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「えー! お父さんと一緒に暮らせるの!? うれしい! おじいさまとおばあさまも一緒なんだよね?」
エリシアの答えはアンネの想像通りだった。
エリシアはファリオスのことを慕っている。そして、子爵夫妻をおじいさま、おばあさまと呼び、本や洋服をプレゼントしてもらって喜ぶ様子を見る限り好意的な仲であることがよくわかる。
「でも、レオン様やミカお坊ちゃんとは離れ離れで過ごさなければいけなくなるのよ?」
「それってずっと会えないわけじゃないんだよね? 住んでる場所がわかれば会えるよね?」
ゼノビオ子爵領からシギー男爵領までは遠いが、貴族同士なので、これから交流を持つことは可能だろう。予定を合わせて王都で会うなどしてもいい。
「家もわかるんだからレオンとミカには手紙を書く! お父さんたちは家族だから一緒に住みたい……! レオンとミカは友達だから家族とは違うもん」
その答えは意外だった。アンネは、エリシアがレオンとミカを兄弟のように思っているものだと考えていたが、彼女の中では違ったようだ。
「でもちゃんとお別れはしたいな……! レオンとミカにお母さんの元気な顔を見せてあげたいし」
そこまで言うとエリシアが「あっ」と思い出したように叫んだ。
「レオンとミカ、ずっとお母さんのこと心配してくれてたのに、お母さんが起きたこと言ってない! どうしよう……二人ともずっと心配してるかも……」
エリシアがオロオロし始めアンネはエリシアに「大丈夫よ」と教えてやる。
「少し前に字を書く訓練をしたのよ。そのときシギー家宛に、倒れたときのお詫びとお礼と、公国で治療を受けて病は回復傾向にあり、大丈夫ですっていう内容の手紙を書いて出したの。きっと旦那様と奥様がレオン様とミカお坊ちゃんに伝えてくれてると思うわ」
ファリオスの話を聞く限り、ファリオスの方からもゼノビオ子爵経由かもしれないが、シギー男爵にはアンネの状態の連絡はされていると思われる。だが突然倒れて迷惑をかけたお詫びは必要だろうと、字が書けるようになってからアンネは真っ先に男爵家に手紙を出した。
アンネの話を聞くとエリシアはホッとした様子を見せていた。
「でも、もしレオン様とミカお坊ちゃんとお別れになるのならちゃんと挨拶に行かなきゃね」
エリシアに言うと彼女は元気に「うん」と返事をしていた。
◇
それから二週間後、アンネの身体からクーリュー病を引き起こす菌は全てなくなり、無事に退院をすることができた。
ファリオスにあとひと月ほど公国で過ごして長距離移動が大丈夫そうであれば自国に戻ろうかと提案され、アンネはファリオスが公国で借りている屋敷で一緒に暮らすことになった。
退院し、初めて公国でエリシアたちが暮らす屋敷に足を踏み入れると、エリシアが張り切って屋敷の中を案内してくれた。
屋敷の中のことはメイドがしてくれるので、アンネは身体の回復を優先し、エリシアの話を聞き一日を過ごした。
「お母さん、私が寝るまで一緒にいてね」
「うん。いいわよ」
エリシアはアンネが知らないうちに一人で部屋で寝られるようになっていた。
シギー男爵家にいたころは、エリシアはアンネと同じ部屋で寝起きしていたが、アンネが病に倒れてからはその部屋で一人で寝起きしていたのだろう。
「今まで寂しい思いをさせてしまってごめんね」
アンネがエリシアの頬をそっと撫でるとエリシアは目をまん丸にして「平気だよ」と言う。
「寂しいときもあったけど、お母さんが病気になったからレオンがお父さんのことを探しに行こうって言ってくれたの。おじいさまには叱られたけど、それでお父さんに会うことができたから、お母さんの病気は悪いことだけじゃなかったよ」
