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Ψ 勇者 Ψ

その日の朝。


ひどく腹を空かせていた猫人族の男はどこからか漂う、焼けた香ばしいパンの匂いに飛び起きる。

二日前に小さな芋をひとつ食べたきりで、水を飲んで飢えをしのいでいた。


「腹が、腹減った。食い物をよこせ」


男はフラフラになりながら家を出ると、外には腹を空かせた大勢の猫人族がパンの匂いにつられて、港街中心にある高級レストラン前に集まってきた。

高級レストランの建物を守るように猫人族の騎士が立ち並んでいる。

店の2階バルコニーに設置された小型コンロでコックが燻製肉を炙り焼いていて、漂うスパイシーで濃厚な匂いに空きっ腹が刺激される。

テーブルには金髪の可愛らしい少女が席につき、店の中から焼きたてパンを山のように積んだワゴンをメイドが押して現れる。

ベーグルに分厚くスライスした炙り肉と目玉焼きとチーズを挟むと、少女はニコリと微笑み、眼下の群衆に見せつけるように美味しそうなベーグルサンドを頬張る。


「あれは、昨日飴玉を配っていた貴族娘だ」

「俺たちは食うのも無くて腹を空かせているのに、お貴族様は旨そうにパンを食べている」


飢えた猫人族の子供が泣き出し男たちから怒りの声が沸き起こっても、シャーロットは無視して一個目のパンを食べ終わると、次はクリームチーズにフルーツ、たっぷり蜂蜜をかけた二個目のベーグルサンドを食べる。

コックがパンを焼く様子を食い入るように見ていた男が、白く半透明な薄いパン生地に気がつくと、思わず驚愕の声を上げた。


「食糧倉庫は全部焼けたのに、どこかパンを持って来た? えっ、あのパンはもしかして、シースライム!」

「なんだと! シースライムは硬くて臭くて苦くて喰えたモノじゃねぇ」

「でもお貴族様は、とても美味しそうにシースライムを食べている」


猫人族のどよめきが起こる中、卵とミルクで浸してトーストしたベーグルにクリームと林檎ジャムを添えると、ナイフとフォークで切り分けて幸せそうに口いっぱい頬張るシャーロット。

