シャーロット、サジタリアス国王に挨拶する
五番目の息子ダニエルの婚約を、父親であるサジタリアス国王が祝福しようと王座から立ち上がりかけた時、第三王子フレッドが黒曜石の舞台最前から飛び出してきた。
「アザレアがダニエルと婚約、そんな馬鹿な話あるか。アザレアは三年前、ダニエルは弟のようなものだ。と俺に言ったではないか」
フレッド王子は数年前から何度もアザレアを口説いていたが、病弱を理由に断られていた。
「フレッド殿下。確かに以前のダニエルは年下の子供でした。でも久しぶりに辺境へ帰ってきたダニエルは、とても頼りがいのあるたくましい男性に成長していたのです」
アザレアは勝手に婚約を取り付けたダニエル王子を心の中で怒りながらも、壇上のフレッド王子に輝くような笑顔を返す。
隣に立つダニエル王子と腕を組み、周囲の人々に仲の良さを見せつけた。
「ダニエルは辺境に帰ったんじゃない、俺に任された仕事を放棄して辺境に逃げた。こいつはまともに公務も出来ない役立たず王子、アザレアにはふさわしくない!!」
「お言葉ですが、フレッド兄上から任された仕事は全部片付けました。優秀な兄上なら、役立たずの俺がいなくても大丈夫でしょう」
「なんだと、王族として価値のない末席の王子が、王太子候補の俺に逆らうつもりか」
王子達の会話を聞いた貴族たちは、不審げにささやく。
「フレッド王子の公務怠慢が目立つようになったのは、ダニエル王子が辺境に行った時期からだ」
「それじゃあフレッド王子は自分の仕事を、弟のダニエル王子に押しつけていたのか」
野次馬達の声を聞いたフレッド王子は、真実を言い当てられた怒りで、帯刀した剣に手かけながらダニエル王子に近づく。
しかしふたりの後ろを見た瞬間、全身が硬直して動けなくなる。
「フレッドとダニエル、兄弟喧嘩は後にしろ。この私をいつまで待たせるつもりだ」
灰色に白の混ざる髪をひとつに束ね、第一王位継承者の証であるサークレットを額に飾り、エンシェントブラックドラゴンの姿が縫いつけられた灰色のマントを着た男が立っている。
「馬鹿兄貴……偉大なる十七代サジタリアス国王陛下へのご挨拶に参った」
サジタリアス王国と反目し合い、公式行事にも姿を見せない王太弟、アルトゥル・アンドリュース公爵の姿に周囲はざわめく。
ダニエル王子ですら気配を感じ取れず、後ろを振り返ると慌ててアザレアと共に敬礼を行う。
アンドリュース公爵は二人に声をかけた後。グリフォンの手綱を握るシャーロットを見つけると楽しそうに笑った。
「クレイグ家のお嬢さん。グリフォンはダニエルに任せて、私と一緒に国王陛下に御挨拶しよう」
「はい、喜んでご一緒させて頂きます。今日のアンドリュース公爵様は、女神聖典に描かれたエルフ王様みたいに素敵です」
冒険者ギルドで会った時のくたびれた様子と違い、身綺麗にしたアンドリュース公爵は五歳ほど若く見えた。
即死呪いの影響で髪の色は抜け、青く血色の悪い顔はグールやバンパイヤのようだと揶揄されるアンドリュース公爵を、シャーロットは憧れの眼差しで見つめる。
「はははっ、エルフ王とは、本当に面白いお嬢さんだ」
今日のシャーロットの衣装は、アザレアの奇抜なデザインをトパーズ服飾店がアレンジした背中に大きな青いリボンの付いたドレス。
アンドリュース公爵は痩せて筋張った手をさしのべると、シャーロットは優雅に一礼してその手を取る。
親子ほど年の差のあるアンドリュース公爵にエスコートされて王座の前に進み出たシャーロットは、国王と対面すると伯爵令嬢にふさわしい完璧な挨拶する。
「ほう、お前があのシャーロットか」
