魔白羽蟲のスタンピード
シャーロットはとてもつまらなそうに、妹シルビアと同じ表情で告げる。
神官ホプキンスはシルビア教育係時代のトラウマが蘇り、思わずうめき声をあげた。
「ドラゴンも倒せない神官が偉いの? 元冒険者の辺境神官様は一人でワイバーンを倒したのに。ねぇ女神様、結婚式は強い神官様にお願いしましょう」
アザレアもシャーロットも、敵には情け容赦ない。
「お待ちくださいシャーロット様、神官ホプキンスはとても優れた神官です。凶暴な魔物に襲撃されても、四つ星上位の結界魔法でローラド街と時計塔を守る力があります」
心優しいラドクロス伯爵は、こてんぱんに叩かれる友人を少しだけフォローした。
街ひとつ守れるほどの広域結界を張れるのは、聖教会神官でもホプキンスを含め十人しかいない。
「ふふっ、ははっ、私は街に結界張るのが精一杯の役立たず神官。大神官様なら広い王都丸ごと五つ星結界で守れるのだから」
鼻柱をへし折られ卑屈になった神官ホプキンスが何か呟いているが、アザレアは後ろを振り返らず礼拝堂を出た。
すでに時刻は午後三時前、街で一番人気のレストランでシャーロット達は遅すぎる昼食をとる。
食事の席でラドクロス伯爵は、テーブルに両手を付き頭をぶつける勢いで詫びた。
「アザレア様にとても不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません」
「頭を上げてくださいラドクロス様。神官様の意見は、きっと王都聖教会の総意でしょう。私は、豊穣の女神に成り済ます背教徒。と思われているのですね」
「聖教会の連中がどのようなことを言っても、アザレア様は我が妻を救った女神様です」
「私の豊穣の女神も、アザレア様だけです!!」
とても沈んだ表情のアザレアを、ファン二人は必死で励ます。
彼女は憂い顔で微笑んだが食事をほとんど残し、街中を見ることなく馬車に乗り込んだ。
シャーロットも馬車に乗ろうと扉に手をかけ、握っていたリボンをうっかり離す。
リボンはふわりと宙を舞い、青トンボはリボンが結ばれたまま、空高く飛んでいってしまった。
別荘に戻ったアザレアはそのまま部屋に閉じこもり、果樹園の昆虫採集で疲れたシャーロットは朝までぐっすり眠った。
*
サジタリアス街道と呼ばれる道は、王都から東西南北に敷かれている。
広い石畳の道には女神の光で魔物を寄せ付けない聖外灯が設置され、おかげで夜でも大勢の人や物資が行き交う。
まだ薄暗い夜明け前。
東街道を走る小さな幌馬車は、王領に入る手前で大渋滞に遭遇する。
五頭立ての大きな貨物馬車や煌びやかな馬に乗った夜遊び帰りの貴族、牛や羊も街道で立ち往生していた。
「早く馬車を通してくれ。この荷物は朝イチで市場に届けないといけないんだ」
「おい神官、伯爵家子息の僕を平民と一緒に道に留めるとは無礼だぞ。僕だけ中に入れろ」
王領に入る手前の地面に真っ赤な線が引かれ、黒い布で顔を覆った黒装束の神官達が道を塞ぎ、なにやら呪文を唱えている。
不思議な言葉で呟かれる呪文と黒装束神官のただならぬ気配に、幌馬車から降りた男は思わず身震いする。
「これでサジタリアス東街道は封鎖された。王領は豊穣の聖女候補・シルビア様の広域不可侵聖結界に覆われ、外部からの侵入は出来なくなった」
太陽が昇り周囲が明るくなると、街道にいる人々は世界が二分されたことに気付く。
赤みがかった分厚いガラスのような幕が地面から空高く延びて、巨大な王領全体をすっぽりおおう。
「街道にいる者は今すぐこの場を立ち去り、安全な場所に避難せよ。チェス領で発生した魔白羽蟲のスタンピードが、まもなくここに到達する」