アンネは病に倒れたことを悲観的に考えていたが、エリシアは前向きに捉えてくれていた。つらかったことなど何でもないようにアンネに笑顔を見せるエリシアに胸を打たれる。
そしてエリシアは「あとね」とアンネに話を続けた。
「おじいさまには叱られたけど、お父さんはおじいさまには内緒だよって、とっても褒めてくれたの。『僕のことを探しに来てくれてありがとう』って言ってた恋のキューピッドになれたかなって聞いたら、それはお母さん次第って言ってたよ」
「キューピッドって……エリシア……」
エリシアがニコニコしながらアンネの顔を覗き込む。
「ねえ、お母さま? 私はキューピッドになれた?」
アンネは柔らかく笑ってエリシアに答える。
「ふふっ、なれたわよ。ありがとう……エリシア」
アンネの答えにエリシアは「よかった」と喜んでいた。
それから一か月、せっかく公国まで来たのに碌な観光もできていなかったエリシアを連れてファリオスはアンネの負担にならない程度に出かけてくれた。
「屋敷へ帰ったら勉強が始まるから、今めいっぱい楽しもう!」
ファリオスはエリシアとアンネを町に連れて行き、たくさんの服を買い与え、町の飲食店で料理を食べて楽しんだ。
新品の服、新品の帽子で公国の名物料理を食べて店を出る。エリシアの手にはファリオスに買ってもらった大きなリボンのついた女の子の人形がある。
お腹も心も満たされ、三人で並んで手を繋いで歩く。幸せな時間。
「ずっとこういうふうにしてみたかったの! べつに綺麗なお洋服も、可愛いお人形もなくても良いんだけど、お父さんとお母さんと一緒にお腹いっぱいご飯を食べて、手を繋いで歩いてみたかった」
エリシアが青紫の瞳を輝かせてアンネの方を見るものだから、アンネの目から涙が零れ落ちる。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちと色々だ。
「アンネ、エリシアがこんなにいい子に育ったのは君が一人で頑張ってきたからだ。これからは僕たち二人でエリシアをもっと幸せにしてやればいい」
ファリオスが優しく微笑み、アンネは苦しい気持ちをグッと呑み込み「はい」と返事をしてから二人に向けて笑った。
◇
「アンネ! 本当に良かったわ!」
アンネが退院してひと月が経ち、十分に身体も回復したため予定通り帰国をすることになり、ゼノビオ子爵夫妻が公国まで迎えに来てくれた。
子爵夫人は再会してすぐに目を真っ赤にして涙を溜めてアンネのことを抱きしめた。
「硬く目を瞑るあなたを見ているのはつらかったわ……」
「ご心配をおかけしました」
これほどまでにアンネのことを心配してくれていたとは知らず、夫人の想いにアンネの胸は熱くなる。
ゼノビオ子爵も優しい目をして「母親が目覚めて良かったな」とエリシアの頭を撫でていた。
やはり二人ともアンネに対して好意的だった。
「旦那様も、奥様も、私のためにたくさんのことを、本当にありがとうございました。エリシアのことも可愛がってくださっているようで……」
「ファリオスとの結婚のことも納得してくれたって聞いたわ」
ファリオスが事前に伝えてくれていたのだろう。アンネは「はい」と返事をした。
「アンネ、あなたは男爵家から我が家に嫁いできたことになっているのだけど、貴族としてのマナーなどは男爵家ではなく我が家で引き受けたいと思っているの。よければ私が教えるわ」
「奥様……」
「あなたには奥様じゃなくて、お義母さまと呼ばれたいわ」
夫人は柔らかく微笑んだ。彼女の想いに熱いものが込み上げる。
「おじいさま、おばあさま、今日行くお店は、この国に来てから食べたお料理の中で一番のお料理のお店ですよ! 国に戻ったらこのお料理が食べられなくなっちゃうのだけが私は悲しい!」
