白い厄災3
『ひぃひぃ、やっとローラドの街を一周した』
別荘から四時間ローラドの街の外周二時間、フルマラソンの距離を走ったシャーロットの中の人は、よろけながらエレナが広げた折りたたみ椅子に座る。
『シャロちゃんの《腐敗=成長促進》呪いで十二時間後。明日の朝には小魔麦と白魔桃の実が収穫できるだろう』
「ありがとうございます、ゲームオ様。ローラドの街の人々も喜ぶでしょう」
『お礼は僕よりシャロちゃんに言ってよ』
シャーロットの中の人とエレナは、街に入る手前の小さな広場で待機していた。
すっかり日は暮れて街の出入り口の石門周辺は、山のような荷物を積んだ馬車や避難民でごった返えしている。
中の人は街に逃げ込む人々を眺めながら特別なハチミツ入り紅茶を飲み、エレナはシャーロットの足裏にできた血豆を薬草チンキで手当をする。
上級薬草の花の蜜入り紅茶は瞬く間に疲労回復させ、薬草チンキで足の血豆とむくみが治った。
「街の中は大混乱でシャーロット様を休ませる状況にありません。こちらでしばらく待機しましょう」
『そうだな、人混みに揉まれて余計に疲れそうだ。シャロちゃんはとてもお腹を空かせているし、ここで夕食にしよう』
中の人はヨイショのかけ声で椅子から立ち上がると、エレナは背中のリュックから短い杖を取り出すと地面に突き立てて引っ張る。
ジャバラに折り畳まれていた五本の骨が伸びてパラソルのように広がり、円形テーブルになる。
テーブルの中心にあるくぼみは調理カマドで、中の人は魔石に火を点けてカマドに放り込んだ。
『アンドリュース公爵から貰ったこのキャンプグッズはとても便利だ。大魔蝙蝠の骨製テーブルは軽くて丈夫で防水性に優れ、折りたたんで持ち運びができる』
「それに火であぶると五倍大きくなる鉄砂霊亀の甲羅鍋も素晴らしいです。重たい鉄鍋を持ち歩く必要がなくなりました」
エレナは手に持った六角形の皿をカマドの上にのせると、鉄砂霊亀の甲羅鍋は高速回転しながら膨れて大きな平鍋に変化した。
『さてエレナ、例のブツは入手できたか?』
「ゲームオ様が以前から欲しがっていた、王宮御用達の最高級生食パンに使用するラドクロス産SS特級小魔麦粉ですね」
エレナがテーブルの上に紙袋を置くと、袋の中を覗いた愛らしい少女は、その姿に似合わない腹の底からの雄叫びを上げる。
『うぉおっ、小魔麦粉そのものが発光しているような輝く白さ。泡雪みたいに軽くて細かくサラサラとした手触り。僕はこのSS特級小魔麦粉で憧れのブツを作るぞ』
「ゲームオ様の指示通り、水晶橄欖の実と魔コッケイの卵も用意しました。えっ、小魔麦粉多すぎません?」
シャーロットの中の人は驚いたエレナを無視して、大量のSS特級小魔麦粉を水で溶き水晶橄欖の実を割り入れると、魔コッケイの卵とドライフルーツ特別なハチミツをたっぷり加える。
『パッパラッ~タァ♪ これもアンドリュース公爵の貢ぎ物。いつでもどこでもカルシウムを摂取できる南海聖闘牛の十倍濃縮ミルクポーション』
中の人は小瓶の蓋を取ると、中の白い液体を小魔麦粉の生地と混ぜ合わせる。
『しっかり平鍋を熱したら火を弱火にして、焼き方のコツは少し粉のダマが残る程度にさっくり混ぜ、高い位置から生地を平鍋に流し込む!!』
濃厚ミルクと特別なハチミツを加えた生地が、ジュワァアーッ、ジュワジュワと音を立てて焼け、甘く香ばしいかおりが小さな広場に漂う。
子供五人連れの家族や着の身着のまま逃れてきた農民は、魔法でテーブルを出して調理始める美少女を不思議そうに眺める。
