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シャーロットと時計塔

 見渡す限り緑の小魔麦畑が広がる中に、ローラドの街はある。

 緑の平屋建ての建物が並ぶ街に建つ大きな赤いレンガの時計塔が、ラドクロス領聖教会だった。

 シャーロット達の馬車が街に入ろうとしたとき、時計塔の鐘が十二回が鳴り正午を知らせる。


「まぁ、王都の聖教会に勝るとも劣らない、なんて立派な時計塔でしょう」

「アザレア様、お褒め頂ありがとうございます。広大な小魔麦畑の端まで鐘の音が聞こえるように、先々代の領主が巨大な時計塔を作らせました」


 ラドクロス伯爵の案内で訪れたローラドの街は、街路樹の白魔桃の青い実がたわわにみのり、伯爵の馬車を見かけた街の人々は和やかな顔で深々と頭を下げ、子供達は歓声を上げて手を振る。

 

「私の領地は荒っぽい冒険者が多いけど、こちらの人々はとても穏やかですね」

「十年ほど前に、アンドリュース公爵から頂いた異国の小魔麦の種を植えたところ、気候と合っていたらしく収穫量が三倍に増えました。おかげで領民の暮らしも豊かになり、現在我が領は国一番の大穀倉地帯です」

 

 誇らしげに語るラドクロス伯爵の説明に、アザレアは少し首をかしげる。

 パンの原材料である小魔麦を大量生産するラドクロス伯爵領は、国の食料庫であり最も重要な場所。

 しかし去年の豊穣祭で、王族はラドクロス伯爵を田舎者扱いして、フレッド王子や神官は胸の痛みに苦しむ伯爵夫人を助けなかった。

 まさか王族も聖教会も、ラドクロス伯爵領の重要性を知らないのか?

 