「ははっ、それは楽しみだな」
今日はファリオスとエリシアと以前に行った、公国の郷土料理を食べられるレストランをファリオスが予約していた。
子爵夫妻と一緒に食事というのは緊張するが、ファリオスが食事マナーの基本を教えてくれていたし、夫妻が「マナーはこれから学べばいい」と多少のことは目を瞑ってくれた。
エリシアはみんなで美味しい食事を食べられたことをとても喜んでいた。
「えー……! 私もおじいさま、おばあさまと同じホテルに泊まりたい!」
今夜は公国で夜を過ごし、翌朝出発する予定だ。
「そんなわがまま言わないの」
「あら、良いわよ。今夜、エリシアはこちらで見るから、二人は公国の最後の夜をもう少し楽しんだら?」
アンネは申し訳ないと「でも……」と言うがファリオスが口を挟む。
「母上もこう言っているし、今日はエリシアをお願いしよう。孫を二人占めしたいんだよ」
「そうよ。アンネ。私たちにもエリシアを甘やかす時間をちょうだい」
夫人が悪戯っぽく笑ってアンネは「では……」と引くことにした。
「いい? エリシア。良い子にするのよ」
「大丈夫だよ!」
エリシアが「わーい」と夫妻の間に入って二人と手を繋ぐ。
「エリシアはいい子だ」
子爵がエリシアの頭を撫でてエリシアが嬉しそうに「はい」と言う。
この人たちの元でエリシアが嫌な思いをすることなんて絶対ない、とアンネは改めて思った。
◇
翌日、エリシアとゼノビオ子爵夫妻と合流し、二台の馬車に別れて帰国のために出発した。
「あっ、そうだ! お母さん! じゃなくて……お母さま、ずっと渡そうと思ってたんだけど……」
馬車の中でエリシアがアンネに髪飾りを渡す。
「エリシアが持っていてくれたのね。ありがとう!」
アンネは倒れたときこの髪飾りを着けていた。突然病院に入院することになり、転院もあり、そんなごたごたの中で失くしてしまったのかと密かに気を落としていた。
アンネはエリシアから受け取った髪飾りをすぐに髪に着ける。
「それ……!」
アンネとエリシアのやり取りを見て、ファリオスが目を見開く。
「お父さまがお母さまにプレゼントしたものなんでしょう?」
エリシアがファリオスに問うと「ああ」とファリオスは答えた。
「まだ、持っていて、くれていたんだね……」
ファリオスが目を細めてアンネを見つめ、エリシアが「お母さまは毎日髪の毛に付けてたよ」と補足した。
アンネは頬を赤くしてファリオスを見ると、ファリオスが「ああ……」ととびきり甘い笑顔を見せたのでアンネはひやひやしてしまう。
昨夜二人っきりで過ごしてから、ファリオスは何度もアンネを甘い表情で見つめてくる。蕩けてしまいそうなほど熱い視線で、幸せだと言わんばかりの表情を向けるのだ。
エリシアはアンネが倒れてからたくさんのことを経験し、人の感情の変化に敏感になっている気がする。
一昨日までとは違う様子にエリシアが何かを勘付いてしまったら、と思うと気が気ではない。
そんなアンネの心配をよそに、馬車の中で幸せそうにするファリオスを見て、エリシアもなぜかニコニコしていた。
◇
「俺たちは何かあったときに頼れないほど情けない親だっただろうか?」
アンネは父に言われてギクリとした。
「ごめんなさい。そんなつもりはなくて……ただ、迷惑を掛けたくないって……」
馬車は子爵家に行く前にアンネの実家に寄ってくれた。
七年ぶりに会ったアンネの父は怒っていた。
「すみません! 元を辿れば全ての責任は僕にあって……!」
アンネを庇うようにファリオスが前に立つ。
そんな様子を見て父は「はあ」と深いため息を吐いた。
「言いたいことはたくさんあるが……娘の命を助けてもらっちゃ強くは責められねえよ……」
父が諦めたように笑ったのでホッとした。