『生地の芯まで火が通るように、ほんの少しだけ水を加えて蒸し焼きにする』
「大変ですゲームオ様、パンの生地が膨れて蓋が持ち上がってきました」
『よし、思った通りだ。小魔麦粉に混ぜた水晶橄欖の実は、バターに近い風味とベーキングパウダーと同じ性質を持つから、これでホットケーキを作れるはず』
エレナが急いで蓋を取ると、鍋から溢れるくらい盛り上がり素晴らしいキツネ色に焼けた分厚いホットケーキが出来た。
『さすがラドクロス産SS特級小魔麦粉。高級羽毛布団のようにフワッフワで、アノ絵本のホットケーキだ!!』
超巨大ホットケーキは皿からはみ出すピザLLサイズで、厚みはシフォンケーキ並み。
エレナは皿の代わりに、綺麗な布の上にホットケーキをひっくり返す。
中の人はホットケーキの甘い香りに、切るのも待ちきれなくて熱々を手掴みで割って口に運び、ハフハフしながら味わう。
『んーっ、表面はこんがりしっかり焼けて、中はきめ細かくて柔らかくてしっとりして美味しいっ』
「ゲームオさま、手掴みで食べるなんて行儀の悪い。では私も一口。まぁ、中のドライフルーツが濃縮ミルクを吸収して、生の果物を食べているみたいです」
シャーロットの中の人はホットケーキをつまみ食いしながら、周囲に目を向ける。
遠巻きに見つめていた人々が、匂いに釣られてテーブルの前に集まってきた。
シャーロットの中の人は周りに見せつけるように、素手でホットケーキを割って食べ続ける。
『ふうっ、美味しかった、ごちそうさま。さすがにこの量を一人では食べきれない。さてエレナ、二枚目のホットケーキを焼くぞ』
「ゲームオ様、二枚目を焼くって、もう充分菓子パンを食べたではありませんか」
『これはまだ試作品だ。アザレア様に召し上がって貰うには、もう少し自然な甘さで厚さも1.5倍ぐらい膨らませたい。そうだエレナ、みんなにホットケーキの味見をしてもらおう』
「ねぇ、俺たちもケーキを食べていいの?」
テーブルを取り囲んでいた避難民の子供が、思わず声をあげる。
シャーロットの中の人が作ったホットケーキは、《腐敗》呪いで早めに食べないと腐ってしまうから、さっさと食べてもらった方がいい。
『豊穣の女神様から、みんなに美味しいホットケーキを食べさせてと言われたの。女神様の贈り物だから、残さず全部食べてね』
「女神様って、もしかして別荘に滞在なさっている黒髪のお姫様ですか?」
「別荘周辺の畑は女神様のご利益で小魔麦が実って、羽虫の被害を免れたんだ」
「それじゃあお嬢ちゃんが、女神様の連れている金色の髪の天使さまか」
すでに豊穣の女神の噂は、ラドクロス領の殆どの人々に知れ渡っていた。
エレナは巨大ホットケーキを布で包んで子供の親に丸ごと渡すと、人々はそれに群がり素手でケーキを割って、美味い美味いと言いながら食べる。
ホットケーキの特別なハチミツの甘みで、避難民の疲労も回復する。
それから中の人は巨大ホットケーキを三枚焼いて、小さな広場にいた全員をお腹いっぱいにした。
「ではゲームオ様、そろそろローラドの街に入ってアザレア様と合流しましょう」
『そうだな、いくら上級薬草でドーピングしても体力の限界……あれ、また足が動かない』
ローラドの街に入る門の前でシャーロットは立ち止まり、やがてその場で足踏みをする。
『シャロちゃんは、もう充分走ったよ。えっ、まだ全然足りないって、僕は疲労困憊でこれ以上無理だ』
「まさかシャーロット様、夜も走り続けるつもりですか」
『別荘周辺みたいに、街の周りの小魔麦畑を金色にすると言っている。ダメだ、僕はシャロちゃんの意志を抑えきれない、全力疾走ーーーーっ!!!!』
