白い厄災1
神官ホプキンスは祭のように騒がしい外の喧噪から逃げるように、礼拝堂の扉に鍵をかけて苛ついた声をあげた。
朝礼拝に参加する信者はひとりもいない。
「何が奇跡だ。きっと偽女神が果樹園に肥料でも撒いて細工したのだろう」
苛立ちながら祭壇後ろの控え室に戻ると、伝達魔水晶が爪で硝子をひっかくような呼び出し音をたてていた。
「うるさい、うるさい。王都聖教会のくだらない話なんか聞きたくもない」
ホプキンスは聖水晶にローブをかぶせて無視すると、固い黒パンとミルクの簡単な朝食を摂る。
しかし再び礼拝堂の扉が叩かれ、神官ホプキンスは無視して食事を続けようとしたが、扉を叩く音は激しくなる。
「おいやめろ、扉を壊すつもりか!!」
慌てて開けた扉の外には、深刻な表情を浮かべたラドクロス伯爵が立っていた。
「なんだ伯爵、あんたも偽女神様の奇跡を授かりに来たのか」
「お前はこの大変な時に、礼拝堂に閉じこもって何をやっている。東のチェス領で大量の魔白羽蟲が発生した」
「羽虫が湧くのは良くあることだ。チェス領は大変だが、最西端のラドクロス領まで影響ないだろ」
ラドクロス伯爵は大股で礼拝堂を横切ると、壁に飾られたサジタリアス王国の地図を指さす。
「魔白羽蟲が湧いた廃神殿の山は、百年前までエンシェントホワイトドラゴンが住んでいた。これは普通の大量発生じゃない、スタンピードだ」
「チェス領の隣の王都にも、魔白羽蟲スタンピードの被害が及ぶのか」
「お前、今朝の王都聖教会からの通達を聞いてないのか」
「そういえばさっきから水晶が光ってうるさかったが、王都を追い出された私に何の用だ?」
ホプキンスはぼやきながら、少しひび割れのある大きな聖水晶を控え室から運び出すと、祭壇の上に置いた。
サジタリアス王国の情報伝達は、手紙と伝書魔鳩。
そして聖教会は、魔力で音声と映像を伝える伝達聖水晶を所持する。
伝達聖水晶を起動させるには膨大な魔力が必要で、二分の伝達に神官十人分の魔力を必要だった。
聖水晶触れると中が水面のように揺らめき、つばの広い真っ赤な帽子をかぶった小太りの准神官の姿が映し出される。
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十日の深夜、チェス領で魔白飛翔蟲の厄災級スタンピード発生。
王都聖教会は十一日午前五時より、サジタリアス王都および王領に、豊穣の聖女候補シルビア・クレイグの広域不可侵聖結界を張る。
スタンピード終了まで王領は閉鎖、人・物資の往来は不可能。
すべての聖教会は民衆にスタンピードの情報を伝え、対策に務めよ。
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「不可侵聖結界だと。スタンピードが起こったのに、王都の神官も兵隊も誰一人助けに来ないのか!!」
「王都は豊穣祭の準備期間中で、自慢の花々を魔白羽蟲に荒らされるのが嫌らしい」
ラドクリフ伯爵は冷めた声で答える。
「王領の結界真上をスタンピードの群れは素通りして、明日には中央デニール領に到達。明後日には我がラドクロス領が、魔白飛翔蟲の厄災級スタンピードの餌食になる」
中央デニール領と西のラドクロス領で、国の主食である小魔麦を八割生産している。
王都で食べられるパンは、味が良いと評判のラドクロス領産小魔麦が使われていた。
「聖教会は小魔麦より食えない花の方が大切なのか。それにアイツらは、まだ十歳のシルビアの身体に大きな負担がかかる広域不可侵聖結界を張らせた。自分の身を守るため子供を利用したんだ!!」
顔を真っ赤にして怒る神官ホプキンスの様子に、ラドクロス伯爵は何かをさとる。
「そうかホプキンス。お前はシルビアを庇ったせいで、王都から追い出されたのか」
「確かに俺とシルビアは性格が合わなかった。聖女は一部の人間のために力を使うのではなく、全ての民に等しく力を分け与えなくてはならない。しかしあの子は母親の命令なら、平気で白を黒という」
「ホプキンス神官、スタンピードから街の人々と時計塔を守ってくれ。それからアザレア様たちも時計塔に避難してもらう。次こそ失礼のないように頼むぞ」
「これからスタンピードが来るのに、俺は偽女神をおもてなしする暇なんて無いぞ」
しかしホプキンスの返事を待たず、ラドクロス伯爵は礼拝堂を出て行く。
礼拝堂の窓の外から信者が中を覗き、皆一様に不安そうな顔をしていた。
すでにスタンピードの発生を知っているのだ。
「もうおしまいだ。大切な小魔麦が全部喰われちまう」
ホプキンスが礼拝堂の外へ出ると、若い農夫が駆け寄ってきた。