さっきまで怒りで暴動寸前だった群衆は押し黙り、シャーロットの食事風景を恐る恐る凝視している。


「ねぇお母さん、僕もあのシースライム食べてみたい」


その時、甘い香りと共にレストランの正面扉が大きく開かれ、建物を守っていた猫人族騎士たちがワゴンに山盛りのベーグルを乗せて運びだした。

思わず駆け寄る子供に焼きたての温かいベーグルが渡され、女子供優先でベーグルの配給が始まる。

レストランの中には物干し竿に大量のシースライムがぶら下がって、テーブルには大量のベーグルが並べられている。


「ベーグルの表面は香ばしく焼けて、はむっ、中は弾力があって噛めば噛むほど甘みがあって、本当にこれがシースライム?」


目の前でシャーロットが美味しそうに食べていたという安心感から、人々は抵抗無くシースライムで作られたベーグルを口にする。


「俺は嫌だ! シースライム食べるくらいなら飢えて死ぬっ。やめろぉ!! モグモグ、うぉ、なんだこれ、もっちりムチムチして美味い、もっとくれぇ」


ゲテモノ喰いを嫌がる男は騎士に取り押さえられ、無理やりベーグルを食べさせられる。

するとベーグル表面に溶かした金平糖を塗ったマタタビ効果発動、シースライムを食べるという行為に抵抗感が無くなった。

猫騎士達がベーグルを配りながら作り方を教える。


「シースライム・ベーグルの作り方は簡単です。

 1.シースライムを潰して中心に穴を開け、痺れ毒のある魔核を取り出す。

 2.女神印パイプに刺して、風通しの良い場所で一日半干し。

 3.氷水の聖水に半日沈めてアク抜きすると、ベーグル生地が出来ます」

「女神印パイプは1家族1本無料、氷水の聖水は各区域の井戸に設置する」

「ベーグルはしっかり水分が無くなるまで焼いてください。生焼けだと、シースライムが再生してしまいます」


ベーグルで腹を満たした猫人族は、さっそく網や釣り竿を手に海に向かって走り出し、シースライムを捕まえて潰して干す。

無限に湧き出たスライムも飢えた猫民衆には勝てず、半日過ぎた頃にはスライムに覆われた港の海面が一部見えて小さな船を出せるようになる。

陽が沈むころには港町の風通しの良い表通りに、半透明のシースライムがカーテンのように干された。


「シースライムを一日干してアク抜きすれば、明後日の晩に食べられる」

「明日まで高級レストランでベーグルの配給があるよ。これで子供たちの食料の心配が無くなった」


猫人族の親子が作業しながら明るい表情で笑い合う。


「猫人族を保護してくださったジュジュ様が居なくなって、俺たちはお終いだと思ったが、黄金天使様に助けられた。おや、あれはなんだ?」


港を見下ろす丘の上に、波のように風にはためく大量の紫の布が見えて、そこから現れたのは女神アザレア教の旗を掲げた一行。

長い黒髪に美しい顔立ちの信者集団が女神讃歌を唄い、重装備の武装神官と冒険者が続き、港町では見かけない深い森の魔獣が荷馬車を引いている。

シャーロットが滞在するシュシュ女公爵邸に到着した一行を、猫人騎士たちが迎えに出た。

アザレア教信徒達は彼女の容姿を見下すことなく、一団の長らしき目つきの鋭い隊長は丁寧に対応する。

辺境のゴブリンやヴァンシーやグールを見慣れた彼らは、少し耳が大きい程度では驚かない。

しかしこれまで様々な差別に遭っていた猫人族は、相手の態度に好感を持つ。


「我らは黄金天使シャーロット様の命を受け、エンシェントホワイトドラゴン討伐に必要な武器防具を準備しました」


男が合図をすると豪華な革張りの衣装箱が玄関先に運ばれ、確認のために箱の蓋を開けた猫騎士は思わず感嘆の声をあげる。


「まぁ、なんて美しい。異国との貿易で様々な貴重品を見てきましたが、これほど豪奢で眩ゆい、白銀に輝くミスリルの甲冑は見た事がありません」


※※※※


『さすが僕のシャロちゃん、見惚れるほど優雅で美味しそうな食べっぷり、素晴らしい飯テロだ』


陽が沈むと同時に現れたシャーロット中の人は、ベーグルラスクとはちみつ紅茶で一服する。


『海藻や貝や小魚を食べるシースライムはミネラル豊富で、カルシウムに鉄亜鉛マグネシウム、タンパク質はもちろん水溶性食物繊維に炭水化物も多く含む完全栄養食。これを朝食べるだけで一日に必要な栄養素の半分が取得できる!!』