シャーロットの中の人は悲鳴をあげながら再び走り出すと、エレナも慌てて追いかける。
ゲームで悪ノ令嬢と呼ばれたシャーロットは、憑依した中の人を上回る激しい感情と強靱な意志が芽生えていた。
*
静まりかえった真夜中、狭いベッドで重なり合って眠る三人の子供達。
ベッドの端に腰掛けた母親は、とても焦燥した表情で子供達の寝顔を見た。
「やっと農奴から平民になって畑を持てるようになったのに、もうお終いよ。スタンピードに襲われて全部を失ってしまう」
息を殺して泣き出した妻なぐさめるように、夫は背中に手を回す。
毎日必死で働いて、この十年で一番の豊作と言われた自慢の小魔麦が、収穫間際に羽虫に全て喰われてしまう。
「大丈夫だ心配するな。時計塔の神官ホプキンス様が、スタンピードから街を守ってくださる」
「時計塔の神官様は小魔麦畑まで守れないわ。私たちを魔物から救う王都の聖女様は、どうして助けに来ないの?」
すでに東の領地は、草木や馬や羊や人間まで全て魔白羽蟲に喰われ、川の水も飲み干されたという。
「ちくしょう!! 王都の連中が結界に隠れてないで魔白羽蟲のスタンピードと戦ってくれれば、西のラドクロス領まで被害は及ばなかったのに」
怒りの声を上げた農夫は、戸棚の奥に隠してあった酒を取り出し、そのままラッパ飲みしようとした。
その時、こんな真夜中に、時計塔の鐘が何度も何度もうるさいほど鳴り続ける。
「まさか、もうスタンピードが来たのか?」
農夫は妻に子供を任せると、慌てて家の外に飛び出す。
真夜中に鐘の音で叩き起こされた人々が時計塔の前に集まると、正装姿の神官ホプキンスが無言で時計塔の大鐘を指さす。
「おい、なんだあれは。時計塔が真っ赤に燃えている!!」
「燃えているんじゃない、あれは神官ホプキンス様の高位守護聖結界の輝き」
「よく見てみろ、大鐘のところに誰かいるぞ」
巨大な時計塔から放たれる聖なる光は夜の街を明るく照らし、時を告げる大鐘の前に誰かが立っている。
それは長い黒髪に白く輝く美しいヴェールを纏う不思議な衣装を着た細身の女性で、遠目からでもはっきりと分かる美しい顔立ちは、まさに豊穣の女神そのもの。
「皆の者、よく聞くがいい。私、神官ホプキンスの祈祷により、豊穣の女神がこの地に降臨した」
神官の宣言と同時に、見上げるほど高い時計塔の上から、豊穣の女神はふわりと飛んだ。
突然地上からつむじ風が吹き上げ、豊穣の女神の纏ったヴェールが翼のようにはためいて、艶やかな美しい黒髪をなびかせながら人々の前に降り立った。
神官ホプキンスは豊穣の女神の前に進み出ると、手を合わせ祈りを捧げる。
「私、辺境伯アザレア・トーラスは豊穣の女神の化身。時計塔の神官の祈りにより、神力に目覚めました」
「豊穣の女神様、ラドクロス領の人々を魔白羽蟲のスタンピードからお救いください」
「それでは貴方たちに女神の豊穣の加護を与えます。夜明けと同時にローラドの街の周囲の小魔麦は、黄金色に実るでしょう」
豊穣の女神は予言を告げると、白馬に飛び乗り街の外に向かって駆け出す。
人々は女神の後を追って街の外へ行くと、ラドクロス伯爵が派遣した大勢の兵士が、たいまつを掲げて街道の左右で整列していた。
日の出前の闇が一番深い時間、たいまつの明かりに照らされた道の右側が金色に輝いている。
「小魔麦の穂が実るまであと数日かかるはずなのに、なんで右の畑だけ黄色くなっている?」
「誰か、光魔法を使える者はいるか。畑を明るく照らせ」
