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フィニィの魔法の国  作者: 日生
四章 夜の国
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若人の王

 ごとごとと荷馬車を引いて、小さな兵士の軍勢が細く続いている。

 冷たく乾いた風が彼らを自然と無口にさせた。


 雲なのか煙なのか区別のつかない黒いものが地上と空を絶えず蠢き、陽はその隙間からようやく見えているに過ぎない。

 若人の国を発ってから、彼らは常に薄闇の中を行軍している。


 果たして今は夜明けだったか日暮れだったか。それともこれが真昼なのであろうか。


 夜の森を消せば、きっとこの闇は晴れる。現に大地をこれまで蝕んできたのは夜の森であろう。自分たちは正しいことをしている。


 ――本当にそうだろうか?


 冷たい闇が鎧の隙間に吹き込むたびに、誰かの頭に疑念がよぎる。しかし、ひとたびそれを吐き出せば、今かろうじて自己を支えてくれているものがあっけなく瓦解してしまう。恐れる者たちは口を噤んでいるしかない。


 たとえ耐えられず逃げだす者がいたとしても、彼らの背後で行軍を監視している、窓一つない車中の主が許さないだろう。

 若人の国の兵たちは、世を恨みきっているような自らの王のこともまた恐れていた。


 やがて、草原にぽつんと佇む街が見えてきた。


 街の四分の一程度しか覆えていない中途半端な城壁以外に防御らしいものはなく、斥候の騎馬がよほど近くまで寄って確認しても、見張りの兵士一人すら配備されていなかった。

 街は眠っているように静かである。


 建国当初から数百年、変わらぬ非常識な無防備さ。十分に警戒する若人の国は、遅れている鉄の国の合流を待ち、魔法の国を見下ろせる丘に陣を構えた。

 まちがっても不死の兵士の骸のある地点までは近づかなかった。


 闇から覗く光が彼らの背後、西にじっくりと傾いていく。今はまだ昼間であったらしい。


 魔法の国に動きがないまま、日暮れの前に鉄の国の軍団が合流した。


 総数は若人の国の三割程度だが、移動式の大砲をたくさん引いてきた。彼らの王は容易に身動きできぬ体のためこの場にはないものの、兵たちはよく統制されている。

 魔法の国に直接挑む勇気のあったものは結局、この二国だけだった。


 彼らは赤々と松明を焚き奇襲に備えた。

 出撃は明朝となる。

 防壁のない街に砲撃し兵をなだれこませ、終わり。


 ただそれは彼ら昼の子らの目の利かぬ夜を、無事に乗り越えることが条件となる。本来はもっと早い時間に到着し征服できるはずであったが、途中、ないはずの川に行軍を阻まれたことがここで夜を迎えてしまう原因だ。


 陽の没する頃、兵士らは固唾を呑んで城壁のほうを見やった。


 目の良い者には、城壁の前に出てきた巨大な鎌を携える長身の影と、三叉の鉾を構えた竜人が見える。


 そして数え切れぬほど抉られた大地の上に、呪われた兵団が蘇った。


 魔法の国の砲撃が始まった。それは丘にいる昼の兵士らには目もくれず、ひたすら死に損ないの死体のもとへ降り注ぐ。


 青い光を帯びる砲弾がぶつかって、中の破片を飛び散らせては元通りになり砲台へひとりでに戻ってゆく、奇妙な光景が続いた。


 軍の各部隊の長たちは、配下が恐怖にかられて逃げたり砲撃を始めたりせぬよう必死に抑えていた。


 日没と夜明けに現れる呪われた兵士が動いている間は、へたに手を出すべきではない。それはいにしえよりの教訓である。


 一心不乱に夜の森を目指す兵士らは爆撃をすり抜けた後で、鎌と鉾の餌食となった。


 視認できぬ斬撃が数百の首を一度に刎ねる様。

 突き刺し、踏み砕き、投げ飛ばし、骨片を天に撒き散らす、狂戦士の思うまま暴れる光景が、昼の兵士らに明日の己を想像させた。


 目前に軍団を布き、魔法の国を脅す彼らのほうこそ恐怖を植え付けられている。


 これを明日の朝にも見せられるのか。その後に我が身をもって化け物の巣窟に攻め入らねばならないのか。

 そう思って彼らは指の先まで戦慄する。


 ところが、急に砲撃がやんだ。


 まだ陽は沈みきっていない。しかし黒い兵士たちは動きを止めていた。


 すでに目玉のない頭蓋骨を空へ向ける。

 呪いを通じ、彼らは知ったのだ。


 ユピの命の尽きたことを。


 長く、待ちわびた念願成就の日。

 まるで祈りを捧げるように、誰からとなく膝をつく。


 そんな黒い兵士らの中心でゼノが最後に鉾を凪いだ。


 風圧がどこまでも広がり、黒い呪いに覆われた体は、塵となって消えた。


 何も残らなかった大地の上に、ゼノが鉾を叩き付けた時、最後の陽の光が呑まれる。


 夜がきた。


「これより先は、二度と明けんぞ」


 太い声がこだまする。


 そしてもはや昼の子らには関知できぬ闇の向こうで、魔法の国の塔から伸びた幾万本もの金色の鎖が地に刺さり、隙間なく街を覆った。


 夜に取り残された人々は己の姿すら見失う。


(なんだ・・・?)


