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解決に足りなかったもの

 不意に、羽熊さんが隣にしゃがんで「ごめん」とつぶやいた。


「好きなだけって言ったけど、16時だから移動しても良い? 会っておきたい人がいてさ」


 このままいつまででも居れてしまう。帰りの新幹線もあるだろうから、うなづいた。到着から6時間以上経過しているとは思わなかった。動き出した机の上、なんとなく「どうして今日?」尋ねた。


「ケーサツの方々にお礼言いたいんだよね。調べてみたら、お巡りさんって勤務に法則があるの。でも、4日で1タームなのか、3日で1タームなのか判断つかなくて。わたしが交番に来たのは午前6時前だったから、夜勤中だったのは確定していた。今日ならどっちにしろ16時くらいに勤務してるんだろうなぁって。刑事さんも、公務員だし17時までは働いてるでしょ、たぶん」


「……どうして誘ってくれたの?」


「せっかく観光地来たのにぜんぜん楽しめなかったから。パパに日帰りだったらいいよってお小遣いもらったんだけど、ひとりで行くのはなんか嫌だった。だから、誰か誘うことにしたの。中学から今の学校通ってるんだけど、結局3年間ずっと朱寿と駿太朗だけだったんだよね、まともに話してくれる人。つーわけで、交友関係はほんとに高校入試組とほとんど変わらない。選択肢が無いんだな、悲しいことにね。んで、朱寿さまは急にお誘いしたところで親から許可おりなくて断られるだろうし、駿太朗にも翼沙にも言えないことも言いたくないこともあるから。そうすると、誘いたいって思える人は他にひとりもいなかったんだよね。要するにポジティブな消去法だ。あとは、そうだ、あれだ。学校、一葵いないとそれなりに寂しいから」


 それなりに。そうはっきり言えるところが羽熊さんらしい。もしも、はっきりと言えたら……ふたりを止められたのかな。何でも無いって、どうだろうなって、誤魔化されたとき……あのとき、もう少し踏みこめていたなら。


 元の階へたどり着いたのに、机から両足を浮かせたまま、降りられなかった。宙に浮いたまま。踏み出せなかったから、こうなったんだ。ただ、事実として受け入れられた。


 後ろ髪を引かれながら駐車場を出た姉さんを確認した直後、兄さんは上着を脱いで後部座席へ投げてきた。視界が覆われる直前、一瞥されたときのあの表情はよく覚えている。悪いと自覚しているのに、許して欲しいのに謝る気が無いとき。姉さんを泣かせた後に形だけの謝罪をするとき。そんな顔、アルバムの中にはひとつもなかった。どうしてあの表情をしてから車を降りたのか、今ならわかる気がした。僕がふたりを止められなかったのは変わらない。変わらないけど


「明日、来れる?」


 羽熊さんは勢いをつけて机から降りた。リュックを背負いながら言葉を続ける。


「無理なら、また行くよ。これで一葵に中間試験勝っても気分悪いし、てきとーに何か勉強しよう? わかんないとこあってもお互いに先生できるでしょ? そうだ、教科書とか問題集かしてよ、持ってくの重いもん」


 駅で姉さんを見つけられなかったら。兄さんの逮捕に間に合わなかったら……50年後に後悔させたくない……あのときの羽熊さんの言葉にこめられたメッセージを、ようやく理解できた。あのとき、確かに、あのときは過去を悔やむしかなかった時間を、今からどうすれば良いのか考えられるようにしてくれた。


「ね、いいでしょ?」靴を履いて振り向いた途端、彼女は硬直した。開いてしまった距離を埋めると、突然「いないいないばぁ!」反応に困って、あふれる涙を拭い続けた。


「変顔バージョンあるよ? 朱寿と駿太朗が監修したやつ、とっておき」


「違う、そういうことじゃない」


「じゃあ……どうすればいい?」


「いいよ、大丈夫だから」


 今度こそ本心だった。なんか、悩むのすら馬鹿らしくなってきたって言うほうが正確な気はするけれど。




 *******


 


 塔を出て、交番と警察署へ向かう。目当ての人物はみんな警察官らしかった。「先日はありがとうございました!」頭を下げてリュックから缶コーヒーやココアを取りだすと「官民癒着です」笑顔で言いのけた。交番のお巡りさんは若いほうがイシカワさん、年配のほうがタノウチさん。緑茶をいただきながら古くからの知り合いのように談笑している羽熊さんたとを眺めていた。


