魔法の王
遠く地平に陽が落ちる。
ユピを切り刻んでいた哀れな黒い怪物たちは肉塊になって崩れ落ちた。
「・・・これが限界だな」
風の中で魔女は独りごちる。
予想どおり手間取った。夜の森は外縁をいくらか失ってしまったが、そちらはすぐにユピが埋めるだろう。夜の国まで刃を届かせなかっただけ上々である。
次は夜明けに向けて何かしらの防衛策を考えねばならないが、その前に魔女は子を迎えにいくことにした。持たせた食糧が尽きる頃かと思ったのだ。
だが地上から夜の国に入り、ユピの本体のもとへ向かう途中。
暗い沼地で魔女は夜の王に遭遇した。
秋の今は壮年の姿。彼の傍の沼には子供とネズミが浮かんでいた。
「遅かったよ。エリトゥーラ」
夜の王が、半開きの子の口に黒い欠片を注いでいた。端から零れたものは沼に溶けて水を黒く染めている。
そのため、ここにいたはずの沼の乙女たちはどこかへ逃げたようだ。
魔女は心底不快な顔を見せた。
「・・・フィニィをユピにするつもりか?」
「今度は失敗しない。お前を見ていてわかったよ。ゆっくりと、あふれぬように注げば良いのだろう? そうすれば何も損なわずこの子を染められる。心も体もこの子の形のままで永遠に夜の中にいてくれる」
「妄想はよせ。生き物は誰もお前のようにはならないし、ずっとお前と一緒になんかいられない。最も命の形の近い不死鳥でさえお前を嫌っている」
「あんなものは私もいらない。恐怖も悲しみもすぐに忘れられる鳥風情など」
夜の王は真っ暗な双眸を魔女に向けた。
「お前は老いてゆく苦しみを、その先に死のない恐怖を感じられるか? いいや無理だ。お前は理解するだけ。自分は何も感じない。私にユピを奪われ、今またフィニィを奪われても少しも悲しんでいない。私にはわかるぞ、心を持たぬ者」
「私はいちいち騒ぎ立てないだけだ。お前の付けた名は不愉快だから二度と呼ぶな」
すると夜の王は嗤った。
「あぁ・・・私はお前がうらやましい。老いがなく、悲しみも恐怖も感じる心がなく、なのに死があり、ユピにもアンテにも愛された。私が愛されたかった者たちに・・・憎らしいよ、エリトゥーラ。お前は理想の私だ」
黒衣が魔女の周囲を覆う。
夜の王は己に似た娘の顔を、恨めしそうに、愛おしそうに包む。
魔女はもはや憐れみもしなかった。
「お前が誰にも愛されないのは、お前が嫌な奴だからだ。悲しみだか苦しみだか自分の嫌なものばかり押しつけて良いものは何も与えないからだろう」
王は手を離した。
失望したように表情を失くし、引き下がる。
「・・・フィニィは許してくれる。この子は悲しみに寄り添う。きっと私の傍にいてくれる。否、私だけがこの子の傍にずっといられる。いつか私を嫌わず必要としてくれるはずだ」
逃げるように消えた。
「臆病者め」
魔女は小さく罵った。
陽を砕き呪いを振りまく夜の王はどれだけ強大な力を有していても、あらゆるものに怯えている。そうして縋りつける優しい誰かを探しているのだ。
王が消えると、星形の石に足の生えたような陽の欠片たちが草の陰などからそろそろと出てきた。
魔女は夜の王が座っていた沼の縁に腰を下ろした。
「さて、どうしたものか。なあフィニィ」
冷たい頬をむにりとつまむ。
これまでは魔女がユピから受け継いだ陽の魔法を、日々の麦粥に混ぜて食べさせ夜の侵食を遅らせてきたが、直接夜の王に注ぎ込まれては歯が立たない。
しばらくすれば、フィニィのようでフィニィでないものができあがる。
「結局あいつは失敗するのだからよけいに腹が立つ。魔法がへたくそ過ぎる。これをまともにしてやるには――私の中にある陽の分では、足りないだろうな。お前たちはどうだ?」
魔女は膝元に駆けてきた陽の欠片たちに手を差し伸べた。
「この子の中に入ってくれるか。夜の中は飽きただろう?」
すると、一つの陽の欠片が魔女の大きな手のひらに飛び乗った。
「ありがとう」
魔女は零さないよう丁寧に手の中で砕き、色の失せた唇の間に注ぎ入れた。
喉を伝い、腹に落ち、そこから全身に広がっていく。
小さな体に満ちる夜のすべては晴らせないが、これでフィニィのフィニィたる芯の部分は侵食から守られる。
フィニィは陽と夜を宿した子になる。
ユピと魔女と同じ存在だ。
ついでに、魔女は哲学ネズミの尻尾を掴んで引き寄せた。
「お前もいないよりはましだ」
小さな口を限界までこじ開け陽の欠片の余りをいれてやった。
夜の王が沼に零した欠片をネズミもおまけで飲み込んでいる。陽を飲ませても正気には戻らないが、これ以上壊れることはなくなるだろう。
陽の欠片を一つ失ったことで、夜の国の明かりがやや弱まり、頭上の闇が近くなった。
ひとまずはこれでいい。
だが問題は、子供が起きた後である。
「一人では、生きられないだろうなあ」
寂しがりな子だ。
魔女が死ねばきっと泣く。泣き続ける。悲しみに付け入る夜にいずれ呑まれてしまう。
「どうすればお前は泣かずにいられる? なあ、フィニィ」
答えない子の額をなでた。
幸せになれと願うわけではない。魔女は子供の幸せなどわからない。
ただ、せめて明日に怯えながら眠ることがなければ良いと思う。
かけっこをする陽の欠片たちが沼の縁を三周するまで、魔女はじっくり考えた。
そして何かを思いつき、一人、夜の国を出て行った。
終