 車中の若人の王が事態を察したのは最も遅い。


 もとより闇の中にいた彼だが、これまでうっすら見えていた影さえ捉えられなくなっていることに気がついた。


 はじめは、ただ陽が落ちただけかと思った。しかし彼のもとへ報告にくる者がないのはおかしい。少年はおそるおそる、ベールをめくって外に出た。


 風がやんでいる。


 灰の匂いもしない。


 大勢いた兵たちの気配が感じられない。底に沈んだ冷気が肌にまとわりつくばかり。


 何よりいつもの夜と違うのは星明かりがないこと。

 星がなければ天地がわからない。自身の所在がつかめない。星はそのためにあったのだと、彼はそこで初めて知った。


「お前たち、どこへいった。皆、どこだっ」


 手を前にさまよわせ、二、三歩よろめくように足を出した。だが近くに触れられるものはなかった。


(ここは・・・夜の国なのか?)


 魔法の国の者たちの妄言が正しかったというのだろうか。

 まさか本当にこのまま二度と朝がこないというのか。


 生まれ落ちて十五年、普通の人と同じように陽のもとで生きることを夢見て、なりふり構わずここまでたどり着いた彼を迎えるのは、さらに暗い闇だというのか。


 これが、望みを追求した結果であるのか。


 いや、と少年は思う。


 何もせずとも夜の森はいずれ死んでいた。ならば恨むべくは昼の国々のために指一つ働かせなかった独善極まる魔法の国だ。


 そもそも王の子が彼のもとを訪れ呪いを解いてくれたなら、こんなことまでせずとも良かったのだ。彼は別に魔法を忌むべきものとは思っていなかった。


 おそらく、己の願いを叶えてくれるものはこの世で魔法だけだろう。


 戻る道はすでに見失い、彼は深い夜を進むしかない。


 魔法の国はどこか。王の子は、どこか。


 あまりに何も見えないために、そのうち両手も唯一の拠り所たる地に付けて、まるで憐れな獣のように這う。


 するとある時、ぱり、と小さく割れる音がし、視界に光るものが現れた。


 急いで彼がそれを掴もうとした途端、光は消えた。そして手のひらを開くとまた現れた。

 最初から掴めるはずもない。光っているのは彼の指先であったのだ。


「あ・・・?」


 ぱり、ぱりり、と両腕の皮膚がひび割れる。乾いた泥の破片が落ちるごとく腕の皮が剥げ、中から螺鈿のように輝く肉が現れた。


「な、なんで?」


 彼はすでに夜の呪いを受けている。であれば夜の国に入っても新たな体の異常は起きない。鉄の王がそうだと言っていた。


 なのに、なぜ、彼の体は夜の子に生まれ変わろうとしているのか。


 うっすらと、闇が見えるようになってくる。何もないと思っていた世界に、呻き嘆く数多の異形が浮き彫りになる。


 それらは彼の兵士であったもの。民であったもの。あるいは血縁。あるいはまだ出会ったことのない他人。

 誰もが変質してゆく自らに恐怖していた。


(ちがう・・・ちがう・・・)


 皆が等しく呪われて、陽を望めず死ぬまで闇にさまよう夜の世界。


 もう彼はひとりぼっちではなくなった。


「私は・・・ただ、私も、光の中で、生きたかっただけ、で・・・」


 無意識に紡いだ言い訳を気にする者は誰もいない。


 これ以上、皮膚が剥げてしまわぬように、少年はじっとうずくまっているしかなかった。



 ☾



 空が麦穂のような黄金色に変わったのを見て、フィニィはアクウェイルの家の出窓を開けた。


 他にも家の中で息を潜めていた魔法の国の人々がばらばらと通りに姿を現し、ドーム状に街を覆う鎖と木の根の天井を一様に見上げる。


 鎖の根元にいるのは塔の上の守り人だ。

 もとは二本だった鎖の先が幾万に分かたれて、闇の入る隙間もないほどぴっちり世界を閉じている。


「わぁ、あったかくなった」


 フィニィの後からレトとアクウェイルも出てきた。

 弟子は春のような空気の温かさに目を細め、師匠はいつもどおりの仏頂面で己の仕事の出来を冷静に検分している。


「やはり光量が足りんな」


「陽は偉大ですよねえ。でもたくさん鳥を作っておいたので大丈夫ですよ」


 レトは光吸石を材料にした光る鳥を手のひらから飛ばせた。

 

 国中の魔法使いたちが同じように放ったそれらが、わずかに残った闇を追い払う。これだけ多くの魔法を駆使し、やっと昼の陽気を再現できるのだ。


 眩しい光景を見上げていたフィニィは、しばらくして、ふと、何かを探すように頭を左右に振った。


 だがここでは何も見つからなかったため、駆け出した。


「フィニィ?」

 

