二章 盗む人①
医房で薬棚を触っていた杏は、見慣れない壺を発見した。
飾りけのない、小ぶりの壺だ。
フタを取ってみると、白い玉石を削って作られた棒が納められていた。
「なんでしょう? これ」
首をかしげていると、診察室に青緑色の袍を着た三人組がなだれこんできた。
宦官だ。男子の象徴を切り落としているために、どの顔もひげがなく、体の線も柔らかくなっている。
「あったぞ!」
「龍娘娘のいう通りだ!」
「おまえが俺の大事なものを盗んだんだな!」
「はい?」
壺をひったくられる。杏はあわてて否定した。
「誤解です! それは気づいたら置いてあっただけです」
「そんなウソが通ると思っているのか!」
「だって私、それが何かも分からないんですよ? なのに、取るわけがないじゃないですか」
「とぼけるな! 同じ身の上のくせに」
「同じ…?」
三人は宦官特有の甲高い声で、さらに責め立てる。
「仲間のくせに、韻夫人を龍玄宗から遠ざけて……。
仇信様に逆らうと後悔するぞ!」
話が別の方向に飛び火しはじめた。
中庭に見えた人影に、杏は大きく手を振る。
「叔父上、弁護お願いします! 私、壺泥棒にされかけてます!」
玄青色の袍をまとった男が現れると、宦官たちは身構えた。
「白律!」
「おまえが、何を盗んだって?」
「あそこの、謎の石の棒が入った、謎深い壺です」
律は、壺を大事に抱え込んでいる宦官を一瞥した。
わざとらしくため息を吐く。
「言いがかりは止めてもらおうか。うちの“姪”はそんなもの盗まない」
目に見えて、三人の宦官たちはうろたえた。
「め、姪?」
「男の格好をしているから紛らわしいが、宦官でなく女だ。そんなものに用があると?」
「うっ……!」
宦官たちはすごすごと、診察室から退いていった。
「ありがとうございます、叔父上。助かりました」
「また盗難事件か」
「また、って。良くあるんですか?」
「一年ほど前からな。妃嬪から女官まで……一体、だれの仕業なんだか」
悩む律に、杏はいい切った。
「そんなの、龍玄宗に決まってますよ。
手先の信者が盗んで、どこかに置く。それを龍娘娘がいい当てる。
粗雑な“奇跡”です」
「まあ、おおむね、そうなんだが……」
「ついでに、邪魔者に濡れ衣まで着せてくるんですから。
相変わらず悪質ですね、あの教団は」
ひとしきり怒りを吐き出し、杏は恩人に椅子を勧めた。
とっておきの春の新茶――碧螺春を用意する。
「ところで、あの壺はなんだったんですか? やけに大事そうでしたけど」
「宦官にとっての“宝”だ。宦官になる際に切り取った自身の一部」
つまり、男性器のことだ。
古くからの信仰で、埋葬される時にそれがないと、来世は家畜になると信じられている。
「でも、中身は石の棒でしたよ?」
杏はお茶請けのナツメをつまんだ。
「“宝”は、切除の手術代として質に取られる。
買い戻すには大金が必要だ。取り戻せず、他人の物を盗む者もいる」
「盗まれて無くす人もいそうですね」
「だから、龍玄宗がその代替品を作った」
香り高い茶を、杏はゴクリと飲み下した。
「まさか、あれもお得意の奇跡ですか?」
「あれには、天龍の力がこもっているらしい。
持っていれば霊体として完全となり、来世も人間に生まれ変われるそうだ」
杏は理屈にぽかんとした。
「……なんか、すごい詭弁に聞こえるんですけど。
それって、宦官を信者に取りこむために作った理屈じゃないんですか?」
「はじめたのは龍公主だ。人を従わせるには、何を与えれば良いか。彼女はよく分かっていたんだろうな」
どこか感心しているような口調だった。杏は口をへの字に曲げる。
「冷静にいってないで。早く龍玄宗を何とかしてくださいよー、白律御監」
「黒幕が内侍監の仇信だ。一朝一夕にはいかない」
お茶請けのナツメは蜂蜜漬けだが、律は苦い顔で噛んだ。
「内侍監って、どういう役職ですか?」
「内侍省の長官。すべての宦官を束ねる職だ」
「うわ~、厄介~。後宮の半分近くが敵じゃないですか」
杏はお手上げとばかりに、両手を上げる。
「そういえば、さっきの宦官さんたち。
仇信様に逆らうと痛い目を見るぞ、といっていたんですよね」
「なら、内侍監の差し金だったんだろう。
龍娘娘の奇跡の裏では、宦官が動いているし」
杏は指先をあごに手を当てた。
「よく知っていますねえ、“奇跡”の手口。龍玄宗でも極秘だったでしょうに」
「教団の幹部は、現皇帝の即位時に一掃された。ただ、仇信はその部下だったんだ」
多少なりとも、奇跡のしかけを知っているという訳だ。
杏はむう、と眉根を寄せる。
「皇帝陛下はどうお考えなんですか? 龍玄宗のこと」
「もちろん憂慮なさっている。が、陰氏は大事な後ろ盾だ」
「なるべく陰后様と揉めたくないわけですね」
杏は遠い目をした。龍玄宗を後宮から追い払うのは、難儀そうだ。
「……ねえ、叔父上」
律の挙動に目を配りながら、杏はそっと話を切り出した。
「父上は、本当にただの病死だったんですか?」
「なんだ急に」
「龍玄宗がふたたび広まりはじめた時期に、過去、奇跡のからくりを暴いた人間が死ぬなんて、少しできすぎでは?」
観察力に優れた目が、しっかりと相手の姿を捕らえる。
「何か隠してません?」
律は顔を逸らさなかった。
杏の頭をつかんで、薬棚の方へ向けた。
作業台には数種類の生薬が置きっぱなしになっている。
「おまえは自分の仕事に集中しろ。
医官の経験を積みたいというから、後宮にねじこんだんだぞ。
閑古鳥の世話ばかりしていると、クビを検討するからな」
「今日は仕事してます、してますからっ!」
「だれかあるか」
医房の中庭に、少年が立っていた。
袍には龍紋が織り出され、腰には白翡翠の佩玉が揺れている。
呼び声にも、身なりにも、気品がただよっていた。
「腹痛ですか? 頭痛ですか? どんな重病でも喜んで!」
杏は飛び出ていって、待ちに待った患者にひざまずいた。
「なに、大したことはない。腕を枝に引っかけただけじゃ」
かすり傷から垂れる血に、杏は卒倒した。




