白い厄災4
晴れ渡る青空を、巨大な翼を広げたワイバーンが横切る。
「うわぁ。モンスターの襲撃だ」
「みんな逃げろぉ、スタンピードが始まった!!」
麦穂摘みに精を出していた人々は、悲鳴をあげて街の方へ逃げ出す。
「おい、ちょっと待て。あのワイバーン首輪をしているぞ」
通常のワイバーンの倍の速さで飛ぶオニキスワイバーン、それを使役できる者は限られていた。
「ゲームオ様、ワイバーンがこちらに向かってきます」
『見覚えのあるドラゴンの紋章、あのワイバーンはアンドリュース公爵の騎獣だ』
黒々とした瑪瑙色のワイバーンは、時計塔の真上を何度か旋回すると、シャーロットたちのいる小魔麦畑の中にゆっくり着陸した。
オニキスワイバーンの背に騎乗したアンドリュース公爵が、灰色のマントをひるがえして降りる。
「魔白羽蟲スタンピードまで、なんとか間に合ったな。ところでこんな場所で、なぜシャーロットはメイドに背負われている?」
アンドリュース公爵が不思議がるのも無理はない。
シャーロットとエレナは昨日の昼からすっと走りっぱなしで全身草と土まみれ、髪や顔に乾いた泥が張り付いている。
「アンドリュース公爵殿下、このような状態でお話しすることをお許しください。シャーロット様は、足が地に着くとすぐ走り出してしまうのです」
「もしかして小魔麦畑の一部だけ黄金色に染まったのは、シャーロットが奇跡を起こしたのか」
エレナに背負われたシャーロットの中の人は、足をパタパタ動かしながら答える。
『その通り、アンドリュース公爵。軟らかい土に付いたシャロちゃんの足跡で《腐敗=成長促進》呪いが発動して、小魔麦の成長を早め黄金色に実らせた』
「おや、昼間なのに夜の君がいる。シャーロットの呪いには、そのような力もあるのだな」
アンドリュース公爵は、王領の手前でスタンピードと遭遇した。
魔白羽蟲の大群から人々を守った後、オニキスワイバーンに騎乗して遙か上空を高速で飛び、スタンピードを追い越してラドクロス領に駆けつけた。
『助かったぁ、六つ星魔力持ちの公爵なら、三つ星魔物のスタンピードなんて簡単にやっつけられるだろ』
「夜の君、私の大きすぎる魔力を行使するには……覚悟が必要だ。詳しい話は街の責任者と行う」
アンドリュース公爵はオニキスワイバーンを空に戻すと、硬い表情で広い小魔麦畑を見つめていた。
三人は歩いて街へ向かう途中、シャーロットがエレナの背中からずり落ちて走り出して追いかけるアクシデントがあった。
やっとローラドの街に入れたシャーロットの中の人は、用意された高級旅館で身体を清め服を着替え、足の届かない高い椅子に座って食事を摂る。
『ふうっ、お腹いっぱいになったら、疲労と眠気のピークが来た。でも今僕とシャロちゃんが入れ替わったら、また走るから、寝ちゃダメ寝ちゃダメ』
中の人はパチパチと頬を叩いて眠気を紛らわせていると、アンドリュース公爵が迎えに来る。
「街の神官との話し合うため、これから歩いて時計塔に向かう。しかし夜の君はとても眠たそうだ」
現在ローラドの街の道路は避難民で溢れ、馬を走らせることは出来ず、時計塔は徒歩で二十分の距離にある。
『エレナ、僕はアンドリュース公爵と一緒に行く。なんとしてもスタンピードを防ぐんだ』
「でも今のシャーロット様はすぐ走り出してしまうので、人混みで姿を見失しなうと大変です」
アンドリュース公爵は高い椅子の上で両足を小刻みに震わせるシャーロットに近づくと、椅子ごと持ち上げて、驚いて首にしがみついてきた所をホールドする。
「今は時間が無い。このままシャーロットを連れて行くぞ」
『ええっー、ちょっと待って。大勢の避難民が見ている中をお姫様抱っこで運ばれるって、ひぃ、恥ずかしい恥ずかしいっ。せめてエレナが背負ってくれ』
中の人が助けを求めるが、昨日今日と不眠不休でかなり疲労の溜まったエレナはニッコリ笑う。
「ゲームオ様、私はちゃんと後ろに控えているので、ご安心ください」
『アザレア様の胸に埋もれる前に、おっさんの胸に埋もれるなんて嫌だぁ!!』
「はっはっは、相変わらず夜の君はつれないな」
シャーロットの中の人はジタバタ暴れて抵抗したが逃れられるはずもなく、アンドリュース公爵の腕に抱きかかえられたまま時計塔へ向かう。
威圧感のある高貴なお貴族様が、愛らしい金色の髪の天使を抱きかかえた姿は人目を引き、三人の後ろから野次馬がぞろぞろ付いてきた。
「ああ、やっと会えた。街中探してもいないし、シャーロットちゃん一体どこに行っていたの」
先に時計塔へ到着したアザレアは、アンドリュース公爵に抱きかかえられたシャーロットに駆け寄る。
「エレナ、シャーロットちゃんはどこか怪我したの?」
「大丈夫ですアザレア様。シャーロット様は元気いっぱい走り出すので、逃げないように抱きかかえているのです」
エレナが答えると、返事をするように宙に浮いたシャーロットの足がパタパタ動く。
