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翌日も、翌々日も、ファリオスは仕事の合間をぬって、クーリュー病について調べ、なんとかアンネを助ける方法はないものかと模索する。
医者にも文官にも何度も質問を重ねた。彼らは貴族令息であるファリオスに対し、無下な扱いはせず、丁寧に質問に答えてくれるが、いい加減煩わしいと思われているかもしれない。
ただ、刻々とアンネの命は削られており、なりふりなど構っていられる状況ではない。
ファリオスが毎日奔走する間にアンネは子爵家の主治医とともに王都の病院へ馬車で運ばれ、無事に転院できたと父から聞いた。
「私とエリシアは今日、アンネの様子を見てくるが、お前は病室に立ち入るなよ」
「わかり、ました……」
会いに行きたいが、彼女に会えるだけの資格がない。
◇
アンネを助ける方法が見つからないまま、五日が過ぎる。
アンネの病院へは父が毎日エリシアを連れて行き、エリシアは眠るアンネに一生懸命声を掛けているらしい。
「エリシアが可哀想だから、彼女を見守る役目を早く本物の父親と交代したい」
父はそう言って苦い顔をする。そしてアンネの状態は、ゆっくりと確実に悪くなっているらしい。
早く何とかしなければと気持ちばかりが焦る。
「ファリオス! 話があります!」
今日もアンネを助ける道は見つからなかったと項垂れて帰宅するとタウンハウスの玄関にはファリオスの母が待っていた。
母が来たということはアンネの雇用期間の件である。それも結果を使いの者に託さず、自ら領地を出てここまで来たことを考えるとファリオスに緊張が走る。
「伺います」
ファリオスは母に先導されて応接室へと向かう。応接室にはすでに父が腰掛けていた。
見せられた一枚の紙はゼノビオ子爵家でアンネを雇用していた期間が書かれている。以前父から見せられた紙に書いてあった期間と被っている。
「結論から言います。アンネの娘、エリシアはあなたの子よ。アンネは子爵家で働いていた期間に妊娠しています」
「っ……!」
ファリオスは良かったと思った。エリシアが自分の子であるなら彼女を抱きしめる権利がある。
母を想う健気なあの子をずっと抱きしめてあげたかった。
「アンネが子爵家であなた以外とも関係を持っていた。または、ひどい早産だった……などがあれば話は変わるけども。アンネが複数の男性と同時に関係を持つような子だとは思えないし、シギー男爵夫人から、アンネは娘の妊娠中、大きなトラブルはなく無事に出産日を迎えられたと会話をしたことがあるとの確認もとれたわ」
母の話を聞いてホッとする。
「エリシアをゼノビオ子爵家に迎え入れる。正式にお前の娘としての手続きも取りたい」
父の判断に胸が熱くなる。ただし、気になることもある。
「父上、僕もそれを望んでおりますが、エリシアは……それに……アンネは……」
「ああ。エリシアの気持ちを確認する必要はある。あの子が、お前では父親として不満だと言えばお前をあの子の父親だと認めるわけにはいかんし。アンネの意志も確認する必要がある。もし、アンネの容体が回復しなければ、今後のことをシギー男爵に相談するという話にもなっている」
「っ!?」
ファリオスは父の発言に唖然としてしまった。
「なんだ。私はおかしなことを言ったか?」
ファリオスの反応に不満を抱いたのか、父は母の顔を見た。母は「いいえ。私もその判断がよろしいかと」とフォローしている。
しかしファリオスは、今まで強引にファリオスの意志を無視しながら縁談の話を持ってくる父の印象しかなかったので、皆の気持ちに配慮しながら言う父の発言に驚いてしまったのだ。
「ファリオス。私たちはエリシアが産まれたとき、抱っこをすることができなかったわ。孫ができたなら、私の刺繍したスタイを使ってもらいたかったし、ファーストシューズも贈りたかった。エリシアがよちよち歩きをするところも、言葉を話し始めたところも知らない。誕生日だって一度も祝ったことがないの。私たちの孫なのに……あなたの娘なのに……おかしな話よね……」
「……」
母の目には涙が滲んでいる。
「この件の責任はファリオスだけではないわ。アンネが妊娠を打ち明けられない環境を作った私たちにも責任はある。そして、関係のないエリシアが一番つらい思いをしてる」