「なんて素敵、この綺麗な緑色の麦の穂が美味しいパンやケーキになるのね。私のエレナはパンを焼くのが上手だから、ラドクロス伯爵様の小魔麦で焼いたパンを食べてみたい」

「シャーロット様、今日のおやつのクッキーはラドクロス領の小魔麦を使っています。雑味が少なく、ほのかに甘くて香ばしいクッキーが焼き上がりました」


 シャーロットはエレナの話に瞳を輝かせ、ラドクロス伯爵は自領の小魔麦を褒め称える彼女に好感を持つ。

 馬車は街中をゆっくりと進み、十分ほどで時計塔の聖教会に到着する。

 しかしラドクロス領主が客人を連れて来たというのに、出迎えの者はひとりもいない。

 巨大な時計塔の一階は礼拝堂になっており、中から女神賛歌が聞こえる。


「申し訳ありませんアザレア様。神官ホプキンスはとても偏屈でこだわりがつよく、重要な用事であっても朝昼夕晩の礼拝を予定通り行うのです」

「この女神賛歌は聞き覚えがあります。私たちが滞在する別荘の周囲で、農民達が楽しそうに歌いながら作業していました。ラドクロス領民はとても信心深いですね」


 ラドクロス伯爵がアザレアが馬車から降りるのをエスコートするが、アザレアは首を横に振って馬車の座席に戻る。


「今聖教会の中に入ったら、信者の方は私を豊穣の女神と勘違いしてしまいます。お昼の礼拝が終わってから神官様とお会いしましょう」


 アザレアが答える隣で、シャーロットは馬車の外を眺めながらソワソワしていた。


「あっ、七羽根青魔トンボが飛んでいる!! 女神アザレア様が神官様とお話ししている間、お外で遊んできます」

「シャーロットちゃん、ちょっと待っ」


 すでに準備万端、虫網を握りしめたシャーロットは馬車から飛び出し、時計塔の周囲を旋回する青魔トンボめがけ走ってゆく。

 くせ者と噂の准神官との打ち合わせには時間がかかりそうなので、アザレアはシャーロットを自由にさせることにした。

 大時計塔の裏は白魔桃の果樹園が広がり、秋の訪れを告げる七羽根青魔トンボが群れを成して飛んでいる。

 街路樹の熟した白魔桃とくらべ、大時計の影になる果樹園の桃はまだ小さくて青かった。 シャーロットは果樹園の中を縦横無尽に、はしゃぎながら青魔トンボを追いかける。


「シャーロット様、アザレア様は話し合いに時間がかかるご様子なので、先に軽くお食事しましょう」


 時計塔を見上げたシャーロットは、時間を確認して驚きの声をあげる。

 聖教会から聞こえていた女神賛歌も静まり、昼の礼拝は終了したようだ。


「えっ、もうお昼の一時なの? 私トンボを追いかけていたら全然気付かなかった。そういえばお腹が空いたわ」

「シャーロットお嬢様、今朝頂いた果物とクッキーを準備しました」


 エレナは大樹の木陰に明るい花柄模様の布を敷きクッションを三個並べると、籐のバスケットから白磁の大皿とティーポットを出す。

 シャーロットがティーポットに触れると火魔法で瞬時に水が沸騰する。

 エレナは手際よく果物を切り分けながら、クッションの座って大きな伸びをするシャーロットに声をかけた。


「シャーロット様はもしかして、今でも聖教会の中に入るのが怖いですか?」

「エレナ、それは大丈夫。聖教会なんて足長女郎魔蟻の巣に入るより怖くない。だけど聖教会には病気を治しに来る人もいるから、私の《老化》呪いで迷惑をかけたくないの」

「シャーロット様は、なんてお優しい気遣いができるのでしょう」


 健気に答えるシャーロットを見て、エレナは胸が締め付けられた。

 シャーロットの《老化》呪いは、健康な人間なら成長促進だが、大病を患ったり年老いた者の寿命を縮める。

 子供のように昆虫採集に夢中だったりするが、他者をいたわる心は誰よりも強く、大人びた考え方をする。

 それなら少しでもシャーロットの気持ちが和らぐようにと、大きめのマグカップに甘酸っぱいベリーの紅茶をなみなみとそそぎ、特別なハチミツをたっぷり垂らす。

 シャーロットは真夜中に中の人が焼いた大きくて分厚いクッキーを頬ばりながら、甘くてすっぱい紅茶を美味しそうに飲んだ。

 ほんの少しだけ木陰で涼んで、再びシャーロットは駆け出す。

 シャーロットはアザレアがデザインした(トパーズ服飾店がアレンジ)くるぶし丈の柔らかな魔シルクが三枚重ねられたオレンジ色のシンプルデザインのドレスを着て、背中の大きな白いリボンが翼のように揺れる。