「神官様、豊穣の女神・アザレア様がこちらにいらっしゃるなら、スタンピードが来る前に小魔麦が収穫できるようお願いしてください」
「そうだ、アザレア様のいる別荘の小魔麦は収穫が始まっているし、昨日アザレア様が訪れた果樹園の桃は一晩で熟した」
農民達は両手に持った白魔桃を神官ホプキンスに差し出すと、どうかお願いしますと必死で頭を下げる。
「辺境伯令嬢アザレア、彼女は四つ星上位の風魔法使いだ。豊作の加護なんて持っていない」
「神官様がこの街を結界で守ってくださっても、小魔麦が全滅すれば俺たちは飢えちまう。せめて来年の春植える小魔麦の種だけでも確保させてください」
泣きながら訴える人々に答えられない神官ホプキンスは、その場で立ち尽くすしかなかった。
昨日酷く落ち込んだアザレアも、今日は元気を取り戻し、普段通り起きて身支度をする。
とても天気が良いので、外のテラスに料理を運びシャーロットと一緒に朝食をとる。
表面が薄くパリパリに焼かれ中は綿のように柔らかい白パンを、シャーロットは美味しそうに頬ばる。
青い空に何かがキラりと光り、よく見ると青魔トンボの群れと一緒に細いリボンがひらひら飛んでいた。
「あれは昨日トンボに結んだエレナのリボン。ここまで青魔トンボが飛んで来た!!」
青魔トンボを発見したシャーロットは、急いで朝食を済ませると、衣装鞄の中から糸やリボンを集めて虫かごに入れる。
「シャーロット様。そんなに沢山のリボンを、何に使うのですか?」
「沢山トンボを捕まえてリボンを付けるの。どの青魔トンボが高く飛ぶのか競争させるわ」
別荘の外に飛び出したシャーロットは、小魔麦の収穫を邪魔しないように畑の外側で青魔トンボを追いかける。
この一年間深い森を駆け回ったおかげで脚力も強化され、シャーロットの体力は成人男性以上あった。
「はぁはぁ、お待ちくださいシャーロット様。私の足では追いかけるのがやっとです」
エルフ祖先返りの敏捷性を持つエレナが、シャーロットの速度について行けず音を上げる。
「見てエレナ、あっちの木の周囲に青魔トンボが沢山飛んでいる。トンボって白魔桃の実を食べるかしら?」
シャーロットが走ると小魔麦畑の土に足跡が残り、青い小魔麦の穂が瞬く間に膨れあがった。
シャーロットが出かけた後、アザレアはテーブルに広げたヴェールを、丁寧な手つきで畳み木箱に収めていた。
すると慌てながら部屋に入ってきた別荘管理人が、ラドクロス伯爵の訪問を告げる。
「アザレア様おはようございます。朝から突然の訪問、お許しください」
「どうしたのですかラドクロス様。まぁすごい汗、今お茶を入れますので椅子に腰掛けて休んでください」
ローラド街から別荘まで馬で駆けつけたラドクロス伯爵は、全身びっしょり汗をかいていた。
「アザレア様、緊急事態です。明日トーラス領へお帰りになる予定を変更してください。スタンピードが発生しました」
「えっ、まさか、スタンピードですって!! ラドクロス様、詳しく状況を教えてください。私に協力できることはありますか?」
普通の令嬢ならスタンピードと聞いただけで悲鳴をあげ卒倒してしまうのに、アザレアは一瞬だけ驚いたが、気持ちを切り替え冷静に対応する。
「東のチェス領で、魔白羽蟲の厄災級スタンピードが発生しました。一日で領地ひとつを食い尽くす魔白羽蟲の群れが、明後日にはラドクロス領に到達するでしょう」
「二日後にラドクロス領? チェス領の隣、王領でスタンピードを抑えれば、最西端のラドクロス領まで被害は及びません」
「王都聖教会は王領全体を聖女候補シルビアの広域不可侵聖結界で覆い、スタンピード終了まで外との接触を断ちました」
「聖教会が魔物と戦わないで、外の人々を見捨て、自分たちは安全な場所に隠れるなんて信じられない」
話を聞いたアザレアは、思わず言葉を荒げた。
「アザレア様、今から辺境へ戻られても途中スタンピードに巻き込まれます。別荘は守りが薄い、どうか時計塔へ避難をお願いします」
「でも私、きのう神官様と大喧嘩してしまいました」
「神官ホプキンスは、時計塔とローラドの街を結界で守る役目があります。ですからアザレア様はスタンピードの間、女神として人々の心の支えになってください」
辺境伯令嬢アザレアに、豊穣の女神として振る舞えと告げたラドクロス伯爵の言葉には、覚悟が宿っている。
その意志を感じ取ったアザレアは、首を横に振ろうとして思い留まる。
「返事は少し待ってください。シャーロットちゃんが外で遊んでいるので、急いで知らせましょう」
「シャーロット様なら、私がここに来る途中、畑で青魔トンボを追いかけていました」