目元を拭う母の話に父も口を開いた。
「ルディアナの言うとおりだ。私はこの数日間母を想い涙するエリシアを見てきて何度も後悔した。エリシアのこれまでの六年間を見ることができなかったのは私たちのしてきたことの報いであって、これからエリシアを幸せにするのは私たちの贖罪だ」
父の言葉に母は大きく頷いた。
「お前がエリシアにちゃんと父だと認めてもらえたら、アンネに会いに行くんだ」
「はい」
◇
「ファリオスさまがお父さん……?」
昨夜は遅かったため、翌朝朝食を終えてから父がエリシアに説明してくれて今度こそ彼女の父親として彼女の前に立つことができた。
「ああ。エリシア。昨日確認ができたんだ。僕が君の父親だ。君がここに来るまでずっと、僕は君の存在を知らなかった。頼りなく、情けない父親で本当にすまない」
するとエリシアは途端に目に涙をいっぱい溜めて、顎を震わせる。
「おとうさん……」
ポツリと呟くとすぐにつーっと一筋の涙を流した。
「ローガンさま……私はいい子にできましたか?」
なぜかエリシアはそんなことを父に問う。父はエリシアに「エリシアはずっといい子だった」と宥めるよう言っていた。
「お父さん知らないでしょ? 私はいい子だし、お母さんは頑張り屋さんだったんだよ」
エリシアが泣きながらへらりと笑ってファリオスは堪えきれずにエリシアのことを抱きしめた。
「ああ。知らなくてごめん! これからいっぱい教えてくれ。エリシアのこともアンネのことももっともっと知りたいんだ……!」
ファリオスは膝をついてエリシアと高さを合わせて彼女のことをがっちりと抱いた。
エリシアはファリオスの腕の中で「ううっ」と嗚咽を漏らし「おとうさーん」と大きな声を上げてからワーンと強く泣き出した。
エリシアがひとしきり泣いたところでファリオスはエリシアの小さな肩を摑んで目を見つめる。
「エリシア……君は僕を父親だって認めてくれる?」
ファリオスの問いにエリシアは「うん」と頷いた。
「私、ファリオスさまに会ったとき、ファリオスさまがお父さんだったらいいのになって思ったの」
「なぜ?」
「ローガンさまは、私のお父さんがファリオスって名前じゃないかもしれないって言ってたけど、お母さんが眠りながら寂しそうに言ってたのはファリオスさま、だったから、どうせならお父さんはファリオスって名前の人がよかったの」
拙い話で理解がしづらいが、アンネが寝言でファリオスの名前を呼んだからエリシアの父はファリオスが良かったようだ。
「それにね。かっこいいし優しそうな人に見えたから」
「そうか」
エリシアが認めてくれるなら、どんな理由でも嬉しい。
「エリシア。もう僕のことをファリオスさまだなんて言わなくていいよ。そうだな……お父さんという呼び方が呼びやすければそれでいい」
「うん。お父さん!」
エリシアは笑った。
「あと……エリシアがローガンさまと呼んでいた人は君のおじいさまになる。僕の父なんだ」
「おじいさま?」
「ああ。それと、彼女が僕の母で君のおばあさまだ」
ファリオスの母が「おばあさまよ。よろしくエリシア」と言うとエリシアは大きなまん丸な目をぱちぱちさせた。
そしてファリオスの父を見て一言呟く。
「おじいちゃ……」
「おじいさまと呼びなさい」
「おじいさま」
父は敬語や呼び方にうるさく、言いかけている傍から注意していた。
「ロ……おじいさま。お父さんと一緒にお母さんの病院へ行っても良いですか?」
エリシアは父をローガンさまと呼ぶのを止めた。
「ああ。行っておいで、エリシア」
「おじいさま、おばあさまも一緒に行ってくれますか?」
エリシアは両親たちにも声を掛けていた。
「でも……エリシアがアンネとお話をするのに私たちまで居たら、邪魔じゃないかしら?」
母がエリシアに気遣いそう言うとエリシアは「ううん」と首を振る。
「お母さんに新しい家族を紹介したいの。お母さんに私は一人じゃないよって安心させてあげたくて」
健気な想いに込み上げてくるものがあるが、それはグッと飲み込んだ。
「では、ご一緒させてもらおうかしら」
そう言う母は目に涙が滲んでいた。
◇
「お母さん。今日はたくさんのお客さんが来てくれたよ」