数人が光魔法を行使すると、街の人々は明かりに照らされた畑に入る。
幻ではない、手にした穂はズッシリと重く黄金色の実をたっぷり付けていた。
「おい、アレを見ろ。小魔麦だけじゃない、外壁沿いの白魔桃の実もたわわに実っている」
「アザレア様は時計塔の果樹園を実らせ、街の周囲の桃の木と畑を黄金に染めた」
馬上のアザレアは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら黄金色の畑を指さす。
「私は神官ホプキンスの祈りに答え、ラドクロスの地に女神の祝福を与えました。小魔麦を一粒でも多く収穫して魔白羽蟲のスタンピードに備えるのです」
道の彼方から朝日が昇り、一陣の風がアザレアのヴェールを舞い上げ、縫いつけたアイスドラゴンの鱗が日の光を浴びて虹色に輝く。
女神の神秘的姿に兵士は一斉に膝を折り、その場に居る全員がローラドの地に降臨した女神へ祈りを捧げる。
「奇跡が起こった。街の周りの青い小魔麦も、徐々に金色に変わっている」
「せっかく女神様が与えてくれた麦の穂を、羽虫に喰わせてなるモノか」
人々の豊穣の女神をたたえる割れんばかりの歓声が、街中の時計塔まで聞こえる。
アザレアを豊穣の女神として認めることになった神官ホプキンスは、渋い顔で大きなため息をついた。
『はぁああぁ、ローラドの街の周りの畑を渦巻き状に走って、深夜二時頃体力の限界が来て仮眠を取ったのに、時計塔の鐘の音でシャロちゃんが起きてまたは走り出して、朝になって朝食を摂ってまたは走って、もう昼前だ。これってバイトの夜勤明け、ウスイホンを買うため朝イチでビッグサイトに向かって炎天下の列に並ぶ時くらいキツい』
「ゲームオ様、日が昇ってもこのままですか?」
『今僕とシャロちゃんが入れ替われば、マラソンのペース配分できないシャロちゃんは、身体を壊すまで走る』
シャーロットの強い意志と中の人のマラソン知識で、なんとかローラドの街の周囲を五週走ることが出来た。
昨日の昼間、シャーロットが別荘から街まで走り抜けた畑はすでに黄金色に染まり、農民も街の人々も兵士も一緒になり小魔麦の収穫に精を出している。
「ゲームオ様は、もう充分働きました。私の背中で少しお休みください」
その場で足踏みを続ける中の人に、エレナは背を向けて屈んだ。
『なんと、エレナが僕をいたわるなんて、天変地異の前触れか』
「いいえ、私はシャーロット様のお身体を心配しているだけで、ゲームオ様はいつか封じるつもりですからご心配なく」
エレナが返事すると、少し背の伸びたシャーロットの身体がおぶさる。
長身のエレナが立ち上がると、背中の身体は持ち上がり足が地面を離れた。
出会った頃枯れ木のように細く軽かったシャーロットの身体は、しっかりと重みがあり少女から大人へと変化の兆しをみせている。
背中の重みと温かさに、エレナは様々な出来事を思い出して目頭が熱くなる。
『ふふん、楽ちん楽ちん。それじゃあエレナ、このままひとっ走りローラドの街まで運んでくれ』
「お黙りくださいゲームオ様。感動に浸っていた私の気持ちをぶち壊さないで」
その時、地面に影が横切る。
シャーロットが顔を上げると、遙か東の空から巨大な何かが、ローラドの街に向かって飛んでくるのが見えた。
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、ありがとうございます。とても助かります。
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