それまで貴族達のご機嫌伺いや王子達の兄弟喧嘩に無反応だったサジタリアス国王が、シャーロットの名前を聞くと太い眉をピクリと動かした。
国王の問いに、返答の代わりに愛らしく微笑みながら頭を下げるシャーロット。
「お前の姿を見ただけで、寿命が一年縮むというのは本当か?」
「いいえ国王陛下。私の《老化・腐敗》呪いは、ひと目見ると一年寿命が縮むのではなく、半日で二時間ほど時が短くなります」
「ふむっ、お前の呪いにどれだけ効果があるか、調べてみたいな。老化の呪いを使えば……」
シャーロットを興味深そうに眺めながら、さらに話を続けようとする国王の言葉を、魅力的な重低音の声がぶった切る。
「偉大なるサジタリアス王国の豊穣を祝う式典に、私のような死に損ないを招待くださるとは、サジタリアス国王陛下は誠に寛大なお方」
シャーロットの隣に立つアンドリュース公爵は、僅かに頭を下げて口上を述べる。
その麗しい声に周囲のご婦人は甘い吐息をもらし、王座に座る兄王は憎々しげに舌打ちする。
サジタリアス国王は公爵から視線をそらし、完全無視して会話を交わすことない。
「さてと、馬鹿兄貴への挨拶も終わった。ダニエルにグリフォンを見せてもらおう」
用事は済んだとばかりに、アンドリュー公爵はきびすを返し王座に背を向けると中庭に向かい、シャーロットも慌ててその後ろを追いかける。
中庭では、神獣グリフォンを従える燃えるような赤毛の王子に、艶やかな黒髪の豊穣の女神が寄り添っていた。
しかしそこでも無粋な第三王子が、ダニエル王子に詰め寄り難癖を付けている。
「貴様は獰猛なグリフォンを王宮に連れて来て、我々を危険に晒すつもりか!!」
「フレッド兄上、このグリフォンは私に完全服従しています。従属の首輪もはめて、王都に来るまでの二週間、きちんと調教を行っています」
「そういえば何故お前のようなやつが、グリフォンを従える?」
「私とアザレアとシャーロット嬢は、アイスドラゴンに襲われたグリフォンの命を救いました。そして私に流れる王族の血が、神獣グリフォンを手懐けたのです」
「ほうっ、王族なら無能なお前でも、神獣グリフォンを従属することができるのか」
何か思いついたフレッド王子は、意地の悪い笑顔を浮かべながらダニエル王子に言った。
「そういえばお前に貸してやった貴重な王族馬十頭、まだ返してもらってないな」
「フレッド兄上からお借りした王族馬は、全てお返ししたはずです。後ろに控える従者マックスもそれを知っています」
「おいマックス、ダニエルに貸した馬はどこにいる!!」
語尾を荒げ怒鳴るように問うフレッド王子に、マックスは逆らうことが出来ない。
そしてダニエル王子は、敬愛する辺境伯アザレア・トーラスの心を奪った憎い恋敵。
「わたくしは第五王子ダニエル殿下と十頭の王族馬を辺境までお送りして、帰りは驢馬に乗って王都に戻りました」
「嘘を言うなマックス。俺たちはダークムーンウルフから王族馬を守り、全ての馬を返したはずだ」
ダニエル王子は焦りながらフレッド王子付きの近衛兵を見るが、マックスの他は見知らぬ顔だ。
この半年間でフレッド王子の側近達は、不祥事の責任を押しつけられ左遷されたり、自ら辞めたりして殆ど入れ替わった。
「ダニエル、嘘つきはお前だ。俺から盗んだ王族馬の代わりに、このグリフォンを貰ってやる」
「なんて寛大な二つの王家の血を受け継いだ高貴なフレッド殿下こそ、神獣グリフォンの主人にふさわしいでしょう」
「アイスドラゴン程度にやられるとは、情けないグリフォンだ。俺が直々に調教して鍛えてやろう」
「では兄上がどのようにグリフォンを従属させるか、見せてもらいましょう」