「っ……!」
エリシアが案内してくれた病室の寝台で横たわる女性を見てファリオスとファリオスの母は青ざめた。
死んでしまったのかと思うほどに真っ白な顔をした女性。最後に会った七年前より大人びているのかもしれないが、頬はこけて、髪の毛にはハリがない。掛けられたリネンから点滴を通すために出された腕はやせ細って、鼻には管が通されている。栄養を摂るための管だろうか。
彼女がアンネだと言われてもにわかに信じられない。
アンネとは対称的にファリオスの鼓動はバクバクとうるさく鳴っている。
本当にまだ彼女は生きているのかと心配になるほどだ。
「お母さん、私のおばあさま。知ってる?」
「ええ。エリシア。アンネは私のことを知っているわ」
エリシアがアンネに問いかけると、ファリオスの母が答えた。
「アンネ。久しぶりね。いつか、あなたとはまた会いたいと思っていたけど、こんな再会になるなんて……っ……」
ファリオスの母は堪えきれずに涙を流し始めた。
「アンネっ……。頑張らなきゃ……っ、頑張らなきゃダメよ。こんな小さな子を置いていくなんて……、私っ……許さないわ……」
涙を流すファリオスの母を見て、エリシアも目元を袖でごしごし拭う。そしてすぐに切り替えるように前を向く。
「そして……お母さんにビックサプライズ! なんと今日はお父さんが来てくれているんだよ! ほら、お父さん来て!」
呆然と青白い顔のアンネを眺めていたらエリシアに腕を引っ張られた。
「ほら、お父さん……! お母さんに何か、話をして!」
「あっ……うん……えっと……」
会いたいとずっと思っていたのに、いざ彼女を目の前にすると声が出てこない。ファリオスは一言「アンネ」と呼ぶ。
こんなのじゃダメだ。
「すみません。父上と母上は、一度部屋から出ていてもらえますか?」
父と母は顔を見合わせ「行こう」と部屋から出てくれた。
「お父さん、私は良いの?」
「いいよ。エリシアには聞いてもらいたい」
アンネに対する想いをエリシアにも知ってもらいたい。
ファリオスはアンネの寝台の前で膝をついて彼女の細くなった手を両手で握る。
「アンネ……。こんなに痩せてしまって……」
昔の彼女も細かったが、もっと血色がよく健康的でハリのある手だった。
「アンネ。会いにくるのが遅くなってごめん。ファリオスだ。昔一度君を見かけたのに、僕は勘違いをして君にもエリシアにも会わずに逃げ出した。そのせいでエリシアにたくさん寂しい思いをさせてしまったんだ。すべては僕のせい。ごめん……」
握った手を額に当てて懇願するように謝罪する。
「君が僕に会いたがっていたって話を聞いたよ。本当にそう思ってくれていたならすごく嬉しい。僕もずっと君に会いたかった」
今度は握った手を優しく撫でた。そして息を吸って心を落ち着ける。
「アンネ、君を助ける方法を探してる。必ずなんとかするから。だから……っ、お願いだから死なないでくれ。目を覚まして、アンネ……二度と君を失いたくないんだ……」
気づいたときには目の奥が熱く、ポツと涙が零れ落ちていた。
「アンネ。愛してる……ずっと……ずっと……愛してる……」
そう締めくくるとまたエリシアがまた目元をごしごし拭ってから「ほら、お父さん」とファリオスの腕を引っ張った。
「お父さん! お母さんにキスして! キスで目が覚めるんだから……!」
「えっ……」
子どもの前で口づけなんてと一瞬思うが、エリシアは奇跡が起きることを望んでいるし、ファリオスだってアンネが目が覚めるなら、なんだってするつもりだ。
「そうだね。キス……しよう。えっと……さすがにお父さんもエリシアに見られるのは恥ずかしいから、目を瞑っていてくれるか?」
「うん。こうでいい?」
エリシアはすぐに目を瞑った。
ファリオスはエリシアがしっかり目を瞑ったことを確認し「うん」と言ってアンネに顔を近づけた。
ふにっと唇が重なり、彼女の柔らかさを感じまだちゃんと生きていることを実感する。冷たいような気もしたが、触れたのは唇だけなのでよくわからない。
「いいよ。エリシア」
「キスした?」
「うん。したよ」
触れるだけの数秒の口づけを一度だけした。目覚めてほしいという願いとありったけの愛を込めた口づけだ。