怪しい健康食品みたいな事を呟く中の人に、エレナはシャーロットの不揃いに切られた髪を編み込みながら答えた。


「ゲームオ様はシースライムの新たな料理方法を発見して、人々を飢えから救いました」

『それは異世界ジャンクフード本と、シャロちゃんの【腐敗の呪い】時間七倍速のおかげだよ』

「王都聖教会が施す食料配給が子供騙しに見えるほど、貴方(ゲームオ)様は知恵と行動で、何度も大勢の民を救いました」


シャーロットの中にいる者は、高級薬草の蜜で酒と飴を作りアザレア様を救い、ラドクロス領で小魔麦畑を裸足で歩き黄金色に変えた。

飢えた王都難民にマンドラゴラジャ芋を与え、病人怪我人を綿あめで癒し、自らシースライムの毒味をして猫人族にベーグルを与える。


「豊穣の聖女シルビアは、蘇生で一度に一人しか救えません。しかし貴方(ゲームオ)様が救った民の数は、百どころではなく数万を超えます」


ずっと長い間、シャーロットの側に付き添っていたエレナは確信した。

シャーロット様の魂には、尊き豊穣の女神が宿っていると。

そんなエレナの心情を知らない中の人は、砕けたラスクの粉を指で払いながらレシピ本をめくる。


『焼いたシースラベーグルは小麦粉代わりになるのか。まぁそれはドラゴン倒した後にゆっくり考えるとして、ちょうど頼んでいた荷物が届いたみたいだ』


中の人が開かれた扉の方に目を映すと、猫騎士とジェームズと大きな荷物を抱えたアザレア教信徒たちが部屋に入ってくる。


「お待たせしました、シャーロットお嬢様。こちらがエンシェントホワイトドラゴン討伐に必要な武器と防具、一式揃っています」


信者達が四人がかりで運んだのは、まるで大きな壁のような巨人盾と、ウエストポーチタイプのアイテムボックスと、異様に魔力を帯びた長い白髪。

しかし部屋の者たちの注目は、女猫騎士達が恭しく運んできた甲冑に目が釘付けになる。


『さすがアザレア様。まるで某アニメ聖戦士みたいな、派手派手で奇抜なデザインで舞台映えする。きっとエンシェントホワイトドラゴン中継でも目立つぞ』


白銀に輝くミスリルの鎧は、翼のように三枚重なった肩パット、胸当に白色宝石を散りばめたアザレアの花が描かれている。

腰部分を細く絞り足元はハイヒールを履いて、とても脚長でスリムなデザインになっている。


「個性的で華やかで、どこか騎士学園四聖の白礼服によく似ています」


なぜかエレナの目の前に運ばれて来た装備を見て、不思議そうに呟く。


『アザレア様にお願いして、エレナが着慣れている四聖騎士制服を参考にした。兜は鼻と口を覆うフルフェイスで消臭マスク機能がついている』

「でもこの鎧、筋骨隆々で体格の良いダニエル陛下が着るには、細すぎる気がします」

『えっ、それなら試しにエレナがこの鎧兜を着てみたらどうだ。きっとすごくカッコよくて、シャロちゃん大喜びすると思う』

「でもこれは、ダニエル様の防具で、一介のメイドの私には‥‥」


エレナの背後と両脇に控えていた女猫騎士に取り囲まれる。


『シャロちゃんとジェームズは部屋の外に出るから、その甲冑を試着してよ』


困惑するエレナは無理やり着替えさせられ、しばらくして部屋の中から合図がある。

部屋の中を覗いたジェームズは、固まってドアを塞ぐ様に動かなくなり、それを押しのけて部屋に入ったシャーロットの中の人は、思わず歓声をあげる。

白銀に輝く奇抜で華やかなデザインの鎧に大翼をイメージした純白のマントを纏い、シークレットブーツで身長かさ増ししたエレナの姿は、まるで神話の守護天使。


「この鎧は私に合わせて作られた様に、サイズがピッタリです。それになんだか声が低く聞こえます?」


兜の間から覗く切れ長で涼しげな目元に甘くハスキーな声は、凄腕の猫騎士達も頬を赤らめて思わず黄色い声を発する。


『これは予想以上、細身で背が高く手足の長いエルフ祖先還りのエレナに、神秘的なミスリルの鎧は似合う。マスクのボイスチェンジ機能もバッチリ!!』


中の人の喜色満面な声色に、エレナはこれが自分の為に用意された装備と気付く。


「私のようなメイドに、このような最上級武装を用意するなんて、どういう事ですか!! ゲームオ様」

『まさかエレナ、エンシェントホワイトドラゴン討伐に、メイド服で参加するつもりだった?』

「しかし騎士学校中退の私に、ミスリル甲冑は過ぎたモノです。ダニエル陛下こそ相応しい」

『エレナ、今回の討伐にダニエルは参加させない。ダニエルの役目はアザレア様とお腹の子供を守ること。もし我々がエンシェントホワイトドラゴンに敗れた場合の、二番手になる』


シャーロットの中の人の言葉に、エレナやジェームズ、周囲にいる者達も真剣な表情になる。

その言葉通り、シャーロット達はあの手この手で苦労して二人をくっつけたのに、ダニエルをエンシェントホワイトドラゴン討伐に参加させ、アクシデントが起こり闇堕ち魔王ダールになっては目も当てられない。