「え、まさか、スタンピードだって!!」
黒装束の神官達は無機質な声で告げると、街道に残された人々に背を向け結界の奥に消えてゆく。
「魔白羽蟲って、ねずみも食っちまう雑食の三つ星魔昆虫じゃねぇか」
「こんな平原のド真ん中で、隠れる場所なんてひとつも無い!!」
スタンピードと聞いた人々は恐ろしさで混乱に陥り、最前列にいた五頭立ての貨物馬車が結界の中に飛び込もうとする。
しかし聖結界に触れたとたん馬の首が逆方向に折れ、巨大な荷馬車は岩壁にぶつかったように粉々に砕けた。
やがて街道の遠く後方から、耳障りな乾いた羽音が聞こえ、黒い雲のような巨大な影が湧き空を覆う。
「おい偉そうなお貴族様、あんた三つ星魔法くらい使えるんだろ」
「僕は二つ星だ。それに三つ星スタンピードは四つ星結界でしか防げない。誰か礼はいくらでも出すから、僕を守ってくれ」
お貴族様は手に金貨を持って見せびらかしていると、馬上の貴族を見上げていた下男が悲鳴をあげた。
「うわっ、ご主人様の頭に、む、虫が止まっています」
「ひぃ、僕は虫に食われて死にたくな、うわぁ!!」
頭に止まった虫を払い落とそうとした貴族の男は、派手に落馬する。
周囲を旋回していた白い羽虫は瞬く間に数を増し、羽音で空気を震わせながらとぐろのような渦を巻く。
「ちくしょう、道に突っ立っていても助けは来ない。聖結界の抜け穴をみつけて中に入るぞ」
「おいやめろ、魔物避けされた街道から出るのは危険だ」
周囲が止めるのも聞かず、全員お揃いの青いマントを羽織った冒険者達は街道を外れ結界に沿って左側を流れる小川に向かう。
川べりにたどり着いた冒険者は、荷物をわざと川に落とし結界の中に流れてゆくのを確認する。
「川の水は結界に流れ込んでいる。もしかして川の中を歩いて結界に入れるかも……」
しかし街道の上を旋回していた羽虫の群れが、向きを変え冒険者を追いかけ始める。
冒険者達の姿は黒い煙に包まれて見えなくなり、耳をつんざくような五月蠅い羽音と、微かに人に悲鳴のようなモノが聞こえた。
やがて細切れになった荷物の残骸と、わずかに残った人の骨らしきモノが地面に転がり、魔白羽蟲は小川の水をすべて飲み尽くした。
「毎日朝昼晩と祈って、聖教会への奉仕も欠かさないのに、なんで俺がこんなところで死ななくちゃならない」
「王都の連中の食べ物や洋服、生活を支えているのは俺たちなのに、豊穣の聖女様は王都の人間だけ守るのか」
「僕の家も聖教会には多額の寄付をしたのに、神官たちは僕の顔すら覚えていない」
しくしく泣き出したお貴族様に同情の目を向けながら、人々は為す術もなく数を増やす魔白羽蟲の群れを見上げる。
幌馬車の男は馬車を聖外灯の真下に運ぶと、着替えを何枚も重ね着して身体を守った。
「みんなぁ聞いてくれ。聖外灯の真下は魔獣が避ける、魔白羽蟲は熱と煙を嫌がるから、積み荷を燃やして身体を燻せば、少しは魔白羽蟲避けになるはずだ」
幌馬車から下ろされた絹織物は、ひと目見て高価な品だと分かる。
男は鉱山で五年働いて貯めた金を元手に、海向こうの国から絹織物を苦労して仕入れた。
その大切な全財産を、震える手で火を点けようとする。
「おおっ、なんて素晴らしい、色鮮やかな花々の描かれた異国の布。今度の彼女への贈り物はこれにしよう。君、私にその絹織物を売ってくれないか」
「えっ、騎士様。こんな状況でなに言ってんだ」
目元に深いしわの刻まれた灰色のマントを纏った騎士は、布を手に取ると満足そうに頷く。