エリシアはじっとアンネのことを見つめ、ファリオスもアンネを見つめた。
目を覚まして。願いが伝わってきそうな気迫の漂った顔でエリシアはアンネを無言で二分ほど見つめていた。
それでもなんの変化も訪れず、エリシアはもう二分ほどアンネを見つめて変化を待つ。
だが、とうとう痺れを切らして泣き出した。
「お母さんっ……起きないよぉっ……! お父さんっ、来てくれたのにっ……お母さんっ! 起きてよぉ」
父から聞かされ知っていたが、彼女はアンネがエリシアの父親に会えば元気になるかもと話していた。エリシアはそれは奇跡みたいなことで、実際にはそんな簡単にアンネが元気になることはないとわかっていたようだが、それでもやはり奇跡が起きる可能性に懸けていたのだろう。
ファリオスはエリシアを抱きしめる。
「エリシア……! アンネは絶対に死なせない。アンネが助かる道を探しているから……! 必ず、アンネを助けるよ」
「お父さんっ! お父さんっ! うわぁーん」
エリシアは大泣きしてファリオスにしがみつく。
泣き叫ぶエリシアを見るのは胸が痛い。父が可哀想だから彼女を見守る役を代わりたいと言っていたことがよくわかる。
だがファリオスはこの役を誰かに代わりたいとは思わない。エリシアのつらさはファリオスが受け止める。エリシアが泣くたびに抱きしめてやるのはファリオスの役目でありたい。
◇
ファリオスはその日遅れて王宮へと出仕をし、ディミトリスと今後の話し合いをした。
そして、夜遅くまで補佐官の仕事をこなしてから、タウンハウスへと帰った。
「父上、母上、相談があります」
アンネを助けるにはもうこの方法しか考えられなかった。
「アンネの治療をジファーレ公国で行う!?」
「はい。ジファーレ公国ならクーリュー病の治療薬があるんです。しかし、この国ではまだ臨床試験の段階で認可が下りずに治療が受けられない。第一段階の臨床試験はクリアしていて、医者もここがクリアできれば大丈夫と言っていたので、アンネに投薬しても問題ないと思います」
「だけど……」
母が懸念事項を口にしようとしたのでファリオスが先に答えてやる。
「はい。アンネは公国での滞在権を持たないので公国での治療は受けられません」
ジファーレ公国での治療を受けられるのは公国に住む者だけ。旅行などの短期での滞在者は公国の治療は受けられない。
「なら……! どうやって……」
これはファリオスの苦渋の決断。
目覚めたアンネからは罵倒されるかもしれないし、エリシアからは嫌われてしまうかもしれない。
それでもファリオスはアンネを失いたくない。
「アンネを公国の国民と結婚させます」
ファリオスの決断に母は目を見開いて息を呑む。
「公国にもお金に困っている国民はいます。僕の私財からお金に困った公国の男性国民にアンネとの契約結婚を持ち掛けます」
「そんなっ……!」
母は非道だと言わんばかりの顔でファリオスを見ていた。
ジファーレ公国の国民と結婚すればアンネは滞在権を得ることができる。
「結婚の手続きは本人の署名でなくとも親の署名でできますから、僕がアンネの親に説明して署名をもらってきます」
ファリオスは極めて淡々と説明する。
愛する人を自分で探した別の男と結婚させようとしているのだ。感情を殺さないとやっていられない。
「そんな……彼女が眠っている間に誰だか知らない人と結婚させるなんて! あなたはそれで平気なの!?」
「平気なわけありませんよ!」
母が感情的に声を上げるのでファリオスも思わず反発してしまう。
「でも……公国の国民と結婚すればアンネはクーリュー病の薬を投薬してもらえるんです。治る治療がしてもらえるんです!」
ファリオスの説明に母はソファにもたれて額を押さえた。
「他に……他に……方法はないのかしら……」
「母上……治療薬の認可を待っている暇はないんです。アンネを助けるにはこれしか……」
「ファリオス」
口を開いたのはずっと聞き役に徹していた父。
「お前がアンネと結婚すればアンネは公国の治療を受けられるんじゃないのか?」
「それはっ……ですが……」
まさか父がその提案をするとは思わなかった。
たしかにファリオスは公国での仕事が多いため長期滞在権を持っている。短期の滞在権と違って公国での治療を受ける権利もある。なのでファリオスの配偶者も公国での長期滞在権を得られて治療も受けられることになる。