それからアザレアとラドクロス伯爵は、小高い丘の別荘から小魔麦畑におりる。
別荘周囲の小魔麦はほとんど収穫を終え、東側の畑の小魔麦が色付き始めていた。
「小魔麦収穫は五日後の予定なのに、別荘周囲だけこれほど早く収穫できるとは、やはり豊穣の女神の祝福」
ラドクロス伯爵はアザレアに聞こえないように、声を潜めながら呟く。
ふたりは別荘からかなり離れた畑の上空で、空を泳ぐ沢山のリボンを発見する。
「あのリボンの下に、シャーロットちゃんはいます」
「ここから随分と遠い。はぁはぁ、アザレア様申し訳ありません。朝からずっと駆けずり回って、少し疲れているようです」
「誰か、ラドクロス伯爵に甘いお茶を差し上げて。私は急いでシャーロットちゃんを呼んできます」
疲れて立ち止まったラドクロス伯爵に、従者はアザレアから渡された飲み物を差し出した。
冷たい紅茶の中に白魔桃が浮かび、一口飲むと上級薬草蜜の甘味が口いっぱいに広がり、瞬く間に疲れがとれる。
美しい碧の黒髪をなびかせて小魔麦畑の中を歩くアザレアの後ろ姿に、微かな希望を感じた。
農夫達は歌をうたいながら、黄金色の麦穂を刈っている。
「そうだな、領主の私がアザレア様に頼ってばかりではいけない。兵を集めて少しでも羽虫を減らし……な、なんだ、小魔麦がどんどん金色に」
ラドクロス伯爵が後ろを振り返ると、まるで自分たちを追いかけるように青い小魔麦の穂が黄金色に変化し、下を見ると足元に小さなリボンが落ちていた。
頭上には数十本の美しいリボンが舞い、その先には美しい黒髪の女神と可愛らしい天使がいる。
「シャーロットちゃん。こんなに沢山のリボン、どこから持ってきたの?」
「女神様がデザインしたドレスのリボンです。それを青魔トンボに結んだの」
明るく無邪気な笑い声が聞こえる。
赤青黄紫と色とりどりのリボンが、アザレアとシャーロットの周囲を旋回している。
「みてみて女神様、青魔トンボが私の後ろを追いかけてくるの」
「どうやらシャーロット様は、青魔トンボをティムしたようです」
「シャーロットちゃんが何所にいるか分かって便利ね。でも私たちはこれから時計塔に行くから、トンボは逃がしてあげて」
シャーロットは、心配そうな表情のアザレアの手を握る。
「今日も時計塔の意地悪神官に会いに行くの?」
「いいえシャーロットちゃん、私の話を落ち着いて聞いてね。ずっと遠くの東の山で、魔白羽蟲のスタンピードが発生したの」
アザレアの言葉に、シャーロットは思わず息を呑む。
辺境の北山脈にあった小さな王国は、エンシェントドラゴンのスタンピードに滅ぼされた。
アザレアの母とダニエルの母は双子の姉妹で、滅びた国の王族の血を引いている。
「でも今回はドラゴンじゃないから心配しないで。小さい羽虫のスタンピードだから、時計塔に避難すれば大丈夫よ」
「それなら私が羽虫を捕まえて、みんなを守ってあげる」
「だめよシャーロットちゃん。魔白羽蟲が集団発生すると、草や木だけじゃない、馬や牛や人間まで襲って食べてしまうの」
辺境の深い森で冒険をするシャーロットは、魔昆虫の集団は危険と知っている。
「この綺麗な小魔麦畑が、魔白羽蟲に食べられてしまう」
話を聞いたシャーロットは、両手で顔を覆い細い肩を震わせる。
エレナはシャーロットの身体を支えようとして、ピタリと足を止めた。
「まさか、こんな昼間から、ゲームオ様が現れるなんて」
『羽虫……スタンピード……僕は知っている。【白い厄災】魔白羽蟲のスタンピードは全てを破壊し喰い尽くす』
シャーロットの纏う清らかなオーラは禍々しい赤黒色に変化して、小鳥のさえずりのような可愛い声は抑揚のない低い声に替わる。
星をちりばめたような青い瞳は光の消えた曇った瞳に、立ち姿も少し猫背気味になった。
『思い出した、ゲームにラドクロス領なんてエリア無かった。ここは【白い厄災】で滅んだ土地だ』
ゲームオープニングでサジタリアス王国の歴史として流れたテロップ、その内容と同じだと気付いた。
魔白羽蟲のスタンピード【白い厄災】は王国の三割の土地と人々を滅ぼし、その後も疫病と飢餓が人々を苦しめる。
その時救世主として現れたのが聖女シルビア、しばらくして勇者と魔王が同時に出現する。
『ゲームでは【白い厄災】の後、人々を癒やし飢えから救ったシルビアは豊穣の聖女として認められる。だけど今、聖教会は何をしている!!』
「王都聖教会は外の人間を見捨て、王領全体を聖女候補シルビアの結界で覆い隠しまいました」
後ろから声がしてシャーロットの中の人が振り返ると、土の上に平伏するラドクロス伯爵の姿があった。