兄王子の自分勝手な言い分に、ダニエル王子は呆れ顔で握っていた手綱を放り投げた。
大きな丸い瞳に獅子の身体も丸みをおびて幼いグリフィンは、その場で大人しく留まっている。
フレッド王子に命じられたマックスが、投げ捨てられたグリフォンの手綱を拾おうとした。
その瞬間、グリフォンはマックスの頭部を鋭いくちばしで突こうとする。
マックスのかぶっていた兜を咥え、運良く頭は無事だった。
グリフォンのくちばしで硬く頑丈なミスリル製の兜は咬み砕かれ、紙のようにクシャクシャにひしゃげる。
「ひぃいーーっ、グリフォンが俺を喰おうとしやがった!!」
「ダニエル、お前のグリフォンはマックスを襲ったぞ。この魔獣をちゃんと調教していないのか」
「フレッド兄上、俺がどうやってグリフォンを従属させたか教えましょう。我々は多数のグリフォンを従えた初代サジタリアス王の血筋」
「なにを今更、そんなことは分かっている」
ダニエル王子はおもむろに左腕の黒手袋を取り、兄王子に向かって片手を差し出す。
健康的な浅黒い腕、そして不自然に青白い指先から砂が吹き出してサラサラと音を立てて崩れ去る。
ダニエル王子の指は、トパーズ服飾店の女主人に頼んで砂ゴーレムと同じ魔法で、右手の指を反転させて作らせたモノ。
ダニエル王子は指三本失った手のひらを開いて見せつける。
「俺の指を喰らったグリフォンは、王族の血に服従した。だからグリフォンを従えるなら血を」
しかし話を聞き終わらないうちに、フレッド王子は命じる。
「そうかそうか、人肉を喰わせればグリフォンは言うことを聞くのか。おいマックス、お前の腕をグリフォンに差し出せ」
これでグリフォンを自分のモノに出来ると有頂天になったフレッド王子は、自らの異常な発言にも気付かない。
それまで野次馬気分で王子の兄弟喧嘩を眺めていた貴族達も、一斉に静まりかえる。
「フ、フレッド殿下急に何をおっしゃいます。まさか俺の腕をグリフォンに」
「マックス、お前は次期サジタリアス国王である俺に忠誠を誓い、命を捧げると言った。さっさと腕を切り落としてグリフォンに喰わせろ。ああ、自分では切りにくいな。お前達、手伝ってやれ」
「どうして、フレッド殿下に誠心誠意尽くしてきた俺を、魔獣の餌にするのですか!!」
マックスは悲痛な声で訴えるが、フレッド王子に忠実な部下たちに取り押さえられる。
これから起こる残酷な場面に、大広間に居合わせた御貴婦人が卒倒して、皆がフレッド王子から距離をとる。
「あなたたち、彼を離しなさい。フレッド殿下、ダニエルは指失った代わりにグリフォンを得ました。グリフォンを従えたいなら、殿下自身がそれ以上の対価を差し出す必要があります」
アザレアの凜とした声が大広間に響き渡る。
王族に堂々と意見するその姿は、まさに豊穣の女神そのもの。
そしてダニエル王子も、マックスを取り囲んだ部下の一人の襟首を掴むと後ろに突き飛ばす。
「フレッド兄上、マックスの腕を喰わせてもグリフォンは言うことを聞かない。サジタリアス初代国王の血筋を受け継いだ者の血と肉だけが、グリフォンを従わせる」
しかし続いてシャーロットが爆弾を投げつけた。
「ダニエル王子様の指がとても美味しかったから、グリフォンは命令を聞くの。ダニエル王子は指を三本食べられたから、フレッド王子の指を四本食べさせたらいいわ」
※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、ありがとうございます。とても助かります。
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