だが、ファリオスは貴族でアンネは平民。貴賤結婚は認められておらず、簡単には結婚できない。
「アンネを貴族の養女にすれば結婚できるだろう」
「ローガン様! アンネのことを認めてくれるのですか!?」
驚いて声を上げたのは母だった。
「母親が知らない男といつの間にか結婚していたらエリシアが悲しむだろう。もうあの子の泣く姿は見たくないんだ……」
意外な発言にファリオスと母は同時に「あなた……!」「父上……!」と目を瞠った。
「ですが……今から養女にしてもらえるような家を探すのは……それに手続きにも時間が……」
養女にするのも簡単なことではない。
「もう、ある男爵家に話はつけてある」
「えっ!?」
「手続きだって根回しをすれば早くなる。薬の認可なんかよりもよっぽど簡単な手順だ」
「ち、父上っ……! ありがとうございます!」
ここまで段取りがされていることを思うと、父は恐らくアンネの病気が治ったあかつきにはそのようにしようと考えていたのだろう。
父が希望を捨てていなかったことに対しても嬉しい気持ちさせられる。
「ファリオス。アンネのご両親の署名は私がもらって来るわ」
「でも、アンネの両親にはエリシアが僕の子であることについての謝罪もしなければ……」
だからファリオスが行くべきだろうと考えていた。
「時間がないのよ。私が頭を下げるから、あなたはアンネと一緒に公国へと向かいなさい」
「その間に私はアンネの養子入りの手続きを進めよう」
二人は手続きができたら早馬で連絡すると言ってくれた。
「アンネを乗せた馬車は急ぐことはできないから、十日以上はかかるだろう。それまでにはこちらでやるべきことは済ませるから」
「父上、母上、ありがとうございます」
二人の顔を順番に見ると二人とも首を大きく縦に振っていた。
「僕はさっそく明日からアンネを連れて公国へと向かいます」
アンネを公国へ連れて行くことは初めから決めていたので、主治医に使いは出してあり、明日から馬車で公国へ向かうことになっていた。
「ファリオス、エリシアも連れて行きなさい。彼女は長旅でも文句を言わないいい子だ。少しでも長く一緒に話をして同じ時を過ごして、あの子のことを知るんだ」
「わかりました」
「それにあの子もお前とアンネと一緒にいたいだろう」
そうエリシアのことを話す父の目はすっかり優しい目になっていた。
◇
ファリオスはアンネと再会してすぐにアンネを公国へと向かわせる決断をしており、その日のうちにディミトリスに仕事のことを相談していた。
ファリオスの仕事はディミトリスの補佐官で代わりがきく仕事である。だからファリオスはディミトリスに補佐官の仕事を辞めたいと話したのだ。
今は仕事よりもアンネを優先しアンネのために動きたい。
「その君の大切な人が公国で治療を受けるなら、君も公国に行くんだろう? なら補佐官退任じゃなく、長期休暇扱いで良いよ。それなら公国での滞在権は残るし、公国で調べて欲しいことがあるときなんかは、休暇扱いなら頼みやすい」
「でも……復帰できる保証は……」
「それならまたそのとき考えればいいさ」
そんな好待遇が許されるのかと心配しているとディミトリスは「ファリオスは優秀だから手放すのが惜しいんだ」と言ってくれた。
勘違いではあったが、シギー男爵領で子どもと夫と幸せに暮らすアンネへの気持ちを断ち切るように、仕事に打ち込んできた。それが評価されていたことを今知った。
「殿下、ありがとうございます……」
「戻ってきてほしいから恩を売っておくだけだよ」
ディミトリスは最後に「助かると良いね」と言ってくれた。
その時はアンネと結婚することになるなど考えていなかったが、こうなってくると公国での滞在権を残してくれたディミトリスの判断に感謝の気持ちでいっぱいだ。
エリシアにはアンネを救うためにアンネの意志とは別で、アンネとファリオスは結婚の手続きを取ることを説明した。
エリシアは状況をあまり理解できていないようだが、結婚と聞いて喜んでいた。
「さあ、行こう。エリシア。僕たちが向かうのはジファーレ公国だ」
「うん」
――アンネ、絶対君を助けてみせる……!