アンネは父にファリオスが好きだから子爵夫人として頑張りたいと伝えると母は「大丈夫なの?」と心配していたが、父は「頑張れよ」と応援してくれた。
◇
七年ぶりのゼノビオ子爵家の屋敷は、相変わらずしっかり手入れがされていて、月日を感じないくらい綺麗な状態が保たれていた。
シギー男爵家と違う大きく煌びやかな屋敷に入り、エリシアはまん丸な目をキラキラさせている。
屋敷の中に入ると子爵家の使用人たちがアンネたちを出迎えてくれた。
皆、よく言い聞かされているのだろう。アンネとエリシアを見て不快な顔をする者は誰もおらず「これからよろしくお願いします」と挨拶をするアンネとエリシアに温かな視線を向けてくれた。
「アンネ、エリシア。使用人たちには敬語は使わないのよ」
すぐに先に到着していた子爵夫人が出迎えてくれた。
「奥様……!」
アンネが夫人を呼ぶと、夫人は「お義母様とは呼んでくれないの?」といたずらっぽく笑った。
「お義母様」
夫人はそれでよい、と頷く。
「では、私はお義父様だな」
ゼノビオ子爵もアンネたちを出迎える。
「お義父様」
アンネが呼ぶと子爵も頷く。
「おじいさま! おばあさま!」
エリシアが前に出ると二人はエリシアの頭を撫でて「よく来たね」と子爵家内の案内を始めた。
ファリオスが「エリシアは父上たちに任せよう」と言ったので、アンネは屋敷内を進んでいく彼らを見送る。
「若奥様のお部屋は私が案内しますね」
アンネの荷物を持ったメイドが前に立つ。
アンネの前に現れたのは以前子爵家に勤めていたころ、アンネのことをよく心配してくれた先輩メイドだった。
「先輩……!」
「アンネ……! 大変だったと聞いたわ。よく頑張ったのね……!」
彼女もアンネに温かな目を向けてくれた。
「ご心配をおかけしました……」
彼女はアンネをしばらく潤んだ瞳で見つめた後、吹っ切ったようにキリッと前を向いた。
「若奥様。メイドのエリーです。どうぞよろしくお願いします」
先輩後輩としての会話はもう終わりだ。
「若奥様は照れてしまうので、名前で呼んでくれるかしら? エリー、よろしくね」
先輩メイドにこういう態度を取るのは緊張するが、ファリオスの隣に立つと決めた以上、次期子爵夫人として覚悟を決めた。
「はい、アンネ様。では、お部屋にご案内いたします」
そんな様子をファリオスが嬉しそうに眺めていた。
◇
アンネは貴族夫人としての振る舞いを学ぶため、毎日義母から指導を受けることになった。
エリシアも貴族令嬢としての生活に変わり、二人一緒に義母から学ぶ日もあり母子で切磋琢磨し頑張った。
アンネのクーリュー病は完全に治ったようで、あれから身体の不調は一切ない。そしてファリオスが細すぎるアンネを心配し、たくさん食事を与えアンネは順調に健康な肉付きへと戻っていった。
何度か手紙は出していたが、子爵家での生活に慣れたころ、アンネはエリシアとファリオスとシギー男爵家へ向かった。
「アンネー!」
一番にアンネに抱きつき涙を流したのはシギー男爵家次男のミカだった。
「治って良かった!」
ミカはアンネにしがみついてワンワン泣いていた。
「そんなにくっついたら夫人の服が濡れるだろう」
そう言ってミカをアンネから引き離したのはシギー男爵のロベルトだった。
「ロベルト様、ご迷惑とご心配をおかけし申し訳ございませんでした」
アンネは深々と頭を下げた。
「本当に心配した。病気が治ってよかった。それに君もエリシアも一番良い形になったみたいで……」
ロベルトがエリシアとファリオスを見て、ファリオスが前に出た。
「長らく、妻と娘がお世話になり、ありがとうございました。そして、不出来な僕のせいで大変なご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。それと……今後のことも……」