 光の鳥の飛び回る中、城壁に向かってゆく。

 フィニィの他にも世界を仕切る守り人の鎖に興味を持ち、境界に向かう人の流れがあちこちに生じていた。


 守り人の鎖は、城壁の少し向こう側に突き刺さっていた。


 鎖と壁の間には仕事を終えた処刑人と、魔法の国の兵士たち、鉾を放って寝転がるゼノがいた。

 皆、無事である。


 フィニィが傍にしゃがむと、ゼノは「終わったぞ」と告げた。


「きれいに、何一つ残さず、消えた」


 フィニィは耳を澄ませた。


 風の中には後悔も、嘆きの声も残っていない。


 どこからか転がってきた花人が花を振りまき祝福している。


 兵士たちの魂は黒い呪縛から解放され、故郷に帰れたのだ。


「おかえり」


 フィニィはゼノの額に触れた。

 それで傭兵は満足し、寝た。


 光の境界にはすでに多くの魔法使いやそれ以外の人々が集まり、賑やかにしている。誰も嘆いている者はいなかった。


 やはり、ここでもない。


 フィニィは立ち上がって境界に近づく。

 

 鎖は何重にもなり、わずかな隙間まで木の根や花が塞いでおり、フィニィの細い指一本もいれる余地がない。

 鎖を押してみようがびくともしなかった。


「なにしてんのフィニィ?」


 ピアが横に現れた。

 彼女も興味本位で境界を見にきたのだ。後ろのほうには、一緒に住んでいるネラの姿もある。色の見えなかったネラの目はもうほとんど治っており、偶然居合わせた同じ店の同僚を見つけ嬉しげに声をかけていた。


「もしかして外に出たいの?」


 フィニィは頷いた。 


「待った!」


 すると慌てた声とともに、ルジェク本人より先に左手が伸びてきた。

 鎖に触れているフィニィの腕に根が絡み、力を加減しつつ子供を止める。


 走るフィニィを見かけた大臣三人と、アクウェイルたちが追ってきたのだ。


「今はだめっ。夜の王に喰われちゃうぜっ」


「そうだぞフィニィ。どうして外に出たいんだ?」


 スタラナが上から頭を掴み、ヴィーレムも止めてくる。


 フィニィは鎖の向こうを指した。


「だれか、ないてる」


 今だけでなく、ずっと前から闇の中でフィニィを呼ぶ者がいる。その声はなぜか夜の間だけ聞こえるのだ。

 誰だかはわからないが、泣いているのならば放っておけない。


「・・・フィニィ、今の夜の国はユピのいた頃とはちがっている。ユピという空間を繋いでいた目印がないんだ。おそらく君でも迷ってしまう。ここを出たら二度と戻れないかもしれない」


 ルジェクは傍にしゃがんで言い聞かせた。

 何よりも大臣たちは夜の王にフィニィが囚われてしまうことを危惧していた。そうなってしまったら、魔女の命と引き換えに作られた箱庭の意味さえなくなる。

 

 そう言われてフィニィも怖くないわけではなかった。

 ユピのいない夜の国がどんなものか想像もできない。安全なここにいつまでもいればいいのだと思う。しかし。


「その知らん輩をどうしても助けたいのか?」


 アクウェイルに頷く。さらに問いが続く。


「二度とここに戻れなくなってもいいか?」


 首を横に振る。それは嫌だった。


「わかった。では帰り道を見失わない魔法をつくろう」


「アクウェイル」


「大臣は王の子の願いを叶えてやるのじゃなかったか? おとなしくしろと言われて素直に聞き入れる子供などこの世にいない」


 偏屈な魔法使いは己のことを言っているようである。

 大臣たちのように幾十人もの記憶がない分、彼は純粋に一人の子供の心のみを推し量ることができた。


「ねえねえフィニィ、だったらピアの魔法使ったらいいよ。ピアの迷子にならない魔法っ」


 並みいる魔法使いたちを差し置き、ピアが真っ先に解決案を示した。


 思い出したフィニィは鞄の中から赤い羽根を取り出す。

 ふーっと息をかけると羽根の形が解け、光の糸になり、両端がフィニィとピアのそれぞれに繋がる。夕陽の光を材料にしたこの糸はどこまでも伸び、絶対に離れ離れにはしない。


「光をたどっていったら必ず帰れるよ。ピアがここで待ってたげる」


 手を握って安心を伝える。

 その手はフィニィよりも今は少しばかり大きく、頼もしくなっていた。


「でも、一人でいかせるわけには」


「スタラナちゃんがいこっか?」


 すると、それまで輪の外にいた処刑人がフィニィのすぐ隣に現れた。さらに花人も転がってきて、フィニィの手を握った。


「自分たちが供をするから心配無用だって?」


 ヴィーレムは苦笑いを見せた。

 こうなれば大臣たちでも止めようがない。


「・・・仕方がないね」


 最終的にはルジェクも折れた。必ず帰ってくるようにと念押しし、フィニィを見送ることにする。


 フィニィが再び鎖に触れると、守り人がわずかに隙間を作った。


 吸い込まれそうな黒が口を開けている。


 闇と冷気が魔法の国へ流れ込む前に、フィニィは夜の底へと足を踏み入れた。

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