 警察署では、会議室に通されて、駐車場で助けてくれた刑事さんともうひとりが面会してくれた。清水さん、長田さんだという。ノートパソコンの用意を進めながら清水さんが言う。


「東京のほうから情報提供があってね。逮捕時に容疑者が持っていたUSBメモリ、パスワードMATCHで開いたんだけどさ」


「はい? なぜ?」


「パスワード設定の問いが、〝ま〟は何?、だったんだよ。ハグマのマはマッチのマなんでしょう?」


「いえ、ただの和文通話表ですよ?」


「何それ」


「もう、あの、こちらのセンスは無視してください。説明しきれないです。それで、中身を教えていただける感じですか? 国家機密、じゃあないですね。なんとか機密。企業秘密。あ、捜査機密」


 羽熊さんの言葉に対して「事件に関することだから他言無用、約束できるなら」オサダさんが告げる。ふたりで顔を見合わせて、うなづいた。アルバムにあったような写真と、ほかのも。ここにも長い時間が閉じこめられていた。

 そのあとは少し会話して、気が済んで。並んで警察署を出た。もうすっかり日が傾いていた。1番星は……街中じゃあまだ見えないか。


「おなかすいたね。駅弁買おうよ」


「……肉! 肉肉肉肉肉肉! さっき信州牛ってやつ見たの! 良い匂いの波動を感じた! 良い匂いの波動はおいしさ指標といっても過言じゃないよ!」


 あー……行きのとき断ってごめんね?


「一葵はどうする? 何にする?」


「え、ああ。見てから決めよっかな」


「釜めしもいいよね、おいしそう。カツサンドとかおにぎりも捨てがたいし、あー待って、なんか味めぐりって書いてあるのもあったはず」


「……3つ買って、分ける?」


 羽熊さんは目を丸くして「天才っ?」と目をキラキラ輝かせた。小さいころから、兄さんと姉さんは優しくて、おやつでも外食でもよく3種類選んで3人で分けて食べてた。それを思い出しただけ。いつも僕を優先して考えてくれていた。だから、おかしいなと思ったときにはもう遅かった。それに気づけたなら、これから僕にできることはきっとある。ちゃんと見つけられる。


「ひとつ聞いていい?」


「ん?」


「今朝どうしたの? 朝ごはん食べながらみたいだったけど」


「ダラダラしてたら時間やばくなっちゃってさ。キッチンの食パン持って駆けこみタクシーしたんだけど、なんか、色々考えてたら食べるの忘れてたよね」


 苦笑する彼女に対して、改めて思う。羽熊さんに友達が少ないのは、きっと本質的に不思議な子だからだ。人目を引くけれど、近づいて良いのかわからない。そう、相手を遠慮させてしまう、何か。髙橋くんと星科さんが特殊だったというか、限られた人しか近づいてはいけないような、そういう雰囲気。髙橋くんが須河内さんに会いに行きたいからって連れていかれたけれど、それがなければ僕も進んで関わろうとはしなかった。

 だって、初対面のとき、よくわからないけど


「はじめまして。君、佐伯くんって感じの方ですね。あっ、駿太朗の言っていた部活の同期って佐伯くんのことですか?」


 改名させられたから。


 すかさず隣の女の子が「はぐ、荒ぶるな荒ぶるな。落ち着きたまえ静まりたまえ」と笑いながら指摘してくれたけれど当人はよくわかっていない様子だった。


「ああ、なんか、すみません。わたしは羽熊です。羽熊有流羅。こっちのちっさいのは」


「ちっさい言うな」


「チビは星科朱寿」


 わざと「チビ」を強調する。


 星科さんの相手をしながら


「それで、佐伯くんはどうされた感じですか? あー、駿太朗が拾ってきた感じですかね?」


 ああ、佐伯は確定なのかな? 


