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フィニィの魔法の国  作者: 日生
一章 夜の森
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子守り鳥1

 夜の森の中にひっそりと掘られた穴ぐらの前で、フィニィは深呼吸をする。

 鼓動を落ちつかせ、思いきり肺に空気を取り込んだら、息を止めて穴ぐらの中に入っていく。


 穴の中はフィニィが屈んで進める広さ。

 奥から獣のいびきが聞こえる。

 血生臭い呼気を漏らす、灰色の毛に包まれた生き物が丸まって寝ているのだ。


 フィニィはその獣の尾の先まで辿り着くと、音を立てないよう細心の注意を払い、ナイフを取り出す。

 黒曜石を砕いて作った刃で、後ろ足の爪をぱきりと折った。


 唸り声とともに獣が起きる。


 フィニィは踵を返し巣穴の外へ駆け出した。


 それを追うのは顔の左半分だけ人の顔を持つ狼だ。体は人間よりも大きく後ろ足二本で駆けることもできる。魔女は大狼(ウゴ)と呼んでいる夜の子である。


 フィニィは素早く穴ぐらの上の岩場に登り、遅れて飛び出してきたウゴの視界から一時消える。

 その間に貝殻の容器に入った浮き薬を手の甲にひと塗りした。


 岩場を蹴るとウゴがフィニィの居場所に気づく。

 だが飛びかかった爪は宙に浮きあがったフィニィまで届かなかった。とはいえ、ウゴは木に登ることもできる。その場に留まるのは安全ではない。


 フィニィはユピの幹を蹴りながら宙を逃げていく。

 それでもウゴが追ってくるため、あるところでユピの密集した枝葉を掻き分け、さらにその上に出た。

 

 頭上に広がるのは青空だ。

 秋の雲が穏やかに流れている。


 ウゴは光を見ることができない。よって昼の世界に出たフィニィを見失ってしまい、やがてすごすごと穴ぐらへ戻っていった。


 フィニィは息を吐き、手に入れたウゴの後ろ足の爪を鞄にしまう。

 これで今日の魔女のお使いは残り一つ。ラクスラを採取して帰れば終わりだ。


 ユピの葉の上を歩いて移動し、おおよそ目標のものがいそうな場所で下りた。浮き薬は清浄の水菓子を塗れば溶けて効果がなくなった。


 広大な夜の森の中をもうずいぶんフィニィは歩き回ってきた。

 体はほとんど成長していないが、頭の中には魔法薬に使える材料やその採取方法に関する知識が詰まっている。


 アンテと別れてから時が経ち、しばらくフィニィは泣くこともなかったが、今でもたまに思い出しては、採取の合間に花を摘みに行く。それを洞窟に飾っていると、魔女が花を長持ちさせる魔法薬を作ってくれたりする。

 

 そんなふうにフィニィの日々は過ぎている。


「・・・幼い頃、私は何に幸福を感じていたか。時に駆り立てられるうち、忘れたからこそ安らぎを得られなかったのだろうか」


 毎日の採取のお供はフードにいる哲学ネズミの寝言。

 彼もまったく変わりがない。


「子供時代を忘れるべきではない。あの時代にこそ真実の私がいた。与えられた愛に、受けた仕打ちに、何を感じたか。何を願ったか。思い出せないとすれば自己を失っていることの証である。そうなってはいけなかった。己を誤解してはいけなかった。私は・・・私である限り、英雄には、なれない」


 青い水溜まりを追ってフィニィが身軽に森を走っていると、突如、頭上からばきばきと音がした。

 咄嗟に足を止めたその先に、黒い鳥が落ちた。


 水溜まりはどこかに逃げてしまうが、それよりフィニィは落ちてきたものが気になる。

 

 鳥、と思ったのは翼が見えたためだ。

 慎重に近づき、木の影から覗き込む。


 その生き物のおおまかな形は人間にも似ている。頭部などは人間そのもので、若い女の顔をつけている。胸から下は隙間なく羽毛に覆われ、腕は二本あるが足は一本。足の先の形は鳥に近く鋭い蹴爪が生えている。


 翼は肩甲骨のあたりから生えているのだが、片方しかない。もう片方は根本近くから切られたようになくなっている


 鳥のような人のようなその女は、地に伏せ呻いていた。


 やがて声が小さくなり、女が動かなくなってから、フィニィはそろそろと近づいていった。

 よく見れば傷は背中の羽だけでなく、黒い羽毛のあちこちに血がこびりついていた。しかも、羽毛の中を探ると腿の辺りに矢が一本突き刺さっている。


 この夜の子はあきらかに人の襲撃を受けている。


 女は満身創痍であるものの、長い赤髪が覆う背中はまだかすかに上下し、生きていた。フィニィは応急処置として清浄の水菓子を大きな傷口に塗る。

 

