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執事ジェームズ、燃える酒を造らされる

 一匙舐めただけのハチミツ酒は、驚くほどクセの無いなめらかな甘さだった。


『何だろう、このサラサラした舌触りは。そうだ、医療用ハチミツの味に似ている』


 ハチミツを舐めたら、ねっとりと喉に貼りつくような甘みと蜜特有のクセを感じる。

 でもこのハチミツ酒は、上品な蜜の味に優しい甘さでスルリと飲めてしまう。

 僕はたった一匙のハチミツ酒の味をあれこれ考えてみたが、作った本人に直接聞いた方が早いだろう。

 その当人、執事ジェームズは信じられないという表情で、飲みきった空のグラスを見つめている。


「この酒の香りと味は、間違いない、出来上がったハチミツ酒だ。ハチミツを仕込んで十日かかる酒が、そうしてたった四日で出来上がる?」

「ほんとジェームズちゃん家のビビン酒造所の味そのままで、とても上品で美味しいお酒」

「ワシには少し甘すぎるなぁ。この酒に苦ヨモギやハーブを加えて飲むと旨そうだ」


 酒の話で盛り上がるマーガレットたちの側で、ジェームズは唖然と立ち尽くす。

 エレナはジェームズから空のグラスを取り上げて、二杯目の酒を注ぎながら話しかける。


「なぜハチミツ酒が仕上がっているか不思議に思うでしょ。これはシャーロット様の《腐敗》呪いで酒になったの」

「呪いで酒が出来るって、意味が分からない。それに酒は食べ物じゃ無いから腐らないはずだ」


 エレナがジェームズに説明しようとするけど、発酵と腐敗の知識が無いから上手く説明できない。

 ここは僕が直接説明しないと分からないだろう。


『ねぇジェームズ、テーブルの上に野菜スープを十日間置きっ放しにしたらどうなる?」

「シャーロットお嬢様、なぜ急にそんな話をするのですか。スープが腐るに決まっています」

『それじゃあ、テーブルの上にハチミツを仕込んで十日間置きっ放しにしたらどうなる?』

「ハチミツなら十日でハチミツ酒になります。えっ、まさか《腐敗》呪いとは、そういうことか!!」

『さすが優秀な執事、答えを出すのが早い。シャロちゃんの《腐敗》呪いで、ハチミツがお酒になった』


 異世界では微生物の活動によるアルコール発酵の知識は無いが、ジェームズは酒造りの経験から腐敗と発酵の違いを理解したようだ。


「シャーロットお嬢様の《腐敗》呪い、いいえ、奇跡の力でハチミツ酒を二日で作れる。それなら十日後の誕生会に間に合う。今すぐこの部屋にハチミツ酒を運び込みましょう」

「ちょっと待てジェームズ、ワシはこの部屋で誕生会用の花を育てている。酒を置く場所なんか無いぞ」

「花を飾っても腹の足しにもならない、それより酒の方が大事だ」


 頭の回転はいいが、思い込みが激しく自己中心な所があるジェームズは、庭師ムアと小競り合いになる。


『お部屋にハチミツのお酒を置いたら、シャーロットが全部飲んじゃうかも』

 

 僕は一匙しか飲ませてもらえなかった恨みを込めて、スプーンを振り回しながら呟くと、ジェームズが絶望した顔で見返す。


「せめてシャーロットお嬢様が酒蔵にいらしてくだされば、お誕生会用の酒は出来上がります」

「ジェームズ、酒蔵は裏庭の離れにあるのよ。シャーロット様を勝手に館から出すことは、奥様が許さないわ」


 なんとしても酒を仕込みたいジェームズはエレナと揉めそうになったが、僕は無視してベッドに潜り込む。

 昨日はエレナに膝枕してもらって長椅子で寝たけど、ベッドの寝心地には勝てないな。

 でも寝る前に一言だけ、ジェームズにアドバイスしてあげよう。 


『シャロちゃんは寝るから、皆さんお休みなさい。ねぇジェームズ、シャロちゃんのベッドの下の下が空いているよ。マーガレット先生の魔法砂時計で調べてみたら?』

「シャーロットお嬢様のベッドの下になにが? そうか、《腐敗》呪い、ではなく《女神のご加護》の範囲は大人の足で七歩。つまりベッドの下の下とは、子供部屋の床を突き抜けて下の階まで《女神のご加護》が影響している」

 

 僕は深夜の食料調達の途中に通り過ぎる部屋を、全部記憶していた。

 シャーロットのいる館の北側は、1階以外誰にも使われていない。

 それにしても僕の簡単なヒントから一瞬で答えを導き出す、この執事すごいな。

 ジェームズが慌ただしくマーガレットと連れだって部屋を出て行く後ろ姿を眺めながら、僕は次の計画を練っていた。

 


 *



 シャーロットの誕生会まであと八日。

 ジェームズが浮かれた喜色満面の顔で、深夜の子供部屋にやって来た。


「出来ましたシャーロットお嬢様。子供部屋の真下の部屋でハチミツを仕込んだら、たった二日で《腐敗》いいえ《女神のご加護》でハチミツ酒が仕上がりました」


 ジェームズがうやうやしく差し出した透明なガラスのボトルには、金色の酒が満ちている。

 僕がそれを受け取ろうとすると、横からエレナの手が伸びて酒瓶が奪われる。


「シャーロットお嬢様はこちらです」


 そして僕は再びスプーンを握らされた。

 しまった、ジェームズにはエレナが居ないときに来てもらえば良かった。と悔やみながら、ハチミツ酒の注がれたグラスから一匙すくって飲む。


『ふわぁ、二日前に飲んだときよりお酒の雑味が消えて、さらに飲みやすくなった。口の中にふんわりとお酒の香りと優しい甘さが広がって、喉をするりと滑り落ちる美味しいお酒』

「シャーロットお嬢様、もったいないお言葉を、ありがとうございます」

『でもジェームズ、これだけなの?』

「えっ、どういうことですか。ちゃんとハチミツ酒は出来上がりました」

『せっかくシャロちゃんの《女神のご加護》で、二日でハチミツ酒を作らせたのに、これは普通に美味しいだけの酒だ』


 そう、ハチミツ酒が出来ただけではダメだ。

 誕生会の招待客は、ありとあらゆる酒を飲み慣れたお貴族様だから、普通のハチミツ酒で満足するはずが無い。

 

『前にお父様が、雪と氷の白い国に燃えるお酒があると話したの。シャーロットはお誕生日に、燃えるお酒が飲みたいわ』

「でもシャーロットお嬢様、それは門外不出秘伝の製法で造られた酒で、時間が……いや、頑張れば間に合うな」


 そうだよジェームズ、勘のいい出来る執事は話が早い。

 誕生会まで残り八日だが、シャーロットの《腐敗》呪いで酒の醸造が八倍速で行えるから、アルコール度数の高い蒸留酒も作れるはずだ。

 そしてクセの無い甘さのハチミツ酒は、カクテルのベースにぴったりの酒。

 真冬でも厨房には様々な果物があったから、モスコミュール・ソルティドッグ・スクリュードライバーなど様々なカクテルができる。

 ぶっちゃけて言えば、最凶とも命の源とも呼ばれるストロン愚ゼロのような酒を目指す。 



 その日から誕生会前日まで執事ジェームズは、子供部屋の真下の酒の貯蔵所にこもり、不眠不休で酒造りに没頭することになる。


※この作品はファンタジーでありフィクションであり、実在の法律や商品とは関係ありません。

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