ファリオスもロベルトに深々と頭を下げる。
「ファリオス殿、頭を上げてください! 事情はゼノビオ子爵からお聞きしておりますし、アンネとエリシアが望むなら、私たちは引き止めたりなどしませんから」
「ありがとうございます」
ファリオスがもう一度頭を下げたので、アンネも一緒に頭を下げた。
エリシアが泣き止んだミカに話しかけていた。
「ミカ、まだ泣き虫のままだったね」
エリシアがニヤニヤとミカを見て、ミカは目元を拭う。
「もう……うるさいっ」
ミカがぷうっと頬を膨らませるとエリシアは「でも」と続ける。
「私、ミカよりもいっぱい泣き虫だった。ミカのこと言えないみたい」
エリシアがふふっと笑うと、ミカも「なーんだ」とクスクス笑った。
「アンネ……!」
次にアンネに抱きついてきたのは男爵夫人のミリアだった。彼女も目に涙をいっぱい溜めてアンネの無事を喜んだ。
「ミリア様。本当に長いことお世話になりました」
「アンネ、これからは貴族夫人同士だから、私たちはお友達になるのよ」
初めての貴族の友人だ。アンネはミリアに「はい!」と笑顔を向けた。そんな様子をバーバラが目元を拭って見守っていた。
「アンネ……」
シギー男爵家長男のレオンが心配そうにアンネに近づく。
「レオン様……。目の前で倒れてしまって、怖い思いをさせてしまい本当にごめんなさい。もう大丈夫ですから」
倒れる直前の記憶はレオンと一緒に並んで歩いていた。
「本……まだ修理に出したままなんだ。一緒に取りに行ってくれるか?」
「はい……! 参りましょう」
アンネがファリオスに目を向けるとファリオスが頷いていたのでアンネはレオンと一緒に書店へ向かう。
「私のせいで、大事な本の戻りが遅くなってしまってごめんなさい」
「本は……確かに大事なものだけど……アンネの命の方が大事だから、別にいいんだ……」
アンネの元気な様子を見て、男爵家の皆が喜んでいたのにレオンだけ浮かない様子だ。
「それよりも、ごめん……」
レオンがアンネに謝るので、アンネは首を傾げた。
「俺が本の修理を頼んだから……俺がもっと早く大人を呼んでいれば……」
まさかレオンはアンネが倒れたことに責任を感じているのだろうか。まだ九歳の男の子が俯いて震えながら「ごめん」と言うのでアンネは青ざめた。
「レオン様! 違います!!」
アンネは腰をかがめてレオンの両肩に手を置いた。
「私が倒れたのは病気だったからで、レオン様のせいではありません! レオン様が一緒にいたからすぐに人を呼んでもらえて病院に運んでもらえたのです! 一人で屋敷の裏を掃除しているときだったら、数時間気付かれずに手遅れになっていた可能性だってあるんです。レオン様と一緒にいるときに発病したのは不幸中の幸いだったのですよ」
アンネは必死にレオンに説明する。
「レオン様。エリシアと一緒に、エリシアの父親を探しに行ってくれたんですよね?」
アンネが優しく問うとレオンはコクリと頷いた。
「レオン様のお陰で、エリシアの父親、私の夫と再会することができました。そして夫は私の病気を治すために他国へ連れて行ってくれて私は病気を治すことができたのです。レオン様がエリシアと一緒に起こしてくれた奇跡のお陰で私の命はあるんですよ」
アンネはレオンの手を取った。
「レオン様のせいじゃない。レオン様のお陰で今があるんです」
アンネが説明するとレオンは唇を引き結んで首を縦に振る。彼は目に溜まった涙は溢さない。
本を受け取り男爵家に戻るとレオンは幾分かスッキリしたような表情でエリシアとしゃべっていたのでホッとした。
男爵家で一泊世話になってから子爵家に帰る。
「エリシア、俺は立派な貴族になるからお前も頑張れよ」
「うん、レオン……また会えるよね?」