「困ったわ、まだ走り足りないのね。アンドリュース叔父様、シャーロットちゃんをしっかり捕まえてください」
シャーロットとアザレアが一日ぶりの対面をしている間、中年貴族の名前を聞いた神官ホプキンスは驚きの声をあげる。
「えっ、貴方様はもしかして、アサトゥール・アンドリュース王太弟殿下でいらっしゃいますか?」
「最近よく不思議がられるな。確かに私はアンドリュースだ」
「も、申し訳ございません王太弟殿下。以前お会いした殿下とくらべて、とてもお顔の色が宜しく、随分と若返って見えたものですから」
「はははっ、私は兄のザジタリアス国王より老いて見えたからな」
中の人に「シャーロットが十三歳になるまで死なない」と予言されたアンドリュース公爵は、即死呪いの心労による寝不足解消と、毒殺を警戒して偏った食生活が改善された。
さらに一日大さじ一杯の特別なハチミツ効果で、青白い肌の血色が良くなり、荒れてぱさついた髪も艶とコシを取り戻す。
月に一度面会するシャーロットに無精髭をダメ出しされたりして、気がつけば年相応の容姿になっていた。
シャーロットの中の人は、彼女を抱きかかえる公爵を仰ぎ見る。
『イケ爺に見えたアンドリュース公爵も、今はアラフォーイケオジ。それでもシャロちゃんとの年の差は三十かぁ』
簡単な挨拶を終えると、神官ホプキンスは皆を礼拝堂の奥に案内する。
廊下はゆっくりと上り坂になり、途中白壁から赤煉瓦の壁に変化して、その先に時計塔を昇る螺旋階段が見えた。
階段の壁には様々な豊穣の女神姿絵が描かれ、瓜二つのアザレアが目の前にいる。
「さぁ早く、上まで昇りましょう。シャーロットちゃんが見たらきっと驚くわ」
アザレアの弾む声にアンドリュース公爵もうなずき、中の人は不思議顔で抱きかかえられたまま階段を昇る。
地上五十メートルはありそうな長い螺旋階段の終わり、分厚い扉の向こうから金属のきしむ音が聞こえる。
ホプキンスが扉を開けると、四畳半ほどの部屋は巨大な歯車や壊れた釣り鐘が置かれた、向こう側の扉まで大人ひとりが通れるほどの隙間しか無い。
「あの扉から時計の裏に出ます。髪の毛や服の裾が歯車に巻き込まれないように、お気をつけください」
「もうすぐよシャーロットちゃん。私の後ろを付いてきて」
中の人はやっとアンドリュース公爵の腕から降ろされると、歯車を珍しそうに眺めながら部屋を横切ると扉の外に出た。
薄暗い塔の中から一歩出ると眩い太陽に思わず眼を細め、地上から吹きあげる風がシャーロットの髪を乱す。
時計塔の頂上で、アザレアはシャーロットに笑いかけると地上を指さした。
遙か彼方に北山脈の影、そして見渡す限り青い絨毯が広がる巨大穀倉地帯。
『あっ、左の方にラドクロス伯爵の城が見える、これが全部小魔麦畑なんて凄いな』
「もう、シャーロットちゃんったら、そっちじゃないわ。時計塔の真下を見て」
時計塔の手すりに掴まりながら下界を見下ろすと、時計塔を中心に、小麦畑の緑の絨毯が黄金色に染まってゆく。
それはまるで、触れたものを全て黄金に変える王様の魔法のよう。
シャーロットが一晩中、そして昼前まで走った畑が、《腐敗=成長促進》八倍速で小魔麦の穂を実らせている。
『す、凄い。定点カメラの倍速撮影みたいだ。でもこれは僕のシャロちゃんが持つ、素晴らしい加護の力』
「私もワイバーンの背から、大地が黄金色に染まる奇跡を見た」
ローラドの街の周囲はすっかり黄金色に染まり、人々が収穫歌をうたいながら麦の穂を刈り取る姿が見える。
「豊穣の女神、アザレア様の御力で、来年の種籾と冬を越す小魔麦を確保できそうです」
数日前までアザレアを偽女神と呼んでいた神官ホプキンスも、もはや女神がもたらした豊穣の奇跡を疑うことはない。
『この景色を見たら、僕もシャロちゃんも力が抜けて、とても疲れて、眠たくなってきた』
もう目を開けているのも辛くて左右に身体を揺らし始めたシャーロットを、アンドリュース公爵は再び抱き上げる。
今度は抵抗することなく腕にすっぽり収まるシャーロットを優しげに見つめ、顔を上げると一変して険しい表情になり、厳しい声で告げる。
「これだけ大量の小魔麦を食えば、魔白羽蟲はさらに数を増すだろう。そしてラドクロス領を南下し、王国第二の都市ポーラスを襲う。だから私の魔法でスタンピードを止める」
神官ホプキンスは、その言葉の意味を理解して息を呑む。
「まさか王太弟殿下。天災級・六つ星壊滅光魔法で、魔白羽蟲ごと小魔麦畑を焼き払うつもりですか」
「王国や聖教会から助けが来ない今、スタンピードを終わらせるには壊滅光魔法しかない」
「しかし六つ星壊滅魔法とは、浄化の光が地上の全てを焼き払い、その後十年間は草木一本生えない死の大地となります!!」
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、ありがとうございます。とても助かります。
※ブックマークと下の星ボタンで応援していただけると、作者とても励みになります。