 果樹園の管理人に許可を取り昆虫採集をしたが、収穫前の果樹園では大勢の農奴が作業している。

 まばゆい金色の髪に大きな瞳をキラキラ輝かせて木々の間を駆け回る、天使のように美しいシャーロットの姿に農奴達は見とれた。


「エレナ、もう虫かごにトンボ入らない」

「きゃあ、シャーロット様、捕りすぎです。虫同士が押し潰されて、死んでしまいますよ」

「虫かごの中で戦わせて、一番強い虫を決めるのよ」


 シャーロットは他者を思いやる心と、獲物を痛ぶる残酷さを持ち合わせている。 

 虫嫌いのアザレアが虫かごギチギチに詰まったトンボを見たら、悲鳴をあげて倒れてしまうだろう。


「シャーロット様、トンボは戦わせるのではなく、ほら、こうやって元気よく飛ぶ姿を愛でるのです」


 エレナは後ろ髪をひとつにまとめた空色のリボンを解くと、虫かごからトンボを一匹捕まえて胴体にリボンを結ぶ。


「わぁ、面白い。リボンを付けた青魔トンボが飛んでいる」

「シャーロット様、一番大きなトンボにリボンを付けて、他のトンボは逃がしましょう」


 シャーロットは大喜びで一番大きい青魔トンボを選び、左指にリボンを結びつけて果樹園の中を散策する。

 どこまでも続く広い果樹園の中では、時計塔が目印だ。

 時計塔の鐘が十四回鳴るのを聞いたシャーロットは、足を止めて首をかしげる。


「アザレア様と神官様のお話は、まだ終わらないのかしら」


 *


「お断りします。出て行ってください」


 昼の礼拝が終わるまで一時間近く待たされ、やっと時計塔の中に入れたアザレアに神官ホプキンスは開口一番告げた。


「おいホプキンス。妻の命の恩人であるアザレア様に、お前はなんて口のきき方をすんだ!!」

「これはこれは、失礼しました。私は王都を追い出された厄介者のホプキンス。貴女様は自らを豊穣の女神とふれ回る、辺境伯令嬢アザレア・トーラス様ですね」


 整った顔立ちに眉間のしわが目立つ青い髪を肩の長さに切りそろえた、袖が擦れた灰色の神官服姿の男は不遜に答えた。


「私からの自己紹介は不要ですね。でも聖教会を尋ねた信者の話も聞かず追い出すのは、神官の務めを放棄しています」


 見た目か弱く清楚なアザレアだが、気性は勇ましくたいていの男は打ち負かす実力を持つ。


「申し訳ありませんアザレア様。昨晩ホプキンスにちゃんと、ダニエル殿下との婚礼の件を伝えたのですが……」


 ラドクロス伯爵は薄くなった頭に冷や汗をかきながら、神官ホプキンスを睨みつける。

 しかし神官は伯爵を無視して、アザレアと連れて来た付き人達をじろじろと眺めた。


「偽りの豊穣の女神様、クレイグ家の呪われた娘を連れて来ていないのですか?」

「偽りの女神? それに呪われた娘とはどういう意味ですか」

「アザレア様、言葉通りの意味です。貴女は四つ星上位の風魔法使いだが、治癒魔法は使えない。豊穣の女神なら禁断の蘇生魔法ぐらい使えないと」

「私は自ら豊穣の女神と名乗ったことはありません。それにシャーロットちゃんは呪われていない。彼女は私の大切な天使よ!!」

「僕はね、シャーロットの妹で聖女候補シルビア様に嫌われたのです。王都の大聖教会を追い出され、田舎の時計守に降格した」


 アザレアを見下した態度の神官ホプキンスは、聖女候補シルビアの元教育係だった。

 偏屈で厳しい指導を行う彼と気まぐれなシルビアは相性最悪で、おまけに娘シルビアを餌にして社交界でのし上がりたいクレイグ伯爵夫人と、王位継承争いの駒にしたい第三王子フレッドに勉強を邪魔される。

 ついにフレッド王子がシルビアを聖教会から王宮に連れ出して戻らず、ホプキンスは責任を取る形でラドクロス領に左遷された。 


「僕は女神候補シルビアとクレイグ伯爵夫人、その関係者とは一切関わりたくない」

「まぁ、それはご愁傷様です。でも神官様、王都を追い出された原因を子供に押しつけるなんて、とても無様です」


 思わず心情を吐露した神官ホプキンスを、豊穣の女神アザレアは冷めた目で見返した。

 頭上の鐘が十四回鳴り響き、長い沈黙が三人を包み、アザレアは諦めの溜息をもらす。

 その時、礼拝堂の扉が大きく開き、飛び跳ねるような靴音と真昼の眩い光のような金色の髪をなびかせた少女が中に駆け込んでくる。


「あれ、女神アザレア様がいる。とても静かだから、誰もいないと思いました」

「シャーロットちゃん、随分待たせてしまったわね。話は終わったので、最後に神官様にご挨拶をして帰りましょう」

「まさかこの少女が、《老化・腐敗》呪いの貧相シャーロット?」

  

 聖教会でシルビアを教育していたホプキンスは、クレイグ伯爵夫人から母親を呪うシャーロットの話を散々聞かされた。

 痩せたゴブリンみたいな醜い娘で、幼女趣味の末席王子にさらわれた後、偽豊穣の女神・辺境伯令嬢アザレアに取り入ったと教えられた。

 神官の前に進み出たシャーロットは、両膝を床に付き膝立ちになると、背筋を正し両手をクロスして胸に当て古風な最敬礼を行う。

 ど田舎の神官に、伯爵家令嬢が洗練された美しい最上級の挨拶を披露したのだ。


「シャーロットちゃん。とても優秀でお偉くて忙しい神官様に、辺境の結婚式は引き受けないと断わられたわ。さぁ、帰りましょ」


 アザレアの穏やかな口調でトゲを含んだ言葉に、なぜかシャーロットは瞳を輝かせる。

 

「神官様は優秀で偉くて、とても強いのね。サキュバスやバンパイヤや悪霊を何百匹倒したの?」


 王太弟で戦闘狂バトルジャンキーのアンドリュース公爵から色々武勇伝を聞かされて、シャーロットは 偉い人=強い と思い込んでいた。


「私は厳しい戒律を守り経典に記された教えを全て習得し、難解な試験を優れた成績で合格し、豊穣の女神の使徒である准神官の地位を授かりました」


 豊穣の女神候補シルビアと同じ顔のシャーロットに、つい油断する。


「戒律とか経典とか試験なんて興味ないわ。私は神官様が倒した魔物の話を聞きたいです」

「聖教会結界には魔物一匹入れないのに、なぜ私が魔物を倒さなければならない!! ゴブリンやサキュバスなんて魔物は、冒険者連中に任せればいい」

「でもアンドリュース叔父様は、神官と一緒にエンシェントブラックドラゴン退治をしたわ」

「エンシェントドラゴンなんて、ひぃ、とんでもない!!」

 

 聖教会ではエンシェントブラックドラゴンと戦った大神官に畏怖の念を抱かせるため、その戦いは地獄に等しいと教えられる。

 シャーロットは、不思議そうに首をかしげながらたずねる。


「辺境の神官様は一人でゴブリンくらい倒せるのに、どうして魔物も倒せない神官様が偉いの?」 

※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、ありがとうございます。とても助かります。


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