「当たり前だろ」
別れのとき、レオンとエリシアはそんな会話をしていた。
◇
アンネとファリオスは書類上結婚を済ませているが、式は挙げていないので、半年後に結婚式をすることになった。
たくさんの貴族を呼んで王都で盛大に、ということはなく、領地の屋敷でごく近しい親族と使用人で小規模な挙式を行うことになっている。
そして迎えた結婚式。
小規模なものだが、シギー男爵家の皆も来てくれ、アンネとファリオスは大切な人たちに見守られながら青空の下、領地内の教会で永遠の愛を誓う。
「お母さま、すっごくキレイでかわいい……! お父さまも格好良い!! こんなにステキな人たちが私の両親だなんて、私って幸せ者!」
エリシアは式の後のガーデンパーティーで嬉しそうにうっとりとアンネのウエディングドレスとファリオスの正装姿を眺めていた。アンネから見ると、そんな話をするエリシアが一番可愛く微笑ましい。
「私もいつかお母さまみたいな素敵な花嫁になれるかな?」
エリシアに聞かれ、アンネは「なれるわよ」と答えた。
この世界では本来ドアマットヒロインであったエリシアは虐げられることのない人生に変わった。
もしかしたらそのせいでヒーローと結ばれる予定が変わってしまったかもしれない。
だが、アンネにとって自慢の娘。
健気で前向きな良い子だ。
保証はないが、彼女なら自らの手で必ず幸せを手にしてくれると思う。
「ブーケトスって私がキャッチしても良いのかな?」
エリシアがソワソワしながらアンネが投げるブーケを待っていた。
「身内や使用人ばかりのパーティーよ。娘だからって別に遠慮しなくても大丈夫」
義母にそう声をかけてもらったエリシアは「よかった!」と喜んで前へ出る。
そしてアンネはゲストに背を向けて、後ろに向かって思いっきりブーケを投げた。
アンネの投げたブーケは綺麗に弧を描いて、スポッと腕の中へと入った。
……レオンの腕の中に……!
「俺かよっ!!」
ブーケキャッチのために前に出ていたわけでもないレオンの目の前にブーケが落ちていき、レオンは落としてはいけないと、手を出してしまったようだ。
「えー! レオンずるいー……!」
エリシアが羨ましそうにレオンの腕の中にあるブーケを見た。
「エリシア欲しいのか?」
レオンに聞かれて「うん」と答える。
「だってブーケがゲットできたらお嫁さんになれるんだよ?」
「エリシアは花嫁になりたいのか?」
エリシアは満面の笑みをレオンに向ける。
「うん! お母さまみたいな幸せなお嫁さんになるのが夢なの」
女児らしい可愛い夢にほっこりする。そしてエリシアの目からもアンネは幸せに見えていることに安堵した。
「じゃあ、これ」
レオンがキャッチしたブーケをエリシアに差し出し、エリシアは目をパチパチさせた。
「やるよ」
「え? いいの?」
「ああ、俺よりもお前が持ってる方がよく似合う」
金髪碧眼のレオンは十歳の美少年系の男の子で、レオンがブーケを持っていても十分似合うと思うのだが、それは言わない方がいいだろう。
「ありがとう!」
エリシアが嬉しそうに手に取ると、その瞬間にレオンが言う。
「俺が花嫁にしてやるから!」
「え?」
「俺は将来、辺境伯になる。お前を迎えにいける年齢になったら必ず俺がお前を花嫁にしてやる」
「えっ!?」
エリシアとレオンのやり取りを聞いていないフリをして、しっかり聞いていたアンネは驚いて話に割り込みそうになる。
慌てて口を押さえて噤むと、ファリオスも「え……」と衝撃を受けた顔をしていた。
レオンがエリシアを花嫁に、とは意味をわかって言っているのかと、ハラハラしてしまう。
それと、レオンはシギー男爵家の嫡男のはずだが、辺境伯とはどういうことだろう。
アンネの疑問にシギー男爵夫人のミリアが答えてくれる。