『エンシェントドラゴン討伐は四人パーティという縛りがある。エレナは接近戦で攻撃するアタッカー』

「六つ星魔力のアンドリュース公爵ではなく、魔力無しの私が攻撃の要? お待ちください、それではシャーロット様をお守りできません」


エンシェントホワイトドラゴンは何色にも染まる白龍と呼ばれ、秒単位で魔力属性をランダムに変化させ、六種のうち五種の魔力を遮断する。


『エンシェントホワイトドラゴンに六回攻撃しても、魔力ダメージが通るのは一回。だが魔力無属性化した王族の聖槍を操るエレナなら、全ての攻撃がドラゴンに通る』


何故ゲームで、エルフ祖先還り最強メイドのエレナが登場しないのか、ずっと疑問だった。

でも今はその理由が分かる。

全ての魔力を無効化するエレナは、ゲーム主人公以上のチート持ちだ。


『それにシャロちゃんは、防御壁タンク役のアンドリュース公爵の後ろでヒーラーやるから大丈夫』

「なぜアンドリュー公爵がタンク? 治癒魔法の無いシャーロット様がヒーラーなのですか」

『ミスリル兜に鼻と口を覆う消臭機能があるのは、コントロール抜群のシャロちゃんが、戦闘中鼻がもげそうになる程臭い薬草チンキを大量に投げまくるからだ』


中の人はポシェットから表面に銀粉を塗した薬草チンキ玉を取り出すと、鶏糞薬草臭が部屋中に漂い、誰かが悲鳴を上げながら窓を開ける。

エンシェントホワイトドラゴンの映像は音と画像だけで、臭いを伝えないので、シャーロットが投げる鶏糞を映像で見れば、銀色に煌めく魔法弾に見えるだろう。


『エレナの髪は灰色バサバサだから、真っ黒に染めてうる艶トリートメントするように。瞳は神秘的な紅赤に偏光させて、眉はキリリとまつ毛は上向きに整える』

「ゲームオ様、私に何をさせるつもりですか。さっきまで貴方こそ本物の豊穣神だと見直していたのに」


顔を真っ赤にして怒るエレナの周りに、アザレア教女信徒お手入れ部隊が群がると身動きできないように拘束する。

美女揃いの女信者にかこまれても、武装したエレナのイケメンっぷりは際立った。


『今、この瞬間からメイド エレナは姿を消した。これからは黄金天使シャーロットの守護騎士 勇者エレンと名乗るように』

「それは王都聖教会の法王が予言した、魔王を倒し世界を救う勇者のこと。私に偽勇者を演じろと言うのですか!」

『神話に登場するエルフ族は両性具有、子孫も外見は中性的。エレナは男装の麗人の素質あるから、勇者としてシャロちゃんのために頑張ってよ』

「シ、シャーロット様の名前を出せば全て許されると思って。やっぱり貴様は、ただのイカガワシイ悪魔だ!!」


シャーロットの中の人はエレナの罵声を楽しそうに聞き流しながら部屋を出ると、屋敷の屋上から眼下に広がる景色を眺めて満足気に頷く。

シュシュ女公爵の屋敷周囲には、聖アザレア神国から続々と冒険者や武装神官が到着している。

ジェームズに指示したのは、砂ゴーレムを使い見目良い兵士を量産して、実際の五倍増しの軍隊を派遣したと思わせる事。

彼ら(砂ゴーレム)の姿は、エンシェントホワイトドラゴンを通して大陸中の空に投影されるが、現実に戦うことは無く、これから始まる楽しいレイドを盛り上げるギャラリーだった。


『そういえばジェームズ、エレナの弟は新しい職場に慣れたかな?』

「はい、シャーロットお嬢様の指示通り、弟ラインはマーガレットことマーク男爵家と養子縁組後、【始まりの街 冒険者ギルド】受付係として就職しました。とても仕事の手際が良いと、マーガレット男爵から報告を受けています」

『ゲーム勇者が最初に現れる【始まりの街 冒険者ギルド】。そこで接触するのが受付嬢だからね』


病気が治って職探しするエレナの弟も、中性的な見た目をしている。

その武器をマーガレット監修で最大限に活かし、ギルド受付嬢としてゲーム勇者に接触させる。


※誤字脱字報告、古い言い回しご指摘、アドバイスありがとうございます。とても助かります。


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― 新着の感想 ―
1話から読み返しました、やっぱり面白いです!気長に更新待っています。
待っていました!久しぶりのシャロちゃんを堪能しました。 今年はもう会えないと想っていましたので、喜びもひとしおです。ちなみにベーグルが食べたくなりました。
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