 実際、数日は佐伯呼びだった。


「香坂ぁ? えー、なんか、違くない?」


「違うと言われても」


「下の名前、なんだっけ?」


「え? あ、えっと……一葵、です」


「じゃあ、そう呼ぶね。よろしく、一葵」


 実際話してみれば、まあ不思議なところもあるけれど、気さくで表情豊かな女の子だ。

 前を歩く羽熊さんは振り向いて笑顔を見せた。


「ね。今度、うちに来てよ。一緒にご飯食べよう! 料理は任せて」


「料理、得意なんだ?」


「オムライスだけ。ちゃんと美味しいよ」


「わかった。楽しみにしてる」


「焼いた卵は、出汁派? 甘い派?」


「兄さんが作るのは甘くて、姉さんが作るのはあまり甘くなかった。どっちも好き」


「じゃあ、オムライスの卵はどっちでもいいの?」


「チキンライスと甘い卵って合うの?」


「わたしは好き。というか、甘いものが好きだからお菓子作り並に入れるよ、砂糖」


「それは、健康的に大丈夫?」


「ご覧のとおり」


「……」


「なんで黙っちゃうのさ」


 そのとき、後ろ歩きをしていた彼女がスーツ姿の人とぶつかりかけた。咄嗟に腕を引いて防ぐ。


「危ないよ、周り見て」


「ごめん、ありがと。それとさ、3つめ、これにしよ?」


 選ばれたのは釜めし弁当。確かにおいしそうだけれど……反省してるのかな? 苦い表情になったのを自覚する。「こういうの苦手?」と首をかしげているあたり、本当にわかっていないんだろう。わかっていないなら、反省もしていないのだろう。


「いや、食べたこと無いかも」


「じゃあ初めてなんだ! わたしも初めて。でもさ、もう見るからにこんなの絶対おいしいじゃん? いけるいける、大丈夫!」


 少なくとも、跳ねるようにレジへ向かう様子からは感じられない。しかたなくふたつのお弁当を片手にその背中についていった。駅の時計が視界に入った。もうすぐ18時になる。


「新幹線、何時?」


「18時17分」


 羽熊さんが襲来して、もう半日経ったんだ。


「もっと遅い時間が良かった? たまて箱、まだいたかった?」


「いや……キリがないと思う。それに遅くなり過ぎたら、警察に補導される時間になりかねないよ」


「そう? 高校生って言えばいけるっしょ。違う、間違った、大学生」


「良くないよ」


「えー、いけるって。朱寿じゃないから小学生には見えないし」


 よく星科さんこき下ろすよね、羽熊さん。まあ、星科さんもやってるけど。本人の前でも平気で言いあうから、悪口じゃなくて戯れているようにしか見えない。付き合いの長さが為せることだろう。


 この前は「新作に浮かれてたのは認めるけどさ。アルラと私の服、値段一緒とか一生かけても解せんよね。まじ無理、この世の仕組み頭悪過ぎ。あのコミュ障とりあえず縮め。おいこら珍獣、笑うな。10センチ寄越せ」聞き上手を装っていたら飛び火した。仮に身長のやり取りをしても、たぶんまだ僕のほうが高いくらい星科さんは小柄だ。加えて童顔だから、制服じゃなかったら確かに小学生に見えるかも。思わず「ああ」と声が溢れた。


「ふははっ、納得しやがった! 朱寿に教えてやろう!」


 羽熊さんはポケットからスマホを取りだす。さすがに焦って止めようとした。「否定してる時点で共通認識じゃん?」と言われたら認めるしかないんだけど、でも本人に伝えるのは待って欲しい。


「か、可愛らしい感じだから! それだけだよ!」


 彼女の手を掴んで画面を見ると――カシャリ――内カメラで写真されたと理解した。その写真を見せられながら


「焦り過ぎ。駿太朗も、こういうこと、よくやるでしょ?」


 確かに、もう何度かやられてる。髙橋くんに限らず羽熊さんにまで……我ながら術中にハマり過ぎてしまった。恥ずかしくて顔を逸らした。


「からかわれなれてんじゃないのかな、末っ子さん?」


 そうだよ、慣れてるよ。睨みつけると――変顔だった――思わず吹き出した。耐えきれず声を上げて笑った。羽熊さんも笑い出す。笑いが落ち着くと、「ね、明日、木曜日だよ」彼女は言った。


「学校だね」


「そ、学校。来れそう?」


「うん」


「ほんと?」


「宿題なんにもやってないけどね」


「それくらい手伝うよ!」


 羽熊さんの足取りはさらに軽くなる。鼻歌とともに、今にもスキップし出しそうなくらいだ。何がそんなに楽しいんだろう? 振り向くと、両手を上げて左足を曲げる。


「あのね、今ね、カナクリシソウがゴールテープ切ったときと同じ気分! およそ11日23時間30分だってさ! いやぁ、おかげで駅弁のおいしさ跳ね上がるよー、相乗効果だね!」


 何を言ってるのか、まったくわからない。けれど、なんだろう、嬉しさを体現する羽熊さんを見ていたら内容なんて些事にしか思えなかった。だから新幹線の座席に着いて駅弁を開いたとき、もとの位置がわからないくらいの散らばりを前に、ふたりで笑いあえた。

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