「実はね、シギー男爵家はノルダー辺境伯家の遠縁にあたるのだけど、辺境伯家に子がいなくて、うちに養子の話が来たのよ。ほら、うちは息子が二人でしょう?」
どうやら始めはミカに話があったようだが、辺境伯が行動力のあるレオンの性格を気に入り、レオンを養子に欲しいという話になったようだ。
『俺、結婚したい相手がいるんですけど、辺境伯でも結婚できますか?』
レオンが何の相談もなしに辺境伯へ聞くので男爵夫妻は焦ったと言う。
辺境伯は相手がゼノビオ子爵家の娘であると聞くと、それなら男爵令息よりも辺境伯令息の方が結婚できる可能性は上がるから、ぜひ辺境伯家に来るといいと説明した。
レオンはその話を聞いて、両親に辺境伯家の養子になりたいと言った。
下級貴族の子女が高位の貴族の養子になるなどよくあること。レオンが養子になると言うなら、とシギー男爵夫妻はそれを了承したらしい。
「レオン様が……ノルダー辺境伯……?」
アンネは前世で読んだこの世界の原作小説『虐げられた令嬢は辺境伯に溺愛される』のヒーローを思い返す。
容姿はたしか、金髪碧眼。ノルダー辺境伯で名前はレオナルド。
レオナルド……?
「ミ、ミリア様……? レオン様のお名前って……もしかして、愛称でした……?」
「あれ? 言ってなかったかしら? レオンはレオナルドって名前なの」
レオンがエリシアの前で跪く。
「エリシア・ゼノビオ嬢、近いうちにレオナルド・ノルダーが婚約の申し込みをするので、ぜひ受けていただけませんか?」
エリシアの片手を取ってレオンが懇願する。
十歳になったばかりの男児にしては大人びた行動だ。きっとわざわざ練習をしたのだろう。
その絵はまさにヒロインに求婚を申し込むヒーロー。
「俺がお前をアンネ以上に幸せな花嫁にしてやるよ!」
レオンはニヤリと笑った。
「はい! よろしくお願いします」
嬉しそうにエリシアが答えるが、アンネはそんな勝手に、とハラハラする。
隣に立つファリオスは「エリシアが嫁に行く……?」とショックを受け茫然としていた。
アンネが「いいのかしら」と動揺していると、ショックを受けているファリオスを他所に義父がアンネに「仕方ない」と声をかける。
「辺境伯が承知していることなら、どうせうちじゃ断れない」
ゼノビオ子爵家は裕福な子爵家ではあるが、辺境伯家に比べたら家格も権力も下回る。
「それに、エリシアもそれを望むなら……何も言うことはないだろう」
義父はそう言って諦めたように笑った。
小説内では成人してから出会うはずだったヒーローとヒロイン。エリシアが虐げられる運命はアンネが変えてしまったが、ちゃんと二人は出会っていた。
アンネは運命というものの存在を感じた。
二人が結ばれる原作小説のタイトルは『虐げられた令嬢は辺境伯に溺愛される』だ。
「レオン様、エリシアのことを溺愛するのかしら……?」
ヒロインであるエリシアはどうあっても溺愛される運命は変えられないらしい。そしてアンネも……
新たに誕生した若いカップルをワクワクした目で見つめているとアンネはグイッとファリオスに腕を引っ張られた。
茫然としていたファリオスは覚悟を決めたようにアンネを見る。
「僕もレオン殿に負けないくらいアンネのことを溺愛する」
真剣な顔で訴えてきた。
すでに十分溺愛されているとは思ったが、アンネはファリオスに「よろしくお願いします」と微笑んだ。
今作はこれで完結とさせていただきます。
拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。
評価、感想いただけると嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました(^^)