 そうして浮き薬を使って女を背負い、洞窟に持ち帰り、あとは魔女に診てもらうことにした。


「何を拾ってきた」


 女は魔女も知らない夜の子だった。

 哲学ネズミのように、おそらく最近生まれたのだろうとのことだ。ただし魔女の言う《最近》には数十年の開きがある。


 魔女は何かする前に、まず傷の形状を確認した。


「見ろフィニィ。これとこれは槍で刺された傷だ。首に縄の痕もある。どこかで昼の子に捕まったんだろう」


 昼の子が夜の子を捕らえられるとすれば、森の外である。


「翼があるのだから、この夜の子は飛行の魔法を持っている。昼の国を飛んでいる時に矢で射られたか。高度を落としたところで首に縄をかけられた。地上から槍で突かれ、片翼を切られた。どうにかして縄をちぎり、片翼の魔法で逃れたが、力尽きて落ちた。大体そんなところだろう」


 魔女は傷口や痣を順番に指し、あたかも見てきたかのように語った。


 昼の子は夜の子を恐れている。忌んでいる。その異形を目にすれば、追い払うか殺すしか選択肢は浮かばないのである。


「せっかくの新しい素材だ。大事にしてやろう」


 魔女はこの鳥のような女のような夜の子を助けてやることにした。生かしておけば何度でも魔法薬の作成に使えるためだ。

 どんな理由にせよ、女が死なないことに決まり、フィニィはほっとした。


 魔女はフィニィの力では抜けなかった矢を肉を裂いて除いてやり、全身にまんべんなく青いゼリーを塗りたくる。


「水菓子が足りないな。羽も新品を付けてやるか。――フィニィ、卵と水をまず取っておいで。羽の材料は明日だ」


 フィニィは了解し、ぱっと駆け出していった。




 ☾




 満身創痍だった夜の子は、数日後に目を覚ました。


 瞼を上げると、碧い瞳が現れた。

 やや幼げな顔立ちをしている。少女と女の間の年頃だろうか。顔だけはごく普通の人間のようだった。


 傍で覗き込むフィニィに、なぜか微笑んだ。

 真っ先に羽毛に覆われた手が頬をなでようと伸びてきたが、女は血を流し過ぎ、まだ体がうまく動かなかった。

 顔まで届かず、諦めて膝に置く。さらさらの羽毛がフィニィはくすぐったかった。


 フィニィは魔女の麦粥を女の口元にスプーンで持っていく。

 体力が戻ったら、羽の修理を始める。残っている根本に新しい軸を挿し、羽毛を付けてゆくのだ。

 完成すれば女は元通り飛べるようになるだろう。

 魔女はそのための薬を大釜でせっせと作っているのである。

 

 しかし、女はフィニィの差し出すものをどうすればよいかわからないようだった。

 フィニィが自分で食べてみせようが、哲学ネズミに食べさせてみせようが、微笑ましい顔をするだけ。再び自分のほうへスプーンを向けられても理解しない。


 夜の子は必ずしも物を食べねばならないわけではない。

 この女も魔女と同じ生態なのかもしれない。フィニィは食べさせるのを諦め、残りの麦粥を哲学ネズミと分け合った。

 女はそれを幸せそうに見ていた。


 そしてフィニィが食べ終えると、桃色の唇をうっすら開き歌を口ずさんだ。


 言葉はなく、穏やかなメロディーだけが洞窟内に響く。

 それは聞いたこともない曲なのに、不思議な懐かしさを呼び起こすものだった。


 お腹がいっぱいの子に、さあお眠りなさいと促している。


 フィニィはうとうとしてきた。

 目の前のやわらかい羽毛がとても魅力的に見え、抵抗できずに突っ伏してしまう。


 鳥に近い体温に包まれ、赤子のように寝てしまった。


 すると、すかさず魔女がフィニィの襟首を掴み、揺すり起こす。

 フィニィは驚いて目を開けた。


「眠りの魔法か? 子供によく効くらしい。子守り鳥(ナーヴァ・ドゥ)とでも名付けるか。なあフィニィ」


 無理に起こされたものの、フィニィはまだ眠気が取れていなかった。

 あくびをし、無意識に魔女に向かって両手を広げる。


「なんだ」


 けげんそうにしつつ、魔女はフィニィを抱き上げた。

 そこでフィニィは安心して目を閉じる。


「フィニィ。なんなんだ。寝るのか」


 フードの中の哲学ネズミもろともに、すでに寝息を立てている。

 仕方なく魔女は羽毛の上に戻してやった。


 そんな子供の小さな頭を、子守り鳥は愛おしそうに、なで続けていた。

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