるりとした感触が広がる。
後ろを振り返ると大きな血溜まりがあり、被せられたシーツの端から覗く白い手にシルビアは見覚えがあった。
シルビアは掴まれた手を払い除け、血溜まりのシーツを剥がし、目を見開いたまま仰向けに横たわるリーザの亡骸を見た。
「この血はなに、どうしてリーザが倒れているの?」
リーザの手はすでに冷たく、目立ってきたお腹に触れても生気が無い。
治癒魔法を施すために戦場や事故現場に出向くシルビアは、負傷者や死者がいる場面に慣れていた。
医者や神官がフレッド王子を治療しているのに、血溜まりの中に倒れたリーザは動かされた様子がない。
死んだまま放置されている。
「その女はすでに手遅れだ。今はフレッド殿下の治療を優先しろ」
近衞騎士が苛立って腕を伸ばすと、彼女とリーザの周りに分厚いガラスのような結界が張られる。
無理矢理結界を破ろう触れて、太い釘で掌を刺されたような激痛が走った。
儚げで大人しく、影で聖教会の操り人形と呼ばれていたシルビア。
彼女を乱暴に担いできた近衞騎士は、自分は手加減されたのだと理解する。
「そうね、リーザとお腹の子は死んでいる。お前がリーザを殺したの?」
「お、お許しくださいシルビア様。リーザ様は魔人に殺され、それを助けようとしたフレッド殿下も魔人に腹を裂かれて大怪我を」
「聖女候補の私に、そのような嘘が通じると思うの? フレッド王子の足元に転がる剣にリーザの血がついているわ」
近衞騎士は青い顔で押し黙ると、シルビアの声を聞いたフレッド王子が怒鳴りだす。
「その女は次期国王である俺に逆らい、罪人マックスを庇った謀反人。腹の子もきっとマックスの子だ。わかったらシルビア、さっさと俺を治療をしろ」
しかしシルビアの結界はさらに厚みを増し、誰も近付けなくなる。
「リーザのお腹にいるのは王子の子供よ。私、生まれてくる赤ちゃんの名前を色々考えたの。男の子だからノア、リオ、ハリソンがいいかしら。ねぇリーザ、返事をして」
堪え切れずシルビアが泣き出すと、腹の子が男子と知った王宮医師は頭を抱えて悔やみ、リーザを放置した神官たちは気まずげに顔をそらす。
だが父親であるフレッド王子は、婚約者と子供を手にかけた後悔もせず傲慢に命じる。
「それがどうした。俺を助けた褒美に、シルビアを王太子妃にしてやるぞ。痛い痛い、早く助けてくれ」
「リーザ、ねぇ、まだ間に合うわ。還って来てリーザ」
大きな繭のような結界の中で、リーザの亡骸にすがりつき泣いていたシルビアは動きを止める。
突如、結界が虹色に輝きシルビアの身体から金色のオーラが噴き出して、トランス状態のまま呪文を刻む。
「亡者の姫が命ずる、
黄泉への道は途切れた。
魂よ、現世に舞い戻り、
壊れた器を整えて、
再び命の鼓動を刻め」
それは数百年前、始祖の女神のみが行使できた、膨大な魔力を消費する蘇生魔法。
繭の結界から放たれた虹色の光が大広間に満ち溢れ、全ての窓硝子が砕けちり、眩い光は王宮の外まで届く。
私は護衛の訓練で、とっさに庇う習慣が身について体が動いてしまったの。
後頭部に激しい痛みと、バキバキと自分の頭蓋骨が砕ける音が聞こえて、それから。
私の頬にポタポタと暖かい雨が落ちて、サラリとした感触の髪の毛が肌をくすぐる。
遠くに聞こえた泣き声が、だんだんはっきりと鮮明になる。
開かれた瞳に光が宿り、何度かパチパチと瞬いて、ふぅと息を吐く。
床についた頭と背中が熱を持ったように熱い。
無意識のうちに大きくなった腹に手を伸ばすと、再び胎動を感じる。
「お帰りなさい、リーザ」
「なぜシルビア様がここに。確か私は、フレッド殿下に背中を切られて、それから意識が」
「リーザ、生き返って良かった。私、赤ちゃんのお姉さんになれるかしら」
繭の結界が解けて、魔力を使い果たしたシルビアの体が崩れ落ちると、そのまま意識を失う。
いつの間にかシルビアの隣に灰色フードの男が立ち、武装神官は一斉に深々と頭を下げる。
「初代女神のみが行使できた大いなる蘇生魔法を、今シルビア様が行使した。これぞ真の奇跡。豊穣の女神がシルビア様を正当な後継者として認めた証だ」
灰色のフードを取った男は、手入れのされた血色の良いスキンヘッドに眉無しの鋭い眼力で、配下の武装神官を見回す。
「それは本当ですか、法王様!! 蘇生魔法ということは、我々は死を恐れる必要は無くなったのですね」
「豊穣の女神様に、我々の願いが届いたのだ」
法王は意識を失ったシルビアを優しく抱き上げると、まだ起き上がれないリーザを神官たちが治癒魔法を施しながら担架に乗せる。
法王とシルビアが大広間を出て、それに続き神官たちも出て行こうとするのを、近衞騎士が慌てて止める。
「まさかお前たち、フレッド殿下を見捨てるつもりか。早くシルビアを起こして殿下の治療を、グワァっ!!」
黒衣の武装神官はいきなり杖の先端を近衞騎士の口に突っ込み、ゴキっと顎の割れる鈍い音がする。
「お前たちはシルビア様を荷物のように担ぎ、床に投げ捨てた。そしてシルビア様に偽りの証言をした愚かな王子を、なぜ我々が助ける必要がある?」
「そもそも魔人マックスをここに連れてきたのは、灰色のフードを被ったお前、ギャアッ!!」
「法王様に指差すとは、無礼極まりない」
安全な王宮の警備をする近衞騎士と、魔物や異教徒を相手にする武装神官では、戦闘能力に差がありすぎる。
近衞騎士は武装神官に叩きのめされ、残された王宮医師だけでフレッド王子の延命は無理だった。
翌日。
青く晴れ渡った空の下、生誕祭の奇跡を持つ万人の前で、シルビアが初代聖女の秘術である蘇生魔法を授けられた事と、第三王子フレッドの死去が告げられる。
「シルビア様は魔人に殺されたリーザ妃を救うために、初代聖女の秘術である蘇生魔法を行使した。これは初代聖女が身重の娘を生き返らせた魔法と同じである。現在シルビア様は魔力を使い果たし眠られている」
人の心の奥底に宿る死の恐怖。
それを覆す蘇生魔法を授かったと知らされた人々は熱狂して、フレッド王子の死を忘れた。
生誕祭は延期となり、シルビアは五日後に目覚めたが、死後数日経過したフレッド王子は蘇生できなかった。
その代わり神官が飼っていた猫を人々の前で生き返らせると、シルビアは再び深い眠りについた。
「蘇った猫を見るがいい。聖女候補シルビアの蘇生魔法は完全に証明された。我々は死を恐れる必要がなくなり、豊穣の聖女の元で永遠の命を得るのだ」
王都聖教会の周囲に集まった一万余りの人々は、実際目にした秘術・蘇生魔法に狂喜乱舞して、次は自分の番だと奇跡を持つ。
生誕祭中止からひと月後に「豊穣の聖女シルビアの任命式」行うと発表した。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。
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