「お前は荷物を燃やせと告げた。この窮地にまともな判断を下せる者がいるのだな。豊穣の聖女ほどではないが、私の結界の中にいれば安全だ」
結界を張ると言った騎士は、白髪交じりの長い髪に装飾の少ない銀灰色の鎧、薄汚れた灰色のマントを纏っている。
すると全身金ピカ服の小太り商人が、幌馬車の男を押し除けて騎士の前に立った。
「騎士の男、お前四つ星結界が張れるなら、こんな貧乏商人より俺たちの積み荷を守れ」
「お前こそ彼の話を聞いてないのか。積み荷を燃やし身体を燻せと言った。私は身ひとつで結界に入る者だけ守ってやろう」
「荷物は貴重な王家御用達の品、ここにいる連中五十人分の価値があるんだぞ。そうだ、積荷の半分をお前にくれてやる」
「この程度で王家御用達? そんなガラクタいらん」
騎士は金ピカ商人を一暼すると、興味なさそうに背を向ける。
薄汚れた灰色のマントには王色の深赤の縁取りがされ、うっすらとドラゴンの紋章が浮き出ている。
「もしかして貴方様は、死に損な……王太弟アンドリュース殿下」
お貴族様が慌てて騎士の足元に平伏する様子に、街道の人々はざわめいた。
「王太弟アンドリュースって、エンシェントドラゴンの即死呪いを喰らった死に損ない爺さんだろ」
「王太弟は王様の弟だから、爺さんじゃないぜ」
「アンドリュース公爵は、俺の街のダンジョンに住み着いた五つ星ハイリッチキングを討伐した、とても強いお方だ」
平伏する貴族子息の後ろで、人々は縋るような目でアンドリュース公爵を見つめる。
「荷は全て街道の外に出して燃やせ、馬を放ち囮にしろ。私はこれから六つ星結界を張る。結界の中なら、魔白羽蟲のスタンピードにも耐えられるだろう」
アンドリュース公爵が石畳の地面に深々と剣を突き刺し六つ星魔力を流し込むと、それに反応して聖外灯の光が膨れあがる。
人々は積み荷を捨てて、魔力の高まった聖外灯の真下に集まった。
アンドリュース公爵は突き刺した剣に魔力を送り続けながら、王領全体を赤みがかった分厚い硝子で覆う巨大な結界を仰ぎ見る。
「これほど巨大な結界を張れるシルビアは、真の豊穣の聖女で間違いない。しかしそれなら余計に、結界の外の者たちは聖女に見捨てられたと考えるだろう」
同日同時刻。
まだ日も昇りきらない時刻に、時計塔礼拝堂の扉が激しく叩かれる。
「こんな朝早くから騒ぎ立てるとは、なんの用だ」
「大変です神官様。うしろの果樹園の白魔桃が、たった一晩で大量の実を付けました」
ひどく慌てた様子で礼拝堂に飛び込んできたのは、白魔桃の果樹園管理人。
街路樹の白魔桃はまだ青く実も固いのに、果樹園の桃は皮がはち切れんばかり大きく成長して、木の枝が重みで折れそうなほどたわわに実っていた。
朝の礼拝に集まった街の人は、時計塔を素通りして後ろの果樹園に行ってしまう。
「そういえば近所に住む農奴が、別荘周辺の小麦畑が金色に色づいたと言っていた」
「丘の別荘にいらっしゃるのは確か、辺境伯アザレア・トーラス様」
「昨日領主様と一緒にいた美しい黒髪のお姫様は、豊穣の女神アザレア様だ」
歓声を上げる人々に、神官ホプキンスは苦い顔をする。
「神官様、これは昨日聖教会にいらっしゃった豊穣の女神……アザレア様の御業ではありませんか?」
「王都聖教会は豊穣の女神の存在を認めていない。果樹園の桃は偶然実っただけだ。辺境伯令嬢アザレアを女神と呼んだ者は、背教徒のレッテルを貼るぞ」
しかし街の人々は神官の言葉を無視して、豊穣の女神が授けてくださった白魔桃の実を、ありがたく収穫する。
たわわに実った白魔桃の木の根元には、子供の靴跡が残っていた。




